第十一話
居間のテーブルの席はちょうど四脚揃っていて、私達四人はそこへ集まっていた。色々お互い話し合う必要があるだろうと誰ともなく言い出し、会談の場が設けられたというわけだ。もちろん、私とホロの格好はきちんとしたものとなっている。
あの後ひと悶着あったのだが、まずは私を着替えさせるのが先だと、ホロの妹――ビビという名前だった――に服を押し付けられた。落ち着いた色のブラウスと、それに合わせた長めのスカート。下着はさすがにショーツの方だけだったが、どれも大きなサイズとなっていて、ホロや周囲からの視線に辟易していた私からすると十分に有難い代物だった。ホロも家を出る際に服は着なおしていたらしく、ようやく面と向かって話せる状態になったと言える。ちなみに、温度調節の捻りは開閉式の取っ手の中にあった。……もう少しよく探せば良かった。
「服を貸してくれる人を探すのに手間取っちゃってね」
とビビは苦笑しながら、
「お茶淹れてくる。フェネクス様は……ジュースの方がいいですよね?」
と席を立った。ビビの似合わない敬語からしても、フェネクスが尊ばれる存在であることがうかがえる。大げさにへりくだってはいないにせよ、幼女に対する言葉遣いとしては尋常でない。
「うん! 私、リンゴがいいなぁ」
しかし、当の本人は至って気ままな様子で、椅子にふんぞり返っている。おそらく、特別扱いには慣れているのだろう。
「ほんとなんでうちの家にフェネクス様が? トワが連れてきた……ってことはないよな」
頭を抱えるホロに、彼にしても予想外の出来事なのだと分かる。初めて来たとフェネクスも言っていたから、本当に心当たりがないのだろう。
ビビがお茶とジュースを携えて席に戻ってくると、いよいよ議論の時間となった。まず追及されたのは、私がいったい何者なのかという点である。正体不明の女にフェネクスについて話すのは避けたい、というビビの意図に基づいての順番だ。ホロが単純明快な性格だったから忘れそうになるが、やはりこの村において私は不審人物なのだろう。
ホロに話したのと同一の内容をもう一度すると、言い終えるなりビビが突っ込んできた。
「はあ? 外から来たにしては状況がおかしいでしょうよ。今日は市場が来る日でも無かったのに」
市場とは? と補足を求めると、隣に座るホロが解説してくれる。この村では定期的に、食糧や衣料品などの生活必需品を売る市場が開かれるのだが、それは外から来る商人によって主催されているそうだ。その際、彼らは車に乗ってくるから、ビビは可能性として挙げたのだろうとのこと。
車までもが存在しているのなら、やはりこの世界の科学はそこそこ発展しているとみてよいだろう。家の造りなどからしても、私が元いた世界とほぼ同程度なのかもしれない。
「それでもさぁ。トワはやっぱ外から来たとしか思えないよ。すっごい不思議な話もたくさん知ってるし。なによりビビ、トワを村で見かけたことあるか?」
「そりゃ無いけども……。だからって短絡的過ぎない? だいたいどうやって移動してきたっていうの。まさか歩いて?」
目を丸くするビビに、私はどう伝えたものか頭を悩ませた。私自身、いかなる手段でこの村近くの川へと転移したのか分かっていないのだ。ただ、私の身に起きた事を率直に解釈するのなら、外から来たと説明する他ない。
しかし、それだけではホロはともかくビビは納得しないだろう。額に手をやり考え込んでいると、意外にもフェネクスが助け舟を出してきた。
「んー? 朝のぴかってやつじゃないの? ホロとビビも見た?」
その言葉に二人は表情を凍らせた。私に隠そうとしていたことを、うっかりフェネクスが口にしてしまった――そんな空気が場に流れる。
「フェネクス様。よく意味が……」
慌てたようにビビが遮ろうとしたが、それへさらに被せる形でホロが話しだしてしまう。
「俺も、そうだと思うんです。朝方、空から川近くへ降り立ったあの光。あれは、トワが来たしるしだったんじゃないかって」
真面目に語るホロに、フェネクスも「でしょー」と鼻息を荒くする。だがビビとしては、そのような荒唐無稽な話は受け入れがたいらしく、彼女は語気を強めた。
「お兄ちゃん、本気で言っているの? じゃあ百歩譲ってトワが、その……なに? 光とともに現れたとして、いったい何のためにそんな超常的な方法を使う必要があったのよ。この村に来たいなら、普通に来ればいいじゃない」
あくまで私が怪しい人物であるとするために、ビビはこの反論を持ち出したのだろうが、それは私という存在の本質を突く疑問であると言えた。実際のところ、私でさえもその辺りは明確に答えられない。それでもあえて言うとしたならば、『使命があるから』だろうか。
そう考えて、あまりの皮肉さに頬がゆるんだ。あれだけキツネに具体的に説明しろ、とか分かりづらい、とか言っておいてこの様だ。結局、私は何も成長しちゃいない。
「あーもう、うっさいなぁ。トワはここにいる。かつ、彼女は村の人間じゃない。この二つから考えたら、外から来たってのは当然の帰結だろ? これ以上問い詰めるのはかわいそうだし、もう次に行こうぜ」
苛立った声でホロがそう結論付けて、私についての話は終わりにされた。助かったと言えばそうなのだが、悪くは有耶無耶にされたとも言える。事実、ビビはいまだ納得していないようで、じろりと私を睨んだかと思うと、あからさまにそっぽを向いた。どうやら完全に心証を悪くしたらしい。仕方ないとはいえ少し傷つく。
また朝方に発生した光とやらには、私も興味があったのだが、これについても尋ねるタイミングを逸してしまった。
「さて、フェネクス様についてだ。トワに聞きたいんだけど、どんなふうに出会ったんだ?」
そういえば着替えやらのごたごたのせいで、きちんと説明をしていない。改めてフェネクスを発見した時のことを詳細に伝えると、兄妹は二人そろってぽかんと大口を開けた。
「家に忍び込んで布団に潜ってた? それマジで言ってんのか?」
軽い口調だったが、遅れて二人が本気の顔色であることに気付く。心外な……と言いかけて、ビビの凍えるような表情にとっさに口をつぐんだ。
いったん冷静になって、自分の客観的立場を考えてみる。
不審極まりない異邦人である私が――親切にかこつけ初めて案内された家で――偶然一人きりになった状況において――村の中で重要な立ち位置にあるらしいフェネクスと――くんずほぐれつで揉みあっていた。しかも、フェネクス本人はこの家の場所を知らない……。
まずい。この条件のもとならば、百人が百人とも私のことを、幼女を狙った誘拐犯だとみなすだろう。ある程度、私を信頼してくれているらしいホロでさえも、うろんな目でこちらを見つめている。
「ち、違うよ? むしろ保護したっていうか。だけどあんまり可愛かったから、つい遊んじゃっただけで……」
喋れば喋るほど不利になる気がして、何も言えなくなってしまう。黙り込んだ私に、フェネクスが心配げな声で言った。
「お姉ちゃん。私と一緒だよ?」
それは幼児特有の不明瞭な発言だったが、何か思うところがあったらしく、兄妹は顔を見合わせた。しばらく小声で早口に話し合った後、ホロが咳払いをしてから私へと向き直る。
「分かった。フェネクス様がそう言うんならそうなんだろう。ビビもそれでいいよな?」
渋々といったふうに彼女が頷いて、一気に肩から力が抜ける。経緯は少しも明かされなかったが、さしあたり私は許されたらしい。
どことなく場の空気も緩んだ気がしたので、今度は私の方からフェネクスについて尋ねてみることにする。すると、ホロは誇らしげな様子で答えてくれた。
「フェネクス様はなぁ、村の守り人なんだ。このアンチエージはフェネクス様のお蔭で成り立っている……って兄貴が言ってた」
「そんな凄い子なの? ただの女の子にしか見えないけど」
ジュースを美味しそうにすすっているフェネクスを見やりながら相槌を打つと、ホロはますます鼻を高くした。
「外から来たトワは知らねーだろ。俺も、ビビも、兄貴も、つまるところ村の皆だな。全員、フェネクス様が生んだんだってさ」
「は!?」
さすがに予想外過ぎてお茶を吹き出しかけた私に、汚げに顔をしかめながらもビビが付け加えてくれる。
「生んだって言ってもトワの知っているそれじゃないかもね。フェネクス様はこの世に一人しかいないわけだし」
多少平静さを取り戻して、詳しく尋ねてみるに、どうも『生む』の定義が私とは違うようだ。
兄妹の説明は抽象的な表現が多く、正確な理解であるのか、いまいち確信が持てないが、フェネクスは皆を『この村へと連れてきた』らしい。それを二人は『生んだ』と表現しているみたいだ……。当然これだけではさっぱりなので、さらに突っ込んではみたものの、案の定「知らない」の一言で片づけられた。
「フェネクス様は普段は村の奥の屋敷で生活していて、あんまり外には出ないんだ。俺達にしたって、祭りとかの行事でたまに見かけるぐらいで、こんなふうに同じテーブルでお茶するなんて初めてなわけよ。……今気づいたけど、もしかしてこれやばいのかな?」
「……さぁ? 喜んでいるみたいだし、いいんじゃない? だいたい、やばさで言ったらトワの方が数段上でしょ。外の人が勝手にここへ来るなんて、前代未聞よ」
つまるところ兄妹二人にしても、『とっても有難い、村の守り人』以上の情報は持っていないらしい。村の皆を生んだ、という点についても真偽は定かでないし、下手すればただの伝説なんてこともあり得る。
本人が横にいるのだから、直接尋ねてみるべきか。しかし、これまでの会話の流れを全て聞いているにも関わらず、フェネクスはぼんやりと窓の方の景色を眺めるばかりで、あれ以降一つも口をきく様子はない。露骨に望みは薄だったが、一応質問してみる。
「フェネクスちゃんは、どうやって村の人達を生んだの?」
「ふぇ?」
もう一度同じ言葉を繰り返した。
「ふぇぇ」
その辺りでビビの目線がかなり痛くなってきたので、諦めざるを得なかった。思うに、彼女はただの象徴に過ぎないのだろう。もしくは代替わりの存在で、役目を引き継いだばかりだとか。
話がひと段落したので、今度は村人が老いない異常について聞こうとしたのだが、それを制するように「さて」とビビが身を乗り出した。
「事情も分かったし、そろそろフェネクス様を屋敷へ帰してあげなきゃ。きっと護衛の人が心配しているでしょうし」
「そうだな」とホロも同意して、二人は残っていたお茶を飲み干し、席を立った。止める理由は思いつかず、私も同じく立ち上がる。
「トワも来るよな? ここにいても暇だろ」
ホロはそう誘ってくれたが、私には別に会いたい人物がいた。ホロの『兄貴』である。その人物が博識であるらしいことは、ホロの口ぶりから分かっていたし、なにより今の私は情報に飢えていた。
その旨を伝えると、
「兄貴? 会えるだろうけど、後で良くね?」
と正論を言われる。しかし、このタイミングでなければならない理由があるのだ。
それはビビの同席の有無。彼女が私から離れてくれるなら、それに越したことは無い。ただ、それをストレートには言えないので「今、会いたいんだ」で強引に押し切る作戦を試みると、ホロは快く了承してくれた。




