第八章 犯人
第一節
幸いにも、町まで無事に帰ることが出来た二人である。
ただし、敵に見つからないよう迂回したせいで時間がかかり、空にはもう薄らと日が昇り始めている。
家人を起こさないよう、二人はそうっと屋敷に入った。
「つまり、あれが神隠しの主犯だな」
部屋に戻って、錬金術師が言った。
「少し壊れているように見えたけど、あの様子だと、おそらく兵装も生きているな。ヒヒの死体に在った銃創が、それを強く裏付けている。山に分け入った人間が帰って来ないのも、あれに殺られたせいだ。高度な感覚器を持つ俺たちだからこそ、遭遇せずに済んだんだ」
捲し立てた錬金術師が「ふう」と一息を入れた。
「動物が山を降りてくるのは、至極当然だな」
締め括って、錬金術師が椅子に身を沈ませる。
「この事実を、世間に公表しますか?」
「……いや、やめておけ。仮に市長やマチルダ達が冷静だったとしても、市民はそうはいかないだろうよ。唯でさえ、俺たちの存在で、みんな動揺しているんだ。パニックが起きることは、火を見るより明らかだな」
アリスの提案を錬金術師が否定する。
「アリス、念のために聞けどよ……。お前だけで、あれを倒せねーか?」
少し考えて、錬金術師が振った。
「私は、軍務にも耐えるほど強固な仕様です。人間の数十倍の膂力と反射神経を備えている上、直撃したとしても、小銃弾ごときで致命傷には成りえません。しかしながら、あくまで汎用性を重視して設計されておりますので……」
「お前にしては迂遠だな。もっとはっきり言ってくれ」
煮え切らない物言いに、錬金術師が業を煮やした。
「あんなの無理です」
アリスがきっぱりと答え直す。
「そうか」
錬金術師が肩を落とす。
「もっと最悪なことがあります」
アリスの口調は不穏である。
「何だ?」
錬金術師が聞く。
「あの種の兵器は、それなりに高度な人工知能を備えています。したがって、本来でしたら、人間のみを目標としているはず。ヒヒの例から見るに、無差別に攻撃を加えているとすれば――」
「暴走している?」
アリスの言葉を遮り、錬金術師が先を察して言う。
「その可能性が否定できません」
アリスが答えた。
「くそっ!」
錬金術師が悪態をつく。
「銃創を見た時から嫌な予感はしていたけど、よりにもよって装甲兵器って何だよ? 警備用のロボットくらいなら、まだ何とかなるというのに……。〝猿退治〟と言う言葉に、すっかり惑わされちまった! 単なる生態系の乱れと判断したのは早計だった。せいぜい変異生物の仕業かと、思い込んでいたんだ。これは完全に俺の判断ミスだ。あれを確実に斃すには、対物火器――ロケット砲か対戦車ライフルが必要だ。せめて爆発物さえあれば、もう少し戦略の幅が広がるかもしれないが……」
錬金術師が頭を抱える。
「どうなさいます? どなたかお仲間を呼びますか? いっそのこと、町から撤退することも視野に入れては?」
アリスが提案を出した。
魅力的な提案に、しばらく考え込んでいた錬金術師であった。
「いや、それだけは出来ない」
きっぱりと拒絶した錬金術師である。
「流石に看過できねーよ。今のところ、俺たちだけがあれに唯一対抗し得るんだ。人道的な見地からは勿論のことだけど、俺たちの名誉にかけても戦いは必定だ。そもそも既に死者が出ているんだ。ここも、もう安全じゃない。手をこまねいている間に、手遅れになってしまうだろうよ」
錬金術師が戦いを決意する。
「ですが、一体どうやって?」
アリスが聞く。
「忘れたのか? 過去に一度、あれを撃退したアイツがいるじゃねーか。俺たちも、アイツの手法に倣えばいいんだよ」
錬金術師が、荷物からいくつかの実験器具を取り出す。
「世間的には、俺たちは〝錬金術師〟なんだろ? その名に恥じないよう、無いのなら作ってしまえばいいじゃんか」
ビーカーと試験管を掲げながら、錬金術師は笑みを浮かべた。
第二節
言うが早いか、錬金術師が机の上に、実験器具を並べていた。
「あっ!」
作業の途中、思い出したかのように錬金術師が声を上げた。
「そう言えば、ここしばらく、お前のチェックを忘れていたっけか?」
「そろそろ頃合いですね。よろしくお願いします」
アリスは主人の問いかけに答えると、おもむろに服のボタンを外していく。
錬金術師も手伝おうとして、アリスの服に手をかけた。
その時である。
「おはよう!」
扉が勢いよく開かれた。声の主はマチルダである。
「いやあ、今日から数日間だが、やっと有給が取れたのだ! 今まで貴殿らを歓迎するばかりか、ほったらかしにしていて申し訳ない。そこで、今日はさっそく貴殿らと親睦を深めようと思ってだな……」
後半になるほど声のトーンを落としていくマチルダの視線の先には、あられもない格好をしたメイドと錬金術師がいた。
「と、取り込み中のところ、失礼した!」
慌てて頭を下げながら、マチルダが非礼を詫びる。
「どうぞ、ごゆっくり~」
マチルダは言い残して、扉を閉めようとした。
「……アリス」
錬金術師が口を開いた。
「はい」
アリスが答える。
「変な誤解をされたくはない。丁度いい機会だし、彼女を引きとめてくれ」
錬金術師の口調は、ひどくうんざりしたものであった。
「は、離せっ!」
アリスに襟首を引っ張られて、マチルダが叫ぶ。
「いや、見てない。私は何も見てないから! 仮に見ていたとしても、絶対に他言はしない! 約束する!」
「いえ、むしろしっかりと見ていただきたいのですが」
アリスが説得を試みる。
しかし、マチルダは意味を取り違えた。
「いやいや、私に複数でやる趣味はない! は、初めての時は二人だけでと決めているのだ。そもそも私の好みは、守ってあげたくなるような年下の美少年であってだな――」
焦ったマチルダは、性癖まで暴露してしまう。
「ほほう」
もがくマチルダを余裕綽々の怪力で引っ張りながら、アリスが興味深そうな声を出す。
「旦那様、マチルダ様はショタコンかつ処女のようで」
「アリス、その言葉は現代では死語だぜ。小児性愛という表現が最も近いけど、この場合厳密には違う。多分この時代だと、概念自体が消え去っている。ついでに言えば、そんなこと今はどうでもいいだろ」
アリスの分析に、錬金術師は突っ込みを入れる。
「な? どうでもいいとは何事だ!」
マチルダが見当違いな所に怒りをぶつける。その瞬間、彼女の力が抜けた。
「うわっ!」
アリスが期を逃さず、マチルダを部屋へ引き摺り込んだ。その勢いで以って、マチルダはベッドの上へ投げ込まれた。
部屋の扉がゆっくりと閉められていく……。
「さて、今さっきの光景について釈明したいんだけど――」
ベッドに倒れ臥したマチルダを見下ろしながら、錬金術師がそう言った時、再び扉が勢いよく開けられた。
「おっちゃんゴメン! 昨日言っていた土のことだけど、部屋の前に置いておくこと、すっかり忘れちゃって……」
謝りながら入って来たのはステラであった。その両手には、土の入った袋が提げられている。
しかし、そのステラの視線の先には、ベッドの上で慌てるように服装を整えているマチルダと、胸元がはだけているアリスがいるわけで――。
「ご、ごゆっくり~」
ステラが踵を返そうとする。
「逃がしません」
錬金術師の視線を受けて、アリスがステラを捕まえた。
「は、離せっ!」
服を掴まれながら、ステラが叫ぶ。
「見てないから! ホント誰にも言わないから!」
「いいえ、離しません。しっかりと見ていただかないと」
いつぞやのようなステラの懇願を、アリスが拒絶する。
「初めてが複数とか冗談きついって! そもそも私の好みは、包容力のある大人の渋いおじ様であって――」
マチルダと同じく、ステラが聞かれてもいない事を暴露する。
「姉妹だよな」
「姉妹ですね」
主従が揃って言った。
第三節
改めて、扉が丁寧に閉められた。
強引に部屋に連れ込まれた姉妹が、姿勢正しくベッドに座っている。
「えっとだな……」
錬金術師が口を開こうとした。
しかし、一連のやり取りで疲れた錬金術師は、鈍い頭痛を覚えて言葉を詰まらせた。そのまま「ふう」と眉間を押さえて項垂れてしまう。
「あの――」
錬金術師の様子を気遣って、マチルダが声をかけようとした。それを、錬金術師が片手を挙げて「大丈夫」と制止する。
「……こんな恰好のまま、事に及ぶとでも思ったのか?」
一息入れて錬金術師が聞く。姉妹が揃って気まずそうな表情を作った。錬金術師は一貫して、甲冑姿を崩していない。
「いや、その……。すまない」
「……ごめん」
マチルダとステラが揃って頭を下げ、申し訳なさそうに言った。
「まあいい」
錬金術師が謝罪を受け入れた。
「どうせ頃合いだしな。二人には、是非知っておいてもらいたい」
そのまま、錬金術師は話題を変えた。
それに反応して、姉妹が揃って顔を上げた。
「他ならないアリスの事だ。ひょっとしたら二人とも気づいているかもしれないが、こいつは人間じゃない」
「なにっ!」
「うそぉ!」
突然告げられた事実に、姉妹は動揺を隠せない。
「あれ? お前らも、これの異常な怪力を見ただろう?」
姉妹の過剰な反応に、錬金術師は意表を突かれた。
「秘術で強化しているとは聞くが、貴殿らはあくまで人間ではないのか? てっきり、そのアリスについても、そうだと思っていたのだが……」
マチルダが錬金術師に聞く。
「いや、俺は確かにそうだよ。でも、あくまで生身の体がベースさ。アリスのような芸当は、真似出来ない」
「しょ、証拠は? 証拠はあるの?」
錬金術師が答えると、ステラがマチルダに続いた。
「俺が人間だという証拠か?」
「そうじゃなくて、メイドの姉ちゃんが人間じゃない証拠!」
錬金術師がとぼけて見せるも、ステラは真っ直ぐに答えた。
冗談が受けなかった事に、錬金術師は「ええ……」と少し肩を落とした。しかし、すぐに気持ちを切り替える錬金術師であった。
「……了解した。アリス!」
「はい」
錬金術師が命じると、傍らで控えていたアリスが前に出た。
「二人を納得させちまおう」
「畏まりました」
主人に答え、アリスがおもむろに服を脱ぐ。
突然、上半身露わとなったアリスに、二人は揃って赤面した。
そんな姉妹の反応を意に介さず、アリスは背中を向けた。その肌は染みの一つもなく、白磁のように透き通っている。
姉妹はその後ろ姿に見入っていた。アリスのプロポーションは不自然なまでに完璧で、同性であっても見惚れずにはいられない。
「痛覚を遮断、メンテナンスハッチを開放します」
アリスが言うと、直線がいくつか柔肌の上に浮かんできた。
その光景に姉妹が驚いていると、錬金術師がアリスに近付いた。その手にあるのは、医療用のメスである。
「ちょっ……!」
「何を……!」
姉妹が止める間もなく、錬金術師がアリスの肌に刃を走らせた。直線に沿うように、刃はグイグイとアリスの肌にめり込んで行く。
一頻り切り終えて、錬金術師が傷に手をかけた。
皮膚がベロンとめくれ上がる。
痛々しい光景を想像し、二人揃って顔を背けた。しかし、「大丈夫だから、よく見てみろよ」という錬金術師に促され、やはり二人揃って恐る恐る目を開ける。
姉妹の視界には想像していたグロテスクな血肉と骨――ではなく、金属の骨格を基調に人工の管が走る、複雑な機械が映っていた。
「こいつの正体は、汎用型アンドロイド――もっと分かりやすく言えば、自分で考えて動く人形だ。古の遺物だ」
あんぐりと口を開ける姉妹に、錬金術師が説明を加えた。
「こう言った感じで、人工皮膚の下は、潤滑液を兼ねた耐衝撃が循環しているんだ。アリスの意志によって、必要とあれば、こうやって皮膚を剥がす事が出来るわけだな。もちろん、再びくっつけることも出来る。さらにこの下に見える、これこれ。可鍛性形状記憶セラミックのフレームだ。さらに言えば、高分子で出来た人工筋肉を主体とし、それを補助する超伝導ソレノイドが生み出すパワーは生身の人間は言うに及ばず、俺のような改造人間と比較してもだな――」
アリスの中身を指さしながら、錬金術師が熱弁をふるう。
当の姉妹は、完全に置き去りとなっていた。
第四節
その日の晩、マチルダは応接間で葡萄酒をひっかけていた。朝の強烈な出来事に中てられたこともあったが、何よりも動揺してしまった自分に腹を立てていたのである。
「まったく、自警団長の名が泣くぞ」
何事にも動じないことを、心情としているマチルダである。そもそもの話、錬金術師を家に迎えた時から、腹を括っていたのである。その証拠に、錬金術師たちが起こした喧嘩騒動を、マチルダは見事に処理してみせた。
「たかが人形一つ、動いたからといって何だと言うのだ」
しかし、頭の中では思っていても、朝の光景は姉妹にとって、衝撃的なことに変わりはない。
ステラに至っては、あの後部屋に籠ってしまったくらいである。
「ステラか……」
マチルダは、自分の妹に思いを巡らせる。
毎度、町を騒がせていたステラは、ここ数日ですっかり大人しくなっていた。徐々にではあるが家に居着くようになり、そのおかげでマチルダとの会話も増えてきたのである。
「あの錬金術師に、父親の姿でも見ているのだろうか?」
マチルダは思い出す。恐怖の人形メイドはともかくとして、ステラが錬金術師に見せる顔は、無垢な子供のそれであった。
別段、錬金術師たちがステラに何をしたわけではない。むしろ、当初は盗人として引っ立ててきたくらいである。男手が家にあるだけで、ステラの性格が丸くなったのだ。
「父親か……。いや、私自身がステラのことは言えんな」
マチルダが呟いたその時、誰かが居間にやって来た。
「じゅじゅじゅ、従者殿……」
マチルダは、上擦った声を出した。顔を見せたのは、混乱の張本人――アリスである。
「夜分失礼します」
アリスが頭を下げて続ける。
「今朝の件は、大変申し訳ありません。主に代わり、お詫び申し上げます」
頭を下げたままのアリスに、マチルダは困惑した。
いつも通り、表情が乏しいアリスであるが、確かにその言葉には熱意がこもっている。マチルダが普段相手にしているゴロツキより、よほど人間味を感じられるのだ。
酒精が回ったことも手伝って、マチルダの動揺が落ち着いていく。
「いや、驚くには驚いたが……。別段怒ってはいない。顔を上げられよ、従者殿」
「〝アリス〟で結構にございます」
マチルダが言うと、アリスが答えた。
「じゃあ、アリス。こっちに来て座らないか? 少し話をしたい」
「それでは、お言葉に甘えて」
マチルダが席を勧めると、アリスが承知する。
向かいの席に座ったアリスを見届けて、マチルダが空いている杯に酒を注いだ。
「あれ? そういえば、そなた、これは大丈夫なのか?」
酒を手渡したところで、マチルダはアリスの正体を思い出す。
「問題ありません。私は人間の食べ物でしたら、エネルギーに変えることができます。もっとも、特に必要という訳でもありませんが」
「そうか」
アリスの説明に、マチルダは納得した。
「それで、どういった〝ガールズトーク〟をご所望で?」
杯を揺らしながらアリスが言った。
「それは何だ?」
聞きなれない単語に、マチルダが首を傾げた。
「平たく申しますと、女同士の猥談にございます」
「ブハッ!」
唐突なアリスの台詞に、マチルダが飲んでいた物を吐き出した。
「ゲホゲホ……。いいい、いきなり何を?」
「今朝の誤解に対する、ささやかな意趣返しです。少々下品なお話で恐縮ですが、私も人形とはいえ、夜伽の相手くらいは務まりますので」
マチルダが聞くと、アリスが含みのある言い方をした。
人形性愛と片付けることは容易だが、マチルダの目の前にいるアリスは動いて喋っている。さらに言えば、この皮肉めいた言い回しは、並の人間と比べてもウィットにあふれていた。
そのおかげで、マチルダは割かしすんなりと、アリスの存在を受け入れることができた。
「あの時は……そうだな、確かに私の方が悪かった。ノックもせずに扉を開けたのは失礼だった。しかし、そなたたちの関係は、所謂男女の関係で間違いないのだろう? それは以前から思っていたことだ」
酒の勢いを借りて、マチルダは踏み込んで聞いた。
「そうお考えになった理由をお聞きしても?」
アリスが葡萄酒を啜りながら聞く。
「いや、そなた毎晩主と同じ部屋にいるではないか」
マチルダが言うように、アリスは毎晩錬金術師と同じ部屋にいた。二人の仲を勘繰るのも無理はない。
「ああ、あれですか」
アリスが思い出したように続ける。
「先にお断りしておきますが、私は旦那様と同衾したことは一度もございません」
「では、一体何を?」
アリスの答えに、マチルダが食い下がった。
「そもそも、私はアンドロイド――人形ですので寝る必要すらないのです。警護を兼ねて、旦那様が寝入った頃を見計らって入室し、起きそうな気配を察知しては、部屋を出ていく……。毎晩その繰り返しなのです」
「何故そのような手間を?」
アリスの不可解な行動を、マチルダは訝しんだ。
「それが旦那様からのご要望ですので、私からは何とも……」
そこまで聞いて、マチルダは錬金術師の持つトラウマを思い出した。
(あ、これはもう触れない方がいいな)
主従の関係を慮ったマチルダは口をつぐみ、再び葡萄酒を口に運んだ。
「それにしても、私には過ぎた旦那様です」
黙りこくったマチルダを置いて、アリスが主人の自慢を始めた。
「何年も私という女人を近くに置きながら、一切お手を触れようとなさらないのです。その主人としてのストイックな姿勢、従者として感銘を受けずにはおれません。私の知る限り、ご自分でお慰めになることもありません。これを自制と呼ばずして、何と言いましょうか!」
アリスの熱弁を聞いて、マチルダはもう少しで「そなたに植え付けられたトラウマのせいで、男性機能が云々」と指摘しそうになった。
「……いい主人なのだな」
出かけた言葉を飲みこんで、マチルダは当たり障りの無く締めくくった。
「もちろんですとも」
アリスが胸を張って答えた。