04 深見家
本日二話目。
斑の無い真っ白な大理石の廊下は、歩いただけでそこらにあるような薄っぺらな物でないと分かる。
格子目の高い天井から降りる本物のクリスタルで作られたシャンデリア。
巨大な広間に敷き詰められた毛足の長い真紅の絨毯……。大正時代の洋館を思わせる豪奢な装飾。
だが、そのどこにも窓だけは存在しない。
そこでは今、立食形式の夜会が行われていた。
何処かで見覚えのある人達。彩られた服装の上品な男女が飲み物を片手に歓談を楽しんでいる。
『今日はまた、黒きモノが多かったそうですね……』
『まぁ怖い……でも、ご神託の通りですのね』
『では、あのお方がお目覚めになるのも、そう遠くはないと…』
『急いてはいけません。我らは、それこそ親の代から待っているでしょう』
『だからこそ、……老いてしまう前にお目に掛かりたいわ』
『もうすぐですよ。…きっともうすぐ』
『あのお方さえいれば…』
『ええ、すべてはこの国の平和と繁栄の為に……』
そんな彼らを見つめる、深い群青色の瞳。
明るめの髪と端整な顔立ち。仕立ての良いフォーマルスーツを完璧に着こなしていながら、何処か違和感を感じさせる雰囲気が、この会場で彼の存在を浮いたものにしていた。
誰も話しかけたりはしない。
彼にも此処に居る人間と会話する理由がない。
必要な人間は、こんな“茶番”には参加しているはずがないと分かっているから。
壁の花宜しく壁に背を預け、偶に通りかかる給仕から飲み物を受け取り、一気に飲み干してグラスを返す。
ただそれだけを繰り返しながら、彼はジッと人々を見つめていた。
「村雨様、巫女様がお呼びになっておられます」
その彼に地味なフォーマルドレスを着た若い女性が、そっと語りかけた。
はっきりと……けれど彼にだけ聞こえるように。
「わかった」
村雨と呼ばれた青年が短く返すと、先に歩き出した女性の後を音もなく歩き出す。
窓のない広間を出て、窓のない廊下を進み、村雨が不意に口を開く。
「変わったことは?」
「特には何も。健やかでいらっしゃいます。……ぁ」
「何か?」
「いえ……夕方頃、お昼寝をされていた時、いつもより寝汗が多かったようで」
「そうか」
端から聞けばどうでも良い会話だが、村雨も女性も、それをどうでも良いとは思っていない。
真っ直ぐに続く窓のない白い廊下を数分歩くと、ゆったりとした白い服を纏う女性達が二人を緩やかな礼で迎え、大きな両開きの扉を開く。
「ムラサメがきたっ」
響いたのは幼い子供の声。
先ほどの広間よりも大きな部屋の奥から、巫女服姿の小さな幼児が駆け寄ってくる。
柔らかそうな黒のおかっぱ髪に、大きな瞳のまだ四~五歳ほどの小さな女の子。
村雨は駆け寄る彼女の前で膝をつき、他の者には見せない穏やかな笑みを浮かべた。
「巫女様、ご機嫌はいかがですか?」
「うん、よいぞ」
幼女は満面の笑みで、らしくない言葉遣いをする。
その部屋は、大量の絵本や、数えるのが馬鹿らしくなるほどのオモチャで埋め尽くされていた。
幼児が使うような物から、歳不相応なゲーム機、女児や男児のオモチャが脈絡性もなく、まるで“供物”のように置かれている。
“巫女様”。
彼女に名前はなく、産まれた時からここに居て、生まれた時からそう呼ばれていた。
巫女は村雨に答えてから、少しだけ眉尻を下げる。
「だがな……今日はすこしだけ、こわい夢をみたぞ」
巫女が抱っこをせがむように両手を伸ばすと、それまで巫女の側に居た二人の侍女が静かに下がり、村雨は巫女をそっと優しく抱き上げた。
「怖い夢…ですか? 悪い夢?」
「わるくないぞ、でもなにか“呼ばれる”かんじがした…」
「そうですか……」
「でもムラサメがきたっ、だから、もうへいきだっ」
「はい、巫女様」
兄妹のように――父娘のように巫女が甘え、それに村雨がそのように応える。
「そうだムラサメ、わるい子は、やっつけたか?」
「申し訳ありません。見失ってしまいました」
「そうか……でもムラサメならへいきだっ、ミコのためにやっつけてくれるのだろっ」
「はい、巫女様の為に。……この国の平和の為に」
村雨が優しく巫女の背を擦ると、巫女は満面の笑みで村雨の首に抱きつく。
「ムラサメっ、またお話をしておくれっ」
「はい、巫女様、今日はどのようなお話がよろしいですか?」
巫女はまた眉尻を下げて『う~ん』と悩んでからパッと顔を上げる。
「お姫さまのお話がいいっ」
「わかりました。……それでは」
村雨は巫女を埋まるほどの大きなクッションの上に下ろし、その横に腰掛けて話し始めた。
「本日は……『椿切り姫』のお話をいたしましょう」
***
「……知らない天井だ」
人生一度は呟いてみたい台詞を漏らして、私は静かに目を覚ます。
薄暗い部屋。薄い色の木張りの天井。鼻腔をくすぐるミルクのような仄かな甘い香りに視線を巡らすと、木と紙で作られた窓から月明かりが優しく注いでいた。
「……あれっ?」
ここまできてようやく私の意識が覚醒する。
「ここ……どこ?」
私は確か……日本に来て大きな繁華街を歩いていて――あ、ダメだ。思い出せない。
えっと、私の名前は“菜の花”で、年齢は……正確に言うと“三歳”か。見た目はプラス10歳だけど。
この部屋は何? これはタタミ……ワシツ…畳に和室か。勉強机に……小物を見ると古風だけど女の子のお部屋みたい。ってことは、この甘い匂い女の子の匂いかな? 寝ている間に男性に連れてこられた訳じゃ無いみたいだけど。
「…………」
何となく気になって自分の身体を調べてみると、服を着ていたことには安堵したけど胸元からお腹周りに掛けて服がボロボロになって地肌が見えていた。
でも上手いことに破れた布地が引っ掛かって大事な部分は見えていない。ポロリとしないサイズを喜ぶべきか悲しむべきか悩むところだ。
でも強引に破かれた感じじゃない。焦げてる? 爆弾テロでもあったの? でもその割には怪我どころか肌に火傷一つ負っていない。
う~ん、謎だ。このふかふかのお布団は心惹かれるけど、とりあえず他を調べてみようと立ち上がり――かけた瞬間に服を引っ張られて、顔面から畳に突っ込んだ。
「~~~~~~っ!」
鼻をしこたま打って声にならない呻きを上げる。
あれ、なんで? 身体が重い? いや、今のは、身体が何かに引っ張られたからだと思うけど……あっ。
「この子……」
全然気が付きませんでしたっ! 見知らぬ女の子が布団の脇で私の服を掴みながら、突っ伏すように眠っていた。
私、なんでこの子の存在に気が付かなかったんだろ? こんな近くに居たのに。私の感覚が鈍くなってる? さっきも身体が重くなったように感じた。
月明かりがあるのに暗闇が見えにくい。夜目が利かなくなっている。まるで身体能力が数段階落ちた感じ。
これって……私の中に在った【力】がごっそりと無くなってる。
「…………」
何かが起きた。多分酷い怪我をして、私はあの【力】を使って傷を修復した? 確かに力を使えば怪我の治りは早かったけど……。
「ダメだ。わからん」
わからないことは仕方ない。気にしないのが私の良いところ。
でも、一つだけ分かったことがあるの。
「……ふふ」
「……ぅん……」
これ程ドタバタしてもまだ眠ったままの女の子。頬を指先でつつくと可愛らしい声を聴かせてくれた。
きっとこの子が私をここまで連れてきて、着替えもしないまま私を看病してくれた。すっごく大変だったよね? 疲れたよね? 私が気付かなかったのは、無意識のうちにこの子の気配を信用していたんだ。
私と同じか、少し上くらいの綺麗な女の子。髪の色が月明かりに照らされて月のような銀色に見える。
「ありがと」
私は彼女の手から服を外してそっと立ち上がる。
真っ白な新品だったアオザイは、胸元だけでなく背中部分も破けていた。どうしたらこんな風に破けるの? まぁいいや。着替えが欲しいけど、パッと見て私の荷物も見あたらないから、多分どこかに落としたのかも。
さすがにポロリとしないサイズの私でも格好は気になるので、布団の上に置いてあった薄手のカーデガンを借りておく。
とりあえす現状確認だけしておこうか。この子は信用出来るとしても、何かあった時の為に脱出経路だけでも確認しておきたい。
今の私は【力】がほとんど無くなっている。本当に年相応の身体能力しか無い。多分だけど【瞳】の力も使えないなら、情報は自分で調べないといけない。
私はそろそろと動いて木と紙で出来た横引きの扉――フスマ?を開いて廊下に出る。素足に感じる艶ややかな木の床がひんやりとして気持ちいい。
このくらいなら数十年前の情報でも十分利用出来る。典型的な古い日本家屋。かなり大きいね。あの子ったらお嬢様?
廊下を先に進むと、ザラザラした壁と襖が木の戸板と障子に変わる。そこに――
「目が覚めましたかな。お嬢さん」
「……こんばんは、お爺さん」
戸板が開かれた縁側に、和服姿のお爺さんが正座をして静かにお茶を飲んでいた。
誰だろう? あの子のお祖父さんかな?
「こちらに座って、茶でもいかがかな? 生菓子もありますよ」
「戴きます」
悪い人では無いと判断して、お祖父さんの横に敷かれた座布団に座る。けして生菓子とやらに惹かれた訳では無い。
「……菜の花と申します」
「これはご丁寧に。ここの家主で深見千丈と申します。見たところ外国の方かと思いますが、綺麗な所作でございますな」
速攻で探りを入れられた。なんやかんやでパスポートがないと知られたら結構面倒なことになりそうだ。
情報があるから正座も普通に出来るけど、さすがに日本人とは見てくれないか。
「粗茶ですが」
「っ! …どうも」
唐突に背後からもう一人――高校生くらいの和装の少年が、静かに湯気の立つお茶を出してくれた。……気配を感じなかったよ。
綺麗なお庭を見ながらお茶で口を湿らせ、私はゆっくりと息を吐く。
「ニッポンのことは勉強しました。古い知識で少々戸惑っていますが。それと……介抱して戴きありがとうございました」
「いやいや、孫娘があなたを連れ帰った時は驚きましたが、お怪我がなくて良かった。礼なら孫娘の椿に言ってください」
あの子の名前は“椿”か。何だか凄く……
「しっくりするお名前ですね」
「そうでしょう。私もあの子を見た時、すぐにこの名前が浮かびました。あなたのお名前、菜の花さんもとても良くお似合いですね。“日本語”ですが……」
「……ありがとうございます」
無国籍っぽい顔立ちを活かしてすぐに馴染む為に、その国の言語で名前を名乗っていたけど、単一民族国家だと奇妙になるかぁ。失敗した。
さすがにこのままだと拙いかなぁ。いっそのこと本当のことを話しちゃおうか。
『私はヨーロッパの田舎から三年掛けて一人旅をしている国籍の無い女の子で、この国にも不法入国してきました』
胡散くさっ! 事実のほうが嘘くせぇ。
さてどうしようかと考えていると、廊下の奥からバタバタと走る音が聞こえてきた。
「あっ、居たぁ……」
あの女の子――椿だっけ? 慌てたように走ってきた彼女は、私を見つけると力が抜けたようにその場にへたり込む。
「これ、椿。廊下を走るでない」
「は、はい、お祖父様。ごめんなさい……」
これは良いタイミングで――と思わなくは無いけど、それ以上に私は彼女にお礼を言いたくて座布団から腰を浮かせる。
「えっと、椿さん? あなたが私を助けてくれたのですよね? ありがとうございました。私は菜の花と言います」
「え、あ、はい、椿ですっ」
綺麗系なのに、あたふたと返事をする彼女が可愛らしくて思わず笑みを浮かべると、椿の顔が急に赤くなった。
「ごめんさない。カーディガン借りちゃいました」
「大丈夫ですっ! 着てない服とか沢山ありますから、何でも着て下さいっ!」
「そ、そうなの?」
何でもって……そんな長居する訳にはいかないし、この子、何でこんなにテンション高いの?
可愛いお孫さんですねぇ、とお爺さんのほうを見ると、千丈さんは少し驚いたように孫娘を見つめ、お兄さんも驚いた顔をしているけど好意的な笑みを浮かべていた。
そんな私の視線に気付いたのか、お爺さんが温和な笑みを私に向けてから椿に向けて声を掛ける。
「椿や。この菜の花さんは海外からお勉強に来ているそうだ。その間、この家に逗留して戴くが、椿は構わないな」
「「え?」」
思わず私と椿の声が同時に漏れる。私は困惑でだけど。
お爺さん、どういう思惑でそんなことを言うの? 自分で言うのもなんだけど、こんな怪しい人間は滅多に居ないよ?
……このお爺さん、どこまで分かっているの?
意識を失っていた人間にすぐ出て行けとは言わないでしょうけど、連れてきたこの子も困るのでは?っと思って、チラリと椿を見ると。
「…………」
椿は、何かを期待するように真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。
昼間よりも夜にこそ美しく輝くような、琥珀色の薄い色合いの瞳……。
月の光を浴びて銀色に染まる髪は宝石のような美しさではなく、研ぎ澄まされた刃のように、魅入られてしまうような感覚を覚えて思わず引き込まれそうになる。
あ、ダメだ。この子のこんな顔を見たら断れない。
誰も困らないけど何か嵌められたような気がしてお爺さんを軽く睨むと、千丈さんに茶目っ気のあるウインクを返された。
「……お世話になります」
もう私に出来ることは両手を挙げて降参するしかなく、私はこの日から深見家に厄介になることになった。
この物語は、“菜の花”と“椿”の二人の視点から語られます。
虐殺殺戮シーンは三人称の予定です。
次回タイトル 『 運命の分岐路 』