第六話
「ノンライブの由来か。それは遠い、遠い昔、この世界にも人がいた頃にまでさかのぼる。科学技術の進歩がめざましく、医療、宇宙開発、新エネルギーの発見に、環境問題の解決と、考えうる偉業のほとんどを達成しつつあった時代のことだ。これ以上ないというほど発展した人間社会の中で、ある者がふと呟いた」
『生まれることは幸せなのか?』
「言うまでもなく、最初は見向きもされなかった。こんなに素晴らしい技術に囲まれて、いったい何が不満なのかと、誰もが彼を嘲った。しかし、時が経つにつれて一人、また一人と賛同する者が現れ始める。それはまるで鍋の奥底に仕込まれた毒のように、彼の意思は全体へと浸透しつつあった」
そこで耐え切れなくなって、私は口を挟んだ。
「どうしてよ。意味不明過ぎる。そんなの絶対に間違っているのに」
だが、機械は淡々とした調子を崩さない。
「それが大多数の反応であり、表層しか見えない者の考え方だった。しかし、いつしか彼らも悟る。この生に、果たしてどれほどの意味があるのかと」
擦るような機械音と共に、天井の一部がスライドして、開いた穴から大きな一枚の布が降りてきた。何事かと見守っていると、その表面に急に映像が浮かび上がる。……どうやらスクリーンだったらしい。
映し出されたのは、何人もの人間達だった。誰も彼もがひどく暗い表情で、何をするでもなくひたすら突っ立っている。
「これはほんの一例だ。なぜ彼らが無気力であるかは、至極簡単に説明できる。やるべきことがないからだ」
「え……?」
「それまで人類を悩ませてきた多くの問題が解決されたせいだ。食糧、電力、水、居場所。命の根源的な欲求が、どんな者でも簡単に満たせるようになった時、皮肉にも人は生きる意味もまた同じく失っていたのだ」
スクリーンの中で、唐突に一人がぱたんと倒れた。後を追うようにして、ぱたぱたと玩具のように人が床へと転がっていく。いつしか、映像の中で生きている人間は居なくなった。
「今のはガス室のカメラから取ってきた映像だ。不快に思ったのなら申し訳ない」
頭がパンクしそうだ。機械の言うことが少しも理解できない……ような。違う……ような。
どこか私の中の物凄く小さな部分が、「その通りだ」と言っている。しきりに頭を縦に振って頷いている。
「娯楽や、芸術に熱中すれば良いと指摘する者がいた。あるいは、まだ見ぬ遠い外宇宙へ思いを馳せる者も。しかし、すぐに何の解決にもならないと判明する。なぜならそれは、選ばれたごく一部の者のみが味わえる生き甲斐であったからだ。大抵の者は僅かな年月で脱落し、むしろその虚無感を強めた。なにより、元からやる必要が無い。悲しいことに、根本の動機を失った創作物達はその完成度を著しく落としていた。表現の拙さはもちろん、その内容も薄っぺらい、味気ないものばかりだった。なぜなら参考にするための悲劇も、喜劇も、戦争も愛憎も、人類から失われて久しかったから」
「だから……? だから、死んだの?」
「違う。死は苦しく、辛い。それを選ぶよりは、ただ無意味な毎日を過ごす方が良いという人間達も多かった。しかし、どちらにせよ耐え難い痛みを伴うという点では大差はない。ゆえに、彼の言葉が多くの共感を呼んだのだ。そもそも、生まれなければ良かったのだ、と」
映像が切り替わり、寝台に横たわった人々が、大型の機械に次々と何らかの手術を受けていく動画となった。
「去勢手術だ。初めは自主的に行うものだったが、末期には法案が可決され、全世界で適用されていた。子供を産むのは本人の権利ではなく、むしろ生まれてくる子供の自由を奪う加害行為だと解釈されたためだ」
動画はついに、全くの無人となった街を映した。往年の人波を想像させる交差点や、建物の数々が流れてゆく。今や見慣れた黒い箱の機械が、道路の中央を通り過ぎて行ったのを最後に、スクリーンの映像は終了した。
「そしてついにこの世界で人間は独りとして生まれなくなった。これがノンライブの全貌だ。理解できたか?」
長い、長い話は終わり、機械はぴかりと一際強くあたりを照らした。色んな考えがぐちゃぐちゃ駆け巡って、全く頭が纏まらない。
「さて、次はお前の番だ。外から来たお前は、いったいこの国をどうしたいのだ? 返答次第で、今後の対処は大きく変わってくる」
最後通告でもするかのように、機械は私へと迫ってくる。とにかく何か言わなければと焦って、とっさに出たのは、
「じゃあこの国は?」
という疑問だった。
「この国は、何のためにある? 世界から人が消えたのに、なぜあんた達機械は、こんなビルを建てて、その維持にまで邁進しているのよ?」
「それは……」
ここにきて初めて機械は言葉を濁した。
「ずっと不思議だった。訳の分からないくらい高いビルや、草原を走りまわる収集車。挙句に獣避けか知らないけれど、やたら危ない武器を持った機械。人はもういないのに、どうしてそこまで、国を運営することに躍起になる?」
発光の度合いが、さらに強くなった。フロア全てを赤に染めるかのように、機械は全身から光を放ち続ける。
「それは、お前が知るべきことではない。さぁ、言え。お前という侵入者はいったい何をしに来た? この宇宙をどうするつもりなんだ?」
「往生際が悪いな」
すぐ後ろから、キツネの声。びっくりして振り返りかけたが、彼が前へ飛び出してくる方が早かった。
「こいつと何を話したって無駄さ。保身しか能が無いんだから」
機械を侮るように、眼前でくるっと宙返りを決めた後、何を思ったか私の頭上へとキツネは着地した。ずっしりとした重さに抗議するこちらも意に介さず、彼は堂々とふんぞり返る。
「だいたい、今の説明は抜けている所が多すぎるんだよね。彼女が指摘したように、機械が存在している理由はもちろんだけど、生きていた人がどこへ行ったかが全く言及されていない。それが一番肝心なのにさ」
「え? 全部死んだんじゃないの?」
はぁ、と大げさにキツネは肩をすくめた(ような気がする)。
「生まれることを否定したけど、皆が死にたがっていたわけじゃない。現に生身の体を捨ててまで、意地汚くこの世界にしがみついている奴がそこにいるじゃないか」
キツネが言い終わるや否や、「違う!」と機械は叫んだ。これまでと打って変わって、それは溢れんばかりに感情の籠った口調だった。
「何を言うか。私は決して人では無い。見ろ、この身体を。胴体はもちろん四肢に至るまで全て人工物。ここに来るまで何体も同じ外見の機体を見たはずだ。こんなものが人であるはずがない」
喚きながら、目の前の黒い箱は無茶苦茶に腕と足を動かした。広大な空間に、耳障りな声と動作音が響き渡る。
「誰が人間だなんて言ったのさ。どんな体を持っていようが関係ない。調停役だなんて、どうせ今考えた嘘っぱちだろう? 良く回るその舌で、どれだけの人間を欺いてきた? もっともらしいことを言って、その実、自分の命を守ることしか考えちゃいない。『生まれない。すなわち永遠である』君達こそが……」
キツネの言葉は滑らかに。続く言葉を私は既に知っている。
数々の科学技術を獲得し、滅亡したわけでもない人類が、年月を経た今でさえ一人もいないその原因。
「この世界の、神様だ」
真っ赤な閃光が、視界の全てを貫いた。