11 失われた記憶 後編
激しい感情表現と、酷い惨殺シーンがございます。
その男は50年ほど前、北米の片田舎に、突然“世界”に出現した。
まだ二~三歳だったが、言語や自分がただ一人しかない状況を理解できる知性はあった。それでも幼い身体が精神に影響し、不安からただ泣き叫ぶことしか出来なかった男は、その数時間後、『同族』と名乗る二人の若い男女に拾われた。
二人の男女は、自分達を『フェーシル』の生き残りだと教えてくれた。
こちら側の世界にただ一つ残された、人間とは違う『古代種』の一つであったが、この世界に『フェーシルの民』はもうほとんど残っていないらしい。
数千年前まで、この世界には人間の他にも幾つかの種族が存在し、実際に存在する数多の“神々”と共存していた。
それが三千年前、たった一人の少女によって世界のバランスは崩された。
フェーシルは半精霊のような存在で、人間からは永遠の寿命を持つ妖精族とも呼ばれていた。
それはフェーシルの外見が老いても変わらないこともあるが、フェーシルが死ぬと、その記憶と身体情報の半分を持ってこの世界に再構成されるからで、半分でも前世と同じ記憶と姿で生きるフェーシルは、人間達や他の種族からも神に最も近い種族だと敬われていた。
だが、三千年前、フェーシルの中でもっとも神々に愛されていた『黒髪の少女』と呼ばれる存在が神々を裏切り、呪われた。
神々の怒りは治まることなく、バランスが崩壊した世界は二つに分かれ、こちら側の世界から神々はいなくなった。
男を拾った男女は、フェーシルの衰退を神々に見捨てられたからだと考えていた。
神々を裏切った『黒髪の少女』が残した“書物”をこの世から消し去り、そしてこの世界にいまだにフェーシルとして転生し続ける『黒髪の少女』を殺し続けることで、神の怒りを解こうとしていたのだ。
男は転生したのではなく、この男女の願いによって世界に生まれたらしい。
フェーシルは願い、自分の存在を分け与えることで子供を作る。人間のように通常の方法でも子は作れるが、ここ千年ほどは通常の方法だとただの人間が生まれてしまう事からも、種族として限界近くまで衰退しているのだろう。
男女はその子に『スコール』を意味する言葉を名としてを与え、フェーシルが再び繁栄することを夢見て慈しみ育てた。
そしてスコールはその20年後。アリゾナで『カメリア』を意味する名を持つ一人の少女と出会うことになる。
***
「どういう事ですか、村雨様、ここにあのような者達を……」
「あの“お方”を目覚めさせるには必要なことだ。この供物の命を捧げることであのお方は本当に目覚められる」
巫女付きの女官は村雨のその後ろに、傭兵が抱えた気を失った少女を見て顔色を悪くする。
村雨は唐突に、あの“お方”を祀る地下の大空洞に外部の人間を連れ込んだ。
この場所は政財界の一部の者しか入ることを許されない場所だ。あのお方を目覚めさせる為に、古の禁書である『黒髪の少女の書』を持ち込んだことで、それから二十年以上もここの管理を任されている村雨とは言え、これは越権行為に相当する。
もしこの場に政財界の重鎮が供物を捧げに現れたなら、それを許した女官達も罰を受けることになるだろう。
「やあ、ムラサメっ、その子はまだ生きている供物かい、珍しいねっ!」
そこに空気の読めない神学者のニコラスがにこやかに声を掛け、傭兵達に物怖じもせずに近づいて気を失った少女を覗き込んだ。
「綺麗な黒髪だねぇ……まるで伝説の“黒髪の少女”みたいだ」
「……………」
そんな感想に村雨はわずかに眉を顰め、少女を隠すようにニコラスの前に立つ。
「特殊な供物だ、詮索はするな。これより地下で儀式を開始する。ニコラスは事が終わるまで外に出ていろ」
「なんだってっ!? 神学者の僕がどうして“新しい神”が目覚める瞬間に立ち会えないと言うんだ!? あり得ないだろっ!」
やはりと言うべきか、少々面倒なこの男に、村雨は説得する時間を惜しんで情報の一部を開示する。
「拙いことが起きた。あの【乱神】が介入してくる可能性がある」
「なん…だって……」
こちら側の世界から神々はいなくなった。だが五大神と呼ばれる大神や、一部の魔神はいまだにこちら側に干渉をしていた。
そのうちの一柱が【乱神】と呼ばれる神で、この世界で大きな乱れが起きたり大戦の影には必ず【乱神】の意図を汲んだ使徒の存在があったと言われる。
【乱神】の象徴は、『白い蝶』と『黒い蝶』だ。村雨はその白い蝶と思われる存在に接触してしまい、興味を持たれる前に撤退せざるを得なかった。
「……その為の彼らかい?」
ニコラスは村雨が連れ込んだ10名の傭兵に視線を向ける。
「それだけではないが……」
「まあいいさっ、僕はどこにも逃げないよっ! あの“お方”の力で蘇らせた供物も五百体はいる。彼らを好きに使ってくれたまえっ!」
「そうか……なら、儀式の準備を頼む」
傭兵達とニコラスにこの地を任せ、村雨は最後に“彼女”を説得する為に、静かに外へと足を向けた。
***
私とハナちゃんの“繋がり”が彼女の位置を教えてくれる。
涸れていた心が罅割れるように、少しずつ過去の記憶が戻ってくる。
それは三年前の記憶じゃない。それ以前の――数多の前世の記憶だった。
真っ黒なセーラー服のまま街を駆け抜けていると、突然自然の木々がある人の少ない場所に出る。都心にもビルばかりではなく、東宮御所や神宮外苑のような場所が多くはないけれど存在していた。
私はその場所で足を止める。……不自然なまでに人が少ない。何かが居る気配はあるのにその姿が見えない。
私は静かに視線だけを巡らし、遠くにあの私しか見えない巨大な“剣”を見て、思わず睨み付けた。
「……今はお前に用はない。【刃神】――」
遙かな過去に私に『強さ』を与えた存在――【刃神・御劔】――。
刃神はただ求める者に力を与える。お前は私に何を求める?
「………」
前方から砂利道を踏む音を聞いてそちらに意識を向けると、そこには街で襲われていた時に助けてくれた青年が、優しい群青色の瞳で私を見つめていた。
「カメリア……」
「…………スコール?」
記憶の底から彼の名が浮かんできた。そうだ……私は前に――前世で彼と出会った。
「記憶が戻ったのか……?」
「…………」
彼は優しかった。私に独りで生きてはダメだと言って、共に生きようと言ってくれた人……。
「もう……君が戦う必要は無い」
「……どうして――」
「カメリアだって分かっているはずだ。もう無駄だって」
――そんなことを言うの?
「もう呪いは終わる。俺が終わらせる。もうカメリアは独りじゃなくてもいいんだ」
静かに近づいて来る彼に、私は一歩下がって離れる。
「……ハナちゃんに何をしたの?」
「……神々が決めたことだ。何をしても変わらないんだ。俺はそれを少しだけ早めるだけだ」
「……そこをどいて、スコール」
私が威圧を込めて声を放つと、彼は傷ついたような悲しげな顔をした。
「カメリアは……俺達、“フェーシル”をどのくらい知っている?」
「…………」
スコールは静かに語り出す。突然世界に産み落とされるフェーシル。前世の記憶と情報の半分をもって生まれてくるけど、たった二人だけ違う者がいた。
「君と、あの“黒髪の少女”だけだ。君達だけが前世とまったく同じに生まれてくる。……忌まわしき“呪い”によって」
「……だからなに?」
「カメリア……君はまだ救われるんだっ。怒りと憎しみを忘れさえすれば、君は普通に生きられるんだ。もう独りで居る必要はないっ! 俺は君を――」
「……ふざけるな」
激しい怒りが私の声を震わせて、スコールの言葉も止まる。
「憎しみを忘れる……? 怒りを捨てる? ふざけるな、お前に何が分かるっ。あの人が何をした!? ただ生きたかっただけだっ! 私は救いたかった……私は救えなかったっ! 泣いてっ、苦しんでっ、無残に死んでいくあの人を、何度も見てきたっ!」
私の視界がまた銀色に染まり、キリキリとリボンが“ノコギリ”へと変わっていく。
「千と五百年だ……っ。私は千五百年、独りで戦い続けてきたっ! この世界が、神々があの人を傷つけ拒絶するのならっ!」
私は前に出てスコールの瞳を真っ直ぐに睨む。
「世界そのものが、私の“敵”だ……っ」
あの人を傷つける者はすべて私が殺す。例えそれが優しいスコールでも。
「「……………」」
私は無言のまま、固まっているスコールの横を通り過ぎる。
そのまま駆け出すした私の背から、小さくスコールの呟くような声が聞こえた。
「――そいつを止めろ」
周囲から姿を見せなかった物言わぬ人間達が一斉に襲いかかってきた。
子供、大人、老人、男、女、様々な人間達が素手や包丁などを手に向かってくる。
「………」
ヒュンッ!
ノコギリとなったリボンが、数人の首を一斉に斬り飛ばす。
だが数が多い。最大で13本のノコギリをかいくぐり、迫ってきた若い女の頭を掴んで、隣の男の頭にぶつけて頭蓋を砕く。
迫ってきた少年を蹴り抜き、ノコギリでその周囲の首を斬り飛ばしながら、少年に巻き込まれて倒れた老人の頭を踏み砕いた。
数秒で五十人は倒せたが、それでもまだ半分以上残っている。
「……っ」
首を斬り飛ばした瞬間に長い髪を掴まれ、そこに残った人間達が雪崩のように襲いかかり、私を人の波に押し包んだ。
――キリ…キリ…と鳴る固い音――
――シャララと奏でる乾いた音色――
群がっていた百人以上の人間達の首が、一斉に斬り飛ばれて宙に舞う。
血煙と血飛沫の中、血に塗れて立ち上がった私は、切り落とした腕がまだ私の髪を掴んでいるのに気付いて、長かった髪を首辺りで切り落とした。
私は全てを思いだした。私は――
「椿切り姫だ」
次回はさらに人が死にます。
次回、黒髪の少女。