第五章 滞在
第一節
姉妹の屋敷は、町の中心から離れたところに在った。
庭付き一戸建ての、他の家より3倍くらい大きい、二階建ての立派な家である。
周囲は開けているため、市街地特有の淀んだ空気はない。
人気に関しては寂しいところではある。しかし、流石は自警団長の家ということもあって、ゴロツキ共がたむろすることもない。
「まあ、入ってくれ」
錬金術師が立地を見分していると、マチルダが言った。
「お邪魔する」
「お邪魔します」
錬金術師とアリスが揃って言った。
姉妹の後に続いて、二人は中へ入っていった。
玄関を抜けたすぐそこには居間があった。家人がテーブルを囲んで寛げるよう、ソファーが並んでいる。
板張りの壁を見ると、珍妙な物体が飾ってあった。
錬金術師が大きく目を開いた。
壁に掛けられているそれは、弓銃――所謂クロスボウであった。台座に固定された強力な弓を使って、専用の矢を発射する射撃武器である。
クロスボウは通常の弓矢と違って、射手に大した練度が要求されない。その上に、高い命中率と威力が期待できる。代償として、矢の装填には時間を要するので、戦争の道具としては限定的な用法に留まるに終わったが、狩猟道具としてはまずまずの成功を収めてきた。
人類の歴史上早くから登場したクロスボウは、この時代においても広く普及している。
たがしかし、ここにある物は少々趣が異なっていた。
通常木製の台座は金属で出来ていた。弦は弓の両端にある滑車を通して張り巡らされおり、全体的に複雑な形状を保っている。さらには樹脂性と思しき真っ黒な銃床が着いており、さながら旧時代の自動小銃を連想させた。
「初っ端からビンゴでしたね」
錬金術師の耳元で、アリスが囁いた。
「そうだな」
答えて、錬金術師が項垂れた。
「どうされた?」
二人の様子を訝って、マチルダが聞く。
「いや、素晴らしいクロスボウだと思ってさ」
錬金術師が、動揺を悟られないように繕った。
「そうか」
マチルダが、明るい声で答えた。
姉とは対照的に、妹のステラはと言うと、退屈そうに三人のやり取りを眺めているだけである。
「父が使っていた代物だ。今となっては形見となってしまったが……。古の技術を継承する貴殿らに褒められて、父も満足だろう」
マチルダが追憶の念を込める。
「妹と二人暮らしなのか? 母親は?」
錬金術師が聞く。
「母は、ステラを生んですぐ亡くなってしまった」
マチルダが答えると、錬金術師は表情を暗くして「すまない」と謝った。
錬金術師の沈んだ雰囲気を見て、マチルダは壁からクロスボウを取り外した。
「気にしていない。よかったら、持ってみるか?」
マチルダが話題を変える。
「ああ」
錬金術師がクロスボウを受け取った。
「本当に、よく出来ている」
錬金術師の視線は、クロスボウの製造番号に注がれていた。
錬金術師がマチルダにクロスボウを返す。受けとったマチルダは、それを壁に掛け直した。
「まあ、座りなよ」
突っ立ったままの二人に、ステラが席を勧める。錬金術師が「ありがとう」と言いながら、椅子に腰を下ろした。
対するアリスは「私は従者ですので」と言いながら、主人の傍らに立ったままである。
「……いいお父さんだったんだろうな」
錬金術師が言う。
「勿論だとも!」
マチルダが嬉しそうに答えた。
「父は私の誇りだ」
マチルダが突っ立ったまま、延々と語り始めた。
「もう聞いているかもしれないが、父はこの町一番の薬師だった。疫病に襲われた時には、率先して市民の治療に当たっていた。父の行う治療は正確無比であった。病を見抜くことはもちろん、薬の効き目なんかにおいては、それはもう抜群だったぞ。それこそ錬金術師すらも裸足で逃げ出そうと――おっと、すまない。別に貴殿らを悪く言うつもりはないのだ。とにかく、私が言いたいのは、それほど凄かった、ということだ。皆が父を崇めていたものさ」
しかしながら、その長い父親自慢をステラは退屈そうに聞いている。
「それだけではないぞ」
続けるマチルダの鼻息は荒い。
「晩年は胸を悪くしておられたが、武芸にも秀でていた。私の剣は、父に習ったのだ」
腰の剣をトントンと叩きながら、マチルダは胸を張った。
「姉ちゃん」
ステラが口を開いた。
「何だ?」
マチルダが聞く。
「もう、部屋に戻ってもいい?」
ステラが聞き返すと、マチルダは少し厳しい表情を作った。
「……分かった。行っていいぞ」
あっさりと、マチルダはステラの要求を飲んだ。
ステラがさっさと居間を後にする。
「すまないな」
マチルダが謝罪する。
「ステラには、面白くない話だったのか?」
錬金術師がステラの様子を指摘する。
「父が死んだ時、あれはまだ小さかった。ステラには、父の記憶が殆どないのだ」
マチルダの説明に「なるほど」と、錬金術師は頷いた。
第二節
「ひょっとして、あなた方が噂に名高い錬金術師様で?」
野良着姿の老齢な男が、主従を値踏みしている。
今、錬金術師たちのいる場所は、町の外であった。
城壁の外には田園や畜舎が広がって、町の食糧事情に一役買っている。
当然、最初は町中で聞き込みをしようと考えた錬金術師であった。しかし行く先々で話しかけようとしても、市民は「ヒイッ!」と逃げ出してしまう。
アリスの所業は物騒な噂となって、狭い町を瞬く間に駆け巡っていた。
一向に進展しない自警団の調査である。げんなりとした錬金術師は、一足跳びに実地調査に乗り出す事にした。
そんな折りに、最初に出会くわした人間が、この年老いた農夫である。
ちなみに、例の姉妹はいない。
「せめてマチルダだけでも手伝ってくれたらな……」
錬金術師は、自警団を動かせないかとマチルダに打診した時を思い出す――。
「すまない。自警団はこの件には動かせない」
マチルダが言うには、自警団は町に巣食うゴロツキに対処することで、精一杯とのことである。錬金術師に行き着くまで、市長が闇雲に集めた冒険者もどきが居座ってしまったらしい。マチルダの指揮で、相当数を追い出せたものの根絶には至っていない。
「そもそも、私以外の自警団員は……いや、役場の人間のほとんどが非常勤なのだ。これ以上の働きは期待できない」
「ああ、なるほど」
マチルダの説明に、錬金術師は役場にいた虚ろな面々を思い出した。
「そう言えば、あの副長も身分を聞かれた時、微妙な表情をしておりましたね」
控えていたアリスが口を挟んだ。
「そう言う訳だ。誠に申し訳ないが、貴殿だけで対処願いたい」
手を合わせて頼みこむマチルダである。
「ああ、分か――」
断り切れず、錬金術師が了承しようとした時である。
「では、私が早速聞き込みに参りましょう。旦那様は、お疲れを癒してください」
アリスが言い残し、館を出て行こうとした。
一瞬、その言葉に甘えようとした錬金術師である。しかし、直後その脳裏に浮かんだのは、通行人を血塗れにして尋問する、鬼畜メイドの姿である。
姉妹には安全だと言い張ったものの、心の底では錬金術師も不安を拭いきれていない。
「待て、アリス! 俺も行く」
慌ててアリスを追いかける錬金術師であった。
「私は単なる従者です。こちらにおわすのが錬金術師様です。……旦那様?」
「おっと、すまない」
アリスに呼ばれ、錬金術師が我に返った。
「おお! 有難や有難や」
老人が錬金術師に向かって祈り始める。
錬金術師が老人の仕草に驚く。
「ななな、何だ?」
うろたえる錬金術師をよそに、周辺にいた農夫たちも「おお! 錬金術師様だ」と言いながら、集まって来る。
「こいつらも、ここの人間だろう? 今までと随分反応が違うじゃねーか?」
急に慕われて、錬金術師は動揺を隠せない。
「一口に市民とは言っても、一枚岩ではないのでしょう。今回の案件は、彼らのような農業従事者にとって死活問題です。旦那様が救世主に見えても、仕方ありません」
アリスが答える。
「そうか……。うん、これだよこれ。やっぱり人に頼られてこそ、仕事のやりがいがあるというものだよなー」
アリスの意見に、少し感動を覚える錬金術師である。
「まるで宗教ですね」
アリスの横槍が入るも、錬金術師には届かない。
「ゴホン」
ひとしきり悦に浸った錬金術師が一呼吸置いた。
「市長から人喰い猿が出たとか聞いたんだ。現場の意見を聞かせてはくれ」
錬金術師が、最初の老人に話しかけた。
その途端、老人を含む農夫たちの表情が変わった。
「いや~……」
老人が思案するよう口を開いた。
「市長さんはあのように言っておられますがね、実際のところ、ワシらは違うと考えておるのですわ」
老人の意見に、錬金術師がピクリと反応する。
「詳しく聞かしてくれ」
錬金術師が先を促す。
「確かに猿が山から降りてくるようになって、みんな迷惑しとります。畑を荒らすはで、手がつけられません。中には追い払おうとして咬みつかれた者もおります。ですが、誰一人として、人が殺された現場を見た者はおらんのです。そもそも、連中が人を喰ったという話など、市長さんが言い出すまで聞いたことがない……。神隠しに遭った人間は、みんな自分から山へ分け入った者ばかりなのですわ」
老人が詳しく語った。
「でも、それだけで猿の仕業じゃないって言い切れないだろ。縄張りに入った瞬間、凶暴化するのかもしれないじゃん」
「いえ、あの、その……」
錬金術師が指摘すると、老人は言い淀む。
「遠慮せず、続けてくれ」
錬金術師が老人を促した。
「はい、実はワシら実際に何匹か捕まえてみたのですがね――」
老人が続ける。
「捕まえた猿の腹をかっ捌いてみても、畑の物以外には何も出てこないのです。そのくせに、全ての猿が満足しているわけでもなくて……。どちらかと言うと、飢えているアイツの方が多いのです」
老人が言うと、錬金術師は「うーむ……」と考え込んだ。
「錬金術師様」
老人の呼びかけに、錬金術師が「うん?」と顔を上げた。
「私には、何だかとんでもないことが起こる前触れに思えるのです。何卒、事件を解決して下さいませ」
ムニャムニャと拝むように頼み込む老人を前に、錬金術師は「ああ……」と歯切れ悪く答えるのみであった。
「どう思うよ?」
町に戻りながら、錬金術師がアリスに意見を求めた。
「現場の声は、往々にして馬鹿にできません。例え彼らが生態学者でなくとも、です」
アリスが答える。
「となると、なんか、あの市長が怪しくねーか?」
錬金術師が呟く。
「そうお考えになるのは早計かと。市長について訝しくお思いでしたら、あの女団長――マチルダ嬢から話を聞いてみては?」
アリスの提案に、錬金術師が「そうだな」と納得する。
そんな二人が会話を続けながら町に入っていくと、一人の市民が彼らの前に躍り出た。
「もし、錬金術師様一行でございますね?」
恭しく錬金術師に頭を垂れて、若い男が口を開く。年の頃は20かそこらの青年である。
「そうだけど?」
錬金術師が答える。
「例の事件について、お話したいことがあります。ここでは何ですので、着いてきて下さいませんか?」
「分かった。案内を頼む」
あからさまに怪しい申し出を、錬金術師はあっさりと承諾した。
第三節
青年の背中を追って、錬金術師たちは複雑な路地裏を進む。
「どこまで行くんだ?」
錬金術師が聞く。
「もうすぐにございます」
青年が答える。
路地裏を抜けると、三人は少し開けた場所に出た。
その途端である。
青年が駆けだして、横道へ逸れた。
錬金術師たちが呆けている時である。
何処からともなく、わらわらと人影が湧いた。
主従二人をぐるりと取り囲んだ人影の中には、先程の青年の姿もあった。
「何かと思ったら、冒険者崩れのゴロツキじゃねーか」
錬金術師が呟く。酒場に居た連中と、似た雰囲気の面々がそこにはいた。その誰もが下卑た笑みを浮かべながら、主従を眺めていた。
「錬金術師様よぉ……」
ゴロツキの一人が口を開いた。
「申し訳ないが、この町を出て行ってくれませんかね?」
リーダー格と見えるそいつが口を開くと、周囲が一斉に笑い出す。
「どういうことだ?」
錬金術師が聞く。
「何、大したことじゃありません」
リーダー格が答える。
「あっしらも、事件の解決に雇われているのでさぁ。ここでお偉い錬金術師様に解決されちまうと、面子が立たなくなる」
「本音を言えよ。そもそもの話、お前たちに真面目に仕事をする気なんかねーだろ。この町に集る名分が必要なだけじゃねーの?」
リーダー格の台詞を聞き終えて、錬金術師が指摘する。
図星を突かれて、リーダー格が「チッ!」と舌打ちをした。
「これだから頭のいいヤツは……」
リーダー格が口調を変えた。
「今なら、あんたの命だけなら間に合うぜ? おっと、その別嬪なメイドだけは置いていきな。俺らが可愛がってやるからよ」
勇ましいリーダー格につられ、周囲の取り巻きも笑い出す。
「旦那様」
「まあ、待て待て」
アリスが前に出ようとするのを、錬金術師が制止する。
「嫌だと言ったらどうする?」
錬金術師が挑発した。
「あんたが死ぬだけさ。野郎ども、やっちまえ!」
しかし、いざリーダー格が命令すると、取り巻きの一部は怖気を見せた。
「でもよ、こいつらって無茶苦茶強いんじゃ……」
取り巻きの一人が気弱な台詞を吐いた。
「馬鹿野郎! そんなもん噂だ、う・わ・さ! あの御大層な鎧でハッタリかましてんだよ。おい! 出て来い!」
リーダー格が一蹴し、別の配下を呼び付けた。
「へへっ! 俺の出番だな」
答えたのは、甲冑姿の大男である。背丈は大柄な錬金術師よりもさらに高い。その手には、棘が沢山付いた大振りな棍棒――モーニングスターを持っていた。
「鎧には棍棒が一番よ。こいつは歴戦の傭兵で、もう何人もの騎士をぶち殺してるんだ。やれ!」
「へいっ!」
リーダー格に答えた大男が、踏み出そうと前を見据えた時である。
「遅いよ」
錬金術師は、既に間合いを詰めていた。
「え?」
大男が驚いて、慌ててモーニングスターを振りかぶる。
錬金術師はその瞬間を逃さない。
大男の顎に、強烈な掌底が叩きこまれた。
頭を軸に体を回転させた挙句、大男は背中から地面に落ちた。
大男はそのまま意識を手放した。
「な、なななな?」
予想外の反撃に、リーダー格は慄いた。錬金術師の動きはとても素早く、アリスを除いて誰に気取られることもなかったのである。
「このっ!」
今度は剣士が剣を抜いて、錬金術師に斬りかかった。
錬金術師が反身になって、ヒョイヒョイと攻撃を捌く。
剣先は空しく空を斬るのみである。
「そーれっ!」
返す刀で、錬金術師は裏拳を剣士の頬にお見舞いする。
剣士の頭が粉々になって、辺りに脳みそが飛び散った。
「しまった!」
首から上を無くした剣士に、錬金術師の方が慌てふためいた。
一瞬で仲間二人が倒されて、ゴロツキ共は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
「ああ、殺っちまった……」
剣士の死体を見て後悔する錬金術師。
「う、動くんじゃねえ!」
「今度は何だ?」
上擦った声に、錬金術師が振り向いた。
矜持を捨てきれないリーダー格が、アリスを人質に取ったのである。その手には、ナイフがしっかりと握られている。
「お、おい! それは止めろ! マジ危ねーって!」
錬金術師の制止を、リーダー格は取り違えていた。
「へへへ……。この女の命が惜しければ、動くんじゃねえぞ」
リーダー格は言いながら、アリスを連れてその場を離れようとした。
だがしかし、アリスは大木のように、ピクリとも動かない。
「え?」
リーダー格が声を上げたと時は遅かった。
アリスがリーダー格の腕を、ギュッと握ったのである。
何かがパンと弾ける音が、路地裏に鳴り響いた。
「ぎゃああああっ!」
リーダー格が悲鳴を上げる。
それもそのはず、それもそのはず、リーダー格の腕ときたら、挽肉のように潰されていた。おまけとばかりに、折れた骨が皮膚を突き破っていて、血がドクドクと噴き出している。
喚き散らすリーダー格に、アリスがにじり寄った。
「く、来るなっ! いや、こ、来ないでくれ! 俺が悪かった!」
壁に背にして命ごいをするリーダー格である。
「全く、いつの世もゴミが蔓延るのですね」
リーダー格を無視して、アリスが構えをとった。
「あーーーーーーたたたたたたたたた……!」
直後、雄叫びと共に、アリスの連打がリーダー格に炸裂した。
リーダー格は断末魔を上げることも叶わなず、物言わぬ肉片となって、壁にこびり付く羽目となった。
「ほあたっ!」
雄叫びが締め括られる。
「貴方はもう死んで……。おや? 確かに死んではいますが、古の文献にある描写と、随分様子が違いますね?」
決め台詞を言おうしたアリスが、怪訝な表情で肉片をマジマジと見つめる。
「……アリス。お前に某星座の拳法は使えない。そもそも、そんな物現実には存在しねーんだよ」
錬金術師が、溜息交じりに指摘した。
主人の指摘を受け、アリスは「何と!」と驚いて見せた。