10 失われた記憶 前編
「椿……、そろそろ学校に行く時間だよ?」
「……うん」
私、菜の花が目を覚ますと、最初に見えたのは心配そうに瞳に涙を溜めている椿の顔だった。
どうやら二日ほど目が覚めなかったそうで、深見家の掛かり付けのお医者さんの話では、身体に異常はないけどとても衰弱しているので、しばらくは安静にして療養するようにと言われた。
最後に覚えている記憶は高級そうな車に乗って、ペットボトルの水を貰って飲んだところで途切れている。
少し怪しい感じはしていたけど、あの水は薬入りだったかも? 窮地を脱したところで油断したね。平和な国だと思っていたのに……。
それにしてもあの状況はなんだったのだろう……?
突然三人組の男に追っかけられて、町の人が誰も助けてくれない。っと言うか、私達が見えていない感じだった。
途中で別れた椿が無事だったのはホッとしたけど、あれから椿がどうしてたのか、私がどうやって助かったのか、椿に聞いても言葉を濁して、ほんの少しだけど距離を感じてちょっと寂しい。
それでも椿は私に付きっきりで看病してくれた。
目が覚めてから三日が経って、私もようやく一人で家の中を歩けるくらいには回復したから、今日から椿も学校に戻るけど、心配そうな顔をしてなかなか出発しようとしない。
「大丈夫よ、椿。だいぶ回復したから。……ね?」
「うん……」
まだ不安そうな顔をしながら、椿は彼女を待っていてくれた秋乃さんと一緒に学校に向かう。
「………」
なんとなく……椿も察しているのかも。
私は、そろそろこの深見家を出て行こうかと考えている。結構迷惑を掛けたのもお爺ちゃんは気にしないで良いと言ってくれたけど、アレって多分、私のせいのような気がするのよね。
私は普通じゃない。人間かどうかも怪しい。三年前にこの世界に突然『出現』したなんて、どう考えてもまともじゃない。
そんな自分が何者なのか知りたくて旅をしてきたけど、この平和な家に何か起こったとするのなら一番怪しいのは私だ。
でも、椿に黙って出て行くのは心が痛む。人見知りっぽい椿は出会ったばかりの私に随分と依存しているように感じる。
大人の人は依存は良くない、自立しろと言うけど、私は人によりけりだと思う。
依存や固執は愛の大きさだ。それがない人間は誰も心から愛せない。その大きさが相手に負担となるのなら、その存在ごと護れるほど強くなればいい。
依存や固執が悪いように言われるのは、人が“弱い”から。
……まぁ、私も愛なんて良く知らないけどね。
「…んしょ」
怠い身体に気合いを入れて布団から起き上がる。どっちみちこの家を出るのはもう少し回復してからになる。
私の中にあったある種の【力】。街に出た時には、少しだけ回復していたのに、起きた時には完全に枯渇していた。
……多分、何かあの【力】を使わないといけない事態が起こった。
そして回復していた分だけでは足りなくて、何かを代償として何らかの【力】を使用した。
「………」
私は壁に手をつきながら部屋を出て廊下を進む。
今日はお爺ちゃんもお出掛けなので、この広い家には私一人しかいない。ご飯は椿や秋乃さんが用意してくれているし、冷蔵庫の中にある物は好きにしていいと言われたけれど、とても食べられそうにない。
「……椿が作ってくれた分は少し減らさないと拙いかな」
今日は一人だから助かっている。こんな姿はこの家の人に……椿には絶対に見せられない。
私はトイレに入ると、
「……けほ、かはっ」
便器の中が私が吐き出した物で真っ赤に染まる。
「けふっ」
唇を紙で拭い、吐き出した血と一緒に何度も水で流す。
私の身体は衰弱しているだけで“異常”はない。でも、私の身体がどうしようもない状況になっていると自分でも分かった。
多分……私は自分の『生命』そのものを代償にして【力】を使ったんだ。
できるだけ早く出て行かなくちゃ……。
私が死ぬ前に。
***
「道路封鎖が完了した。20分で解除される」
「オッケー、ジョン」
ゆっくりとした速度で走行していた何の特徴もないバンから、特徴のない服装の数名の男女が降りて音も無く行動を開始する。
都内の高級住宅地は昼間になるとほとんど人気がなくなる。通りかかるのは宅配便の車程度だが、それすら止めて彼らは大きな和風住宅の壁に沿う。
「リー、どうだ?」
「対人レーダーや防犯装置が山のようにあるわ」
「何とかなるか?」
「まかせて、ボブ」
東洋人の女が壁に何かを仕掛け、数分で一部の防犯装置を沈黙させると彼らはするすると4メートルはある壁を乗り越えていった。
彼らの容姿に纏まりはない。白人、黒人、アジア人、年齢も二十代から壮年までいる彼らは、日本語で話しながら事を進めていく。
彼らは“仕事”の時は現地語を使うと決まっている。互いを呼ぶ名称も、どこにでもあるような偽名であり、仲間内でさえ本名を知らなかった。
「目標、国籍不明、12~3歳の少女。黒髪、白い肌、赤い瞳」
西欧の傭兵部隊である彼らは、とある政治家の伝手から仕事を依頼され、四ヶ月前に来日した。
依頼内容は要人の警護と拠点防衛だが、他の仕事もしない訳ではない。
それが一般人少女の拉致でも、それに眉を顰めるような者は誰も居なかったが、今回の仕事は説明に疑問が残る内容だった。
本日、午前中8時半から10時までの間のみ、その対象の周りから誰も居なくなると『神託』があったと言うのだ。
今回の雇用主である『ムラサメ』――一番古株の傭兵は彼のことを知っていたらしく彼を『スコール』と呼んでいたが、彼は拉致に当たって傷つけてもいいが、けして殺すなと注文を付けた。
通常の方法で殺害しようとすれば、何かしらの邪魔が入る恐れがあるらしい。
正体不明の敵。時代錯誤な『神託』という言葉。国籍も戸籍もない少女。
あまり情報も開示されず、これが懇意にしている西側の政治家絡みで、通常の数倍の報酬がなければ不信感を抱いていたかも知れない。
「目標を補足。キッチンだ」
「各自、油断するな」
日本に来ている傭兵部隊の人員は12名だが、今回の拉致には半数が参加している。三人で充分だと思ったが、クライアントから対象が普通ではないと釘を刺されていたからだが、それでもたかが少女一人とわずかな油断があったのかも知れない。
『だれ?』
「ちっ、気付かれたっ、ケニー、ジム」
舌打ちをして三名が障子を突き破るように突っ込むと、それと同時に蓋の開いたサラダオイルが投げつけられてジムがわずかに足を取られた。
対象がパニックになって物を投げつけてくることもあるが、その寝間着姿の少女は、その瞬間にジムの足下をサラダオイルで滑るようにすり抜け、廊下に居た残りの二人に胡椒のような粉を投げつけた。
この少女は何者なのか? 大したことはしてないがあきらかに場慣れしている。
実際、慌てたのは彼らのほうで、このまま少女は逃亡してしまうかと思われたが、
「けふっ」
少女の膝が突然崩れ、口から血のような物を吐き出していた。
「このっ!」
それを見てリーと呼ばれた女性隊員が腹を蹴って少女を沈黙させる。
「リー、無駄に傷つけるなっ」
「殺さなければいいんでしょ? どっちにしろ意識は奪ったほうがいいじゃない」
「……撤収っ」
道路封鎖から12分15秒。傭兵部隊の5人はバンで待機していた隊員と合流し、無事に少女の拉致に成功した。
***
「ごきげんよう、椿さん。体調は戻りまして?」
「え、ええ、ご心配掛けました」
ほぼ一週間ぶりの登校となった私に、隣の席の同級生がおっとりとした声を掛けてくる。一般家庭の子も入学しているけど、やはり本物のお嬢様も在籍しているので、深見家に養子となっただけの私としては少しだけ反応に困る。
「お元気そうで良かったですわ。隣のクラスにいる友人のお父様も先週ご不幸に見舞われたとかで、何があるか分かりませんから」
「そうですね……」
担任の教師が入ってきて、クラスメイト達がお喋りを止めて席に着く。
クラスメイトとのお喋りは少しだけ苦手です。でもそれよりも、私は家に残してきたハナちゃんのことが気に掛かっていた。
ハナちゃんが使った不思議な力……。私の怪我もボロボロになった制服も一瞬で何も無かったように元に戻った。
私の壊れた身体も自力で治ろうとしていたけど、あの時治らなかったらどうなっていたか分からない。
でもハナちゃんには擦り傷程度の外傷しかなかったのに、あの時からとても弱って、実際影が薄くなったような感じがして怖かった。
それよりも目を離したら、そのままどこかへ消えてしまうように思えて、私はまた失ってしまう恐怖を感じて怯えている。
……そう、『また』だ。
私自身も夢の中のようで良く覚えていないけど、あの時の私は確かに超常的な何かの力を使っていた。
うっすらと何かを思い出しかけている。それが三年前以前の記憶なのか分からないけど、思い出したいと思うと同時に、思い出すことが怖かった。
私は以前、大切な『何か』を失った。狂おしいほどに、喉が裂けるほどに泣き叫び、私の記憶から消えていった。
「………」
でも……怖い。
あの日から私の目はある物が見えるようになった。
窓の外――遠くに見える高層ビル群の向こうに、山よりも巨大な鉄と銀で造られた、一本の“剣”が浮かんでいた。
霞が掛かるほど巨大で、幾重もの鎖に絡まれ、その鎖で大地に繋がれていた。
――私は、アレを知っている気がする。
けれどアレは、私の他は誰にも見えない。私の瞳の中にだけアレが存在する。
(……?)
遠くに見えて微動だにしない剣の鎖が、わずかに動いた気がした。
違う、何本かの鎖が位置を変えて……
ガタンッ!
「深見さんっ!?」
突然椅子を倒して立ち上がった私に、担任から声が上がる。
私は鎖の意味を唐突に理解した。あの鎖が移動していた方角には家がある。
まさか、ハナちゃんに何かあったの? 私がその考えに至った瞬間、ハナちゃんが口から血を流して気を失っている姿が脳裏に浮かんだ。
私の目に見える景色が銀色に染まる。
家の方角を見つめる私の背後で、クラスメイト達が怯えるように息を飲む様子が伝わってくるけど――
でも……もう、“ここ”へは戻らない。
私は窓を開け放つと、そのまま三階の窓から飛び降り、生徒達の悲鳴のような声が聞こえる中、私はある一点に向けて駆け出していた。
次回はあまりお待たせしないようにします。
次回、1500年の想い。




