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ねぎ

作者: 馬頭

 5ミリ幅で輪切りしてる人って本当にいるのか?


 昨日は珍しく残業がなかったから、定時で上がって六時には電車に乗って、まだevery.がやってる時間に家に着いた。この時間帯って高校生多いんだな。久々にスーパーに寄って買い出しでもしようかと思ったけれど、そういえば先週実家から野菜が届いていたことを思い出して、でも調理の手間がいらないアツアツの揚げ物が食べたくなって、いやこの時間は息子娘を連れた母親がスーパーに大挙しているかなとか考えて、やめた。どうせ明日で今週も終わるんだから、いま無理して買いに行く必要もない。別に結婚に憧れがあるわけではない、が、子どもとわちゃわちゃ話しながら野菜や肉や魚やおやつをかごに放り込んでいく女の姿を見るのがどうにも苦痛だ。子どもを育てられるほど経済的余裕もないし、新しい命を育める心の余裕もない。むしろいらないとすら思う。でも、そんな母親を見るたびに、自分にも別の未来があって、別の幸せがあったのかな、とか考えてしまって、今の自分と比べてみじめになってしまうのである。いまだに実家からの仕送りに「今月もよく頑張ったね。辛いことがあったらいつでも帰っておいで」と書かれた手紙が入っている、この気持ちがあんたにわかるのか? 最近は自分の頭の中の存在にもコンプレックスを感じるようになってしまった。こうやって人って死んでいくんだろうな。書類がいっぱいの鞄の中に入った、ヤマダ電器からのメールしか来ない空っぽのスマホを見つめて、静かに死期を悟るんだろう。


 覗き穴もついていない扉を開けて、何も言わずに靴を脱ぐ。沈みかけの夕陽が部屋に射していて、綺麗だと思ったけれど、あまりに赤くてまぶしかったから、早々にカーテンを閉めた。電気のスイッチを押すと、薄暗い蛍光灯が数秒の点滅のあとに点いた。引っ越してきた当初は、この薄暗さがジャパニーズホラー映画の一室みたいに思えて気持ち悪かったが、電力代が思ったより安かったので全部許した。虫が出ないなら全然住める。重い鞄を置いて上着を脱ぎ、テレビの電源を入れた。朝も夜も日テレしか見ないから、当然今もevery.が流れる。アイキャッチの甲高いevery.コールが懐かしい。とたんに気が抜けて、そのままニトリで買ったソファに倒れこみそうになったが、リモコンを落とすだけで済んだ。なんとか台所まで行って手を洗い、冷蔵庫を開ける。スペースの半分を占めるのは缶チューハイで、残りのスペースには使いかけの玉ねぎと消費期限が三日前の鶏もも肉、未開封の2リットルのお茶、みかん、握りつぶされたしょうがチューブとほぼ残っていないめんつゆ。ここしばらく気付いていなかったけれど、思ったより臭う。今度冷蔵庫用の脱臭剤を買わなければ。冷蔵庫の扉を閉めて、足元に置いてある段ボールを開く。じゃがいもと玉ねぎ、にんじん、白菜、長ねぎ、みかんがぎっしり詰まっている。家族に愛されることは幸せである条件のひとつだと思ってはいるが、この年になっても給料が上がらず、一人で暮らしている娘にとっては、その憐みが身に刺さる。家族と断絶するよりはマシなんだろうけれど、こんな思いをするくらいならいっそ絶縁してほしい。実家で育てている野菜のほかにわざわざ買ってきたみかんを入れているところに、女の子だからとビタミンを摂れるよう気を遣ってくれているところに、段ボールに野菜を詰めている母親の姿が浮かび上がってくる。もう送らなくていいよ、という意思を伝えたくて、2年前から仕送りありがとう、と伝えるのをやめたのに、毎月欠かさず届く。私が仕事でも受け取れるように、日曜日の夜に時間指定されて。

 私はじゃがいもを3個、にんじんを1本、ねぎを2本取って、蓋を閉めた。小洒落た料理なんて知らないから、作るのはたいてい野菜炒めだ。今日という日を特別にしたくなかったから、味付けもいつも通り、めんつゆと胡椒にする。すっかり乾いているまな板を取り出し、引き出しから包丁を取る。ピーラーを使うと左手の小指の皮まで剥いてしまうから、にんじんだけ頑張って包丁で皮を剥く。片手の大きさほどもあるじゃがいもは軽く洗い、半分に切る。適当な深皿に水を張って、そこに切ったじゃがいもを放り込んでおく。アク抜きに何の効果があるのかわからないが、小さいころから一緒に料理するたびに母親が「アク抜きは大事だよ」と言うから、とりあえずやっている。肉を煮ているときならアク抜きの重要性もまあわかるのだが(見栄えが悪いし)、じゃがいもは本当にわからない。じゃがいもを切った断面がぬるぬるしているから、それを落とすためなのだろうか。母親に聞いておけばよかった。ぬるぬるしていると野菜が切りづらいので、包丁を水で流す。次はねぎを切ろう。根っこの部分を切って、適当な長さに切る。

 物心ついたときからねぎが好きだ。鍋やすき焼きに入っている、煮てくたくたになったねぎも好きだし、焼いて甘みが増したねぎも好きだ。鍋を作るときは、私がねぎをいっぱい食べたいと我儘を言うから、母はいつもねぎを6本も買ってくれた。たいてい鍋に入るのは2、3本で、余った分は他の野菜と一緒にねぎ炒めにして次の日のおかずにしてくれた。そんな食卓が大好きだった。一度友達が私の家で夜ご飯を食べたときがあって、そのときねぎが入った野菜炒めを母が出してくれた。これがこの子の大好物なんだよ、と母が言ったけれど、友達は「ねぎ炒めなんて普通食べないよ」と言って口にしなかった。好きなものを否定されて、自分まで否定された気がして、その夜はご飯が喉を通らなかった。どうやって友達と別れたか覚えていないし、気づけば母が私を抱きしめて、「何もおかしなことないよ、好きなものは好きでいいんだからね」と繰り返していた。よく覚えていないけれど、きっと泣いていたんだろう。そんなに純粋な時期が私にもあったのかと信じられないが、あのときからいっそうねぎが好きになった。ねぎ炒めを作るときは必ず母を手伝った。どうやって切るの? どれくらいの大きさ? と尋ねる私に対し、すべての野菜に対して切り方を教えてくれた。たまに指を切って母を心配させたけれど、それでも毎回私が手伝いたがるのを許してくれた。ねぎ炒めの具材は、じゃがいも、ねぎ、にんじんの3つだった。たまに鍋の余りの白菜が入ったりもしたが、これが我が家の野菜炒めだった。にんじんを軽く洗って、両端を切り落とす。持ち方を変えて皮を剥く。昔から皮を剥くのが本当に下手だった。なのに「代わろうか?」と声をかける母を「いい!」と断り、自分で最後までやりたがった。だからにんじんもじゃがいもも、いつも無骨な形になる。今も、なだらかなフォルムが、切れ味の悪い包丁の跡でゴツゴツしていく。でもいいのだ、食べられればいいんだから。皮が剥けたら、これを輪切りする。「5ミリの幅で切るの、輪っかの形にしてね」母親の声が突然聞こえた。うん、と、私は右手で包丁を握り、左手を丸めてにんじんに乗せる。鈍い刃をにんじんにかける。

 

 ……5ミリ幅で輪切りしてる人って本当にいるのか?


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