FILE1:フェネリット
自分はどのくらい生きていられるのだろうか
常に死と向き合っているこの場所で――。
レスタヴィアという大国の外れには、海沿いに一つの丘があった。
否、丘というよりもその高さと絶壁は崖と言った方が当て嵌まるだろう。
辺りは暗く、ひっそりと全貌を覆い隠すように濃い霧が立ち込めている。
何処からか獣の遠吠えが響き渡り、木々が泣いているように空気を震わせた。
古き墓地も多いことから、この場に来る者は今や皆無。
いつも秘密めいた不気味な空気を醸し出していた。
だが、理由はそれだけではなかった。
「おい…、飯はまだか?」
溜め息交じりの声が、無駄に広い屋敷の一室に響いた。
「今少しお待ち下さいませ。ルゥア様」
申し訳なさそうに年老いた声音が、返答する。
ルゥア様と呼ばれたのは、前者の青年だ。
椅子の背凭れに寄りかかって、少し緑がかって見える黒い短髪を掻きあげる。
濃赤の瞳が少し疲れたような色を見せていた。
溜め息をついた時、二度ドアがノックされ、豪華な食事がトレイに乗って運ばれてきた。
それらは次々にテーブルの上へと並べられていく。
綺麗に全てを並べ終えると、給仕の者達は一礼をしてから出て行った。
ルゥアはスプーンを手に取り、スープを軽くかき回した。
静かに一掬いをし、口元に運ぶ。
だが、口にたどり着く前に眉をぴくりと動かしたかと思うと手を止め、そのまま口内に入れることなく、スープボウルへと戻した。
半場投げやりに置いたので、カチャリと音を奏でる。
その行動を執事は不思議そうに見つめた。
また椅子に寄りかかる体勢になり、呆れたような目で料理を眺める。
「まったく…。こんなことをする時間があるのならば早く持ってくれば良いものを…」
「どうかなさいましたか?」
食事に手を伸ばさない主に、執事は動揺して尋ねた。
ルゥアは据わった目で執事を見やった。
「…毒が入っている」
「っ!またですか…!?」
静かな広言に対して、執事は呆れ驚いたような声を発した。
ルゥアは豪華な料理を目の前に、一際大きな溜息をついた。
「しかし、学習能力のない奴だ。我が一族には、そのような感知能力が備わっていると知っているだろうに…」
自分を殺そうと毒が混入される事は、今に始まったことではない。
それは自分がこの屋敷の主人になってから、ずっと続いていることだった。
理由は、我がフェネリットの一族が人々に迫害されていることに関係すると思われる。
今いる此処は霧の濃い丘の最頂部に建てられた、洋館の建物である。
朝になっても決して明るくないこの場所に、誰も近付こうとはしなかった。
だがそれは建前でしかない。
本当に避けられる理由は、フェネリット一族という人でないモノとして括りに入れられている者が住んでいるからだ。
見た目は普通の人間と何ら変わりはない。
ただ初めは瞳の色だけで避けられたらしい。
黒髪に、この赤い瞳はより際立って、恐怖の対象となるというのだ。
そんな勝手な理由で嫌われているのにはむしゃくしゃしたが、他にも理由があった。
それは、この感知能力である。
何故か何をされるにしても、何処にどんな危険があるか先に判るのだ。
幾度と無く殺されかけたが、この能力で生き延びた。
それが恐怖を煽ったのだろう。
いつしか一族は『不死の悪魔』と呼ばれるようになっていた。
その話を幼い頃から聞かされていたルゥアは、屋敷から出ることも許されなかった。
だから他の者は知らないのだ。
フェネリット家の本当に備わっている潜在能力を。
「ルゥア様、しかし食べなければ死んでしまいます…」
「ああ、そうだな。だが毎度妙な処で優しい奴だ。これだと、人を本当に殺そうとしているのかと疑ってしまう…。このパンには毒は入っていないようだ」
ルゥアは苦笑しながら言った。
パンを一口サイズに千切りながら口に運んでいき、同じく毒の入っていない水で流し込んだ。
このように毎日どれかには毒が入っていない。
まるで当たりを探す、くじ引きを引かされているような感覚だ。
「毒は絶対に判るから、違う方法ににしろと皆に伝えておけ。それと飲ますにしてもその辺で摘んだ毒草よりも、高いのを買えとな」
薄く微笑しながら言う主の言葉に、執事は無言で礼だけをとって、部屋から出て行った。
足音が遠退いていくのを聞き取ると、ルゥアは椅子に座り直した。
「…さて、と」
そう言うと、先程乱暴に置いたスプーンを手に取り、スープを掬う。
そして口へと運んだ。
毒の入った少し冷めたそれを、躊躇いなく飲み下す。
何事もなかったかのように、同じ動作を繰り返す。
だが、器の中の嵩を少し減らすだけに留め、スプーンを再びおいた。
「これ以上飲んだらバレる…かな?」
ルゥアはくすりと笑った。
パンと水を全て腹に入れ、椅子から立ち上がると、窓へと歩いた。
開け放つと心地良い風が流れ込んでくる。
霧で隠れているが、月の光がほんのりと覗いている。
テーブルの方を一度見やると大仰に溜め息をついた。
「…だから高いのを買えと言っているのに」
ルゥアがこう言うのにはちゃんと理由がある。
毒草などが全く効かない体質なのだ。
元からそういう耐性があるのか、それとも育てられたのかは解らない。
でも効かない。
試した事はないが、毒草は感知能力は働くが危険とは感じず、食してみたら平気だった。
ではちゃんとした配合された毒なら効くのではないだろうか。
別に死を急いでいるわけではないが、生きている意味も別にない。
楽しみと言っても、この屋敷から出られない以上、食べることだけであった。
しかし何処からそんな金を手に入れていたのか、残された一族の財産だけで世界の美味しいものも、はたまた不味いものも全て食べつくしてしまって、当に楽しみなどない。
今はただ、誰が自分を殺そうと思っているのか、どのくらいやれば自分は死ぬのかを垣間見ることが楽しみとなっている。
この考えている期間もまた一興だ。
自分の潜在能力と、一族に伝わる禁術は屋敷に勤めている者も知らない。
これらを知ったら、相手はどんな顔をするだろうか。
それもまた楽しみの一つである。
ルゥアはその光景を思い浮かべ、くすくすと笑った。
窓を閉め、ベッドへと身を投げ出す。
仰向けになり、額に腕を当て、もう片手は天井に突き出すように伸ばした。
「明日は楽しいこと起こるかな…」
ルゥアは薄く笑うと、瞼を閉じた。
この手が明日は血に染まるように。
楽しみにしていることが起こるように。
そう願いながら、次第に意識は暗闇に溶け込んでいった。
初話なので、主人公の紹介をば――。
名前:ルゥア=フェネリット
歳:19 / 種族:人間 / 性別:男 / 髪色:黒 / 瞳:赤 / 身長:177
フェネリット家の末裔。黒い髪に、引き立って見える真っ赤な目を持つ。
その異質な容姿と、特殊な力“危険察知能力”と“毒への耐久”の高さから迫害を受けた。
娯楽のない今は己の死際を試すことを楽しむ狂人。
※全四話の作品です。グロイ表現もありますが、平気な方はお付き合い下さいませ!