マスク警察(3)
<9>
久しぶりの休日。デュークこと、上林田は、家の近くのショッピングモールを訪れていた。土日や祝日と違って、平日のショッピングモールは、客も少なく、それでいて楽しげな雰囲気を感じられる場所として、彼のお気に入りの場所だった。外は雨が降っており、好きなウォーキングもできないので、ショッピングモールには、特に目的もなく訪れていた。
2階の奥のエリアに行くと、マスク専門のショップがあり、様々なマスクが所狭しと、陳列してある。終わりの見えない世界規模の感染症拡大により、全国にこのようなマスク専門のショップもたくさんオープンした。その代わりに無くなった店も多くあるだろうが、前にあったショップなど新しいショップがオープンすると、すぐに忘れてしまう。そんなことを考えながら、上林田は、唐草模様のマスクを眺めていた。
「誰が、こんな柄のマスクするんだよ。泥棒用か?」
「先輩に似合いそうじゃないですか。」
上林田が振り返ると、部下のツカサが立っていた。
「休日に初めて会いましたね。」
「俺に仕事以外の時間に会いたくなかっただろ。」
「そんなことないですよ。」
いつもより、ツカサが大人っぽく見えるのは、勤務中は纏めている髪を、下ろしているせいだろう。
「先輩の今日の予定は?」
「何もすることがなくてここに来たんだよ。」
「じゃあ、私に付き合ってくださいよ。」
ツカサは、仕事中には絶対に見せない笑顔を向けてきた。マスクで見えないが、きっと口はアヒル口になっている。
「おじさんとデートしても楽しくないだろうに。」
ツカサは少しうつむいてから、こう切り出した。
「まじめな話をしてもいいですか?」
「どうぞ。」
「わたし、生まれた時から母親しか居なかったので、父親と一緒に休日を過ごしたことがないんです。だから、すっと父親と過ごす休日を夢見てきたんです。街で、仲良さそうな親子を見るたびに寂しい思いをしてきました。今日、私の夢を叶えてくれませんか。」
ツカサは、可愛い子犬のように下から私を見上げて懇願する。そんな顔でお願いされて、断れる男がこの世にいるだろうか。いや居ない。
「しようがないなぁ。今日だけな。」
「ありがとうパパ!!今日は父親と娘だからタメ口ね。あと食事とかすべてパパの奢りで~。ヨロシク。」
それじゃあ、「パパ活」じゃないか、と思いながら、ツカサに付き合う上林田であった・・・。
「何度も来ているけど、こんな場所は知らなかったなあ。」
ファストフード店で二人分の飲み物を買った後、ツカサがいい場所があるからと、上林田が連れられて来た場所は、ショッピングモールの店舗と店舗の間にある通路を抜けた先にある、屋外の休憩スポットだった。
「ここなら、密にならないし、晴れていれば景色も意外といいんですよ。」
3人掛けのベンチの左側に上林田が座ろうとすると、ツカサが彼をどけて、左側に座った。
「私、左利きなので、こっちに座ります。」
「左利きは気を使って大変だな。」
「この世界には、右利き用に作られているものが多すぎて、私みたいな左利きはストレスが溜まりますよ。知ってます?右利きの人より左利きの人の方が平均寿命が10歳くらい短いんですよ。」
「それは知らなかったなぁ。」
「私の場合、左利き以外にもマイノリティな部分があるんですけど、・・・それは、またいつか話します。」
<10>
今日は雨が降っていて遠くまで見渡せないが、晴れていれば、マンション群の向こう側に、富士山が見えるらしい。
「いただきます。あっ、期間限定のイチジクとパクチーのシェイク美味しいです。」
上林田は、パクチーが苦手なので、ツカサが美味しそうに飲む姿を苦虫を噛み潰したような顔で見ていた。心の中では、あんなカメムシみたいな香りのする草をよく平気で口にできるもんだと、思っていたが、今言っちゃいけないワーストワンのセリフと思い、心の中で消去した。
「ツカサのマスクを取った顔を、初めて見たかもしれない。」
いつもは、目元しか見えていないので、改めてみるツカサの顔は、自分のイメージと少し違った。
「で、どうですか?私の顔。」
「もちろん、美しい。」
「何?その化粧品のCMみたいなセリフ。可愛いって一言いえば良いんだよ。お・と・う・さ・ん。」
「あ、かわいいよ。」
この子、結構面倒臭い子だったんだな、と改めて気づいた上高林だった。
ツカサが私の顔をジロジロ見だした。
「あの、今気づいたんですけど。私達、目元は全然似ていないけど、口元は、結構似てません?唇の形とか厚さとか、鼻の形もちょっと似てますよ。」
「そうか?警察顔ってヤツじゃないか?」
「警察顔?」
「警察官に限らないが、その職種独自の顔ってあると思うんだよね。政治家顔とか、大工顔とか。」
「そんな概念初めて聞きました。でも、高校球児はみんな同じ顔に見えますね。」
「あれは、ユニフォームと坊主頭のせいだろ。」
二人とも飲み物を飲み終り、再びマスクをつける。
「ツカサはどうして警察官になったんだい。」
「自分が生まれる前に父親が死んで、母が経済的にしんどそうだったのを見ていたので、収入が安定する公務員になりたいと思って。それと、父も警察官だったので、自分も向いていると思っちゃいました。」
「ツカサのお父さん、警察官だったんだ。」
上林田がツカサの父の話を聞くのは初めてだった。
「先輩はどうして、独身なんですか。」
「それは、好きでなったわけじゃないよ。向いてないんだよ、家庭を持つことに。」
「そんなことないと思いますよ。」
「そんなことあるんだよ。一度失敗してるんだから。」
「失敗?」
「突然、妻が出て行った。理由は多分、私が仕事に没頭し過ぎて、家庭をないがしろにしてしまったせいだろうな。」
「・・・多分。ってことは、奥さんに直接そう言われたわけじゃないんですよね。」
「言われてないけど分かるよ。何も言わずに突然出て行ったんだから。年老いた母親と一緒に暮らしている今が、一番自分として精神的にも安定している気がするよ。」
ツカサは上林田にグッと、顔を近づけた。
「な、なんだ?」
「先輩まだ、40代でしょ?まだこれから新しい恋が始まるかも知れないじゃない。そうしたらどうするんですか。今の生活を必死に守るんですか?」
上林田は、面食らった。この娘の意図も分らないし、そんな事を言われるなんて夢にも思わなかったからだ。
ツカサは表情を柔らかく変え、笑顔に戻った。
「びっくりしました?」
「なんだよ。からかったのか。」
「鳩が豆鉄砲食らった顔選手権の世界第二位みたいな顔してましたよ。」
そう言ってツカサはケラケラ笑った。
「そこは、第一位にしてくれよ。」
ツカサは涙を流しながら笑っている。もし自分に娘がいたら、こんな会話を娘とするのだろうか。そんな毎日も悪くないなと、上林田は思った。ツカサが父親と過ごすシミュレーションで始まったことが、自分にもし娘がいたら、という素敵な体験をさせてもらった気がした。いや、そもそもこれはツカサが始めから私のために計画したことだったのか。彼女は頭がいい。まあ、どちらでも良い。今日が素敵な休日になったから。
<11>
連日、真夏日を記録していた激しい夏が終わりを告げ、涼しげな秋の風が吹き始めたころ、世間の話題はもっぱら、次の内閣総理大臣候補の二人に注目が集まっていた。
若年層に圧倒的な支持率を持つ、リーダーシップを発揮してきた若手の本橋氏と、議員活動も長く、重要なポストに長年就いてきたベテラン議員の熊谷氏である。若手VSベテランという戦いとともに、「マスクの戦い」と称する者も多くいた。若手の本橋氏は、感染症用のワクチン接種後は、マスク未着用を推進するマスク反対派。対する熊谷氏は、自らの信条である慎重な政策を貫き、例えワクチンをブースト接種まで終えた人でもマスク着用を義務付けるマスク推進派であった。「ペットにもマスクを」という徹底ぶりだ。
マスク警察内でも、総裁選の話題はもちろん挙がっていた。デュークとツカサは、意見が分かれていた。
「マスク警察の立場としては、マスク推進派の熊谷氏が、総理大臣になって欲しい訳よ。」
「先輩。この国は、新しいリーダーを欲しています。特に若い人がこれからの、この国を変えていかないと。若い人たちは橋本氏のカリスマ性に心酔していますよ。」
「あいつは、口が上手いだけのペテン師だよ。若さだけが取り柄の勢いに任せた政策を進めるだろう。国民は全員マスクを外せと言っている。これまで何度も緊急事態宣言と、解除を繰り返してきた反省すべき愚かな歴史があるのにだ。しかし若者は皆マスクを外した生活を望んでいる。マスク反対派を掲げて若者の支持率を上げたいだけだ。もし彼が総理大臣になったら、きっとボロを出す。それと、本橋氏は最近結婚したそうじゃないか。数年後、彼は絶対に浮気する。よく見てみろ、あの顔は浮気顔だ。その点、熊谷氏は、・・・安心だ。」
本橋氏は、さわやかなイケメンで、熊谷氏は、普通のおじいさん顔だ。
「先輩の意見は、結局見た目重視じゃないですか。なんですか浮気顔って。」
「テレビ見てて、こいつ浮気しそうだな~って思うと、その後、大体浮気してるよ。」
「何ですか、その特殊能力は。」
「とにかく、マスクを外せという方向性に同調できないんだよな。私は。」
「先輩、いつかは、世界中の人々がマスクを取って生活する日が来ますよ。」
「まだ、現段階では早いと思うが。」
「でも、その一歩を踏み出す勇気に意味が、あると思いますよ。」
「それで、パンデミックになったら、お笑いだな。」
「もう。先輩とは、意見会いませんね。パトロール行ってきます。」
「ああ、気を付けて。あのピンクのバイク直ったのか?」
「はい。直すついでに色も変えました。真ピンクはダサいと気づいたので。」
「何色にしたの?」
「ゴールドです。」
「・・・・・・行ってらっしゃい。」