FILE3:一族の終焉
血などの表記あり。温いですが、グロがあります。
執事は死んだと思って笑みを漏らしたのだろう。
ぼやけていた視界が徐々に定められていく。
それを髪の隙間から盗み見たルゥアは笑い始めた。
初めは小さく、そして次第に大きく…。
渇いた空間にその笑いだけが響き渡った。
「くっくっ…。あー…可笑しい…」
ルゥアは笑いを抑えてゆっくりとした緩慢な動作で立ち上がる。
目の前にしゃがみ込む執事は目を見開き、そんな馬鹿なという顔をして見上げてくる。
口端から流れ落ちる血を無造作に拭い、ルゥアは執事を見下して、くつりと笑った。
「お前は俺を殺したいのか?それとも生かしたいのか?」
「い、生かしたいに決まっているでは…」
「嘘だな」
その即答に執事の肩がびくりと震えた。
あまりの事態に動揺を隠しきれていない。
ルゥアは笑みを絶やさずに真っ直ぐと見据えた。
「俺が気付いていなかったと思っているのか?あの茶番に…。ま、楽しかったがな」
その場を動かぬ執事を無視して、ルゥアは窓際へ歩みを進めた。
霧がまた濃くなってきているのが見える。
窓に立ち上がる執事の姿が反射して映った。
ルゥアは窓の枠に手を置いて、優雅に振り返った。
そこには先程まではなかった殺意の込められた瞳があった。
「何故、生きている…!?」
「何故…か。俺が毒が効かない体質なのは御存知カナ?」
「効か…ない?」
悪戯に片目を眇めて言えば、執事は動揺で目を揺らした。
正しく言えば、効かないでなく効き難いなのだが敢えて言わない。
ルゥアはふと笑みを滲ませて、そうだと話を続けた。
「フェネリット家に備わっているのは危機感知能力だけではない。気付いていないだろうが、今までの毒料理にも手をつけている。そして…飲む度にその毒耐性は強くなる」
真実を聞いた執事は今までにないほどの驚きを見せた。
それはそうだろう。彼は長く努めていたとはいえ、それを知るのは一族の者だけなのだから。
だが、しかしといって執事は食って掛かった。
「さっきは倒れたではないか!今までだって苦しそうに…!」
「ああ、苦しかったな。別に演技ではない。急に強い毒になったから耐性がなかった」
それは嘘ではない。死ぬほどの苦しみを味わった事は事実。
あのままでいれば、自分は間違いなく「屍」と化していただろう。
“あのままでいれば”。
この一言が非常に重要であるのに、動揺した執事は気付いていなかった。
「…何故、私が毒を入れたと?」
「お前は初めからこの土地と屋敷を狙ってきたのだろう?これほど長く勤める者はいない。誰も近付かない此処も、主がいなくなり、売り飛ばせばかなりの額になる」
執事は確信を突かれ、言葉を詰まらせた。
この執事がきてから様々なことが起こっている。
気付かない方がおかしいだろう。
おそらく父も母も祖父も、判っていながら自分と同じ道を辿ったに違いない。
そう確証付けたのは、自分は家族の遺体など見ていないからだ。
きっと死んだフリをしただけで、大方何処ぞで生き続けているはずだ。
自分と同じように、禁呪を使って…。
「ならば、貴様も親と同じように殺すまでだ!」
執事は壁に飾りとして掛け置いていた剣を手に取った。
鞘から抜き、手入れの施された輝く刃をルゥアに向けて眼前に構える。
しかしそれを見たルゥアは微動だにせず、ただ薄く笑った。
「ほう、父上達はそれで殺したのか。本当にこの程度の物で死んだか?」
取りようによっては安い挑発染みた言葉だ。
そんなもので死ぬはずがない。
そういう絶対的な確信の基に、ルゥアは言い放った。
執事はそれを受け、やはり挑発と取って頭に血を昇らせた。
「うぉぁぁあああー!!!」
凄まじい殺気と怒声を放ち、剣を斜めに斬り下ろした。
左の肩口から右脇腹に架けて赤い線が走る。
次いで真っ赤な鮮血が辺りに散りばめ、床に模様が出来た。
執事はこれで終わったと笑みを浮かべた。
しかし、本来床に倒れ伏すはずの身体は、立ったまま一寸も動かない。
不信に思い、伺い見るようにゆっくりと顔を上げた。
「…ひっ!」
「……もう一度問うぞ。この程度で死んだか?」
声の主はルゥアだった。
まだ死んではおらず、蔑んだ目で冷笑して執事を見下ろしていた。
だが確かに身体は斬られ、血は刻々と流れ出続けている。
それでも顔はこれから死に逝く者とは思えないほど生き生きとしていた。
ルゥアは自分の手に付いた血を舐めつつ、執事に向かって一歩踏み出した。
「少なくとも俺はこの程度では死なん。父上達はどうであったか知らんがな」
一歩一歩と歩み寄る。
それと同時に執事は一歩一歩と下がっていく。
その目は恐怖心と驚きに満ちていた。
この顔が見たかった。
こんな自分を見て、恐れ慄く様を。
だがまだ何か足りない。
満足できない…。
まだ長くこの屋敷に閉じ込められていた自分の心が満たされた感がしない。
剣が引き摺られ、床と擦れあう金属音だけが部屋に木魂する。
その押し引きにルゥアは歩みを止め、嘲笑った。
そうだ。もっと楽しまなきゃ…。
「…どうした。俺を殺すのではなかったのか?」
くすくすと不気味な笑い声が響き渡る。
自分の命を遊び道具とし、今の事態を楽しむ笑い声が。
そんな狂った笑い声の元主に、執事の恐れはピークに達し、叫び声を上げた。
「うっ…うぁぁあああ!!!」
剣を振り上げ、また笑い続けるルゥアの身体を傷付けた。
斬られた身体は、その反動で仰け反る。
だが目の前の男の笑い声は消えない。
それを見咎めて、執事は怒声を張り上げながら、幾度も剣を振り下ろした。
鮮血が空を勢い良く舞い続ける。
肉を斬る音。
空を斬る音。
骨を斬る音。
砕かれる音。
様々な嫌に鈍い音が静かな空間を占める。
脂のついた剣は当然すぐに斬れなくなり、刺したり叩いたりの攻撃に変わっていた。
時に“死ね”“お前さえいなければ”などの怒声が混じる。
絨毯やカーテンなど、部屋にあるもの全てが真赤に染まってゆく。
床は血によって大きな水溜りが出来ていた。
時期、ルゥアの身体は傾ぎ、床に倒れ伏した。
白かった絨毯は真っ赤になり、やがて血の流れは止まった。
それはルゥアの死を意味した。
執事は剣を床に突きたて、深い息を零した。
心臓が早鐘を打ち、荒い息は治まらない。
顔についた返り血を、自らの服の袖で拭い取る。
少しの間警戒していたが、目の前の男が起き上がる事はもうなかった。
それを確認して、執事は漸く口に笑いを零した。
今度こそ本当に心の底からの笑みを…。
「何が死なないだ。くくっ…、これで財産は私のものだ!!」
勝利を掴み取ったと言わんばかりの笑い声が屋敷中に響き渡る。
それを聞きつけてやってくる者は誰もいない。
執事自身が、今日で皆解雇にしていたのだから。
その醜く下品な笑い声は誰に聞かれることなく、長く続いた。