第2話『私ってどうしてこんなに駄目なんだろう』
寒気が吹きつけるなかとぼとぼと歩く。
さすがは世間でも有名なお嬢様学校といったところで、この咲花女子学園は無駄に敷地が広い。
中学と高校は一貫だし敷地内には併設の小学校と大学まであるから広くないとやってられないんだろうけど。
それに、過剰なほどに優美で華やかだ。私のような庶民丸出しの人間もいるんだからゴージャスな噴水とか正直やめてほしい。あまりの場違いさに、眉間のシワが濃くなるばかりだから。
まあ私の所属する新聞部みたいな弱小部にも部室が用意されているのは有り難いけどね。弱小部だから狭いけど備品もちゃんと揃っているし汚いわけじゃない。
たんたんと足音を立てながら階段を下りていく。
部室があるのはその名も部室棟で、教室があって授業をする中高棟からは離れている。とりあえず階段を下りきって体育会系の部室が並ぶ一階へと辿り着く。
部室棟は四階建てで私たちのような文化系の部室棟は三階と四階ににある。ちなみに新聞部は四階の一番奥なので非常に移動に手間取る大外れの部室だ。
「なんなのよ。意味わかんない。えろ……うう、変な記事書くのにどうして走り出す必要があるのよ」
もしかして走ると変な考えでも浮かぶのかしら?
走って発熱することでこう……ってなに考えてんのよ私!
「えろぱわー充電!!」
「きゃっ、きゃああああーーー!?」
突然背後からがばりと胸の辺りを掴まれる。
そのまま両手で、わ、わわっ!
「なにっ!? なんなのよ!?」
「あ~ミカンちゃんのつつましやかなお胸はいつ揉んでも癒されますな~」
「その声は春市! ちょっとやめて! 離しなさいよ変態!ふえっ」
「そんなこというと興奮しちゃうからサービスで激しくしちゃう~。ていうかなんかミカンちゃん触れ合う前から耳あかかったよね。ねえもしかして~。なにかえっちなこと考えてたんでしょ~……」
「そそそそんなわけないでしょ! ばか! いい加減はな、」
「おやおや? 怪しいなあ。体に聞いてみるしかないなあ」
「や、やめ。ふええっ。うううう」
じたばた暴れても離してくれない。顔が熱くて頭が回らなくて本当にやめてほしいのに。私はこういうの苦手なのに。こういうの得意な変態ハルイチとは違うのに。
……ハッ!『こういうの得意な変態』ハルイチだって!?
「ハルイチ! 聞いて!」
顔を上に向けて背後のハルイチを見上げて声を張り上げると、手を止めてセンター分けのロングヘアを揺らして首をかしげた。
「な~に?」
「お願いがあるの」
今すぐ私から離れて欲しいというのもあるけど、それよりも今の私にとっての優先事項は新聞部の任務であり、思いついた彼女への要求を今すぐ伝えなければいけない。
それしか頭に無くて……
「私にえっちなことを教えて!」
「……へ?」
ハルイチがぱちぱちと瞬きをする。
あれ? 私今なに言った?
新聞部のあの馬鹿どもに目に物を言わせるには知識が必要で。なんの知識だって?
それは……
「あ、あわわわわわわわ! ちがっ」
「そっか。今のじゃ足りなかったのね! わかったまかせて! 忘れられないひと時に、」
「ちょっとー! ハルイチ! いつまで部室にいるの! 戻ってきなさいー!」
「わっ。先輩すみませ~ん今行きます~。ミカンちゃんごめんね~。続きはまた今度ね~。ふふふ楽しみだな~。いやまさかあのミカンちゃんがそんなこと言うなんてな~」
「ちがっ! ちがうのよ! 新聞部があっ! 新聞部の記事がその変な内容でっ! そういう知識が必要でえっ」
必死に弁明をしているのに体操服姿の彼女はあっという間に遠ざかっていく。うう、さすが陸上部。
「まってよ。ちがうのよ」
なんで私って頭の中で言いたいことを組み立ててから発言できないんだろう。伝えたいことがあると、わーってなっちゃう。
追いかけて走っているうちに転んでしまう。
「うっ……」
衝撃が膝と、受け身をとった腕に走る。
「うわっ、転んだ」
少し離れたところから声が降ってきた。そっと顔を上げると、足が四本見える。ブレザーのスカートをはいた誰かだ。
「……ぷっ」
「ちょっと笑ってんじゃないし。ぷふっ」
「あんただって笑ってんじゃん!ぷははぁっ!」
「だってあんな風に転ぶの久しぶりにみたし、だっ、だいじょーぶですかぁー?誰この子、後輩?ぶははっ」
あまりの羞恥心に頭を下げる。知らない先輩だ。
むき出しの状態で叩きつけられた膝がじわじわと熱くなってきている。だけどそれより私の頭のなかのほうが恥ずかしさで熱くなっている。
先輩方から顔が見えないように、なるべく関わらないように、痛む膝に鞭を打って立ち上がる。
「あ、いっちゃった」
「えー、まじダサ……おもしろかったー。うははっ、モノマネしてあげよっか」
「ぷっ。あんたしばらくそのネタで盛り上がるつもりだべ」
笑い声が遠ざかっていく。じわりと涙がにじんだ。どうして。なんで、私ってこんなに駄目なんだろう。いつもどんくさくて、タイミングも悪くてバカにされてしまう。頰をぽろぽろと涙が伝いはじめる。ああ、私ってほんとダメなやつだ。
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ぐずぐずと涙と鼻水をぬぐいながら部室棟を離れて校舎までくる。
部活中で人が居なくてよかった。きっとひどい顔をしている。
「……ミカン?」
透き通った声。顔を上げて玄関ホールを見るとタルイがこちらを静かに見返していた。
「どうしたの?」
「ぐすっ。うう、なんでもないわよ」
ひどい顔をしている自覚はあるので見られるのがすごく辛い。思わずまた俯く。
「……転んだ?」
少し低い土足場に居る私へ近づいてきて、しゃがんで顔を覗きこんでくる。
「そ、そうよっ。こっち見るんじゃないわよ。いい歳して転んで泣くなんてバカみたいでしょ!」
「そんなことないよ」
ぽふぽふと頭に暖かいものがふれる。
タルイの手だ。ああ、いつもそうだ。なんで、なんでこの子は無機質無頓着極まりないのに私が泣いてるときだけこんなに優しいのよ!?
「そんなことあるっ」
「そんなことないよ」
「ぐすっ……うう、そんなごど」
「……よしよし。大丈夫だよ」
「うう……」
頭を撫でる手があったかいし安心する。
でもいつまでも泣いてるなんてダメだ。私はごしごしと目元を擦って顔を上げた。
「もう平気よっ……ありがと。タルイあんたここに来てたのね。いきなり走りだしたからびっくりしたじゃない」
「……うんちょっと図書室に行こうと思って」
「ふーん?」
ふ、と視線をおろすとタルイがノートを持つ手にもう一つなにかを握っているのが見えた。よく見るとそれは、
「ってあんたそれジュースじゃない! 図書室に行くのになに平然と飲食しようとしてんのよ!」
「だいじょーぶ。今図書室誰も居ないから。好き勝手し放題」
「誰も居ないってどうなってんのよこの学校。本盗まれたらどうすんのよ。あんたみたいな平然と飲食しようとする輩もいるし」
「ぜったいに汚さない自信があるから平気」
「そういう問題じゃないわよ! あっ! こら待ちなさい!」
私に止められる気配を察知したらしく走って逃げ出す。あの子は体育の時間ですらちんたら走っているのにこういうときだけ足が速い。なんなのよもう!
「……ミカンはちゃんと保健室行って転んだところ治療しなよ」
遠ざかる背中。なんだか今日は……いや今日も走ってばかりだ。