FILE2:人体実験
朝になっても外の景色は特に変わらない。
霧が濃過ぎるために薄暗いままで、明るくなることは皆無だ。
それはただの気候ゆえなのか、何か呪いめいているのか。
そんな埒もない事を考えながらルゥアは瞼を上げた。
いつもの目覚め時間を考えると、午前七時といったところだろう。
時計を見るとやはり針は七時を指していた。
ルゥアは起き上がると一つ伸びをして、普段は着ない純白の生地で、金銀の絢爛で丁寧な刺繍が施されている、服の中でも一番高価なものを選び出し、袖を通した。
髪を梳かして、鏡に映る自分にルゥアは人の悪い笑みを浮かべた。
何か予感がする。
良い事が起こるような感覚。
良い事とは即ち、自分の願いが叶うことであり、命懸けの勝負を意味する。
やっと楽しみにしていた事がこの身に起こるのかもしれない。
自分の生命の限界を知ることが出来る。
ルゥアは高鳴る高揚感を抑えながらも、窓際に立ち、霧だらけの外を眺めた。
それと同時にノックが聞こえて、いつもの執事が入ってきた。
「おはようございます。……今日は…お早いですね」
「そうか?いつも通りだと思うが?」
ルゥアはそう言いながら窓を開け放った。
霧がいつもより晴れ、地面の色が良く見えた。
「何か嬉しいことでも御座いましたか?」
「いや、だが予感はある」
ルゥアは窓を閉めると振り返り、執事に向かってにやりと笑った。
全てを見通しているような、何かを企んでいるような、そんな目をして。
執事はその目を見て、ぞくりと身を振るわせた。
殺意は籠もっていないのに、恐ろしいと感じる。
一つ咳払いをしてその感情を誤魔化してやり過ごす。
「ルゥア様、お食事がもうすぐ運ばれてきます。どうぞ御席に・・・」
「ああ、すまないな」
椅子を引いてくれた執事に礼を良い、腰掛ける。
それと同時にノック音が響き、二人のメイドが中に入ってきた。
手馴れた手つきで素早く食事の準備をこなしていく。
その作業を終えるのに五分と掛からなかった。
全てを並べ終え、メイド達は一礼をすると出て行った。
ルゥアは豪勢な朝食を眺め見て、薄く笑った。
「今日のも美味そうだな。お前も食べるか?」
「いえ、滅相も御座いません。私は余り物で十分に御座います」
「そうか。今日のは折角の特別な馳走なのにな」
ルゥアは意地の悪い笑みを浮かべた。
普段はこんなこと言いはしない。
ただ一つ確認したい事があったからだ。
それは一体誰が毒の混入をしていたのか、ということ。
別に誰でも良いのだが、また一つ新たな遊びを思いついてしまったから。
馳走というのも、別段普段と変わった料理が出てきていたわけではない。
ただ頭の奥で警鐘が五月蝿いほど鳴り響いていた。
危険。食べてはならない。逃げろ。
その三つの指示が身体を巡っていた。
それは目の前に並ぶ料理に対してと、“別のモノ”に対しての警告。
指示した通り、今日の食事に入れられた毒は高級品のようだった。
果たして毒が即効性の強力なものになったとして、自分は死ねるのだろうか。
ルゥアは嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「どうかなさいましたか?」
なかなか食べない主人を訝んで、執事が問い質してきた。
ルゥアは否と答えてから、暫し逡巡した。
そしてすぐさま答えを弾き出し、淡い笑みを浮かべた。
自分の身体は一体どうなるのか。
毒を入れた首謀者がどのような反応をするのか。
これを楽しみと言わずに何と言うのだろう。
「いただきます…」
人の悪い笑み絶やさずにそう言うと、わざと毒の一番強い料理を手にして口に運んだ。
―さぁ、自分の命を懸けた人体実験を始めよう・・・。
食物を口に含んだ途端、初めて身体に変化が生じた。
息が苦しい。
呼吸がし難い。
胸が焼けるように熱い。
警告音はこれ以上にないほど、けたたましく脳内に鳴り響く。
「ルゥア様!?」
ルゥアは座っていることもままならず、胸元を強く握り締めて床に倒れた。
執事が声を荒げて駆け寄ってくる。
その姿すら今は霞んで見えた。
これが死に近付くというものなのだろう。
さすがにちゃんと構成された薬物は強力なようだ。
ふいに喉から鉄の味が逆流してきた。
つっかえている感覚が気持ち悪くて咳き込む。
それと同時に大量の紅い霧が口から吐き出された。
「ルゥア様!とりあえず水をっ!」
執事はそう言って、テーブルまで水をコップに注ぎに行く後姿が見えた。
己を護る大きな警告音が酷く耳障りだ。
だがルゥアは毒ではこれだけ苦しめるのだと分析していた。
そんな冷静でいられるのは、自分は死なないという確証があるから。
―もう実験はこれくらいにしておくか…。
微笑するとルゥアは口内で小さく語り始めた。
それが音になる事はない。
ただ唇を動かし紡いでいく。
音に出さなくても、それが解っていれば発動する。
フェネリット家に伝わる唯一の禁呪…。
唱え始めてすぐに警鐘は霧散し、苦しみの感覚が薄れていく。
最後まで唱え終えたところで、執事が水をもって屈んだ。
「ルゥア様!水です!私がわかりますか!?」
動かなくなった主に、執事は焦ったように問いただす。
だが、それは声音だけで口元には笑みが浮かんでいた。




