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蒼竜と竜狩り


空は高く晴れて、鳥が雲間を渡って行く。

気持ちのいい風が吹いていて、道の端に生えた背の低い草木がさらさらと音を立てて揺れている。


茶色のマントに剣を携えた青年の後ろを、青い髪とラピスラズリのような紺色の目をした少女がついて歩いていた。

彼女の名前はエリュ・ローライト。

人間のような見た目をしているが、蒼き竜の幼子だ。


すれ違う行商人の馬車に軽く会釈をしながら、彼女は前を歩くアイザに話しかける。


「アイザ、町が近いのですか?」


エリュが話しかけると、アイザは面倒くさそうにため息をつく。


「……一分前に言ったと思うが、町に着くのは明日だ」

「言いましたっけ?」

「行程については毎日言っているつもりだが?」


うんざりしたように、眠たげな垂れ目をエリュへ向ける。

エリュは首を傾げて頭に大きな"はてなマーク"を浮かべていた。


「……いや、もういい。俺は、なんでお前みたいなバカを拾ってしまったのか毎日後悔してるよ」

「バカってなんですか! ちょっと覚えられないだけじゃないですか!」

「それバカだろ、バーカ」


むーっと頬を膨らませて、エリュはアイザの腰をポカポカと叩く。

抗議のつもりだが、アイザは全く意に介さず歩みを進めて行く。


「――あだっ」


不意にアイザが立ち止まったため、エリュはその背中にぶつかった。

思い切りぶつけた鼻をさすりながら前を見ると、どうやら二台の馬車が揉めているようだった。


「お前がやったんだろ!」

「いいや、お前が!」


白熱するふたりの男たちの間に、アイザは陽炎のようにゆらりと割って入った。


「ちょっと待ったお二人さん。何のトラブルだ?」

「なんだてめえ」

「俺は流しの用心棒でね。お困りなら力を貸そうかと思って」

「用心棒ごときが口を挟むことじゃない」

「ふーん、そうかい? 見たところ、馬車がすれ違いざまにぶつかっちまったみたいだな。そんで、そっちのお兄さんは、修理代の請求がしたいんだろう? このボロ馬車のさ」

「……何だと?」


額に青筋が浮かぶ。

エリュは遠くから様子を見てあわあわとしている。

また、危ないことをするつもりだ。


エリュの予感通り、アイザが不敵な笑みを浮かべた。


「ハッ、よくある手口だ。廃棄寸前のボロ馬車使って、金稼ぎするつもりだったんだろ? 残念だったなァ、俺が通りかかって」

「てめえ!」


殴りかかった男の拳をひょいと躱して、アイザは懐に入り込むと同時に剣を抜き、男の首へと鋼の刃を押し当てる。

一瞬の出来事に、その場にいる全員が息を飲んだ。


「俺は流れの用心棒。やっていくには、それなりの知識と経験がいる。……剣の切れ味、試してみるか?」


男の首筋に冷や汗が伝う。

エリュはそこでもう我慢できずにアイザに飛びかかった。


「うわっ!」


その隙に、アイザが捕らえた男は一目散に逃げ出す。


「あっ! おい! お前何やってんだよ!?」

「ダメです! 刃物は危ないから!」


そうこうしているうちに、男の姿はすっかり見えなくなった。


「……いや、何やってんだよお前。あいつ逃げちまったじゃねえか」

「だって、首に剣くっつけたら危ないじゃないですか!」

「あのな、あれは脅し。本当には切らねえの。切らねえから、剣当ててから声かけてんだろ」

「でも、でも、もしあの人が暴れたら、アイザは切りますよね!?」

「いや、だから切らねえって……」


そんなやりとりを見てか、呆気にとられていた商人が笑い出した。


「面白い方たちですね。アイザさん、ですか? 助けてくださってありがとうございました」

「……いや、失敗しちまった」


アイザは悔しそうに言う。


「おふたりはどちらへ行かれるのですか?」

「ああ、俺たちは、ストボーンに向かってる」


今回の旅の行き先である、ストボーンはこの辺りでは最も大きな町だ。

商いも盛んで、人がたくさん住んでいるところだとエリュは聞いていた。


「私もこれからストボーンへ行くところだったのです。よろしかったら乗って行きませんか?」

「いや、俺たちは……」

「いいんですか!?」


エリュが目を輝かせて言う。

実は、馬車に乗ったことがないのだ。

アイザはケチだから、馬車に乗るのは贅沢だと言って絶対に使わない。

しかし、お金がかからないなら、断る理由はないはずだ。


アイザは目を輝かせるエリュを見て、諦めたように商人へ言った。


「すまない。甘えさせてもらう」

「やったー!」

「元気な妹さんですね」

「……ええ、まあ」


アイザは言葉を濁しながら、馬車の荷台にエリュを抱え上げる。


この世界には竜がごく普通に存在している。

しかしそのほとんどは、人間とは敵対しており、長い間戦争が続いていた。

五十年ほど前に、竜王が『竜狩り』と呼ばれる人間たちに破れたことでその争いが終結し、この世界は晴れて人間のものとなった。

しかし、その人間たちの中には、未だに竜に対する嫌悪は根付いており、人に化けた竜が何者かに惨殺されることも稀にある。


エリュもそんな目に合いそうになったところをアイザに救われた。

それ以来、勝手に慕ってつきまとっているのだ。


エリュは人間が好きだし、争いはしたくない。

それでも、争いごとは向こうからやってくるものだ。

本人の意思とは関係なく。


これからふたりの向かうストボーンでも、それは変わらなかった。






翌日、ふたりは商人の馬車にお礼を言って、ストボーンの町へと降り立った。

整然と並べられた石畳や、赤や茶やオレンジのレンガの家々が、エリュの目を楽しませる。


町の中央は噴水があり、周囲には白い花が咲き、小さな蜂が花粉を運んでいる。

エリュもこれまでいくつかの町を歩いたが、ここが一番幸せな町に思えた。


「エリュ、宿探すぞ」

「アイザ! 屋台ありますよ! 屋台!」

「おーい、耳ついてんのかー」


エリュたちは町の隅にある宿屋へ向かった。

人通りの多いところでないのは、アイザが騒がしいところで寝泊まりするのが苦手だからだ。

エリュもそれは知っているため、何も言わず、言われた通りに一番奥の部屋へふたりで泊まることになった。


「さあ! 外に行きますよ!」

「待て」


アイザが部屋から出て行こうとしたエリュの頭を乱暴に掴む。


「仕事をしてくる。今日はここにいろ」

「えーっ!」

「明日は外に連れて行ってやるから我慢してくれ」

「むー、わかりました……」


しぶしぶと、エリュは立ち止まってアイザを見送った。

アイザの仕事とは、竜の幼子であるエリュのことを祖国の機関へと報告することだ。

言わばこれも用心棒の仕事のうちで、アイザはエリュを連れて歩くことでお金をもらっているのだ。


何の対価も無しに守ってもらっているのではないことをエリュも理解している。

わかっている、わかっているが、置いていかれた心のもやもやは晴れない。


エリュは自分のカバンから本を取り出した。

言葉くらい読めるようになれというアイザの気遣いで買ってもらった教本だ。


おおよそ、簡単な文字は読めるようになったが、まだ難しい意味のある言葉などは覚えられていない。

読み書きができるようになれば、自分も仕事をしてお金を稼げるようになれる。

そうすれば、アイザも剣を振るわなくてもよくなるはずだ。


エリュが勉強を始めてどれくらい経ったころだろうか、ふと、お腹がきゅるきゅると鳴った。

そう言えば、今日はまだ何も食べていない。


食事はアイザが戻ってからとも考えたが、彼はいつ帰ってくるともわからない。

ここの宿は二階が宿泊施設で、一階に軽食を取れる酒場がある。

外に出なくてもいいように、アイザは毎回必ずこうして食事処が併設されている宿屋を選んで泊まってくれていた。


アイザからもらっている少しだけのお金を握りしめて、エリュは部屋を出て酒場へと階段を降りた。

まだ時間が早いこともあり、中のお客はまばらで、これから仕事に出かけるような様子の人もいた。


エリュは給仕係の女性店員に会釈をして、店の隅にある小さな席に着いた。


「えっと、お魚のサンドイッチありますか?」

「あるよ。ひとつでいいかい? 飲み物は?」

「ひとつください。飲み物は、暖かいお茶でお願いします」


店員は了解してカウンターへ注文を伝えに行く。

サンドイッチが来るまでの間、エリュはぼーっと店内を見ていた。


天井にぶら下がったろうそくから橙の光が発せられて、壁の木目は余計に茶色に見える。

影になった部分でひとり静かに酒を飲む老齢の男。

騒ぐことなく、仲間とカードを遊んでいる若者。

華やかな町であっても、酒場というところは独特の雰囲気があり、まるで隔絶された空間のようだ。


「お待たせしました。こちらシュナトのサンドイッチです」


出されたサンドイッチには、刻まれた野菜とフライになった魚が挟まっていた。


「シュナト?」

「シュナトというのは、この地域でとれる魚です。美味しいですよ」


エリュはよだれを飲み込み、サンドイッチを持ち上げて、かぶりついた。

揚げたてのフライから熱々の油が滲み出る。

しかし、一緒にサンドされている冷たい野菜のおかげで口の中は火傷することなく、ちょうどよく美味しい温度に保たれている。


エリュは途中で休むことなく、サンドイッチを一気に腹へと押し込んだ。

食べ終えて、ふっと息を吐いたところで、女性店員がニコニコとした笑顔でずっと見ていたことに気がついて、なんだか恥ずかしくなって俯いた。

いつのまにか来ていた湯気の立つ紅茶をひとくちすすり、椅子に座り直す。


ぼうっと物思いにふけっていると、店の出入り口が開いて、ひとりの客が入ってきた。

頭まですっぽりと布のマントを被っている。

その人は、どこに座ろうかと悩んでいる様子で、きょろきょろとしていたが、そのうちに、エリュと目があった。


(えっ……)


宝石のように赤い目は、エリュを見て少し驚いた様子を見せた。

それは、エリュもまた同じで、にわかには信じられなかった。


(あの人、竜だ!)


フードの隙間から少し垂れ下がって見える深緑の髪がやけに輝いて見える。

理屈ではなく、感覚で彼が竜だということが、同じ種であるエリュには分かる。

彼は笑顔を浮かべると、エリュの向かいの席へとやってきた。


「……こんにちは」


優しい声でそう言う彼に、エリュは首を振った。

竜同士が町中で会うことがいかに危険なことか彼は知らないのだろうか。

暗黙のルールとして、互いに気がついたとしても、話しかけたりしてはならないようになっている。

竜の化けた人というのは、人間からしてみるとあまりに綺麗で美しく、固まっていると必要以上に人目を引くからだとアイザに習っていた。


「大丈夫だよ。ここには僕らのことを見る人はいない」

「……何の用ですか?」

「用ってほどじゃないよ。同士に会うのは久しぶりでね。ちょっと嬉しくなっちゃって。僕はユラ。君の名前は?」

「エリュ。エリュ・ローライト……」

「ローライト、名字があるのかい。まるで人間だ」


悪い人ではなさそうだが、エリュは彼のその顔に張り付いた笑顔が少し怖かった。


「エリュはどうしてこんなところに?」

「旅をしているんです」

「旅……。へえ、奇遇だね。僕もさ」


ユラは目を細めて言う。

嘘だ、とエリュは直感的に思った。

エリュが黙っていると、彼は続けて話し始めた。


「明日、この町にある貴族がやってくる。カーティス・フェリウスって名前の反ドラゴン主義の過激派代表みたいなやつだ。どうやら広場で演説をするらしい」

「そんな人が……」

「いるさ。そういう極端な貴族はどこにでもいる。反ドラゴン主義を掲げれば、同じことを考えている老人連中から支持を得られるからな」


そう言われて、あまり良い気持ちはしない。


「君もせいぜい気をつけた方がいい。人間は臆病だ。身を守るためなら何だってする。僕と一緒に行かないか? そんな連中から、僕は君を守ってやれる。それに――――」


話している最中に、ユラの肩が叩かれる。


「――――それに、何だ? うちの連れを無闇に勧誘するのはやめてもらえないかな」

「アイザ!」


アイザはユラの肩に手をかけ、空いた方の手は剣へと伸びている。

それを見てか、ユラは大きなため息をついた。


「僕はそろそろ帰るよ。食事をする雰囲気でもなくなったし。じゃあまたね、エリュ・ローライト」


彼はアイザの手を払いのけると、おもむろに店から出て行った。

エリュはその後ろ姿から漂う不穏な気配に、なぜだか胸がきゅっと苦しくなった。


「何もされなかったか?」


アイザが心配そうに言う。


「大丈夫です。けど、あの人……」

「ああ、わかってる。部屋に戻るぞ」


ユラが竜であることに、アイザは気がついているようであった。

頭ごなしに竜を否定することはないとはいえ、エリュは少しだけ不安になった。






翌日、朝早くからアイザに連れられて、エリュは町の中を見て回った。

屋台で焼き鳥を買ってもらい、頬張りながら歩いていると、広場が人だかりになっていることに気がついた。

『反ドラゴン主義の貴族』と、昨日言われたことを思い出し、エリュは唇を噛み締めた。


「あー、ありゃカーティスだな」


アイザも知っているのか、うんざりした様子でそう言う。


広場へ近づくと、大声で演説している声が聞こえた。

人の波の奥に、高台があって、そこで金髪の青年が拡声器を持って熱をあげて叫んでいる。


「我々は! 悪しきドラゴンを駆逐しなければならない!ドラゴンを絶滅させて初めて真なる人の世が来るのだ!」


そんな様子の過激な言葉が、次々に出てくる。

彼の言っていることは、良い竜か悪い竜かを人間には判別できないのだから一律で殺すべきだ、というものだった。


もし今この場でエリュがドラゴンであることがバレたら、彼の従えている十名程の兵士がその手にした銃で襲いかかってくるのだろうか。


想像すると、手が震えた。

怒鳴る人間、松明、棍棒、鉄の味。

思い出したくないことも、脳裏に浮かんでしまう。

視界が歪み、息が荒くなったところで、アイザがそっと手を引いた。


「もう行くぞ」

「……うん」


後ろを向いたその時、観衆にどよめきが走った。


「なんだお前は!」


カーティスのいる壇上に、ユラの姿があった。

周囲の人間から銃を突きつけられても、赤い瞳を携えた涼しい顔を崩さない。


「話をしよう、人間」

「……貴様、さてはドラゴンか」

「はっはっは。だったらなんだ? 竜とは話せないか?」


ユラは笑みを浮かべて言った。

カーティスも、眉をピクリと動かしたものの、ユラに対抗するように笑う。


「フン、挑発に乗ってやろう。何の話だ?」

「君の言っている、良い竜と悪い竜の区別がつかないから、絶滅させようって話さ。僕からしてみれば、君たち人間がまさにそうだよ。それに関してはどう思う?」

「我々は自治できる。悪い人間は捕まえればいい。お前たちのような野蛮な生き物とは違うのでな」

「竜だって同じだろう?」

「ドラゴンは性根が悪だ」

「その決めつけこそ人間が悪であることの証明だな」

「ドラゴン風情が。状況を見て物を言え」

「僕が状況を見えていない? 君だろ」


ユラが一笑すると同時に、銃声が鳴り響いた。

エリュは咄嗟に目を瞑った。


きっと、目そむけたくなるほどに暴力的なやり取りが繰り広げられているに違いない。


静かになり、ゆっくりと目を開くと、白煙の中に、彼の髪の色と同じ翠色の竜がいた。


「表皮の硬質化か。あの銃じゃ通らねえな」


アイザが呟く。

ユラは傷ひとつなく、口元を歪ませて笑っている。


「それが人間の、最新の兵器か! 弱い、弱いぞ!」


ユラはそう言って羽ばたき、宙に浮かぶ。

それを見て、エリュは考えるより先に走り出していた。

本能的に、ユラが何をしようとしているか、理解したのだ。


「エリュ!」


アイザの声はたしかに聞こえたが、もう止まれない。

走りながら背中から、大きな翼を生やして、飛ぶ。


「やめてください!」


油断していたのか、ユラは突進をもろに受けて、広場の外へと吹き飛ぶ。


「みなさん! 早く逃げてください!」


エリュの声に、民衆はパニックとなって、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

その中でも、カーティスとその一行だけは逃げずに体勢を立て直すユラを見ている。

ユラは、怒りを露わにしてエリュへ吠えた。


「貴様も竜だろう! なぜ邪魔をする!」

「あなた、人を殺そうとしたでしょう!?」

「殺して何が悪い! 邪魔をするなら貴様から死ね!」


ユラの周囲にバチバチと電気が発生し、エリュへ向かって、地面をえぐるほどの出力の稲妻が発せられた。

エリュは避けようとしたが、自分の背後にカーティスたちがいることに気がつき、翼で体を覆って身を固める。

衝撃に備えていると、エリュの前にアイザが立った。


「退いてろ」


それだけ言うと、アイザは剣を抜き、稲妻を受けた。

稲妻の残滓が辺りに散り、兵士たちも顔を背ける。

その中で、アイザだけが涼しい顔をして、白い光を断ち切った。


「お前、まさか……」


カーティスが恐れと驚きの入り混じった声で言う。


「竜狩りのアイザか!」


『竜狩り』と兵士たちもその言葉の意味を理解したのか、銃を下ろして敬礼をする。

竜狩りとは、竜と人間が戦争していたころに結成された、竜を狩る力を持つ人間たちの組織のことである。


特別な加護を受けていて、年老いることのない体をしているのが、竜狩りに共通する特徴だ。

だからアイザは、見た目の年齢は二十代前半といったところだが、本当の年齢は八十を超えている。


「し、しかし! 本物なのか!?」


兵士長が叫ぶ。


「馬鹿者! 雷を弾き落としたのだぞ! あれが本物でなくて何だと言うのか!」


カーティスも興奮気味に言った。


「さあ、竜狩りの英雄! ドラゴンを斬り殺してくれ!」


勝利を確信したのか、カーティスは嬉しそうに言う。

彼にとって、竜狩りのアイザは窮地に現れた救いの手であったに違いない。


「よいしょ」

「わっ!」


アイザは剣を収めてエリュを肩の上に担ぐと、壇上から降りた。


「どこへ行く気だ!?」

「どこって、巻き込まれないところだが」


アイザは当然のように言う。


「わ、我々を助けるのでは!?」

「バカ言え。自分の言葉の責任くらい自分でとれ。まさか竜と戦う覚悟もなしにあんなこと言ってたのか?」


エリュにも、アイザの言いたいことはわかる。

アイザは決して"良い人"ではない。

他人のやったことの後始末なんて絶対にしない。


「竜を殺すしか能のない連中のくせに戯けたことを!」


カーティスは負け惜しみの言葉を叫ぶ。

アイザは聞く耳も持たない。


エリュは悩んだが、アイザに提案した。


「アイザ、あの人を助けましょう」

「正気か? あいつは助けても今度はお前を槍玉にあげるぞ?」

「それでも、助ける力がある人が助けなくてどうするんですか。それに、自分を嫌いな人も助けることこそ、本当の平和だと私は思います」


自分のことを好きな人だけの世界は心地がいいだろうが、歪だ。

エリュが求めるものとは程遠い。

人を嫌いな竜も、竜を嫌いな人も、それぞれ憎しみ合うことのない世界を夢見ていた。

実現には長い時間と途方も無い労力が必要だが、苦には思わない。


「……わかった。だが、あの電気ドラゴンからカーティス守りながら戦うのは俺も無理だぞ」

「私が守ります。アイザはユラを追い払ってください」


アイザはエリュを抱えたまま、踵を返す。

広場から離れたところからでも、その戦いの激しさはよくわかる。


カーティスの兵士たちも訓練を積んでいるのか、飛ぶ竜が近寄らないように銃での牽制を上手くやっていた。

アイザが戻ってくると、カーティスは侮蔑の眼差しを向けた。


「ようやく人間のために戦う決意ができたか腰抜け!」

「勘違いするなよ。うちの姫さんが助けろとうるさいからな。それだけだ」


アイザは剣を抜いて兵士たちの前に来る。


「お前らはカーティスの防御につけ。あいつの相手は俺がひとりでやる」


刃の先で親指から血を出して刀身に塗ると、瞬く間に剣がルビーのように透き通る紅で染まった。






ユラは、攻めあぐねていた。

あの男が竜狩りであるなどと思いもよらなかった。

なぜエリュ・ローライトは竜狩りと旅をしているのか。


疑問は尽きないが、今は竜狩りを退けないことには目的を果たせない。

対峙するのは初めてだが、知っていることはたくさんある。

あの剣を覆う赤い血は竜にとって毒であり、切られると傷が治らなくなる、などの特攻を無数に兼ね備えている。

やつらはとにかく血を使う。


しかし、所詮は人間。

接近しなければどうしようもないはずだ。


ユラは雷を周囲に蓄える。

連発はできないが、人間一匹を黒焦げにするには十分な威力がある。

先程は防がれたが、あんなのはまぐれだ。


「竜狩り! 裏切り者のエリュ・ローライトと共にくたばれ!」

「さっさと来い。俺たちは観光の途中なんだよ」


余裕な態度に怒りを覚え、ユラは自身に出せる最大規模の落雷を起こした。

白光と稲光の違いがわからないほどに、視界は白く覆われる。

地を震わせる衝撃が走った。

地表がめくりあがり、広場の噴水は粉々に吹き飛ぶ。


これだけの威力なら死んだはずだ。


ユラは大空を旋回しながら様子を伺った。

土煙が風で流れ、人間たちを守るエリュの姿が見える。

無傷でいることが腹立たしいが、そもそも青いドラゴンは本命ではない。


それよりも手前、竜狩りの立っていた部分を凝視していると、突然あらぬ方向から鎖が飛んできた。

それはたやすく翼を突き破り、地とユラとを繋いだ。


「なんだと!?」


ユラが伝え聞いていたものの中に、このようなものはなかった。

その鎖を伝い、竜狩りが一直線に駆けてくる。


「ガァッ!」


稲妻を打ち出すも、竜狩りは霞でも切るかのように、難なく弾き飛ばした。


(逃げようにも鎖が!)


翼を貫き、釣り針のような返しがついている鎖は、少し振った程度では抜け落ちようとはしない。

そうこうしているうちに、竜狩りはユラの背中まで到達していた。


「さて、俺の勝ちだな」


竜狩りは息切れひとつしていなかった。

暴れ狂うユラの首に剣を当てる。

冷たい感触が鱗に伝わる。


「どれだけ暴れてもその鎖は壊せねえよ。屈強な竜の戦士でさえ易々と捕える不壊の鎖だ」


竜狩りは淡々と言う。

抵抗は無駄だから大人しく切られろとでも言うのか。


(ふざけるな……!)


無抵抗な竜の子供は人間たちからいいように殺された。

抵抗する力がなかったから、ただ殺されるしかなかった。

しかし、自分は違う。

今日、人間に一矢報いるためだけに、準備をしてきたのだから。


「グウオオオオオオ!!」


ユラは吠えた。

仲間たちの無念、怨念、悔恨、憎悪。

一身に背負った感情が身体の限界を外し、力任せに、鎖に貫かれた翼を根本から引きちぎった。


飛べなくなり、きりもみになりながら地面へと追突する。

竜狩りは巻き込まれないように跳んで離れた。






「なんてやつだ」


人間たちの前で翼を広げて飛んでくる破片から守っていたエリュの前に、アイザがぼやきながら帰ってきた。


「アイザ、大丈夫ですか?」

「俺は問題ないが、あいつは正気を失っているかもしれん。こうなると切り殺す以外ないぞ」


翼を引きちぎってまで逃げたのだ。

すでに正常な判断をできない状態である可能性は高い。


そんな会話をしていると、咆哮が響いた。


「来るか」

「アイザ、私がユラの動きを止めますから、お願いします」

「やれるのか?」

「やります。やらないと」


人間をひとりでも殺してしまえば、もう二度と戻れないところへ行ってしまう。

その前に、彼を止めなければならない。


エリュは翼を広げて、空中へ浮いた。

すると、それを見つけたのか、一直線にユラが突進してきた。


「みなさん! 耳を塞いでください!」


エリュはカーティスたちに向かって叫んだ。

わけのわからない表情をしたまま、全員が耳を塞ぐのを確認して、エリュは迫り来る翠の竜へと顔を向ける。


息を大きく吸い込み、まるで糸を擦るような甲高い音を、その小さな口から放った。

その音波の触れたものが細かく振動し、震え、弾け飛ぶ。

破壊の波がユラへぶつかると、鱗が破裂して血が吹き出る。

その一瞬だけ、ユラは怯んで足を止めた。


エリュのところからでは、赤い光にしか見えなかった。

アイザは凄まじい速さでユラの体を登り、剣を抜いて肩口に突き刺した。


直後、ドン、と衝撃が響く。

ユラの肩から赤い枝状の格子が伸び、全身を這うように覆っていく。


「ガアアアアアアアーッ! ウグッ!」


ユラは口を覆われ、咆哮もできなくなる。

雷を出すには吠える必要があり、口を塞がれ、自由を奪われた竜にできることはない。


全身を血で濡らしながら、ユラは広場に倒れ伏した。

無力になった彼を前に、カーティスは笑みを浮かべながら近寄る。


「は、は、はははは! こうなっては形無しだな! おい、剣を持て! 私が直々に首をはねてくれる!」


興奮気味に語る彼の前に、エリュは立ちはだかって両手を広げた。


「ダメです!」

「どけ、ドラゴン。こいつの次はお前だ」


エリュの顔を蹴り上げようとしたカーティスが、突如ふわっと中に浮かび、背中から地面へ叩きつけられた。

その隣でアイザが面倒くさそうに前髪を搔き上げる。


「言ったろ。こいつはこういうやつだ。そのドラゴンのせいにして殺した方が世の中のためだぞ」

「嫌です。私は、自分が嫌いなものが無くなった世界が見たいわけではないので」

「はあ、弱いくせに面倒くさいやつだなお前は」

「弱いは余計です!」


アイザは赤い枝に覆われたユラに指先をつけて、小さく呪文を唱える。

すると、彼は竜から人間の姿へと変わった。

小さくなったことで拘束も解けて、彼はそこから這い出た。


「な、なんだこれは。何をした竜狩り!」

「竜能封印だ。一日しか持たねえが、頭冷やすには十分だろ」

「くそ! 剣を貸せ! やつを殺し――――」


憤る彼の頭にアイザがゲンコツをする。

エリュは、アレの痛みを思い出し、悲痛な表情を浮かべた。


「ッ!? 何をする!! 頭が潰れたかと思ったぞ!?」

「バカやろう。させねえって」


アイザはユラをひょいと担ぎ上げる。


「お、降ろせ! おい! 聞いてるのか!」


騒ぐ彼を無視して、アイザはカーティスの方に振り返る。


「あーっと……。あんた、竜からは手を引いた方がいいぞ」

「なんだと?」

「あんたの度重なる崇高な演説のおかげで賞金かかってんだよ。竜も人を雇うことがある。あまり外を出歩かない方がいい。じゃあな」


エリュはカーティスに一礼して、アイザの後を追う。

彼は竜のことを諦めてくれるだろうか。

それとも、意固地になって、今までより派手な活動を始めるだろうか。

何にせよ、争いにならないことだけを、エリュは願った。






翌日、町を出て、アイザとエリュ、それにユラの三人は歩いていた。


「どうして僕がお前たちと一緒に行かないといけないんだ!」


ユラは苛立ちながら言う。


「あれだけ暴れて無罪放免なんて甘えてんじゃねえぞ」


アイザは竜狩りだから、公的な機関に顔が効く。

保護観察という名目であれば、彼を引き渡す必要はないのだ。

彼が人を殺していればそういうわけにもいかなかったが、その前に止められたことが大きかった。


「だいたいお前も! なんでこいつと一緒にいるんだ! 竜の誇りはないのか!?」

「私は元々人間の中で育てられたので……」

「話にならない!」

「すみません。でも――」


プンプンと腹を立てる彼に、エリュは微笑みかけた。


「誇りを失わずにいられる竜がいて、安心しました。私にはできないことですから」


掛け値無しの、本心からの言葉だった。

竜の誇りというものを得ることは、自分にはもうできない。

それを分かった上で、自分にできることを探しているのだ。


「……ふん。お前も竜の中で生活すればいいんだ。そうすれば嫌でもわかるさ」

「その通りです。だから、ユラさんも人間の中で暮らしてみましょう。そうすれば人間のこともわかりますし!」

「なんでそうなる?」


エリュに呆れたのか、ユラは肩を落とした。


「さあさあ、次の町へ急ぎましょう!」

「おい走るな」


アイザの声が聞こえるよりも早く、エリュは割れた石畳に足を取られて転んだ。

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