第三話
収集車に揺られてどれほど経ったか、見渡す限りの草原だった景色に変化が生じた。白紙に黒点を落としたかのように、遠い地平線から一つ、黒い靄のようなものが見えてきたのだ。揺れ続ける足元と、鳴りやまない異音に限界を感じていた私は、ようやく現れた目標らしきものに、嬉々として声を張り上げた。
「キツネ! もしかしてあれがノンライブなの?」
耳元で叫ばれたせいか、顔を思いっきりしかめながら、彼はがくがくと首を縦に振った。しかし口を開くことはなく、私の肩に顔をうずめる。だるそうに目を伏せるその様子からして、車酔いの度合いは虚弱な彼の方がひどかったらしい。
宙に浮けるんだから、わざわざ揺れる車上に留まる必要は無かったんじゃないか、とも一瞬思った。ただ、そうなると走る収集車に追いつくだけの速度を出す必要が出てくる。見るからに貧弱な彼に、そんな芸当が出来るとも思えないし、それは不可能なのだろう。結局、こうして私と一緒に悪路に揺らされるしかなかったというわけだ。
キツネの頼りなさを再認識しつつ、私は遠くにぼやける黒点を注視する。最初は山かなにかにしか思えなかったが、近づくにつれて人工的な直角が目につき始めた。さらに進んで、ようやく黒色の正体を私は悟る。それは縦長の箱が何個も連なった光景だったのだ。それぞれの高さは全くバラバラのようだが、どれも確実に私より、いや収集車よりずっと大きい。むしろ、比べるのもばかばかしいほどの巨大さだ。
なぜあんなに大きな箱が何個も置いてあるんだろうか――と考えて、それがビルだと気が付いた。まだ高い太陽の光が、各部に空けられた窓ガラスにきらきらと反射しているところなんて、まさにそれだ。
高層ビルが何棟も立ち並ぶ――市街地では普通の光景である。ノンライブの首都がどんな場所かさっぱり見当がつかなかったが、外観は至って通常の街と変わらないらしい。
あれ? と私はそこで首をひねった。なぜ、ビルのことを箱だなんて私は最初に感じたのだろう。両者は概念的にあまりにもかけ離れている。確かに形だけを見るなら、似ていなくもないが……。
次の瞬間、凄まじい吐き気が襲ってきて、とっさに口元へ手を当てた。胃から内容物が込み上げる不気味な感触。酸っぱいような、苦いような液が広がるのを無理やり飲み込む。きっと車酔いのせいだ。長時間、劣悪な環境に身を置いたせいで、変な錯覚をしてしまったのだろう。
妙な体調不良に悩まされている間にも、収集車は街に向かって真っすぐ走っていく。ビルの一つ一つの見分けがつく距離にまで近づいたあたりで、黙りっぱなしだったキツネが唐突に私の頬を突いてきた。
「ああ。そろそろ降りないと。このまま乗っていたら処理施設まで行っちゃうから」
処理、という言葉の響きに若干の恐ろしさを感じて、私はすぐさま走る収集車の屋根から飛び降りた。両脚で砂利道へと着地し、すぐに振り返って、走り去っていく収集車を見送る。まだビルの建つ街までは結構な距離があるように思えたが、ここはキツネの指示に従った方が良いだろう。
「……。トワ、怪我は無い?」
いつもと違う少し抑えめの声で、キツネがぼそりと呟いた。
「なんで? あのまま乗っていた方が危ないんでしょう?」
意図が良く分からず、そう返すと「無いなら良いんだ」とキツネは肩をすくめる(ような仕草をした)。なんだか含みのある言い方だが、彼の言動が不明瞭なのは今に始まったことではないし、深く気にしても仕方ないだろう。
収集車が砂利道に残したわだちを追うようにして、私は街へと歩き出す。単調な景色ばかりが続いていた先ほどとは打って変わって、高層ビルという明確な目標がある分、前に出す足にもおのずと力が入る。
先へ進んでいくにつれて、その目標はどんどん高くなっていき、ついには見上げるようにしなければ、全容が視界に入らない大きさにまでなった。分かっていたことではあるが、実際に近くで目の当たりにすると、その威容に圧倒される。歩きながらしげしげと眺めていたら、それまでと違った硬い感触が踏み込んだ足に生まれた。不思議に思って視線を落とすと、いつの間にやら地面が砂利から、深い藍色をした、滑らかに整地された岩のようなものへと変わっている。合わせて、そこらに生えていた雑草も軒並み姿を消していた。ビルについ気を取られてしまっていたが、私達は既に街の中へと入っていたということなのだろう。
「ノンライブの首都に着いた……んだよね? で、私の使命ってのはどこにあるの?」
キツネが言うには、ここへ来れば自然と分かるとのことだったが、そんな気配は全くない。
「……いや、首都はもう少し先だ。ここはまだほんの入り口みたいなものさ。とにかく先へ進もう」
微妙に悩ましげな顔で、彼はそう促した。私としても、ノンライブがどういった街なのかは気になっていたので、特に疑問を挟まず再び歩き出す。
かつかつと、軽快な足音を立てながら――アスファルトの地面をゆく。もうビルはあまりの高さに、窓の入った壁にしか見えなくなっていて、代わりに灰色の棒が道路端に何本か生えているのが目に付き始めた。棒のてっぺんには、例外なく丸や菱形の図形が取り付けられていて、それらは赤、黄、青など様々な色で塗り分けられていた。
ここへ来てから初めて見かけるカラフルな物に、興味を惹かれて近寄ってみる。すべすべとした棒に触れてみると、金属特有の冷たさを指先に覚えた。
「その棒がどうかしたのかい?」
「うん……。これ、なんでこの街にあるんだろう? 見る人もいないだろうに」
私の問いに、キツネは「そうだね」と妙に素っ気なく相槌を打った。
「気にならない? こんなの立てても、意味ないじゃない」
「どうしてそう言い切れるのさ」
「だって……これ道路標識でしょう? 車を運転する人に注意を促すための物なんだから、ノンライブじゃ役に立たないよ」
額に手を当てながらそう答えたが、やはりキツネはあまり関心が無いようで、
「まぁ、おいおい分かるよ」
と私の肩から飛び出し、先々進んでいってしまう。立ち並ぶ標識に名残惜しく感じながらも、私はさらに街の奥へと急いだ。