『お伽話 椿切り姫』 後編
東方辺境伯であるお父様とお母様には実子が居らず、ユア姉様を含めた兄弟四人が全員、拾い子か孤児であると聞かされた。
二番目と三番目になる双子の兄様と姉様も、ユア姉様が見つけてきたらしい。
私の名前もユア姉様が付けてくれた。
カメリア。この国で“椿の花”を表す言葉。
一度だけ、お父様達がどうして私達のような子を家に迎えてくれたのか尋ねたことがあった。
この国は元々、古き【フェーシルの民】が暮らしていた地で、お父様はフェーシルの民の子を見つけて保護していたらしい。
前触れもなく、突然現れる子供。それが【フェーシル】の証だと言った。
ユア姉様も、双子の兄様と姉様も、私と同じだと言っていた。
それに何の意味があるのかは分からない。
でもそんなことは関係なかった。私達は確かに家族であり、私は涙が出るような暖かさと幸せを噛みしめていた。
それでも一つだけ不満はあった。
ユア姉様は黒い髪。兄様も黒髪でもう一人の姉様は白い髪をしていたけど、皆とても綺麗な宝石のような髪だったのに、私だけがくすんだ鉄のような髪色をしていた。
ユア姉様のような美しい黒髪になりたかったと泣く私を、姉様は自分の膝に乗せて、優しく微笑みながら髪を撫でてくれた。
『可愛い可愛いカメリア。私はあなたの髪が大好きよ。あなたは私の髪が宝石のようだと言うけれど、カメリアは名工が創り上げた芸術品のように美しいのだから』
大好きよ、と姉様は言ってくれた。
私も…双子の兄様も姉様も、ユア姉様のことが大好きだった。
誰かに愛されて、誰かを愛おしく思う、焦がれるような夢のように優しい世界……。
暖かな優しい家族。私はこの夢のような世界が永遠に続くことを神様に祈った。
それなのに……
そんな優しい世界はたった数年で、この国を襲った病魔と、たった一人の“女”の為に崩れ去ってしまった。
*
「この女を神に生け贄として捧げれば、神に許されます。さあルキウス様、この者達の処刑をっ!」
クロエの声に集まった民衆から、地響きを立てるような歓喜の叫び声が上がる。
「お待ちくださいっ、私はどうなっても構いませんっ! 妹は……カメリアはお許し下さいっ!」
「姉様っ! いけませんっ!」
私は姉様の声にハッとする。
まだ記憶は混乱していたけれど、だからこそ私は姉様を助けたいと強く願った。
あんな思いは……もうイヤ。
「どうかっ! どうか姉様の代わりに私を処刑してくださいっ、姉様を助けてっ!」
「何を言うのですカメリアっ! ルキウス様、どうかこの子の命だけはっ」
「二人とも許される訳がないじゃない。東方辺境伯家の者は全員処刑よっ!」
ルキウス様が何か言うより先に、クロエがそう声を張り上げた。
この女は最初から私達全員を許すつもりなどなかったのだ。
そんなことが本当に【神】の言葉だと言うのか。
こんな時に武勇で讃えられた双子の兄様と姉様がいらっしゃれば、と思わずにはいられない。……いえ、きっとお二人が居ると邪魔をされると思い、居ない時を見計らって私達を処刑するつもりだったのでしょう。
こんな世界も……神も……狂ってる。
「……分かった。兵達よ、ユアを処刑台へっ!」
ルキウス様の声に、兵士達がユア姉様を立たせて処刑台へ連れて行く。
「姉様っ!」
「あんたはあの女の後よ。良く見てなさい。これから私の“物語”が始まるんだから」
飛び出しそうになる私を、クロエが後ろから髪を掴んで地面に引きづり倒した。
「……ね……ねえさま…」
「民達に聖なる“火”を与えよっ!」
立ち上がった王陛下の声が響き、兵士達が民衆に火の付いた松明を配り始める。
民衆の手による魔女の処刑。
罪を私達に押し付けて、火炙りにして民衆の怒りを抑えるのでしょう。
「姉様っ、姉様ぁあっ!」
私の叫びは誰にも届かない。
陛下が腕を上げて振り落とされると、同時に民達が処刑台にくくりつけられた姉様に向かって一斉に火を投げ放った。
「ねえさまぁああああああああああああああああああっ!」
油を撒かれた薪に火が付き、炎が姉様を包み込む。
どうして……どうして? どうして姉様がこんな目に遭わなくてはいけないの?
王と王妃の、どこか安堵したような顔。
誇らしげに笑みを浮かべる兵士達。
姉様を罵り、笑顔で歓喜の声を上げる民衆……大人、子供、老人、男、女達が炎が燃えさかる様に皆一様に笑顔を浮かべていた。
その中で高らかに嗤うクロエの声。
みんな……狂ってる。
そんな中で、炎に包まれ消えそうになるユア姉様の瞳が私を映して、最後にその唇が小さく動いた。
『……ごめんね……カメリア……ごめん…ね……』
「………ねえ……さま……」
姉様……謝らないで。姉様……泣かないで。どうして……どうして……
リィンカラァン…と遠くから教会の鐘の音が聞こえた。
姉様が消えていった炎を、私は身動きも出来ずにただ見つめる事しかできなかった。
「さあ、次はあんたの番よっ」
「……待て、クロエ」
私の髪を掴んで立たせようとするクロエをルキウスが止めた。
「その娘はただの連座だ。せめてもの情けだ。自害せよ」
私の前にルキウスが持っていた儀礼用の細剣が抜き身で転がった。
「ルキウス様がそう仰るのなら……」
クロエはそれを見て若干不満そうにしながらも、予定とは違った新たな趣向も愉しめそうだとほくそ笑んだ。
「…………」
碌に刃も付いていない鉄の塊が、歪んで私を映す。
それはまるで醜い私の心を映し出しているようにも見えた。
…………憎い。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、全てが憎いっ!
許さない……
誰も許せるものか、何も許せるものか、
絶対に許さないっ! 誰一人として許すものかっ!!!
《―――――――そうだ―――――――》
どこからか……心の奥底から響くような【声】が聞こえた。
《―――――――解放しろ―――――――》
《―――――――掴み取れ―――――――》
《――――お前の強さは―――――その怒りの中にある――――――》
それは神の言葉か、悪魔の囁きか……。でも、そんな事はどうだっていい。
歪んだ鉄の刃に映る私の琥珀色の瞳が月のような銀色に変わり、私が見える世界から色が失われた。
「小娘、貴様っ、ルキウス様の慈悲を無視するとは何事かっ!」
ルキウスの近衛の一人が、怒声を張り上げながら剣を抜き、私に近づいてくる。
……ああ、ユア姉様。
「聞こえて、……ッ」
…………ポトリ。
あなたに……“花”を捧げましょう。
*
カメリアのその“技”を、何人が理解できただろうか。
手枷を付けられた幼い少女が、拾い上げた細剣を横手に振るっただけで、近衛兵士の首を斬り落としたなど誰が信じられるだろうか。
その少女が、ゾッ…と寒気がするような感情のない顔で立ち上がり、切り落としたばかりの首を、燃えさかる炎の前に“花”のように供えた時……
「……きゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
クロエが悲鳴をあげると同時に、遅れて首無し兵士から血が噴き出し、その場は混乱と恐怖に彩られた。
「き、貴様ぁあああっ!」
「斬れっ! 殺せっ!」
同僚を殺されたとやっと気付いた近衛兵士達が、剣や槍を構えてカメリアに襲いかかる。
「………」
………ポトリ。
手枷のまま緩やかに振るうカメリアの剣が、五人の兵士の首を苦もなく斬り落とす。
剣技・ツバキ落とし。
前世で何千回と行った見取り稽古。
何も持っていない少女の魂にまで刻まれた、達人の技。
首無し死体から吹き上がる返り血に赤く染まり、滴る血が血の涙のように頬を伝う、その瞳に燃え上がった尋常でない憤怒と憎悪の炎に誰もが息を飲んだ。
肌に触れる風の暖かみさえ真冬の刃に変わったかのように、お日様の光さえ暗闇に飲み込まれたかのように、心臓を直に握られるような、人であり得ない膨大な殺気を放つ小さな少女の姿が、人々には巨大な死神のように見えた。
ヒュン……ッ。
疾風のように飛び出したカメリアの剣が、近くまで迫っていた十数人の兵士の首を、一瞬で斬り飛ばした。
迷いはない。躊躇はない。容赦もない。
愕然としたような表情を張り付かせた首が宙を舞う中、カメリアは次の獲物を求めて駆け出していた。
「ひぃっ!?」
貴族席に飛び込んだカメリアが、太った貴族とその娘らしき令嬢の首を同時に斬り落とし、吹き上がる血を貴族達に浴びせた。
悲鳴をあげて我先に逃げ出そうとする貴族達を、血塗れの旋風が容赦もなくその首を斬り飛ばしていく。
老人でも女子供でも関係ない。
咄嗟に腰の剣を抜いて受けようとしても、首を護るように竦めて両腕で頭を抱えても無駄だった。木の杖で枝が切り落とせるのに、儀礼用とは言え鉄の剣で切り裂けない物があるのだろうか。
「ま、まて、」
その刃が、王陛下と王妃の首を躊躇もなく斬り落とす様を見て、唖然として硬直していたルキウスが驚愕に目を見開いた。
「貴様ぁあああああっ、よくも父上と母上をっ!!」
自分がやった事さえ忘れたようなルキウスの声に、カメリアの殺気が大気さえ黒く染めるように膨れあがり、鉄の剣がルキウスの右腕を骨ごと縦に斬り裂いた。
「ぐああああああああああっ!!」
己のした結果を見届けろ、とでも言うように、のたうち回るルキウスを冷たく見下ろして、カメリアは次の標的に目を向ける。
「ひぃあああああああああああああああああああっ!?」
ガチガチと歯を鳴らしながら悲鳴を上げて、クロエがもつれるように四つん這いで逃げだそうとしていた。
その後ろに、憎悪の殺気を撒き散らしながら、死そのもののようにカメリアが迫る。
「いやぁああああああああああああああああっ! 助けてぇえ! 助けてぇええ!」
恐怖で涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、クロエはまだ殺気に縛られていた民衆達のほうへと逃げ込んだ。
クロエが民衆の中に飛び込むのと、追いついたカメリアが前列にいた民衆数人の首を切り飛ばしたのは同時だった。
幾つもの首が宙を舞い、まるで劇を見ているかのような惨劇に、心が麻痺しているのか、頭がまだ追いついていないのか、誰もクロエを助けることもせず、追いついたカメリアがクロエの髪を後ろから掴んで引き戻した。
「いやぁああっ助けてっ! 許してぇえええええええええっ!!!」
カメリアはクロエの顔を上に向けると、そのまま恐怖に引き攣る首を、真正面から断首台の囚人のごとく斬り落とす。
最後に見たカメリアの瞳に何を見たのか、激しいの恐怖のせいか老婆のような形相の首を蹴り上げたカメリアは、それを宙で縦に両断するとそのまま真横に斬り裂いた。
宙で四断された血と肉片が飛び散り、民衆の顔にへばりつくと、ようやく悪夢が現実だと理解した民衆が、獣のような悲鳴をあげて一斉に逃げ出し始める。
処刑に参加するつもりだったのか、民衆達は農具や工具のような物を武器替わりに持っていたが、誰もそれを振るおうなど考えもしなかった。
一瞬でも足を止めれば、何もすることが出来ずに首を斬られた。
一方的な殺戮。阿鼻叫喚の地獄絵図。
恐怖は伝染し、恐慌状態になった民衆が逃げ惑い、追いつかれ、首を斬り落とされて血の海に沈んでいく。
カメリアも無傷ではなかったが、兵士達の放つ矢が頬を掠めようと、肩に刺さろうとも刃を降り続け、気がつくと動いている人間は誰も居なくなっていた。
血に染まる大地に落ちた、数百人分の転がる首と、首無しの死体。
その中に佇むカメリアを、ただ一人生き残っていたルキウスが真っ青な顔で、地獄のような恐怖に震えながらただ見つめていた。
「………ねえさま…」
パキン……と、手枷が割れ、限界に達した鉄の剣も半ばから折れて、地に落ちる。
広場に生えていた、一本の木に咲く椿の花を見つめて、カメリアが泣きそうな声を漏らした。
まだ終わらない。まだ終われない。
遠くに見える城から残りの兵士達が迫ってくる様子を見て、カメリアは折れた剣を捨てると、民衆が残した剪定用らしき二本のノコギリを拾い、両手に構える。
終わらない。終われない。
この国のすべての“花”を姉に捧げるまで……終われない。
――カァンコォンと鳴る鐘の音――
――キリ…キリ…と鳴る固い音――
――シャララと奏でる乾いた音色――
――椿の姫が掲げるは、鉄色の刃――
――月のごとき銀色の瞳に映るは、ノコギリの刃――
――あの人へ捧げよう、椿の花を――
――銀の瞳に映るだけ……目の前にあるだけ切り取ろう――
――キリ…キリ…と鳴る固い音――
――シャララと奏でる乾いた音色――
――銀の瞳に映るだけ……――
――椿の花をあの人へ捧げよう――
その日から一月が過ぎて……この国からすべての人が居なくなりました。
みんな首を切り落とされて。
花椿のように、ポトリと落ちて……。
わずかに生き残った人達は隣国へと逃げました。
隣国に保護されたルキウスは、恐怖から老人のような外見になり、夜になると聞こえてくるノコギリの触れあう音に怯え、一生部屋から出ることなく、暗闇の中で狂っていきました。
それから周辺の国々では夜を恐れるようになり、民達は子供達にこう話すのです。
――嘘をついてはいけません。欲に溺れてはいけません――
――悪い子はすぐに遠くへお逃げなさい――
――良い子も朝までベッドに隠れなさい――
――今夜、おまえのところに……――
***
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあぁ………」
豪雨の中、血の涙を流しながら絶叫していた少女が、壊れたように力尽き、雨と泥の中に崩れ落ちる。
小さな少女の身体を豪雨が打ち続け、怒りと憎しみと悲しみだけに満ちていた心を、空白に洗い流していく。
少女は何も知らない。想い出も……自分の名前さえも……。
公園の小さな生き物は何かに怯えるように息を潜め、雨に打たれ続けた椿の木から、真っ赤な椿の花がポトリ……と落ちた。
――カァンコォンと鳴る鐘の音――
――キリ…キリ…と鳴る固い音――
――シャララと奏でる乾いた音色――
――悪い子はすぐに遠くへお逃げなさい――
――良い子も朝までベッドに隠れなさい――
――今夜、おまえのところに……――
――椿切り姫がくるよ――
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