マスク警察(2)
<3>
「お手柄だったな二人とも。」
ここは、マスク警察署署長の村中敏正樹がいる署長室。壁には、歴代署長の写真がマスク姿で飾られている。この度の活躍で、我々デューク班は、署長に呼ばれたという事だ。村中署長は、中村雅俊にそっくりな優しい目をしており、中村雅俊のような鼻と中村雅俊のような唇で、中村雅俊のような髪形をしているので、もう、見た目は、ほぼ中村雅俊である。
「今回の君たち二人の活躍は、マスク警察始まって以来の快挙だ。私も鼻が高いよ。」
署長の細い目がさらに細くなった。
「署長。あのエリアなら、強盗特別処理班が数分で向かえたはずですが、なぜ我々に対応の命令がきたのでしょうか。」
私はずっと疑問に思っていたことを口にした。
「実は、同時刻に、あのコンビニのビルに近い銀行でも強盗があって、そちらにチームが向かってしまっていたらしい。そちらはホシを逃してしまった。」
「なるほど。」
同時刻に起きた犯罪。何か関連はあるのだろうか。
「銀行強盗は、マスクを着用していたらしい。」
「なるほど。それなら我々がコンビニへ向かうのが筋でしょう。ですが…。」
「・・・ミカサ君かな?」
「はい。ミカサは女性ですし、あんな危険は現場には向かわせたくありません。今回は、たまたま無事に切り抜けましたが、彼女を危険な現場に行かせるのは心外です。」
「ミカサ君は?」
「私は、女性だからとか言われる事のほうが、よっぽど心外です。「マスク警察」である前に、ひとりの警察官です。現場を選んでなんかいられません。」
珍しくツカサが、自分の意見をぶつけてきたので、私は面食らったが、村中署長は微笑みの眼差しを我々に向けた。
「頼もしくなってきたじゃないか。デューク。ツカサを一人前の警察官にしてくれよ。」
「はい。」
署長室を出ると、ツカサが私に謝ってきた。
「さっきは言い過ぎました。・・・すみません。」
こういう所がコイツの可愛いところだ。
「いや。私の方こそ、女性蔑視の発言で申し訳なかった。反省している。一杯奢るから、この後、飲みに行くか?」
「先輩。128回目の緊急事態宣言中ですよ。」
「・・・そうだったな。」
<4>
『・・・次は、アスカ住宅前。アスカ住宅前。お降りの方は、降車ボタンを押してください。』
路線バスが、閑静な住宅街を進む、平日の午前中。昨晩から降り続いていた雨は、今は上がり、太陽の光が、濡れたアスファルトを輝かせている。
通学と通勤のラッシュも落ち着いた時間で、乗客もまばらだ。乗客は当たり前のように全員マスク姿だが、ひとりだけマスクを外している者がいた。バスの運転手だ。運転席にどうやって乗り込んだのか分からないくらいシートに体がハマっているアメリカンタイプの巨漢体格の運転手。彼の右の耳には、さっきまで口元を隠していたマスクが、ダラリとひっかけられた形で、バスの揺れに合わせゆらゆら揺れている。それに気づいた運転席の真後ろに座っていた老人男性が、彼に注意した。
「運転手さん、マスクをつけてください。お願いします。」
運転手が、バックミラー越しに老人を睨んだ。
「なんだ?気に入らねえなら、バスから降りろや。」
「なんだと?バス会社に訴えてやる。アスカ交通だな。あんたの名前は?!」
なかなか元気な爺さんだ。しかし、あろうことか、運転手は、蛇行運転を始めた。大きなバスが、大きく左右に揺れだした。
「ははは~!どうだ?楽しいか?遊園地だぞ~?!」
「や、やめなさ~い。警察を呼びますよ~。」
「警察でもなんでも呼びやがれ!俺は本当の運転手じゃねーぞ。本当の運転手なら今頃、睡眠薬でおねんねだ。」
そう、この男は、バスの運転手が詰める事務所に侵入し、睡眠薬を飲み物に混入させ、眠っている運転手の代わりにバスを運転していたのだ。超変則的バスジャック犯だった。
最後列に座っていた男子高校生がスマホを操作し、警察を呼ぼうとしたが、はて?この場合は、普通の警察か?それともマスク警察か?悩んでしまったので、隣のサラリーマン風の男に聞いた。
「済みません。こんな時は警察ですか?それともマスク警察ですか?」
サラリーマン風の男は答える。
「兄ちゃん。マスク警察はヤベーぜ。顎マスクしただけでウチの営業部長の自慢のリーゼントを会議中にぶち壊しちまったんだ。向かいのビルから狙撃されたんだぜ。」
「それは、ヤベーっすね。よし、マスク警察を呼びましょう。」
「先輩。バスジャック犯が、マスクを外して暴走しているようです。」
「オイオイ。犯罪するときは、マスクしろって学校で教えられてないのか?駅のポスターにも書いてあったぞ。犯罪するならマスクしろって。」
「先の輩。そんなこと書いてないです。」
「犯罪者がマスクしてくれないと、マスク警察の仕事が増える一方だ。休みて~よ~。イオン行きたいよ~。」
「それよりどうします?バスは走行していますから、デューク先輩得意のライフルが使えませんよ。」
「先回りして、歩道橋から狙い撃ちの予定だったんだけど。」
「バスの走行ルートが特定できないので、それは難しいですね。とりあえず、私が先にバイクで追跡しますので、先輩はパトカーで来てください。」
「よし、とりあえず現場へ急ごう。・・・オイ。さっきの先の輩ってなんだ?」
バスは相変わらず蛇行運転を続けていた。反対車線の車は暴走バスに驚き、必死にぶつからない様にバスを避ける。住宅街を抜け、首都高の入り口に差し掛かった。
「首都高入っちゃいますか~!?あれ、皆さん返事がないですね~。首都高速入ってもいいかな~?」
『いいとも!!』とか乗客達が言うとでも思ったのだろうか。気分はタモリさんか。
バスは、首都高の入り口から侵入した。犯人はアクセルを思いきり踏み込んだ。
<5>
「おい、マスク警察呼んだのか?全然来ないじゃないか!!」
サラリーマンがイライラしだし、高校生にアタリだした。貧乏ゆすりをしている。
「おかしいな~。既読になってるから、大丈夫じゃないっすか?」
「既読スルーされてないか??」
「多分、大丈夫っす。」
「キミ、こんな状況で落ち着いてるねぇ。」
「いやおじさん。俺、もう漏らすモノ全部漏らしたんで、逆に落ち着いたんです。」
「・・・それで少し前から、香ばしい香りがしてるのか・・・。早く警察来ないかな~。」
ブオオオオオーン!!!!!
その時、後ろから漆黒のバイクスーツに身を包んだ女性ライダーが真ピンクのバイクにまたがり疾走してきた。
男子学生がバイクの存在に気付いた。
「あれ?後ろから来たバイク、マスク警察じゃないですか?」
サラリーマンの男も振り返る。
「本当だ。バイクの横に「マスク警察」って書いてあるな。超ダッセーな。」
「先輩。なんだか乗客がニヤニヤしながら、こちらを見ています。」
「期待してるんだろう。それよりもっと、バイクをバスに近づけるんだ。」
「了解。バスの前方に回り込みます。」
「ツカサ、無茶するな。乗客の安全が第一だからな。」
「了解!!」
蛇行するバスの横を上手くすり抜けて、ツカサのバイクはバスの前方に躍り出た。デュークのパトカーは、後方に待機し、バイクと車両でバスを挟み込んだ。
「お?マスク警察のご登場か。これは楽しくなってきたぞ。まずは、このバイクを轢いてやろうか。」
『後方のバス、止まりなさい。』
スピーカーで後方のバスに警告するツカサ。しかし全く聞き耳を持たないバスジャック犯は、さらに加速し、ツカサのバイクに迫る。今にも追突しそうな勢いだ。
「おかしい。このタイプのバスには、自動ブレーキが搭載されているはず。この距離で効いていないという事は、強制的にOFFにしている?」
『ツカサ、危険だ。自動ブレーキが効いていない。』
「先輩そのようです。とりあえず、セオリー通り、前方のタイヤを撃ちます。先輩は後方のタイヤをお願いします。」
「了解。」
後ろ手にハンドガンを構え左右の前方タイヤを狙い打った。タイヤはパンクしたが、ガタガタと音を立てながら暴走は止まらない。
「先輩!!後ろのタイヤは?」
「パンクさせたが、スピードが落ちない。パンクしても走れるランフラットタイヤを履いているかもしれない。バスの乗り心地が少し悪くなっただけだ。」
<6>
相変らず首都高を疾走する路線バス。時折、防音壁にガリガリとボディをこすりつけながら、前進をやめない。
「おじさん。マスク警察苦戦してるみたいですね。あれ?おじさん手帳に何を書いているんですか?」
サラリーマンはカバンからメモ帳を出して、ボールペンで何やら書きなぐっているようだ。
「遺書だよ。こんなイカレ野郎のバスに乗ってしまった自分を呪うよ。今度生まれ変わったら、可愛い子犬になって、独り暮らしの美人OLに飼ってもらうんだい。」
「もらうんだいって・・・。やめてよ、おじさん。諦めないで。」
「諦めたよ。あ~あ、何にも面白くない人生だったな~。美女と結婚したかったな。フォアグラもう一回食べたかったな。」
学生は意を決したようにサラリーマンを見つめる。
「・・・おじさん。僕たちで、あのバスジャックをどうにかできないかなぁ。」
「どうにかって?」
「だって相手は一人だよ。僕ら二人で何とか勝てるかもしれないよ?」
「漏らすモノ全部漏らして落ち着いた高校生と、子犬に生まれ変わりたいサラリーマンがこの状況を打破できると思うか?」
「おじさん!おじさんは、今、死を覚悟したんだよね。だったら、あんたの命を今ささげて、他の乗客たちを救おうよ。」
「オイオイ。人生経験俺の半分くらいのお兄ちゃんが偉そうに言うじゃねえか。」
「その通りだよ。このまま僕が死んだら、アンタよりも楽しい事や嬉しいことに出会えずに人生が終わるんだよ。おじさんはフォアグラもう一回食べたいって言ってたけど、僕なんてまだ世界3台珍味を一つも食べたことないよ。どう?同情するだろ。」
「・・・兄ちゃん。童貞かい?」
「・・・うん。」
「そうか。じゃあ何とかここを切り抜けないとな。あと、さっきから気になってたが、俺はおじさんじゃねえ。古村田和樹だ。」
「分かった一緒にがんばろう。古村田さん。」
<7>
デュークは、どうやってこの状況を打破しようかと考えてきたが、やはり、バスに自ら侵入するか、乗客に協力を仰ぐしかないと、考え始めていた。バスはハイブリッド車で、出発時のガソリンは満タンだったため、ガス欠を待つには時間がかかり過ぎる。
「本部、こちらデューク。先ほどマスク警察に通報してきた人にコンタクトを取りたいのだが。」
「了解。通報者をデュークの端末に繋げます。」
バスの中では、心を一つにした高校生とサラリーマンだったが、実際に行動を起こせず、もじもじしていた。その時、男子高校生のケータイが鳴った。
「も、もしもし。」
「こちら、マスク警察。後ろのパトカーに乗っている狙撃第二班の上高林というものです。犯人に聞かれないように小さな声で応答願います。君のお名前は?」
「松田健太郎です。」
「マツケン君。これから我々の作戦を開始します。運転手以外の全員を私達が必ず助けます。その為にあなたの協力が必要です。お願いできますでしょうか。」
マツケンは、興奮していた。これまで親以外の大人に何かをお願いされるなんて事は人生で一度もなかった。しかも犯罪を阻止するための作戦に、協力してくれとお願いされている。マツケンは、胸が高まった。サンバでも踊りだしたい気分だった。さっきまで漏らすモノを全部漏らしていたような、ヒヨッたマツケンはもうここには居ない。股間もはちきれんばかりにビンビンだった。マツケンは生まれ変わったのだ。
「きみ独りだと少し難しい作戦だが、信頼できる協力者はいないか。」
「居ます。」
マツケンは、古村田と目を合わせ、頷きあった。
「首都高走るのも飽きてきたし、次の出口で、降りようかな~。」
警察の焦りとは裏腹に、呑気にバスのドライブを楽しむバスジャック犯。彼の目的は一体どこにあるのか。ここまで彼が要求したものはない。まさかバスを運転したかったという欲求だけではあるまい。
バスは大きなカーブに差し掛かった。ここで、ハプニングが起きた。前方を走っていた、ツカサが乗るバイクが、カーブの途中にあった道路の継ぎ目で、タイヤがスリップした。雨上がりで路面が滑りやすくなっていたのかも知れない。左右に大きく揺れだしたバイクは、何度もバランスを取り戻そうとしたが、とうとう完全に横倒しの状態になってしまった。車体からは火花が散っている。
「あらあら~。チャンス到来~。お嬢ちゃん轢いちゃうんだから~。」
バスジャック犯は、アクセルを強く踏み込んで、バイクとの車間距離をグングン詰めてきた。
「さよなら~。」
絶体絶命と思った次の瞬間、ツカサは、横になったバイクの上で、バスに向き直った。火花を散らしながら倒れたまま滑走していくバイクの上で、左足を真横に伸ばし、右足はバイクの横っ腹に膝をつけた形で、両手はハンドガンを構えていた。とてつもない彼女のバランス感覚。
信じられないものを見た瞬間、人は動きが止まる。このバスジャック犯も目の前の信じられない光景に彼の動きが一瞬止まった。その一瞬に彼の運命は決まった。
パンッ!!
バスのフロントガラスを貫通した弾丸は、見事バスジャック犯の眉間に命中した。バスジャック犯は、静かにシートにもたれかかるように動かなくなった。
コントロールを失ったバスは、左右に大きくぶれだした。しかしそれはすぐに収まった。古村田がハンドルを操作していた。見事なハンドルさばきで、ツカサのバイクを上手くかわした。これはデュークからの作戦通りで、あとは、マツケンがブレーキで止めればいいだけだ。
<8>
「おい、マツケン!早くコイツの足をアクセルからどかすんだ。スピードが全然落ちない。」
マツケンは、運転手の足元に潜り込み、アクセルに乗せたまま動かなくなっている彼の足を必死にどかそうとする。
「コイツの足がしっかりハマっていて、全然動かない。なんて太い脚なんだ。」
「何に感心してるんだ。俺たちがこのバスを止められないと、みんなが助からないんだぞ。」
「分かってますよ!!」
バスは、更に加速していく。
「まずいな。この先は下り坂になっていて、下った先には大きなカーブがある。そこまでに減速しないと防音壁に激突して大惨事だ。」デュークの心配をよそにバスはどんどん加速する。バスの中では二人の男が必死に状況を打開しようとしていた。
「マツケン、これを使え。」
古村田は自分が首に巻いていたネクタイを外し、マツケンに渡した。
「そいつを、ヤツの足に引っ掛けて、引っぱり出せ。」
「分かりました。」
マツケンは、ネクタイをアクセルの上に乗っかっている彼の足に巻き付け、手前に引っ張った。
「ちくしょう。これでも動かない。」
二人の必至な様子を他の乗客も見守る。自分たちの命は、この二人に託されたのだ。運転席の後ろの老人は、さっきからずっと手を合わせたまま、目を瞑っている。
「ばあさん。もうすぐそっちへ行くかも知れん。」
心が折れそうになるマツケンを、古村田が鼓舞する。
「マツケン!お前、世界三大珍味食べたことないんだろ。ここを切り抜けたら俺が奢ってやる。」
マツケンのネクタイを引っ張る力が強まった。
「彼女出来たことないんだろ。お前はキスもしないで死ぬのか?!」
「いやだ!そんなの。フォアグラ腹いっぱい食べて彼女とキスするんだ!」
言っている事はめちゃくちゃだが、マツケンの魂の導火線に火が付いた。いわゆる火事場の馬鹿力を発揮する。
「うりゃぁぁぁああ。」
その時、アクセルにがっちり乗っかっていた足が、うまく横に抜けた。
「よし、そのままブレーキをを押し込むんだ!!」
「ま~か~し~と~け~。」
キキキキキィィィィィ!!!タイヤが悲鳴を上げ、バスが横滑りをはじめた。
ガガガガガガッ!!・・・防音壁に車体を擦り付けながら、バスが回転している。古村田がうまく逆にハンドルを切る。
ズザザザザザザザッッ!!!・・・・・・バスは完全に進行方向と逆になり大きなカーブへと進んでいく。
「マツケンッ!最後にお前の全体重をかけてブレーキを踏むんだっ!!!」
「はいぃぃぃぃぃ・・・。」
キ、キ、キ、キ、キ・・・・・・・。
バスの片輪がふわりと浮いた。そして、大きく足踏みをするように、浮いていたタイヤが道路に着地する。
ドスンッ!!!
バスは見事、カーブの防音壁手前数センチで、後ろ向きに止まった。
「・・・古村田さん。・・・バス、止まったよ。」
「ああ、よくやった。お前が止めたんだ。お前が皆の命を救ったんだ。よくやった。」
現場には多くの警察車両や救急車両、消防車が到着し、物々しい雰囲気となった。バスを降りてくる、二人のヒーローのもとに、デュークが向かう。
「マスク警察の上高林です。無茶をさせてしまって申し訳ありません。」
デュークは、二人に深々と頭を下げた。
「いえ、貴方たち警察の力がなかったら、私たちは助かっていません。こちらこそ本当にありがとうございました。」古村田も頭を下げた。
「きみが、マツケンかい?」
「はい。松田健太郎です。」
「マツケンと呼んで済まなかった。」
「いえ、友人からもそう呼ばれているので。」
「だったら、良かった。ハンドル操作をしていただいた、あなたの名前をまだうかがってませんでしたね。」
古村田は改めてデュークにまっすぐに向き直った。
「私は、古村田和樹。いや、【星空のニャンコブー】です。」