第二十一話
「……人違いしただけ。それだけだから……。早く元の話に戻りましょうよ。ここ、デイルネスって言うんだったかしら?」
脱線しかけた話の軌道修正を試みる私。しかし、先ほどからトウカはニマニマと気味の悪い笑みを保ったままで、「はいはい、そうだねぇ」と子供をあやすように私の頭を撫でた。
当然、ものすごく腹の立つ仕草であるはずなのだが、心のどこか奥深い部分が、なぜかそれを心地良いと判断してしまう。跳ね除けようと上げた右手は、途中で力を失ってくにゃりと曲がり、私は「うぅ」とせめてもの抵抗として呻いた。
「あーもう、不思議な子だなぁ。偉そうにしたかと思えば、急に泣き出して、最後にはやたら素直になるし。 確か他の世界から来たんだっけ?」
トウカからものの見事にコケにされながら、私はこれまでの経緯を説明し終えていた――正確にはそれも無理やりさせられたのだが。
どうせ信じてもらえないだろうし、本当は話すつもりなどさらさら無かった。しかし、例の大男と結託したトウカが、
「正直に話さないなら、嫌いになっちゃおうかなぁ?」
などと言い出すものだから、口を割るしか道は無かったのである。
「他の世界からの転移って言っても大したことじゃないわ。ただ、街から別の街へと移動するのを、スケールを大きくしただけのことよ」
詳細に解説しようとすると、時間がいくらあっても足りないので、強引に私は自分の話を締めくくった。それが不満だったらしく、ぶー垂れながらトウカが私の髪をわしゃわしゃしてくる。
他の人間ならそっ首を叩き落しているところだ……。
……彼女がトワではないと、頭では理解している。それなのに、体がどうしても反応してしまうのだ。トウカが微笑むと私も嬉しくなるし、彼女に頭を撫でられると、そのまますり寄って抱き着きたくなる。地下室で出会った当初はここまで酷くなかったはずだが――男との会話の中で、どこかのスイッチが入ってしまったらしい。実に迷惑なことだ。
ぶつぶつと心の内でぼやきつつ、私は目線を同じテーブルへと座る男へと向けた。あの後、何だかんだで彼も引っ付いてきてしまい。その流れで同席してきたのだ。いわく、私がどうやってここへ来たかに興味があるらしい。第一印象はその巨体にばかり目がいっていたが、トウカとウマが合っているあたり、ずいぶんと人好きのする性格のようだ。
「トウカ、真面目に話してくれそうにないから、あなたに聞くわ。このコロッセウムは、とりあえず人間同士が生身で戦う競技場って認識で良いの?」
トウカと二人して、面白そうに私を見つめている男――イヘルと言ったか――はテーブルの杯をぐっと飲んでから、「ふむ、近いが……」と訳知り顔で語りだした。
「競技、とは呼べないかもしれんな。俺達がやるのは、そんな生易しい言葉で表現できるものじゃない。あえて率直に言うなら、殺し合いだ」
男の話につられて、地下室の光景を思い出す。人同士が戦う競技なら、私もいくつか心当たりがあったが、あんな状態になるまで遣り合うのが普通ならば、確かにそれはもう殺し合いとしか呼べない。
「無茶苦茶な話ね。いくら肉体が再生するからって、怪我をすれば当然、痛いんでしょう?」
トウカの腹部を見ながらそう言うと、彼女は「ふへ」と生暖かい笑みを浮かべた。
「これは気にしなくても良いんだよ。私が頼んだことなんだから」
不覚にもその言葉に心が揺さぶられそうになるのを堪えて、イヘルの方に話を戻す。
「コロッセウムでは報酬が出るということかしら? 敗者にペナルティがあるように、勝者には賞金とか」
「その通りだ。勝った者には例外なく、一回戦から賞金が支払われる。もっとも、金なんてその気になったら他の方法でも十分稼げるからな。連中が躍起になるのは、もっと別の報酬があるからだ」
もったいぶって話を切るイヘルに、気になった点を先に聞いておく。
「ということは、勝手な個々人の試合じゃなくて、きちんとした運営団体がいるってことよね? それはデイルネスの政府?」
「政府? 昔はそんなもんもあったようだが、今じゃ有るのか無いのかもはっきりしない。そんなちゃちな代物より、ずっと素晴らしい方がデイルネスにはいらっしゃる。コロッセウムを取り仕切り、別格の報酬を用意してくださるのは、まさにそのお方なのさ」
らしくない尊敬した物言いに、じわりと背筋に悪寒が走る。
「そいつ、名前は?」
人間達の異常極まりない肉体の再生、単なる賞金とは段違いの報酬……否が応でもフェネクスの顔が頭に浮かんだ。私が転移を繰り返すのは、世界に必ず一人いる『神様』を殺すためだ。状況を解釈するに、そうだとしか思えない。
「ウロボロス様――だそうだ。かくいう俺もまだ、お目通り叶ってはいないんだが」
その名を深く、頭に刻み込んだ。前回は油断していたせいで、要らない犠牲まで出す羽目になったが、同じ過ちは繰り返さない。話を聞く限り、ウロボロスがこの世界において重要な立場にある可能性は高いし、最初から決めてかかっても良いだろう。よしんば間違っていたとしても、情報源にはなるはずだ。
さらに詳しくイヘルに尋ねてみたところ、ウロボロスが用意する報酬というのは、あろうことか『永遠』の命だというのだ。これには驚かざるを得ず、思わず私は身を乗り出した。
「あなた達、怪我をしても平気なんでしょう? それなのに『永遠』の命?」
「違う違う。確かに怪我は確かに治るし、病にかかることも無い。しかし、寿命と老衰からは逃れられない。早い奴で九十、長くても百三十くらいで確実に死ぬ。また、外見と能力の劣化はもっと早い。そんな俺達にとって『永遠』の命は喉から手が出るほど欲しい逸品なんだ」
「そりゃあ、誰だってそう思うでしょうけど……」
真剣な顔でそう語るイヘルに、悪いことだと分かっているが、どうしても可笑しさを感じてしまう。どんな傷でも数時間で再生するし、病にも一切かからないような連中が、『永遠』の命を欲しがる? ずいぶんと贅沢な奴らだ――私の知る多くの人間は、二十、三十歳でコロッと死んでも不思議ではないという世界で生きていた。トワの生まれた日本だって、ちょっと道路を飛び出しただけで、生涯、病院で生活するなんてことは当たり前にあったのだ。
だがそんな物事、イヘルやトウカは知りようもない。彼らからすれば、もっと長く、もっと健康で生きたい、というのはごく自然な願いなのだろう。
言い淀んだ私に、話を疑っていると勘違いしたのか、イヘルは「ほら、あれを」と遠くの席で一人飲んでいる、かなり高齢の老人を示した。席の傍らには杖がかけられていて、老人はそれを頼りに歩くのだと察する。
「見てみろよ。もうよぼついて普通に歩くのすら難しい奴でも、『永遠』の命欲しさに、ああしてコロッセウムに来ているんだ。どうせ戦闘じゃ死なないからって、勝てもしないのに突っ込んでいく。そんな雑多な奴らを排除するために、地下室があるって寸法よ」
「はいはい、どうせ私は雑魚ですよぅ」
会話に参加せず、私の髪を弄っていたトウカがぼやいた。そういえば彼女は一回戦で敗北して地下室送りになっていた。戦闘に対して自信が無かったはずだが、やはり彼女も『永遠』の命を求めるがゆえに、無理をしてコロッセウムに来ているのだろうか。
本人に聞こうかと思って、やめた。何となく……本当に特に理由はなく……トウカが『永遠』に生きたい、と口にするのが怖かった……から。
「さて、もう聞きたいことは無いか? 俺はそろそろ仕事に戻らなければならん」
イヘルは一口に杯を飲みほして言った。彼はコロッセウムに精通しているようだし、今後も協力してくれれば助かったのだが、仕事があるのではしょうがない。私も同じくカップの残りを飲み切ってから尋ねた。
「最後に聞きたいのだけれど、ウロボロスにはどうやったら会えるの?」
すると彼は快活に笑った。
「そりゃお前、コロッセウムを勝ち上がるしかないだろうよ。あの方がお会いになるのは、優勝者ただ一人だけだ」
後ろ手を振って去ってゆくイヘルを見送った後、私は頬杖をついて吐息を漏らした。
ウロボロスとやらは、目下のところ最も疑わしい存在なのだが、よもやコロッセウムに参加しなければ会うことすらできないとは。
そのためだけに、『神様』だという確証もないまま、よりにもよってこの世界の人間と戦闘する。それも、怪我で死ぬことは無いという、この世界特有の了解のもとで行われている試合で――そんな場に突入して勝ち上がっていくなんて、とてもじゃないが嫌だった。
確かに、私だって肉体の修復はある程度可能だが、それも絶対ではない。特に、心臓や脳が欠損すれば、長期間に渡って不利な状況に陥るのは間違いないだろう。だが、地下室の人間達を見る限り、彼らの再生にそのような欠点は無い。
あのトウカですら、明らかに心臓を貫かれていた傷を、『軽い方』だと言ってのけたのだから推して知るべしだ。
「どうしたものかしら……。トウカ、何か良い案は無い?」
思考が行き詰ったので、いまだに私の髪で遊んでいる彼女に声をかけてみる。……一応、触ってみて確認すると、案の定、後ろの方が三つに編まれていた。ご丁寧なことに、先っぽをきちんとバンドで束ねてくれている。相変わらずとんでもない奴だ。
「んー? ウロボロスに会う方法? 私もコロッセウム以外のを探しては見たんだけどねぇ。ほら私、戦うの好きじゃないし。でも、無かったんだなぁこれが。色んな人に尋ねてはみたけども、だーれも知らないんだもの。というか、会えた人がまずいない。優勝者は降りて来ないからかなぁ」
その後もぺらぺらと喋り続けたトウカの話を纏めると、コロッセウムは階層ごとに厳格な区分けがなされているらしい。
地上の一階から二階までは受付兼酒場となっていて、この辺りまでは誰もが行き来できる。しかし、三階以上になるとその階で行われる試合で勝利した者しか、階段を上がれない。例えば一回戦は三階であるのだが、そこで勝った者のみが次の四階へと進む権利を手にし、敗者は全員、地下室へと送られる。
これを繰り返して、勝者達は上の階層へと上がっていき、最終的には頂上にいるウロボロスと謁見できる、というわけだ。
重要なのは、上の階にいる者が下へ降りてくることがまず無いという点だ。ルール上は降りても問題無いのだが、変に厄介ごとへ巻き込まれて体力を消耗するのを恐れているのか、あるいは下の者には及びつかない事情があるのか、勝った者は誰一人として階段を降りてこない。そのためウロボロスに関連する情報はもちろん、誰が優勝したのかといったことも、下の者にほとんど伝わらない。
「負けた人が全員、地下室へ行くのなら、上の方で負けた人から話を聞けるんじゃない?」
と聞いてみると、地下室は三階からおそらく五階付近までの敗者用であり、それより上になると、また別の階が地下室の代わりとして用意されている……とトウカは推論を語った。
あるいは単に、上の方に行けば『負けても降りなくて良い』とルールが変更されるのかもしれないけどね、と彼女は付け加えた。とにかく、事情通が酒場や地下室に現れたことは無いそうだ。
「このコロッセウムはかなり高くまであるから、敗者を全員地下室に突っ込んでたら、すぐ満杯になっちゃうしねぇ。といっても昔は今より人が多くて、今日は誰もいなかった地下二階や一階も、例の鍵がかかっていたそうだから」
トウカはさらっと恐ろしいことを言った後、愉快そうに微笑んだ。
「どうするの。アマモも、私と一緒にコロッセウムを登る? ウロボロスに会いたいのなら、やっぱそれしかないよ」
トウカにやられた三つ編みをくるくるといじりながら、私は大きく息を吐いた。
「あくまで情報収集のため、ね。なにも馬鹿正直に勝ち抜く必要はないでしょう。何らかの抜け穴はきっとあるはず」
「うんうん! 私もアマモがいたら心強いなぁ! まぁ、二人掛かりで戦うのはダメなんだけどね。でも、友達がいるってのは大きいよ」
一緒に上がるという点にだけ着目して鼻息を荒くするトウカに、悔しいが私も嬉しくなってしまう。本当は、彼女を危険な戦闘に連れて行きたくなんて無かったのだが、それを言い出すタイミングは失われてしまっていた。




