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第四章 マチルダとステラ

第一節


「いやはや、お見苦しいところを……。私がここの代表であります」


 事態の収拾が着いた後、市長が改めて挨拶をする。ハンカチを取り出し額の汗を拭う表情からは、哀愁が漂っていた。

 ちなみに、例の姉妹は既にいない。幸い少女の怪我は大したことはなく、姉に引き摺られて何処へと消えて行った。

 部屋に残されたのは珍客二人と市長、そして所在無げに佇んでいる副長の四人である。


「では早速――」


 市長が部屋の片づけも程ほどに、本題に入ろうとした。


「あの二人は?」


 市長の思惑をよそに、問題をほじくり返したアリスである。

 出鼻をくじかれれ、市長が錬金術師の方を見やった。

 僭越な従者を咎めようとせず、錬金術師は黙って市長に視線を送っていた。


「……分かりました。彼女たちは言ってみれば、この町の名物みたいな物でして……」


 錬金術師の態度を、市長は追認と捉えていた。

 ちなみに、錬金術師は別段アリスに賛同したわけではない。飲み物の一つでも振る舞ってほしいな、などと考え視線を返しただけである。


「姉の方は……もうお分かりかと存じますが、この町の自警団長です。本当によくやってくれていますよ、彼女は。ただ、妹の方は、まあ何と言いますか……素行の方にやや問題がありましてな。昔から悪戯を繰り返す、いわばお転婆なのです。最近ではそれも酷くなる一方でして、人様の物に手をつけることもある始末。その度に公衆の面前で、姉にきつい折檻を受けるのです。そういった訳で、皆納得しておりましてね。実刑だけは、何とか免れているのですよ」

「そういうことか」


 市長の説明を聞いて、錬金術師は全て理解した。

 少女に羞恥心が欠けていた理由である。アリスにされたようなことを、既に経験済みなのである。

 市長を含む役人たちの異常な慌てようも、今の錬金術師には理解できる。あの女団長が奮う非情な暴力を恐れているに過ぎない。

 しかし、その体罰があるからこそ、少女は同情を買っている訳で……。


(なるほど、複雑な話だな)


 錬金術師は市民の会話を思い出した。


「それにしても――」

 

 錬金術師が切り出す。


「あの団長は、一体どういった経緯いきさつで?」

 

 いつの時代でも、女の武人は珍しいので、この疑問はもっともである。


「全てあの方の実力です」


 錬金術師の言外に含まれている物を察して、副長が語る。


「団長の実力は本物です。剣において、あの方に勝てる者などこの町におりません」


 鼻息荒く言う副長を、市長が「まあまあ」と宥めた。


「彼女は――いえ彼女たち姉妹は、この町に貢献された英雄のご息女なのです。町はずれで薬師を営む、一風変わった御仁でしてな。町の住人はみんな、彼には何度も助けられました。少し身体を悪くしていらしたが、武芸にも秀でておられた。十年ほど前、町に化物が襲来した時に、孤軍奮闘された方なのです」


 市長が遠い目をしながら語る。


「もっとも、副長が言うように、贔屓で彼女を据えているわけではありません。父親譲りの実力が、マチルダ嬢を導いたのです」

「その辺りに、あの姉妹の関係が見て取れますね」


 市長が付け加えると、アリスが茶々を入れた。

 しかし、錬金術師の関心は別のとこにあった。


「化物?」


 錬金術師の目が鋭く光った。

 

 この時代、大昔の超文明が生み出した殺人生物や自立兵器が、どこかで息を吹き返す事がある。目覚めた彼らは獲物を求めて、しばしば人を襲ってしまう。

 錬金術師たちの生業には、そういった遺物の回収も含まれている。


「ええ、クモのようなサソリのような、とても大きくて強い化物です。城壁を破壊して、何人もの人が犠牲になりました。あれは何とも恐ろしい光景でした……」


 怯えるよう市長の、顔は酷く青い。声の抑揚から、市長が現場に居たことが窺えた。


「そいつは、さぞかし大事おおごとだったろうな」

 

 同情する錬金術師は、道中で見た崩れた城壁を思い出していた。


「それが今回の依頼と、何か関係が?」


 錬金術師が聞くと、「いえいえ」と市長が焦って言った。


「多発する神隠しについては、犯人は割れています。山から降りてくる、人喰い猿どもの仕業ですよ。何せこいつらときたら、やたらと狡賢い。地元の農民には手に負えませんで、こうしてお願い申し上げる所存です」


 市長の話に、錬金術師が「なるほど、害獣駆除か」と相槌を打つ。


「ちなみに、その化物はどうなったんだ?」


 しかし、錬金術師は市長の物言いに、いまひとつ違和感を禁じ得ない。そこで、再び化物の話を振るのであった。


「……あれは、彼女たちの父君にたおされました。土砂降りの真夜中、一人で化物を山へと引きつけたのです」

「彼女たちの父親は?」


市長が答えて、錬金術師が重ねて聞いた。


「山の麓で遺体となって発見されました。それ以来化物の姿を見かけなくなったので、おそらく彼が退治したのだろうと……」

「なるほどね」


 歯切れの悪い市長に、錬金術師が形だけ納得する。


(これは、調査の必要ありだな)


 胡乱な話を聞いて、錬金術師は仕事の方針を固めた。



第二節


 市長との交渉を終えて、主従は役場の廊下を歩いていた。

 外へ向かう途中、相変わらず奇異の視線を向ける市民にすれ違ったが、そんな物はとっくの昔に慣れていた二人である。

 錬金術師が役場の受付を通った時である。


「れ、錬金術師様!」

 

 大きな声が、二人を呼び止めた。


「うん?」


 応えて、錬金術師が振り返る。


 さっきまで大暴れした美女こと女団長である。その後ろからは、盗人の少女も着いて来る。

 少女の顔は、先程よりもさらに輪をかけて、ボコボコに腫れ上がっていた。しかし、ドロドロに汚れた服は、しっかりと着替えていた。


「先程はとんだ御無礼を!」

 

 女団長が深々と頭を下げた。


「妹が迷惑をかけただけでなく、とんだ醜態をお見せして……。もはや、どのようにお詫びすればいいのやら」


 謝る彼女の後ろで、少女が憮然としている。


「ほら、お前も謝らんか!」


 女団長が少女を一喝した。


「……ごめんなさい」


 憮然としたまま、少女が謝罪する。所詮促されてのことで、本心からの物でないことは明らかである。


「構わねーよ」

 

 錬金術師は謝罪を受け入れた。

 アリスだけがその横で、無言の舌打ちを鳴らしている。


「出来れば、何かお詫びを」

 

 女団長の申し出に、食いついたのはアリスであった。


「それでは、宿の都合をお願いできませんか?」


 アリスが続ける。


「宿代の方はともかくとして、後から来る我々の荷物は大きいのです。出来るだけ広い部屋をお願いしたい」

「そういうことでしたら話は早い。是非とも、我が家をお使いください。何分広いだけが取り柄の家です。人の一人や二人、増えたところで、どうということはありません」


 アリスの厚かましい要求を、女団長はすんなりと受け入れた。


「そういうことなら、俺からも一つ頼む」


 錬金術師が口を挟む。


「何でしょう?」


 女団長が聞く。


「しばらく寝食を共にするんだ。その堅苦しい口調は、勘弁してくれ」

「いや、でもそういう訳には」


 錬金術師の要求に、女団長は難色を示した。無論これは、身分を憚ってのことである。


「……分かりました。これからよろしく頼む、術師殿。これでどうだ?」


 しばらくして、女団長が決心した。


「こちらこそよろしく、えーっと、団長さん?」

 

 錬金術師が聞く。


「マチルダだ。家名はない。ちなみに、こっちは妹のステラだ」

「よ、よろしく」


 女団長のマチルダに押されて、元盗人のステラも会釈した。

 ところがである。


「――なっ!」

 

 姉妹の名前を聞いて、錬金術師が驚く。

 鉄面皮のアリスですら、少し眉をピクつかせた。


「ところで術師殿の名は?」


 錬金術師の様子に気付かないまま、マチルダが聞く。ひとえに、ヘルメットのお陰である。


「……えっと」


 錬金術師が言い淀む。


「こっちは従者のアリスだ。俺の名は……。あー、すまない。俺たち正規の錬金術師は、外部の人間に名を明かさない決まりなんだ」


 錬金術師が続けた。


「ん?そうなのか。では〝術師殿〟でいいな」


 苦しい言い訳を、マチルダは素直に受けいれた。


「ところで」


 マチルダが話を切り出す。


「貴殿のその格好は、何か意味があるのか?」

 

 錬金術師は終始一貫して、その身に甲冑とローブを纏っていた。一応ヘルメットのバイザーを上げているとはいえ、外から見えるのは目元のみである。市長との対談においても、その態度は変わらなかった。

 被り物ですら、屋内では無作法とされる。誰も咎めなかったのは、特殊な身分を憚ったからに他ならない。

 互いに打ち解けたからには、マチルダの疑問はもっともである。

 

 質問を受けて、錬金術師がヘルメットに手をかけた。独特の短い排気音を伴い、中から素顔が現れる。

 精悍な偉丈夫がそこにいた。短く刈り上げられた黒髪に、茶色の目は鋭い眼光を放っている。中性的な顔立ちではないものの、野太い首が男らしさを語っている。


「へえ」


 ステラが声を漏らす。一方で、マチルダは息を呑んで、錬金術師に見入っていた。


「なかなか格好いいじゃんか。隠しているから、どんな化物が出てくるかと思ったよ」


 つらつらと感想を言うステラに対して、マチルダは「え? まさか、こんなに瓜二つなことが……」とブツブツ言っていた。


「悪いな。これには理由があって――」


 錬金術師が言いかけた時、受付のカウンターに小さな影が走った。親指ほどの大きさのそれは、素早い動きと黒光りする身体からだ、それに細長い二本の触角と六本の脚を持っていて――早い話、典型的な不快害虫である。


「あ、ゴキブリ」


 アリスが何気なく呟いた。

 それを聞くか聞かないかで、錬金術師が素早くヘルメットを被り直す。

 直後、アリスがゴキブリごと素手でカウンターを叩き潰した。


――役場が轟音に包まれる。


 木製のカウンターは正しく木端となって、置かれていた筆記具ごと宙に舞った。

 飛んできた文鎮を頭にくらった役人が一人、「エンッ!」と言って意識を手放した。

 幸いなことに、錬金術師がとっさに庇ったおかげで、姉妹は無傷で済んでいた。


「こういうことなのだ。分かってくれたか?」


 錬金術師の言葉に、姉妹は揃ってコクコクと頷くばかりであった。



第三節


 錬金術師とアリスは、姉妹の家へ案内されることとなった。

 ちなみに、錬金術師が役場を立ち去る直前のことである。


「これ、修理代兼迷惑料ね」


 近くにいた役人に、金貨を握らせた錬金術師であった。

 

 今、四人は並んで町中を歩いていた。

 姉妹がアリスから妙に距離を置いているのは、別段錬金術師の気のせいではない。


「心外ですね」


 アリスが愚痴を零す。


「あれを見せられたら、仕方ねーだろ」


 錬金術師がアリスを窘めた。


「いやいや、私は気にしてないぞ」


 マチルダが言うも、その表情はかなり引き攣っている。


「一応釈明しておくけど、アリスはちゃんと手加減は出来るんだぞ。それはステラ、お前さんが身を以って体験しているだろう?」


 錬金術師がアリスのフォローをする。ただ残念なことに、自分だけ仰々しい甲冑で身を守っている以上、説得力には欠けていた。


「だったら、その姿は何なのさ?」


 ステラの指摘は的を射ている。そのぞんざいな口調を、マチルダが「こら!」と叱るも、錬金術師は「まあまあ」と二人をなだめた。


「これは俺個人のトラウマなんだよ。聞きたいか?」


 ステラの疑問を受けて、錬金術師が思わせ振りに言った。


「うん!」


 ステラが答える。

 黙っているマチルダの方も、興味深そうに錬金術師を見ていた。


「俺だって、昔はこんな物着けてはいなかったさ」


 錬金術師が、自身の体験を赤裸々に語り始めた。




 何年も前の話である。夏の夕暮時、錬金術師はアリスを伴って夕涼みに出かけていた。ちなみに、これは彼がアリスを従者として迎えた年、初めての夏であった。

 川べりを散歩している錬金術師は、耳元で鳴る羽音に気が付いた。


(蚊か?)


 自分で頬を叩いた錬金術師であったが、羽音は一向に鳴りやまない。

 中々潰せない虫ケラに、錬金術師が苛立ち始めた時である。


「旦那様、動かないでください」


 錬金術師の頬に止まった蚊を見つけて、アリスが言った。

 この時点で、錬金術師はアリスのとんでもない腕力を知っていた。しかし、アリスは日常雑事をしっかりこなしている。

 その認識が甘かった。

「頼む」と言いながら、錬金術師はアリスに全てを一任した時である。


――頬骨が砕ける音と共に、錬金術師の視界は反転する。


 そこまでが、その年最後となった、錬金術師の記憶である。

 次に錬金術師が意識を取り戻したのは、翌年の春であった。

 目を覚ました錬金術師は、同業者なかまに介抱されながら、アリスについて説明を受けた。

 同業者なかま曰く、普段は力の抑制が出来ているアリスだが、殊刃傷沙汰に及ぶ時だけ、タガが外れてしまうという。人の身体に止まった虫であっても、それは変わらない。

 その時以来である。錬金術師は常に甲冑を纏うようになった。




 錬金術師が自嘲気味に過去を語るも、姉妹の方はドン引きである。


「ああ、言っておくけど、今のアリスはそんなに危険じゃねーよ。さっきのようなケースはむしろ例外だぜ。もう蚊が止まった程度で、人を傷つけることは……多分ないと思う」


 不穏な気配に気づいて、錬金術師がフォローを入れた。


「多分って……、それ全然安心できない」


 ステラの言う事は至極もっともである。役場での騒ぎにしても、怪我人が出たばかりで、錬金術師の言葉には説得力が乏しい。アリスにその意思がなくとも、間接的にはまだ十分人間を殺傷しうるのだ。


「う……」


 錬金術師が黙り込む。それを見兼ねたマチルダが「こら!」と再びステラを嗜めた。


「わ、話題を変えよう。そう言えば聞いたことがあるのだが、貴殿ら錬金術師はいにしえの秘術で、肉体を強化しているのだろう? 先程、我々を庇ってくれたことには感謝するが、実は、貴殿自身に大した危険などなかったのではないか?」


 マチルダが割って入った。


「いや、話変わってないじゃん」


 ステラが指摘をすると、マチルダが「しまった」と渋い顔を作った。


「まあ、その通りだよな……」


 錬金術師の歯切れは悪い。


「じゃあ何でさ?」


 ステラがしつこく聞くも、マチルダに睨まれ怖気づく。


「これは、俺だけの戦いだからかな……」


 律儀な錬金術師は、意味深に答えるのみだった。

 そうこうしている内に、四人は町はずれにある屋敷に辿り着いた。


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