第六章 調査
第一節
それから幾日か経っても、調査は依然難航していた。
そんなある日の昼時である。マチルダの屋敷に宛がわれた部屋で、錬金術師は自分たちの起こした騒動について思い返していた。
二人を殺めた錬金術師たちには、取り消せない悪評が付いてしまった。
大男一人が命を取り留めたのは幸いであったものの、これでは聞き込みどころではない。主従の姿を見た市民は、みんなこぞって家へ引っ込んでしまう有様である。
錬金術師にとってのせめてもの救いは、マチルダの言葉である。
後始末に現れた自警団の中に居合わせたマチルダは、別段咎めるわけでもなく、ただ「気にするな」とだけ言った。
「どっちにしろ、大人しく捕まらない連中は、斬り捨てていた」
というのが、マチルダの言い分である。
(考えていても、仕方ねーよな……)
錬金術師は諦観して立ちあがった。そして、井戸の水で身体を洗おうと、屋敷の裏庭に向かって足を進めた。
使いに出ていて、アリスの姿は今はない。
「ん?」
見慣れない光景に、錬金術師が首を傾げた。
錬金術師の目は、湯が張られた窯を捉えていた。ついでに、近くに蹲る人影が一つあった。
「やあ」
人影が立ち上がりながら言った。
マチルダである。
一糸も纏わず湯浴みをしていたマチルダは、湯を手桶で組み上げては、身体に浴びせている。
その女性らしい豊かな胸と、鍛え上げられた見事なプロポーションは、見る者に官能的な刺激を与える。
「ああ、これは失敬」
しかし、錬金術師はハプニングに冷静な対処をとった。ごく自然な動作で、マチルダに背中を見せる。
「別に構いやしないさ」
マチルダが続ける。
「男だけの世界で頭を張っているのだ。見られることには慣れている。貴殿も洗いに来たのだろう? すぐに終わる。遠慮しなくていい」
「そうかい。じゃあ遠慮なく」
マチルダの言葉を着て、錬金術師は姿勢を崩した。
マチルダの存在など意に介せず、側のベンチに座り甲冑を脱ぎにかかった錬金術師。
「……貴殿、さては女慣れしているな? これでも、からかったつもりなのだが」
言葉に嫌味を混ぜる、マチルダである。
「いや」
錬金術師が手元を止めて、首を横に振った。
「それともあれか? 私の裸体は、そんなにも魅力がないのかな?」
湯浴みを終えたマチルダが、服を着替えながら重ねて挑発する。
「そんなことはねーよ」
錬金術師がニコリと笑った。
「お前さん、実に魅力的だと思うぜ。凛とした顔は十分に美人と言えるし、その身体にしても鍛え抜かれてはいるものの、決して女らしさを損なってはいない。客観的に見て、男なら誰でも見惚れる恵体と言って、過言じゃない」
錬金術師の堂々とした発言に、マチルダの方が目を白黒させる羽目となった。
「そ、そうか? ありがとう」
マチルダが少し動揺しながら、置いていたネックレスに手を伸ばす。
ネックレスは、指輪にチェーンを通したシンプルな物であった。
(これは適わないな)
錬金術師の大人な対応に白旗を上げながら、マチルダはネックレスを首にかけた。
「そう言えば」
錬金術師が口を開く。
「ステラはどうしたんだ? ひょっとして、俺たちに気を遣っているのか?」
屋敷に来てからというもの、錬金術師はステラとあまり会っていない。
「いや、これでも普段よりは家に居るのだ。まったく、客を放っておくとは、あの不良娘め。悪い連中と付き合ってなければいいが……」
マチルダが、錬金術師の懸念を否定しながら愚痴を零す。
錬金術師は「そうか」とだけ答えて、甲冑を脱ぎにかかった。ヘルメットを脱いで、顔を露わにした錬金術師は、胴体のボタンをいくつか押した。
排気音と共に、装甲がせり上がった。中から出てきた肉体は、身体に密着するスーツを着ていて、これまた、はち切れんばかりの筋肉で纏われていた。
ここにきて初めて、錬金術師が全身を現したのである。
「こんなものを着ていると、身体が鈍っちまうな」
錬金術師の言い分である。
その妙な言い方に気を回す暇もなく、マチルダは錬金術師をジッと見つめていた。
「いや、やはり違う。こんなに若いはずはない。そもそも、亡くなっておられるではないか」
またもやブツブツ言うマチルダに、錬金術師が「どうした?」と聞いた。
「あ、いや……。珍しいカラクリの甲冑だなと」
慌てて取り繕うマチルダである。
「宇宙――君たちが言うところの天上界で使われていた、宇宙服の一種だ。俺たちの切り札だよ」
錬金術師が答える。
「具体的には、どういう代物だ?」
マチルダが聞いた。
「論より証拠だな。持ってみな」
錬金術師は言いながら、籠手を外すと、それをマチルダにヒョイと投げ渡した。籠手は、長いケーブルが伸びて甲冑の胴と繋がっていた。
「う、重い」
籠手の重さに、マチルダが呻いた。
「少しサイズに不安があるが……。嵌めてみればいい」
錬金術師が促す。
「分かった」
言われるままに、マチルダが籠手を手に嵌めた。中はひんやりとしており、一瞬汗で湿気っているのかと思えるほどであった。しかし、能動的に手に纏わりつくジェルのヒンヤリとした感触に、マチルダは認識を改めた。
筋電位測定用のジェルが、腕に自動的に纏わりついたのである。籠手のサイズが自動にカシャカシャと調節されて、マチルダの腕に完全にフィットする。
「ほう」
マチルダが感嘆した。肘から先が重いことに変わりはないが、着け心地は抜群であった。
「凄いな。これなら何時間、いや何日でも着けていられるぞ」
マチルダが感心する。
「いやいや。いくらなんでも、トイレに行く時とか寝る時は外してるんだぞ」
頭を洗いながら、錬金術師が言った。
「じゃあ、ちょっとその手で、そこの木の幹でも思いっきり掴んでみ」
錬金術師に勧められ、マチルダが庭木の幹をガシッと掴む。
幹が大きく抉れて、「おおっ!」とマチルダが慄いた。
「簡単に言えば、着けると強くなる甲冑だな。ついでに言えば、剣や槍なんて全く通さない。宇宙――天上の世界っていうのは、君たちの想像とは正反対に、過酷な世界なんだぜ」
錬金術師が締め括った。
その光景を、塀の上から覗いている者がいたことに、錬金術師だけが気付いていた。
第二節
居間で向い合せに座って、茶を啜るマチルダと錬金術師である。
マチルダがカップを持ち上げた時である。
「うっ……」
腕に走った痛みに、マチルダが呻いた。
「痛むか?」
「……少しな」
錬金術師が察して、マチルダが答える。
「俺たちが体を強化するのは、あれを着るためなんだよ。生身だと、甲冑の出すパワーに骨や関節が耐えきれない」
錬金術師が説明する。
「なるほど、確かに貴殿らの秘密は見届けた」
言って、マチルダがカップをテーブルに置いた。
ちなみに、今の錬金術者は平服姿である。錬金術師にとって、アリスのいない時間は貴重であった。
「あれを着てやっと、俺はアリスと互角なんだ。生身の俺は、なんともか弱いものさ」
「そうか……」
含蓄深い錬金術師の物言いに、マチルダは返事を返せない。
マチルダも武人である。屋敷に招く途中で錬金術師が匂わせた葛藤が、何となく理解できたからである。
気の利いた台詞を考えながら、マチルダは錬金術師を横目で観察した。
(そう言う割には、強化がどうだの、筋肉ダルマだったりと、ずいぶん強そうではないか)
内心で思ったマチルダであったが、口には出さなかった。その代わり口から出たのは、話題の転換である。
「それはそうと――」
マチルダが話を振る。
「確かに、貴殿の事情はよく分かった。しかし、あのメイド――アリスとか言ったか? 彼女ついては、どう説明するのだ?」
アリスは錬金術師の言うところの、パワード・スーツを着ていない。人間らしからぬ所業を重ねている癖に、終始一貫してメイド服である。
「ああ、あれは実は――」
錬金術師が言いかけた時、「もしもーし!」と、誰かが屋敷を訪れた。扉をドンドンと鳴らして、しきりにマチルダを呼ぶ声が木霊する。
「部下たちだな」
マチルダが言う。
「何かあったのか?」
錬金術師が聞く。
「何を言っている? 貴殿の荷物ではないか」
マチルダに言われて、「おお! やっと届いたか!」と喜色満面になった錬金術師である。
当初から、アリスが担いでいた大荷物のことである。憐れな自警団員一人を潰したそれが、今になって届いたのであった。
もちろん、錬金術師はなかなか届かない荷物に不信感を抱いていた。
当然、その旨をマチルダに聞いた錬金術師である。
「……いや、実は詰め所には、とっくに届いている。誰が家に持って来るのかで、皆が揉めている最中なのだ。私一人では運べないからな。すまない……」
言いにくそうなマチルダを見て、錬金術師はこれ以上の追及をやめた。
美人女団長の家であるにも関わらず、誰も来たがらない理由は一つである。
マチルダが玄関の扉を開けると、例の巨大な荷物が正面に置かれていた。傍らで息を切らせているのは、屈強な身体つきをした五人の団員である。
錬金術師はその中に、見覚えのある顔を見つけた。
「やあ」
錬金術師が話しかける。
反応して、顔を上げたのは副長であった。
「え? どちら様?」
しかし、副長は錬金術師の素顔を知らない。
「俺だよ、俺」
錬金術師の声色に、副長の記憶がハッと蘇った。
「こ、これは、錬金術師様!」
裏返った声を出しながら、副長は姿勢を正した。他の四人も、慌ててそれに倣った。
団員達の畏まった様子に、錬金術師は一抹の寂しさを禁じ得ない。
「……わざわざありがとうな」
錬金術師が礼を言う。
「いえ、これが我々の仕事ですから!」
副長が畏まって答える。
「わざわざ人力で運ばなくてもよかったのに。馬車はなかったのか?」
錬金術師の指摘に、副長は「いえ、その……」と言い淀んだ。
「どうした? 遠慮せず言ってくれ」
錬金術師が副長を促す。
「はい、非常に申し上げにくいのですが、我々の持つ馬車や荷車には収まりきらず……」
副長の答えに、錬金術師は申し訳なく感じていた。
「そうか、迷惑をかけたな」
沈んだ顔の錬金術師に、団員達は揃って「いえいえ」と首を振る。
「しかし、これでは玄関には入らないな。ここに置いておくのも何だし、裏庭へ回さないと」
マチルダの言葉に、団員達が揃って青ざめる。ここまで来るだけで、すでに疲労困憊なせいである。
「いや、みんなはもう帰ってくれていいよ。マチルダも自分の仕事があるだろ? 手伝いは結構だ。後は俺一人でする」
周囲を慮った錬金術師は「よいしょ!」と掛け声を出すと、大の男五人がかりで運んできた荷物を一人で持ち上げた。アリスのように楽々とはいかないものの、錬金術師はそのまま屋敷の裏庭へ歩いていった。
残された面々は、それを茫然と眺めていた。
「さっき、か弱いとか言ってなかったか?」
指摘しながら、マチルダは錬金術師の背中を見送っていた。
第三節
その日の午後である。錬金術師は荷物の整理に追われていた。
今の屋敷には、錬金術師一人しかいない。
自警団長であるマチルダの仕事は酷く不規則であり、今日は遅番だとの話であった。
殺風景だった部屋に、てきぱきと様々な機材が並べられていく。
「おっと、そろそろ帰って来る時間か」
時計を見て、錬金術師は甲冑を着込み始めた。
錬金術師がヘルメットを被ったちょうどその時、部屋の扉が鳴った。
「旦那様、ただいま戻りました」
アリスである。
「入ってくれ」
錬金術師が答えると、アリスが扉を開けた。
その姿を見て、錬金術師は「うっ!」と呻いた。
新調したはずのメイド服が、血に染まっているのである。
「ななななな? だだだ、誰を?」
驚きのあまり、錬金術師は言葉を紡げない。
「ああ、これですか? 旦那様ご所望の物を持ってくる時にちょっと」
アリスが察して、両手にある物を差し出した。
そこには、獣の死体が二体、吊り下げられていた。
錬金術師はそれを見て、ほっと胸をなで下ろした。基本的に、人殺しには躊躇がないアリスである。
しかし、問題は他にもある。
「もしかして、その格好でここまで来たのかよ?」
呼吸を整えて、錬金術師が聞く。
「いけませんでしたか?」
きょとんとした面持ちのアリスである。
「……いや。もういい」
呆れながらも、錬金術師はアリスを窘めない。そもそも、二人の悪評は、取り繕えない次元まで突き抜けている。
錬金術師は、肩を落としながら床に目をやった。その目に映ったのは、アリスの足元から点々と続く血の跡である。
(家主が留守でよかった)
激昂するマチルダを想像して、錬金術師は胸を撫で下ろす。
「アリス、その死体は裏庭へ。それと、屋内についた血は綺麗に洗うようにな」
アリスに指示をする錬金術師。
「畏まりました」
一礼して、アリスが部屋を後にする。
道具を探し出すと、錬金術師もアリスの後を追った。
「ヒヒだな」
「ヒヒですね」
獣の死体を見分しながら、主従が順番に言った。
「サル目オナガザル科ヒヒ属に属する哺乳類――厳密にはアヌビスヒヒですね。かつては、アフリカ大陸に生息していた生き物です」
アリスが付け加える。
「多分だけど、文明崩壊後のどさくさで、どこかの施設から逃げ出したんだ。そのまま、ここに定着してしまったんだろうな」
錬金術師が推測する。
「ですが、これらが積極的に人を襲うとは……」
アリスが確認するように言う。
「いや、犬歯も立派な上雑食だから、人喰いの可能性は否定できねーな。大きなオスなら、捕食者を返り討ちにするほどだし。……ただ、赤ん坊や子供ならともかく、大の大人が襲われるとは考えにくい。それに、いくら現代がアレとは言っても、石器時代ほど退化しているわけじゃあない。イノシシや野犬の方が、よっぽど危険だろうよ」
錬金術師が死体を捌きながら答えた。
「随分と痩せているな。あの農夫が言った通り、胃の中身ときたら空っぽだ」
臓物を引き摺り出しながら、錬金術師が分析する。
「ん? こちらの死体は少し古いな?」
錬金術師がもう一つの死体を指さした。
「はい、それは拾いました」
アリスが答える。
「拾った?」
錬金術師が聞く。
「サンプル採集のため、群れに足を運んだときのことです。こいつら逃げ惑いはするものの、何故か決して山深くには行かないのです。訝しく思い、山の方へ少し分け入ってみると、これを発見した次第で……。必要かと思い、お持ちしました」
錬金術師の命令を受けたアリスは、単身無手でヒヒの群れに突入し、それを捕獲したのであった。特に生け捕りしろとは言われなかったので、憐れなサンプルはとっくの昔にくびり殺されている。
この怪力乱神なメイドをして、不可能なことなどない。
「なるほど」
アリスの説明を聞きながら、錬金術師が古いヒヒの死体を弄繰り回す。
果たして、古い死体からは、小指の先くらいの大きさの、金属の礫が出てきた。
錬金術師の雰囲気が、サッと変わった。
「悪い予感が的中したな」
顔色を変えながら錬金術師が呟いた。
「アリス」
続けて錬金術師が語りかけに、アリスが顔を上げた。
「よくやった」
主人の褒め言葉に、アリスが顔をわずかに綻ばせる。
しかし、そのあまりにも微妙な変化に、錬金術師は気付かない。
その時である。
「わあっ! 何だよこれ!」
ステラの声が屋敷から響いた。