05 運命の分岐路
暗い部屋。私の部屋。あの女学院に通う為に一年前に移ってきた、お祖父様の住む家の私の部屋。
ただ広い畳の和室。お祖父様は女の子らしいお部屋に改装しようと言ったけど、私の為にこの古くからある家を傷つけるのは嫌だった。
何も望まない私に深見家の人達が沢山の物を贈ってくれる。でも私はそれを喜ぶよりも申し訳ないと思ってしまう。
せめて少しでも笑えたらいいのに。
みんなの思いやりが溢れたお部屋。そんな部屋にいると私の中の寒さが少しだけ癒されるような気がした。
「………え?」
そんな自分の部屋の中で、私は強い“喪失感”を感じて目を覚ました。
「……あ……れ…?」
頭の中が混乱する。何も変わってないはずなのに手の中にあった暖かみが失われたような“喪失感”に、酷く狼狽えている自分がいた。
私はどうして制服のままなの? どうして布団を敷いてあるのにその外で眠っていたの? 私の肩に誰がタオルケットを……――
「あの子はっ!?」
私はあの場所で見つけた女の子を連れて帰ったはず。
でも自分より少し小さいだけの女の子をどうやって私が連れてきたの?
記憶が混濁している。でも確かにあの子はいた。お祖父様の主治医にも来てもらって私が看病すると言い張って、それから……どうなったの?
三年前のあの日から、何も無い……私には何かが無くなったような喪失感があった。
その痛みから目を逸らすように、他人からの愛情を拒絶していた。また……失うのが怖かったから。
あの女の子と出会った時、涙が止まらなかった。あの子に会った時から心の喪失感が埋められたような気がした。
どうしてか自分でも分からない。でも、彼女を失いたくないって強く思った。
忘れかけていた感情が、乾いてひび割れた心に染みこんでくる。
無くしたくない。もう……二度と。
私は部屋を出て家の中を駆け出した。
あの子は夢じゃない。幻じゃない。今まで走る理由はなかったけど、これまでは走る理由もなかったけど、でも今は――
***
「それじゃツバキって、お花の椿のことなのね。私と一緒でお花の名前だ」
「う、うん。……ハナちゃん」
深見家にご厄介になると決まった翌日、私と椿は午前中から繁華街までお買い物に出掛けています。
椿の学校? サボリです。まぁ、あのお爺ちゃんが気を利かしてくれて、海外から来た親戚を案内する社会勉強という名目で、学校に許可を貰ったそうです。
そうそう、椿は私のことを『菜の花さん』って呼ぶから、それが何となく嫌だったので無理矢理だけど『ハナちゃん』と呼ばせることに成功しました。
敬語だけは止めてくれなかったけど。
昨夜もあれから椿のお部屋で色々お話しした。
さすがに私が三年前に突然現れたことは話してないけど、旅の話とかね。でも椿も昔の記憶が無いと聞いて、私達はなんとなく似ているように感じたの。
私に客間も用意されていたんだけど、椿が寂しそうな顔をするから、つい絆されてしまって結局椿のお部屋で一緒に眠った。
何か子犬みたいだよねぇ、椿って。思わずお兄さんの秋乃さんに同意を求めたら、何故か半笑いされてしまった。
出掛けるにあたって椿に服を借りている。椿は衣装持ちだった。しかもタグがついたままの着てない服が沢山あったのよ。何でかと思ったら、本家のお姉さん達が季節ごとに沢山送ってくれるらしい。
靴だけは秋乃さんが用意してくれたんだけど、サイズピッタリの物をどうやって朝方に揃えたのか謎だ。
椿は着飾るのが苦手で、地味な服が好きみたいだけど、私は椿の手によってヒラヒラのミニスカートを穿かされている。……文句は言わないけど。
そんな椿は昨日と同じ制服の予備を着ていた。もう、全身真っ黒だけどそれが落ち着くらしい。せっかく背が高いんだから、色々着飾ってもいいのにね、と言うと。
「社会勉強だから制服でいいんですっ」
椿は生真面目だねぇ……。
私と椿が歩くと、通行人がチラチラと見てくる。
私も眼が赤くて外国人風だし、椿も凛とした綺麗系で日本人らしくないのよね。だからか凄く目立ちまくってるんだけど、椿はお話に夢中で自分がどれだけ人目を惹きつけているのか自覚がない。
いつか変な男に騙されるんじゃないかとちょっと心配。
それで今日は何の買い物かというと、私の身の回りの物です。
私ってほら、荷物なくしたから無一文だし、どうしようかと思っていたら、ニコニコしたお爺ちゃんにお小遣いまで貰ってしまった。
う~~ん、いいのかな? まぁ、未使用でも下着まで借りるのは気が引けたから助かるんですけどね。
「は、ハナちゃん、まずは何を買いますか?」
「インナー関係かなぁ。椿は? 何か欲しいもの無いの?」
「私は……ないです。今日は、は、ハナちゃんのお買い物ですからっ」
綺麗系の椿が私の名前を呼ぶ時、どもって恥ずかしがるのは、見ててちょっと危ない趣味に目覚めそうな気分になる。
「えっと、じゃあ……あのお店は?」
「……雑貨屋さん? 新しいお店かな。女の子向けのお店みたいなので、服とかも置いてるかも」
そんな感じでとりあえず目に付いた、やたらとファンシーなお店に入ってみると、店員のお姉さんはプロなのか、見た目中学生で平日に彷徨いている私達にもにこやかに挨拶してくれた。
「色々あるのね。あ、本当に服もある。ねえ椿、向こうに……」
インナー関連ぽいコーナーが奥に見えたので振り返ると、何かの売り場で椿が立ち止まっていた。
「何か気になる物でもあったの?」
「え…、うん。ちょっとだけ」
その売り場は髪留めに使う紐やゴム紐などが並んでいた。
今日の椿は髪を下ろしているけど、学校に通う時は三つ編みにしているので、それを結わえる物を捜していたみたい。
でも椿が見ているのは、本当に地味~な感じのゴム紐だ。もう少し可愛いものでも似合うと思うんだけど……
その時、私の視界にある物が映る。
後になって思えば……そこが“分岐点”だった。私がそれを目にしなければ、椿だけは普通の女の子としていられたかもしれない。
でも、私は見つけてしまった。
「椿、あのリボンとかどう?」
「……リボン?」
私の意見に、椿は気の進まなそうな顔をする。まあ椿はリボンとか自分に似合わなそうとか思っていそう。
「模様付きは派手だよねぇ。でもさ、こんな感じなら椿にも似合うんじゃない?」
私が指さしたのは、綺麗なえんじ色で少しだけ幅広の、縁がギザギザに縁取りされているリボンだった。
「これ……私に似合うかな」
「うん。私はそう思うよ」
椿はそのリボンが気に入ったのかジッと見つめて、少しだけ嬉しそうにそのリボンを購入していった。
お店で他の必要な物を購入し、ついでに他に買い忘れがないか色々なお店を二人で見て回る。そうしていると時間が経っていたのか、飲食店が活気づいてくる。
「お昼はどうする? 適当に済ます? 帰って食べる?」
「えっと、その……あのねっ」
「うん?」
ちょっと勢いに飲まれて返事をすると、椿が恥ずかしそうにバッグを抱える。
「お弁当作ったんですけど……」
「………」
なんだ、この乙女はっ!
そんな訳で繁華街を離れて公園でお弁当を戴くことになりました。
お弁当なんて久しぶりっ。ベトナムのおばちゃんにチャーハンと生春巻きのお弁当を貰った以来です。良く考えたら一月も経ってないなっ。
……あれ?
「あっ」
「どうしたの?」
公園に向かう途中の道ばたに見慣れた袋が落ちていた。
「私の荷物ちゃんっ」
「えええっ!」
その驚きは荷物が見つかったこと? それとも袋がゴミに見えたとか? 薄汚れた袋を持ったままジッと見つめると、椿がそっと視線を外した。
何はともあれ荷物が見つかって良かった。これまでの国だったら物を放置していたら絶対になくなる。
中身を確認すると、古着も底に隠したお金もそのままだった。……ドン通貨って日本で使えるかな? あ、船長さんから貰ったお金もある。
そしてこれだけは回収したかった、あの手書きの本も、特に問題もなく皺も出来ていなかったので良かった。
「それ、何の本です?」
「あ、これ? いろんな国のお話が手書きで書いてあるの。後で読んで上げるね」
「うんっ」
嬉しそうに返事をする椿に私も笑顔になる。椿って私より大人っぽいけど、なんか妹みたいで可愛い。
公園に移動して椿のお弁当を戴く。甘い卵焼きにベーコンのアスパラ巻き、唐揚げにプチトマト、そして三色おにぎり。ご馳走様でした。
ついでという訳じゃないけれど、さっき買ったリボンを椿姫の髪に結ぶ。でも三つ編みじゃなくて両側の一部を後ろに回してリボンで結ぶ奴です。
落ち着いた色合いのリボンは、椿の髪にもとても似合っていた。
はにかむ笑顔が可愛らしい。色々とご馳走様でした。
……不思議ね。椿と会ってからまだ一日も経ってないのに、ずっと以前からの友達だった気がする。彼女を見ていると元気が出る。すっかり枯渇してしまった【力】も少しずつだけど戻っているような気もする。
とりあえずお腹が脹れて一休みしている間に、あの本を確認がてら、ペラペラと捲って中身を確認していく。
「……ハナちゃん、それ、何語?」
「これがベンガル語で、こっちがスペイン語で、これはオランダ語で…」
「…………」
ご、ごめん。私って情報関連だけはマジチートだったし。
「……ど、どんな話が書いてるの?」
「うんとね……。あ、そう言えば“椿”の名前がついたお話があったよ」
「つばき……?」
「あ、これ。ちょっと古い文法のラテン語なんだけど、タイトルは何て訳すといいかなぁ。うん、日本語にすると」
これが二つ目の分岐点。運命の分かれ道。
私と椿だけじゃなくて――この国の全ての人にとっての運命の分岐路。
「……『椿切り姫』…かな」
その時、……太陽が少しだけ陰った気がした。少しだけ気温が下がった気がした。少しだけ……大気が怯えるように震えた気がした。
「「……………」」
私も椿も思わず口を噤み、少しだけ鳥肌の立った腕をさする。
「……なに…が?」
「……わかんない」
本当に何か分からない。何が起きたの? 良く分からないけど嫌な予感がする。嫌な時ほど私の勘は良く当たる。もう買い物は切り上げて早く帰ろう。
そう思い顔を上げると、公園の入り口から三人の大学生くらいの人がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
「……椿、逃げるよ」
「……え?」
驚く椿の手を掴み、私は全力で逃げ出した。あの三人を見てアレが見えた瞬間、力は使えなくても私はすぐに理解した。
あの人達……憑かれてるっ!