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同窓会

作者: yumyum

 天の下 小夜鳴き鳥の 星を泣く

『野生の探偵たち』


 同窓会のハガキが来た。実に二十余年ぶりである。旦那に言うと、行きたければ行けということだ。

 夫婦も連れ添って三十年にもなれば、互いのプライベートに干渉しなくなるものだ。自身に支障が無ければ、触らぬ神に祟りなし、見て見ぬ振りを決め込むのが習慣になる。

 同窓会なんて興味のない私だ。そのまま破り捨ててもよかった。それでも、出席に丸をしたのだ何故だろう。特に会いたかった相手がいたわけでもなければ、郷愁に浸りたかったわけでもない。しいてあげれば、日々が退屈だったから、だろうか。ただただ一人老いていく日常に、少しは彩が欲しかったのかもしれない。

 当日は旦那の出張と重なり、気楽に家を空けることができた。旦那を見送ると午前中のうちに家事をこなし、午後は美容院にいき時間をかけて髪をセットしてもらった。半世紀以上も生きれば髪の元気もなくなる。それは男性だけではない。しかしまいったことに、女性と男性ではイメージが違う。髪が薄い女性なんて考えられないだろう。だからこれだけお金をかけるのだが、いかんせん世間の理解は得られない。無駄な努力で片付けられる。

 やれやれ、私は好きな小説の主人公を思い出しながらつぶやいた。顔馴染の美容師さんに「どうかされたのですか?」と聞かれたけど、独り言よと返すと黙ってくれた。有難いことだ。

 時間に余裕を持ち会場につく。受付でサインをし、会場を見まわして懐かしい顔を探してみたが、目に映るのはオジサンオバサンばかりで誰一人当時の面影をもつものはいない。もちろん私だって傍から見ればオバサンだろうが、それでもなかなかどうして、この光景には衝撃的なものがある。迫力と言ってもいいかもしれない。男性は諦め、女性は過去の若さにしがみついている。私だってこれほど気合を入れたのだ。若さにしがみついている点には変わりがないのだが、傍から見るとこれほど滑稽なものなのだと改めて思い知らされる。美魔女という言葉が何年か前に流行ったが、あんなものは幻想だ。

 それとは別に、私には時間の流れを感じずにはいられなかった。この光景、この喧噪、この香水の匂いにそれはたしかにしみ込んでいた。それほどまでに私は生きてきたのだ。生きてしまったのだ。

 ワインを片手にお料理の卓を回っていると、幾人かから声を掛けられた。中にはぼんやりと思い出せる者もいるのだが、大方は分からなかった。名前に至っては完全にお手上げである。誰一人出てこない。それでも相手のはしゃぎように、仕方なく私は話を合せて頷いてみたりしてみる。出来るだけ相手にしゃべらせ、ボロを出さないよう気を付けながら。

 

 どれほど経っただろうか。私には何時間にも感じられたが、実際には一時間も経っていなかったのだろう。すでに来たことに後悔をしていた。昔話はまだいいが、私は家庭の愚痴や、愚痴にみせかけた自慢話を聞きにきたのではない。他人の自尊心を満たすために居るわけではない、出来れば自身の自尊心を満たしたいのだ。自尊心という言葉が大げさなら、彩が欲しかっただけだ。しかし相手が変わっても大体似たような話が続く。私が自分のことを話したがらないのをいいことに、(覚えていないので多分)学友は勝ち誇った愚痴が続く。一流企業の部長に収まった夫に対する愚痴なんて聞きたくないし、勉強嫌いな息子が有名大学に入った話なんて聞きたくも無いし、こっそり打ち明けられる若い子とのロマンスなんて聞きたくない。

 中でも耐えがたがったのが、私と同様毎日無為に過ごす愚痴だ。そんものは私一人で間に合っている。むしろ私が何とかしたくてここに居るのに、何でそんなことを聞かされなくてはならないのだ。こうしていても得るものがない。私の方からあげられるものもない。無意味なやりとりだ。どこにも辿りつかない。ただ、消費していくだけ。時折料理を運んでくる若い従業員にこの光景をどう思うか尋ねてみたかったが、そんなことをしたってやはり何の意味もない。無意味な行為だ。

 すでに出来上がったハゲ親父に肩を叩かれながら話を合わせるのに疲れた私は、そろそろお暇しようと思っていた時だった。入口が何やら騒がしい。見ると、一人の男性が人垣に囲まれていた。見事な白髪を短く刈り込み、同じ色の口ひげ生やしている。対照的によく焼けて黒々とした肌は、濠の深い顔によく合っていた。

 誰であろうか。私には思い出せなかった。しかしよほど成功した人なのだろう。みな我先に彼に近づこうと殺到している。私も彼らに倣うべきなのだろうか。おべんちゃらの一つでも並べてみようかしら。運が良ければおこぼれが貰えるかもしれない。残念なことに結婚を機に家庭に入ってしまった私は社会と距離が出来てしまったのでそれがどんなものだか想像がつかないが。

 ぼーと見ていると男性と目が合った気がした。一瞬彼の眉間に皺が寄ったよが、すぐに表情を和らげ話し相手に視線を戻した。しかし彼はまた私の方をチラチラと伺うそぶりを見せる。

 どうしたのだろうか、と私はワインを啜る。私に何かおかしな所があるのだろうか。それとも私の思い過ごしで、私の後ろに何か気になるものでもあるのだろうか。おそらくそうであろう。自意識過剰だ、気にするだけ無駄である。やれやれと何だか馬鹿らしくなった私は、一息にワインの残りを飲みほした。

 ちょうど開いたお皿をさげに来た若い子にペパーミントとカカオのカクテルはできるかと尋ねた。できますというので頼む。この一杯でオサラバだと思い、小腹も空いてきたのでクラッカーをいくつか摘まみ待っていると後ろから声を掛けられた。

 やれやれ、またか、と思いながら振り向くと、先ほど人垣に囲まれていた紳士がそこにいた。

「やあ」そういって彼は雰囲気に似合わず人懐っこい笑みを浮かべた。「俺のことわかるかい?」

 誰であろうか。ただでさえ私の記憶力に問題があるのに、みな三十年分の歳月を経て姿は変わっている。この人だって例外ではない。当たり前のことだが、こんな白髪の紳士なんて記憶にない。しかしこの笑顔にはどこか引っかかるものがあった。若かりし頃の私の隣には、この笑顔を浮かべてくれた子がいた気がする。誰だったかな……

 そうか、と私は思った。頭の中でパチンとピースがはまった。

「久しぶりね、周作くん」

 何十年ぶりかに出す彼の名に、思わず私の声は弾んだ。

 何んで私は今の今までこの人を忘れていたのだろう。高校を卒業するまで三年間もお付き合いした相手だというのに。

「すぐに僕だと分からなかったろ。この通り、僕も苦労のし過ぎで髪が真っ白になっちゃったから仕方がないけどね。でも、僕はすぐに君だと分かったよ。だって、全く変わってないんだもん」

「有難う、お世辞でもうれしいわ。でも全く変わってないなんてことはないわね。私だってすっかりオバサンよ」

「そんなことはないさ。いまでも君は綺麗だよ」

「冗談がお上手ね」

 そのまま立ち話をしていると、やはり彼は人気者らしく、しょっちゅう話しかけられて私たちの会話の腰を折られた。別に示し合わせたわけではないのだが、私たちはどちらともなく人込みを離れて休憩室に移動した。その際に向けられた視線に優越感を抱かなかったといえば嘘になる。私にもくだらない見栄が残っているのだ。

 がらんとした休憩室で、私たちは昔話に花を咲かせた。こうしていると、一つ一つ彼のことが思い出されていく。そして、細かな仕草や癖が変わっていないのに気づく。彼は彼だった。しかし、どこかが確実に変わっている。それは姿だけではない。もっと根本的なところが変わっているのだ。しかしそれが何だか私には分からない。

 あれこれ考えていると、現在の周作くんの顔が、十代の頃の周作くんの顔と重なって、その奇妙な差異に私はプっと吹き出してしまった。

「どうしたの?」

「ごめんなさい、なんでもないの」

「何でもないなんてことはないだろう。いいから話してみろよ」

「本当につまらないことだから」

 どうしても言いたがらない私に、何だよ、と似合わず拗ねた振りをする周作くんに、私はまたプっと吹き出し、そうして二人して笑った。


 ふと、時計を見ると時間だった。すっかり話し込んでしまった。もうすぐ同窓会も終わる。

 挨拶も面倒だった私はお先に失礼しようとバックを片手に立ち上がった。

 「私はそろそろお暇するわ」

 そう言って帰ろうとする私の腕を周作くんは掴んだ。

 何も言わずに私を見つめる周作くん。

「出ないか」

 周作くんは私の耳元で囁いた。

 私たちは会場をあとにすると、タクシーをつかまえ六本木に移動した。周作くんの行きつけだというバーで二人、夜景を眺めながらお酒をすすった。

 彼は私と別れた後の人生を語った。大学を卒業した彼は証券会社に就職し、三十代で独立した。はじめこそは前途多難だったものだが、会社は徐々に軌道にのってくれた。

「でも今こうしていられるのは、投資先のおかげだけどね」

 付き合い上どうしても断れなかったベンチャー企業が、ITバブルに乗じて当たってくれたのだという。

 結婚もした。

「学生結婚さ。大学で知り合った彼女とそのままゴールイン。就職が上手くいったから良かったものの、そうじゃなかったらと考えるとゾッとするよ。若気の至りだったね」

 今は大学生の子供もいるということだ。

「でも、今じゃ後悔しているのかもしれない……もっと、他の生き方だって出来たのかもしれない……たとえば、君と……」

 なるほどな、と私は思った。今の彼は、確かに私の知らない彼だ。私の知っている周作くんは、本が好きな頭のいい真面目な子だ。小説を読み過ぎていたせいか、少し夢見がちなところのある高校生だった。世俗にまみれる様子なんて想像できない子だった。それが今ではどうであろう。煙草を片手に、マッカランを啜る姿も様になっている。私の腰に伸ばす腕なんてお手の物だ。この憂いを含んだ流し目だって、いったい幾人に向けられたものなのだろう。

「君はどうなんだい」

 彼が言った。

 私は……どうだったろうか。ギムレットのグラスのふちをいじりながら考える。彼と別れた後、地方の国立大学を出て、社会に出て、今の夫と出会って、結婚して、会社を辞めて、それっきり今まで来てしまった。子供が出来なかったという心残りはあるものの、それ以外別段変わったことはない。ゆえに別段話すこともない。無駄に歳を重ねただけだ。

「どうもこうもないわ。退屈な人生よ」

 さんざん考えた末、私に言えたのはそれだけだった。

 店を出てタクシーを待つ間に彼にキスをされた。長いキスだった。熱いキスだった。旦那とだってしばらくこんなキスはしていない。

 彼と唇を重ねながら、この後の流れを考えた。彼とホテルに行って、ベッドを共にする、それだけの話だ。馬鹿な私にだって想像はつく。何も出し惜しみする歳ではない。萎れた体だって、それがいいというのであれば差し出しても良かった。たまには乱れたってバチはあたらないだろう。

 それも良かった。

 それでも良かった。

 だけど私は……

 彼に別れを告げ、一人止まったタクシーに滑り込む。

「行ってください」

 困惑する運転手さんにつげ、彼を路上に置き去りにする。


 流れる街を横目に、どうして私は彼と寝なかったのだろうと考える。彼と寝て困る事なん何もない。抱かれてもいい、むしろ抱かれたいとも感じていた。では何故だろう。妻としての貞操からか? いや、そんなものは旦那の浮気の前でとうの昔に黴が生えている。相手の家族を気遣ってか? ありえない、私はそんなにお人よしではない。では何故か……分からない……しいてあげれば、ギムレットを飲むのが遅すぎたのかしら……

「お客さん、その、どこに行きますか?」

 信号で止まると、運転手さんは遠慮がちに聞いてきた。

「あら、ごめんなさいね。考え事をしていてすっかり言うのを忘れていたわ。そうね……」

 麻布のマンションまでは目と鼻の先である。このままタクシーを捨てても良かったのだけれど、それはあまりにも失礼な話だ。

「……上野、上野にお願いするわ」

 そう言ったあとに、なぜ上野なのかと自問した。分からない。別段思い入れのある土地でもない。ただ何となく口から洩れただけだ。

 そう思った時にはタクシーは首都高を左に折れていた。

 上野駅につくと、料金を払い降りた。

 もう遅い時間だというのに、駅前は帰りを急ぐ人で行きかっていた。

 上野に最後に来たのは何時だったろうか。たしか五、六年前の正月に来たきりだ。やることのなかった私たち夫婦は朝からおせちを突きつつテレビを流し見していた。毎年変わり映えのしない新年の番組だ。初売りでにぎわう東京の様子を映していた。旦那が急に「あっ」と声を上げた。テレビは上野ガード下のお店を映しいた。

「学校が近かったから学生時代にここでバイトしていたんだ。まだあったんだな」

 懐かしいなと繰り返す旦那に、私はふーんと相槌をうった。学生時代のことを喋りたがらない旦那がそんなことを言い出すなんて珍しい事だった。そのうち、「行ってみるか」と旦那は日本酒を片手に言い出した。私はええ、なんて頷いたが、いつもの気まぐれに決まっている。思い付きで発言して、それっきり何もしようとしない旦那には慣れっこになっていたのだ。それがその時はどうであろう、本当に支度をし始めたのである。私は呆気に取られてその様子を眺めていた。

「どうした、お前も着替えろよ」

 そういう旦那に、珍しく夫婦らしい事をやると半ば嬉しく、半ば億劫に思いながら従った。

 そのあとはアメ横の人の波に酔ったということしか覚えていない。しかし腹を立てた記憶はないので、それなりに楽しかったのだろう。

 私は駅前の階段を登り、西郷さんを右手に上野公園を進む。別段これといって目的地は無かった。ただ人込みを離れたかった私は、暗闇に浮かんだ清水堂の月の松を眺め、階段を降り、弁天堂にでた。渡り廊下をくぐり、不忍池を反時計回りに巡る。ここまでくると、さすがに人影は少ない。しばらく行くと浮き橋にベンチがあったので腰を下ろした。

 朧月である。月光りは柔らかく、池の水面を照らしていた。

「私は彼と寝なかった」

 ポツリと呟いてみた。

 考えてみると、私が今まで選べたことなんて、彼と分かれたことと、彼と寝なかったこと、たったそれだけのような気がする。

 私の人生って、いったいなんなのだろう……

 唇をそっと抑える。まだ、彼の温もりは残っている。

 引き波のない、足元を舐める水音が何故か嫌で、顔をあげると、朧月のとなりに星が一つだけ、弱く光っていた。


 タクシーをつかまえようと駅前まで戻った。しかし人並を見ていたら何だか気が変わった。この人たちには帰る場所がある。私にも帰る場所がある。でも今の私はそんなところに帰りたくはなかった。

 信号を待って横断歩道を渡り、アメ横に足を向ける。

 昼間は呼び込みで賑やかな通りも、今はその多くの店が閉まりひっそりしていた。それでもいくつかの飲食店は開いて、窓越しに覗くとどこもそれなりの人入りである。美味しそうにビールや焼酎を煽る姿を見ていると、あれだけお酒を飲んだのに私ももう一杯くらい飲みたくなってきた。

 どこかに入りやすそうなところはないかな、とぷらぷらしていると、白い暖簾の垂れたお店が目にとまった。古風な店構えである。流行りの古風を気取った居酒屋ではなく、正真正銘古い。

 何度か狭い通り往復し、意を決した私は格子戸をあけた。暖簾をくぐると、むっとした煙草と煮物の臭いが鼻についく。ドレスが……などと思ったが、すぐになにを馬鹿なと思い直す。小娘じゃあるまいし、私はそのまま中に入る。

 お店はカウンター席が六脚にテーブル席が三つ並んでいるだけのこじんまりとしたものだった。カウンター席に座っていた男の人と目があうと、

「お、別嬪さんんがきたぞ」

 と声を上げた。

 私は何と返していいか分からなくてドギマギしていると、カウンター向こうにいたかっぽう着姿の女将さんが好きな席にどうぞと言ってくれた。

 男の人の視線を感じつつ私が奥のテーブル席に座ると、

「ごめんなさいね、いきなり」

 とおしぼりを持ってきて女将さんに言われた。

「なんだよ、ごめんなさいって」

 大分出来上がっていそうな男の人は声を上げた。

「あんたが変なこと言うから、この人が困ってるじゃない」

「困ってなんかないよな。俺はただ褒めてるだけだ」

 私は愛想笑いを浮かべる。

「でも本当におきれいな方ね」

「ああ、こんな汚い店にはもったいないな」

「汚くて悪かったわね」

 常連さんだろうか。男の人が女将さんと軽口を交わしているあいだにさて、何にしようかとメニューに目を通す。こちらも店構えと同じで、やっぱり古風な品物が並んでいる。久しぶりに里芋の煮物なんて美味しそうだななんて思っていると、

「これ、これが美味いんだよ!」

 と常連さんであろう男の人が小鉢を割りばしで叩きながら言った。どうやら青ネギののったもつ煮のようである。

「そんなものはこの人の口には合わないわよ」

 そういう女将さんに、私はもつ煮と里芋の煮物とほうれん草のお浸しと日本酒を頼もとしていたのだが、常連さんのおすすめでホッピーにすることにした。

 ほどなくしてお料理が運ばれてくる。どれもいい香りのものばかりである。しかし目の前に置かれたジョッキと瓶には困った。これがホッピーというのだろうか。どうやらジョッキの中の液体は焼酎のようである。

 どうしていいのか分からないでいると、常連さんは自身のジョッキに瓶を傾ける仕草をした。

 私はそれにならって琥珀色の液体をジョッキに注いだ。泡立つそれを、私は不思議な気持ちで眺めた。ビールなのだろうか。しかし発泡はしていない。ただ泡立つだけだ。ノンアルコールビールに似たそれを、私はままよと一口啜った。

 ビールのようで、ビールではない。ピルスナービールのようなコクはないが、するする入る飲みやすさがある。美味しい。

「これを食べてみな」

 お客さんは先ほどのようにもつ煮の小鉢を箸でたたいた。

 湯気の立つ熱々のもつ煮を、薬味とともに口に入れた。味噌の香りと、濃厚なもつの味が口の中に広がる。しかし全くくどくはない。しゃきしゃきの薬味の葱がいいアクセントとなって触感も楽しい。

「旨いだろう」

 ええ、と私は同意する。

「ここのもつは新鮮なのはもちろんのこと、下処理が丁寧なんだ。単純な話なんだけど、それがいい加減だとこの味は出ない。脂でくどくなるし、嫌な臭いも鼻につく」

「そのへんでいいですよ。それでどう、お口にあうかしら」

 女将さんはいった。

「ええ、とても美味しいです」

 その証拠に、私の箸は進んだ。濃厚なもつ煮にすっきりとしたホッピーがまた合うとくる。

 里芋の煮物も申し分なかった。味もさることながら、六方剥きされた里芋が煮崩れせず綺麗な形だ。私が作るとどうしても崩れて汚くなってしまう。

「そんなに難しくは無いんですよ。面取りとちょっといたコツさえ気を付ければ誰だってこれくらいは作れますよ」

 女将さんに聞くと剥き方や灰汁の取り方を丁寧に教えてくれた。ふんふんと私は関心して聞いた。こんど試してみよう。

 そのうちお客さんも増えてきた。みな顔見知りらしく、気楽に言葉を交わしている。私も仲間に入れて貰えたようだ。嘘か真か、綺麗だ別嬪だと声をかけられる度に私もまんざらでもない気分になってくる。

 お客さんたちの冗談につられて笑っていて、久しくこんな気分を味わっていなかったことに気がつく。若い頃は屈託なく笑えていたのに。何時からだろうか、皮肉ばかりを考えてしまうようになったのは。

 ふと、この人たちに人生とは何かと聞いてみたくなった。しかしすぐに頭を振って馬鹿な質問を追い払う。

 私はお料理に手を運び、ホッピーを啜る。

 そんなことはどうでもいいじゃないか、今はこれでいいじゃないかと私は思った。

 

 家に帰るとドレスをかけ、化粧を落とす。さすがにこの歳で夜更かしは応えたと見えて、目の下にはクマが出きている。普段ならそれだけでも落ち込むところなのだが、不思議と心は落ち着いている。

 お風呂にゆっくりと入ると、カーテンを閉めて朝日を遮り、ベッドに横になり眠るまでのわずかな時間で考える。お昼過ぎに起きて、家事をして、ドレスをクリーニングに持っていって、帰りにスーパーにより里芋を買って、それから、それから……旦那に電話でもしてみようかしら、と。

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