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『お伽話 椿切り姫』 前編

お試しで二話分だけの投稿になります。

激しい感情の描写ございます。苦手な方はご注意ください。

それはよろしくお願いします。



 



 昼を闇色に染めるような、覆い尽くす曇天の空。

 遠くに霞む高層ビルの群れ。遠くから低く響く雷の音。

 誰も居ない、森のような大きな敷地の公園。

 春の風が、凍える冬の刃のように張り詰め……


 その【少女】は唐突に、この世界に出現した。


 少女は隠れていたのでも空から落ちてきたのでもない。何も無い【無】から、少女は唐突なまでにこの世界に生み出された(・・・・・・)。         


 簡素な作りの生成りのワンピースだけを纏った、まだ十歳ほどの素足の女の子。

 微かにくすんだ黒髪を風に靡かせながら、そっと静かに開いた琥珀色の瞳が、周囲の風景をセピア色に映して……


「……ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 少女から咽を引き裂くような、悲痛な叫びが零れた。


 ……ポツリ…ポツリ…と、天より降り始めた雨粒が瞬く間に豪雨となり、少女の叫びをかき消す。


『また、駄目だった』

 何が?

『また、救えなかった』

 何を?


 少女には何も無い。自分の名前さえも覚えていない。

 それでも心の奥底から沸き上がる、炎のような激しい怒り、燃え尽くすような果てしない憎しみ、そして実際に咽を引き裂き、血を吐きながら絶叫する慟哭の涙が、激しい雨に打たれて心と共に消えていく。


 心の中にわずかに残った、その思い出と共に……。


   *


 それはむかしむかしのお伽話。とある少女の千五百年前の昔話。


 リィンカラァンと鳴る鐘の音。

 キリ…キリ…と鳴る固い音。

 シャララと奏でる乾いた音色。


 一面に広がる黄金の麦畑。

 果樹園のリンゴから作られる果実酒の香り。

 花畑の丘にある教会の鐘が、一日の始まりと終わりを告げる。


 それは、とある小さな王国で起こった、千と五百年前の昔話。



「東方伯令嬢、ユアッ! 其方を断罪する時が来たっ!」


 この国の王太子であるルキウス様が“姉様”にそう言い放った。

 ざわめきと響めき……民達の叫び声の中で、木製の手枷を付けられた姉様は伏せられていた顔を上げて、ルキウス様に悲しそうな瞳を向けた。


「………そう……ですか」


 この国の東方辺境伯の第一令嬢ある姉様は、何の問題もなければ、成人の15歳となる来年にはルキウス様の元へ嫁ぐ筆頭婚約者でした。

 その姉様が、どうしてこんな目に遭わなければいけなかったの……?

 姉様とルキウス様は幼なじみのような間柄で、煌めくような黒髪の美しい姉様を、ルキウス様もたいそう気に入られていましたのに。

 その姉様の悲しそうな…寂しそうな瞳を見て、ルキウス様もわずかに怯む。

 ルキウス様も緊張しておられたのでしょう。断罪すると言ったその時も、姉様の愛称である『ユア』と呼んでしまっていたのだから。


 私の名はカメリア。ユア姉様の妹――東方伯四兄弟の末の娘。


「やっと罪を認める気になったかっ!」

「……いえ、私は何もしておりません」

「まだ偽るかっ!」


 ルキウス様の言葉に、集まっていた民衆から怒号や怨嗟の叫び声が上がる。


 事の起こりは、まだ十歳の私でも知っている。

 この国は一年と少し前から奇妙な病魔が蔓延していた。

 激しい下痢と脱水症状、そして体温の低下……。その病は人から人へと移り、沢山の人が亡くなった。

 旅商人を介して拡散したこの病は、あっと言う間にこの国全てに広まり、私達の住んでいた東方の領地も数多くの人が病によって命を落とした。

 それに心を痛めたお父様、お母様、私達家族は館を開放し、病人を受け入れて必死に看病をしてきた。

 そのせいで……お父様とお母様も病に冒され、すでにこの世の人ではない。

 優しいお父様とお母様……。私達兄弟は悲しみ泣き崩れた。食事も咽を通らず泣き続ける私達を、長子であるユア姉様が自分も泣きそうになりながらも抱きしめてくれた。

 それでも私達兄弟には悲しんでいる時間もなかった。私達は悲しみに耐えながらも病人達の看病を続けた。

 時に亡くなった病人の家族に口汚く罵まれようとも、時に親が亡くなった子供に石を投げられようとも、私達は民を救おうと足掻き続けた。

 それが死の間際まで民を心配していた、お父様達の最後の願いだったのだから。


 身体の弱いユア姉様とまだ幼い私は、病人達の看病を続け。

 丈夫な双子の兄様と姉様は、良い治療法があると聞いて隣国へと旅だった。

 いつか絶対、病が治まる日が来る。

 そう信じて必死に病に抗い続けたある日……、王都から、この病の原因がユア姉様のせいだと言う馬鹿げた噂が広がり始めたのです。


 火炙りをする為の公開処刑場。

 罪人の如く手枷を付けられて地に伏せる私達。

 王族と貴族達がそれを見つめ、家族を失いここに集まっていた怒れる民衆からは、呪いのように止まることなく、怨嗟の声が地鳴りのように響いていた。


 私達は東方の地から、何一つ申し開きの機会も与えられず、兵士達に捕らえられてこの場まで連れてこられた。

 私達が何をしたというの?

 どうしてこんな事になってしまったの?

 どうしてルキウス様や王陛下は、こんな馬鹿げた噂だけで私達を罪人だと言うの?


「ルキウス様、どうかお考え直しください。このような事をしても病魔は――」

「ええい、煩いっ! お前が原因であることは、ここにいる神子であるクロエから聞いているっ!」


 ユア姉様の声を大きな声で遮り、ルキウス様は傍らに居た、亜麻色の髪の女性の腰を強く抱き寄せた。

 神子・クロエ様。

 この方は、ユア姉様とさほど変わらぬお歳でありながら、この国の神殿に居られる、ただお一人の“司祭”様でいらっしゃいます。

 どうしてこのお方が“神子”と呼ばれているのかと言うと、クロエ様は神様の声を聴いて本物の【奇跡】を起こせる、神に選ばれた方だったからです。


 この世界には幾柱もの【神】が御座(おわ)しになります。

 クロエ様はその神様の【声】をお聴きになり、この恐ろしい病を【奇跡】により癒すことが出来ました。

 その数は一日に十人程と言う少ない数でしたが、病に冒されていた王妃様が癒されると、王家や王都に住む貴族達は彼女を讃え、自分や家族の命を優先して癒して貰う為にクロエ様の話を神のお言葉の如く聞き入るようになったのです。


 それでも私は、このクロエ様が好きにはなれませんでした。

 今も、その腰を抱くルキウス様に情婦のようにしな垂れかかり、姉様を見下すような笑みを浮かべているクロエ様を、どうして好きになれましょうか。


 美しい神子であるクロエ様に、ルキウス様も心を奪われているようでした。

 そして、一年前まで婚約者のいるルキウス様に身分違いの懸想をする神殿巫女の一人だった彼女が、たった一年でその立場を覆し、突然、筆頭婚約者だったユア姉様を糾弾し始めたのです。


 この国を襲う病魔の原因は、ユア姉様が神の怒りを受けているせいだと……。


 神様なんて……

 私が何度祈ろうと“カカサマ”を救ってなどくれなかったのに……。

 また(・・)、私から大事なものを奪うと言うのか。


「………ッ!」

 …………思い…出した。

 突然頭に流れ込んでくる、ここではない風景。

 混乱する頭の中で、私はその光景が、今ではない……カメリアとなる前の遠い場所での違う人間の記憶だと分かった。


   *


 遠い遠い違う国で産まれ、生きて死に飲み込まれた記憶……。

 金や赤や茶の髪が多いこの国とは違い、その国の民は黒い髪と黒い瞳を持ち、着る物も言葉も文化さえも違う、とても遠い国で“生きた”記憶だった。


 私は“オワリノクニ”と呼ばれる地で、豪族の六番目の妻の娘として生まれた。

 母様(かかさま)は娘の私から見てもとても美しく……儚い人でした。

 尊い血の生まれではなく、ただの農民の娘であった母様は、父様(ととさま)に見初められて半ば強引に妻として迎えられた。

 本来なら妻となる身分もない母様の美しさを惜しんだ父様が、母様より年上になる自分の息子達に手を出されないよう、無理に妻としたそうです。


 それでも大事にされていたのは数年だけでした。

 ただの美しい娘であったならまだ良かったのですが、私という“子”が生まれると、母様は館の奥方様たちから疎まれるようになったのです。

 奥方様達は、父様に新しい若い娘を何人もあてがい、母様と私を館から追い出し、敷地の外れにある納屋に押し込めました。


 私は父様のお顔さえ知りません。

 世話をする者さえ与えられず、奥方様に疎まれているせいで食べ物さえままならない生活の中、私達母子は生きてきました。

 そんな私達を不憫に思ったのか、庭師の若者が作物などを持ってきてくれなければ、幼子の私など、すぐにこの世から去っていたでしょう。

 それでも娘である私が美しければ、父様も目を掛けてくれたのかも知れません。

 思い出もない幼い頃、父様は私を見て『鉄の醜女』と吐き捨てたそうです。

 私の髪は生まれがながらに“鉄”のようにくすんでいて、みどりの黒髪を美しく結い上げる他の娘達とは比べようもありませんでした。


 母様は儚くて……とても弱い人でした。

 生家に逃げる勇気もなく、奥方様達に逆らうことも出来ず、強く生きる心さえ持てずに、現実離れした夢のようなことを言いながら現世から目を逸らして生きていました。

 それでも私のたった一人の母様です。たった一人の家族です。

 たとえその瞳に私が映っていなくても……。

 そうして私は五つになる前から、館の下働きの女や男達に頭を下げて、食べ物を恵んで貰うような生活を続けていました。


 ですが、そんな私にもたった一つだけ楽しみと呼べるものがありました。

 館には沢山の人が住んでおり、その中に父様の縁者である、剣術指南の爺様(じじさま)が居られました。

 ある日、爺様は庭にあるそれは見事な椿の木の前で、椿の花が咲く枝に杖を当てて、一人静かに佇んでいました。

 静かで……とても清廉な気迫を発する爺様に私が目を奪われていると。

 ポトリ……。

 爺様が杖を軽く動かしただけで、椿の枝が落ちるように切り落とされたのです。

 私はその光景に驚き思わず手を叩いてしまうと、初めて私が居たことに気付かれた爺様は、私を見ながら杖の先で落ちた椿の枝を突き、そのまま去っていかれた。


 その枝を片付けろと言われているのだと思い、私は木の杖で切ったとは思えない滑らかな断面を見せる枝を拾うと、大事に抱えて持ち帰りました。


 それからその次の日も、またその次の日も爺様はその椿の木の前に居られ、私が通りかかると、その枝を杖で切り落とす技を見せてくれるようになりました。

 毎日のように持ち帰る椿の花に気付いた庭師の若者に問われて、私がそのことを話すと、爺様が私の為に切ってくれているのだと教えてくれました。


 何も持っていない私の、心と瞳に焼き付いた鮮やかな技。

 それから何年か時が過ぎて、爺様が見せてくれるたった一つの“剣技”が、目を瞑っていても明確に思い浮かぶようになった頃……。

 母様が病に冒されたように、床に伏せるようになりました。

 その原因の一番の理由は、きっと心が弱くなったこと。

 私では父様に会うことも出来ない。助けを求めても奥方様に疎まれるのを畏れて、誰も手を差し伸べてはくれない。


 ある日、日々弱っていく母様に、庭師の若者が共に逃げようと言ってくれた。

 母様と私と若者の三人なら、どこか遠くでも生きていけると言ってくれたけれど、外で生きていくことを絶望している母様は、その言葉に最後まで頷くことはありませんでした。


 私は母様の看病をしながら、毎日神様に祈りを捧げた。

 あれほど通い詰めていた爺様と椿の木の所へも行かず、毎日必死に、神様に母様を助けてくれるようにお祈りをした。

 どうか、どうか、母様をお救いください。

 こんな髪の醜女の私で良ければ、この命を差し上げましょう。

 だからどうか、母様の命を助けて……。


 でも……その願いは、神には届かなかった。

 最後まで夢を見るようなことを呟いて……ある日、母様は私を瞳に映すこともなく、逝ってしまった。


 私は母様の亡骸に縋り付くようにして泣いた。

 何日も何日も……。

 飢えと疲労から気を失い目を覚ますと、母様の亡骸は、庭師の若者が敷地の隅に埋めて弔ってくれていた。

 その墓前で呆然と立ち尽くす私の前に、切り落とされた椿の花が二つ置かれていた。

 一つは母様に。一つは母を亡くした私に。

 それを爺様が持ってきてくれたのだと気付き、涸れていたはずの私の目からまた涙が溢れた。


 それからの私は、爺様が切ってくれた椿の花を、母様のお墓に供えることが日課となった。

 毎日……毎日。椿の花が咲く季節は、必ず椿の花を墓前に供えた。

 花が枯れて土に還るまで、何年も何年も……。

 そしていつしか……

 心が涙と共に枯れ果てた私は、母様と同じように床に伏せるようになった。


『この爺より先に逝くのか……?』


 初めて聴いた爺様の声。

 横たわりそっと目を開くと、爺様が悲しげな目をして私を見つめていた。

 その横には同じような目をした庭師の若者が、何か言いたげに顔を歪ませていた。

 ……いいのです。

 この私に情けを掛ければ、あなた方が奥方様から疎まれることになる。

 だから私はこれでいい。

 二人も看取ってくれる人が居るなんて、私は幸せ者です。


 でも……

 もしこの世に、生まれ変わりと言うものがあるのなら……

 次こそは誰かを愛して……

 誰かに……………愛されてみたい。


 そうして私の意識は闇に包まれ、最後に庭師の若者が叫ぶような声を聴いた。



 青い空にそよぐ風が頬に触れて……。

 気がつくと私は、一面に広がる菜の花畑の中に一人立っていた。

 どこか懐かしい、初めて見る景色。

 呼吸を忘れていたかのように息を大きく吸うと、見知らぬ風の匂いがした。


『………うああああああああああああぁんっ』

 何も知らない。何も覚えていない。

 ただ自分が“一人きり”だと言うことだけは、何故か理解できた。

 不安が膨れあがり、恐怖に押し潰されそうになって、私はまるで幼子のように声をあげて泣いた。

 いえ、実際に幼い子供だった。

 小さな手…小さな足……まともに歩くことさえままならない小さな幼子である私が、不安と心細さで泣いていると、不意に柔らかで暖かなものに包まれるのを感じた。


『ねぇ、どうして泣いているの?』


 優しい声……優しい瞳の女の子。

 その初めて感じるような温かみにまた大声で泣き出してしまった私を、その女の子はずっと包み込むように抱きしめてくれた。

 ユア姉様。それがあなたとの出会い。

 そしてその日から、私はユア姉様の“妹”になった。



 

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― 新着の感想 ―
悪魔公女からお引っ越し。 お伽話と称するにはショッキングな映像がありそうで、ドキドキだ。
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