06 呪われた少女
本日二話目。
「…………」
古くからある男子校。隣には同じ系列の女子校もあるが、その間には刑務所かと思えるほどの高い壁がそびえ立ち、女子とお近づきになりたい男子生徒からの評判はすこぶる悪い。
そんな男子校の高等部。授業中の教室で窓際の席にいた深見秋乃は、何かを感じて窓外に広がる空を見上げた。
深見家は古くから人に仕える仕事をしている。親も兄姉も政治家や大企業の秘書をして、古くは貴族や華族の執事や家令などをしていたそうだ。
親類縁者は全世界にいて今はどこが本家かもわからない程だが、綿密に連絡を取るほど交流があり、姉の一人は海外でとある王族の侍女までしている。
そんな家なので政界や知識層とも繋がりがあり、一線を退いても相談役として忙しい日々を送っていた祖父が、三年前のある日、突然新しい“妹”を連れてきた。
名前も記憶も失った少女――椿。
笑わない、喜ばない、ただ偶に遠くを見つめて辛そうにするだけの少女。
だが、兄弟の中で一番下だった秋乃にとって、何も知らない妹の世話はある意味新鮮だった。
最初は、将来自分も誰かに仕える為の練習かと小まめに世話を焼いていたが、少しずつ感情を見せてくれるようになり、からかうと恥ずかしがるような姿に、いつしか椿と会話をすることが楽しみになっていた。
椿が女学院に通う為に一人暮らしだった祖父の家に移った時も、秋乃は一緒に祖父の家に移った。
そんな椿が昨日、見知らぬ女の子を連れてきた。持ち帰ったと表現するのが正しいのかも知れないが、何事にも関心の薄い妹が彼女にべったりと寄り添う姿に驚き、女の子が目を覚ました後のあのはしゃぎようは祖父さえも絶句させていた。
あれが本来の椿なのだろうか?
鉄のようで嫌いだと言っていた髪も銀のように煌めき、元から整っている思っていた顔立ちも、これほど綺麗な娘だったのかとあらためて気づかされた。
その輝きを引き出したのが自分でないことは少しだけ残念だったが、それ以上にそんな笑顔を引き出してくれる存在がいてくれたことを神に感謝する。
今日の椿は学校を休んで、あの菜の花と名乗った少女と買い物に出掛けている。
あの少女も不思議な雰囲気の少女だ。妹より年下に見えるが、仕草や考え方が大人びていて、楽観的に見えても芯がある。
彼女がしばらく滞在することになったので今日はその買い物だったが――
突然、陽が陰った気がした。わずかに気温でも下がったのが、ほとんどの者は気付いていないが勘の良い者は不思議そうに腕をさすっていた。
秋乃は少しだけ目を細めて遠くを睨むと、不意に立ち上がって、授業中の教師に爽やかな笑顔で声を掛ける。
「気分が悪いので早退します」
***
私の手を引いて菜の花さん、じゃなくてハナちゃんが突然走り出した。
「椿、急いでっ!」
「う、うんっ」
いきなりだったので驚いたけど、私はすぐに意味を察した。公園の入り口にいた三人が私達を追いかけるように走ってくる。私はともかく可愛いハナちゃんなら追いかけたくなる気持ちも解るけど、あれはあきらかにどこかおかしい。
私も走るのは得意じゃないけど、昨日倒れていたハナちゃんはまだ本調子じゃないのか私よりも遅く感じる。
「ハナちゃん、こっちっ」
「うんっ」
私が手を引っ張るように道を示すと、すぐに理解してくれたハナちゃんが流れるように応じてくれた。
繁華街のほうに出れば大人の人がいる。交番もあるし、どこかのお店に駆け込んでもいい。学校の先生達が口が酸っぱくなるほどそう言っていた。
あの人達が何を考えているのか分からないけど、もう二度と失うのは嫌だ。
“何を?”
一瞬、何かを思い出しそうになって頭が痛む。
「椿、しっかりっ。もう少しよ」
「……うん」
繋がれた手を強く握りしめ、私はこの温もりが消えないように強く足を踏み出すと、ハナちゃんが結んでくれたリボンが“シャララ”と小さく音を立てた。
私達の息が切れてきた頃、ようやく繁華街まで出ることが出来て、通行人の人混みにホッと安堵する。
「ここまで来たら…」
ドンッ。
「ハナちゃんっ!」
人混みの中から、誰か知らない手が唐突にハナちゃんを道路側に突き飛ばし、走る車に触れそうになった彼女の手を引いて引き戻す。
「大丈夫っ!?」
「う、うん、ありがと…」
さすがのハナちゃんも青い顔で辺りを見回す。誰が突き飛ばしたの? どうして女の子が突き飛ばされたのに誰も気にしないの?
「あ、あのっ」
適当な大人に声を掛けても急ぎ足で無視される。どこかに入ろうにもお店の入り口には人が溜まっていては入れそうにない。
「椿、交番はっ」
「えっと……あっちっ」
不確かな記憶を頼りに交番のある方へ向かう。あちこち走りすぎて道に迷いそうになりながらようやく見つけた交番には、誰も居なかった。
あきらかにおかしい。何かが変だ。
「ハナちゃんっ!」
「え…」
風を切る微かな音にハナちゃんを突き飛ばすと、上からタイルのような物が私達の間に落ちて、アスファルトで砕けた。
「「………」」
思わずゾッとして二人で顔を青くする。当たったら死んでいたかも知れない。ビルの壁から取れた? こんな時に? 偶然で?
心が……ざわめく。何かが心の奥から訴えてくる。
「椿っ」
一瞬の放心から戻ると、いつの間にか修学旅行らしい中学生の団体が、私達の間を隙間なく連なって私達を分断していた。
「ハナちゃんこっちに…」
「ダメ…」
その中学生達は、にこやかに友達と会話しながらも私達を通そうとはしなかった。それがまるで人形の行進のようで気味が悪い。
後ろか前か。とりあえずどちらかに移動して流れの外に出ようと辺りを見回すと、あの三人の大学生らしき男達が走ってくるのに、私達は同時に気付いた。
「椿、そっちの路地から先に家に帰ってっ」
「ハナちゃんはっ!?」
「私も移動してからタクシーでも拾うから大丈夫よ」
「で、でも、」
「急いでっ! あいつらが来る」
「……う、うん」
正直離れたくない。離れたらまた会えなくなってしまうんじゃないかと胸の奥に痛みを感じた。
でもすでに、道路側のハナちゃんは歩道橋のほうに向かっていて、少しだけ振り返ったハナちゃんが“早くしろ”と腕を振るのを見て、私は泣きそうな気分で路地のほうへと走り出した。
一人になると急に心細くなる。昨日まで平気だったのに……。知り合ったばかりだというのに、ハナちゃんの存在は私の何も無かった心を大きく埋めていた。
お祖父様や秋乃兄さんも私の心を温かく埋めてくれたけど、心の喪失感だけは消えなかった。
手の中の温もりが無くなったことに、また酷い喪失感を感じる。
ダメ……やっぱり、ハナちゃんと離れちゃダメだ。走っていた足を止めてハナちゃんのほうへ戻ろうとした時、背後のほうからあの三人組の一人が走ってくるのが見えた。
逃げる? でもそうするとまたハナちゃんから遠くなる。
逡巡して足を止めた私に大学生が追いつき、その姿を見て私は零れそうになる声を手で押さえた。
「ひひ」
歪に笑う太った男。その目付きがおかしいことよりも、彼の耳や襟元にあの黒い虫たち――“黒く蠢くモノ”が大量にこびり付いていた。
どうして……アレが?
「っ、」
思わず後ずさった拍子に躓いて尻餅をつく。
周りに誰か居ないかと見てみても、繁華街のビルの裏手に当たるこの路地には、建物の勝手口しか見えなかった。
そこまで辿り着けば逃げられる? でも鍵が掛かっていたら?
「ふひひっ」
迫ってくる男の泡を吹きながら笑う嫌悪感に身を竦めると、そんな私に男が手を伸ばして――
ガツンッ!
「……え?」
その太った男が突然倒れて、打ち付けた地面で血を流していた。
「……無事か?」
そんな声が聞こえて顔を上げると、明るい髪色の青年が静かな瞳で私を見下ろしていた。その深い……悲しいほど深い群青色の瞳を声も出せずに見つめていると、男を打ち倒した青年は、少しだけ顔を歪める。
「あれに関わるな」
「……え?」
何のことだろう? 突然のことにお礼を言うことさえ忘れていると、彼は静かに首を振ってから、はっきりと言葉にした。
「もう、あの娘に関わるな。あれは――神々を裏切り、世界から呪われた女だ」
以前ご指摘がありまして、ジャンルをホラーに変更します。
次回タイトル 『 ノコギリの鳴る音 』
血が出ます。