第三章 姉妹
第一節
ガタゴトと音を立てながら、馬車が猛スピードで駆けて行く。
馬車はすぐに目貫通りへ差し掛かり、道は石畳の舗装路へ移った。
車軸から車内に伝わる音が、ガ~ッと滑らかな物へと変わる。
サスペンションも差動機もない、ひどく原始的な馬車である。乗り心地は劣悪であったが、主従二人はケロリとした表情を崩さない。
「い、いたっ! ちょ、ちょっと!」
元気な主従に対して、拘束されている少女は違った。車内を毬のように弾んで、文句を垂れている。
馬車はそのまま、とある建物の敷地へ入っていった。
「どれどれ」
錬金術師が窓の外を眺めた。
石造りの建物は三階建でそれなりに大きく、辺鄙な都市にしては中々の作りである。今彼らが乗っている物と似た馬車や、制服姿の自警団員がちらほらと見える。
つまるところ、ここは町の中枢であった。
「役場ですね」
錬金術師を代弁するように、アリスが口を開いた。
「たぶん、この町唯一のそれだろうなー」
錬金術師が同意する。
自警団員の他にも、様々な人間の姿がここにはあった。事務員然り、清掃員然りである。現業非現業問わず多くの役人がいる場所に、行政の集中を見るのは容易い。
もっとも、どの顔もあまり明るいものではない。
「丁度いいではありませんか。これを牢屋に運ぶ手間が省けるというものです」
そう言って、アリスは少女を指さした。
「……」
言われた少女は、力なげに俯いているばかりであった。
そうこうしている内に、馬車は建物の入り口の前で停まった。
「ささ、市長がお待ちかねです」
リーダーがドアを開けて、下車を促した。
錬金術師に続いてアリスが馬車から下りる。握っている縄尻をアリスがグイっと引っ張ると、少女が「ぐえっ!」と言いながら引き摺り下ろされた。
それを見たリーダーが、慌てて御者台から毛布を持ってくる。
「せめて、姿だけでも」
リーダーが、慌てて少女の身体を覆い隠す。
その様子を見て、アリスが「ほう」と感心してみせた。
「このような辺鄙な場所でも、一応プライバシーへの配慮があるのですね」
アリスが他人事のように続けた。
(感心するなら、自分から率先してやればいいんじゃねーの?)
アリスの感想を聞いた錬金術師は、心の中でぼやいてみせた。
「いや。と言うより、何か他に理由でもあるのだろうよ……」
実際の錬金術師からは、別の台詞が飛びだす。
それでも、確かに錬金術師の洞察は的を射ていた。先程からのリーダーの様子である。心ここにあらずといった面持ちで、そわそわと周囲に注意を払っている。
(一体、何を警戒しているんだ?)
リーダーの様子を、錬金術師が訝しく思った直後、建物の中から一人の団員が迎えにやって来た。
「副長! こっちです!」
呼びかけられて、リーダーが反応する。
「んん?」
ほぼ同時に、錬金術師も応じた。
「あんた、副長だったのか?」
意外な地位の高さに、錬金術師が驚く。
「ええ、まあ……」
リーダーもとい副長が歯切れ悪く答えた。
「お早く! まだ帰ってきておられません」
一行の様子を見兼ねて、団員が再び声をかけた。
「そうでした! 皆さま、すぐに応接室へおいで下さい」
我に返った副長を、アリスがジロリと睨みつけた。
「ひっ!」
アリスの視線を受けて、副長が目を泳がせる。職務にかまけるあまり、錬金術師たちの職階を忘れていたのである。
「旦那様、お疲れでは?」
アリスが錬金術師に振る。その両目には怪しい物が光っていた。
(黙らせましょうか?)
アリスの真っ赤な瞳が語っている。そこに込められている期待は、あくまで暴力の許可にすぎない。
物騒なメイドと錬金術師の付き合いは長い。
「いや、ここはあいつらに従おうぜ。一体何がどうなっているのか、俺も興味があるしな」
アリスの心を汲み取って、錬金術師が牽制した。
「……畏まりました」
渋々と、アリスが従う。
副長がほっと胸をなでおろす。
錬金術師の決断の下、一行は建物に入っていくのであった。
第二節
副長に率いられて、一行が廊下を進んでいく。少しばかり彼らが勇み足なのは、相変わらずの副長が急かすためである。だが、少女だけはバランスを崩し、途中で転んでしまった。
「ちょっと!」
非難の叫び声を上げる少女であったが、非情なアリスがそんなことに耳を貸すはずもなく、ズルズルと少女を引き摺って行く。
かけられた毛布が剥がれ、少女の姿が露わとなった。
――建物中に緊張が走る。
どよめきたつ役人たちに、錬金術師が疑問を持つ。見たところ、ここは自警団の詰め所も兼ねている。少女の年齢を鑑みても、罪人を引っ立てているこの状況は、決して珍しいはずの物ではない。
(ひょっとして、思った以上にVIPなのか?)
錬金術師が少女の身分を懸念した。もっとも、大国の王侯貴族にすら、下にも置かない扱いを受ける彼らである。しかし、厄介事を避けたいのは人情である。
四人がとある部屋の前に到着する。
廊下を隔てる樫の扉が、少し手の込んだ意匠で彩られていた。
副長が扉をノックする。
「はい」
男の返事が返ってきた。
「失礼します。錬金術師様御一行をお連れしました」
副長が扉越しに言うと、中から慌ただしい音が聞こえてきた。
間も置かずに、内側から扉が開かれる。
顔を出したのは、痩せぎすな中年の男であった。
「おお、ようこそおいで下さいました!」
男は歓迎しながら、錬金術師の手を握った。
笑顔で一行を迎えた男であったが、廊下に転がる少女を見ると血相を変える。
「こ、これはいかん!」
男が大声を張り上げる。
(やはり、やりすぎだったよなー)
しかし、叱責を覚悟した錬金術師の思惑を余所に、男は続けた。
「と、取りあえず、皆さま中へ!」
男に促され、四人は部屋へと入っていくのであった。
副長が玄関で言ったように、そこは応接室であった。窓を背景にして執務机が一つ、その前には二列のソファーが、テーブルを挟むよう並んでいた。
男が一行に「どうぞおかけ下さい」と促したので、錬金術師がそれに従った。対して、アリスは主人の傍らに突っ立っている。
「従者殿もどうぞ」
男がアリスの態度を訝しみ、口を開いた。
「いいえ、私はあくまで従者ですので。お気づかいは有難いのですが、ここで結構です。これの監視もあることですし」
アリスはそう言って、憮然とした少女を指さした。
「そ、そうですか……」
男が答えるも、その様子はやはりおかしい。錬金術師とアリス、それに少女を順番に見比べ、何やら考えあぐねいている。
「市長、ぐずぐずしている場合では――」
男の様子に耐えかねて、副長が切り出した。
錬金術師も検討をつけていたが、この男こそ市長その人であった。
「そうでした! と、とにかく、その子を早く隠さねば」
ろくに挨拶もせず、男――市長が言う。
「この盗人が何か?」
アリスの発言に、市長が頭を抱える。
「ああ、やはりそんなことを! 何と言う事だ」
市長の声には絶望が含まれていた。
「おい、俺たちは何か変なことでもしでかしたのか?」
「さあ? この盗人への処遇がやり過ぎだったのか、はたまた旦那様の身分を憚っているのか私には分かりかねます」
「……もう何回か言ったけど、やり過ぎと思うなら、自嘲しろよなー」
主従二人が小声で会話をしていると、廊下を駆ける足音が聞こえてきた。
「御免!」
断りと共に、扉が勢い良く開いた。
「妹はここに?」
勇んで入って来たのは、少女と同じ色の髪と目をした若い女であった。背丈はアリスよりも高い、豊満な体つきをした凛々しい美女である。
その美女が纏っているは自警団の制服であったが、他の者とは少し趣が異なっており飾りが多く、腰には立派な剣を佩いていた。
発言からして、美女は少女の身内と見えた。
部屋をぐるりと見渡した美女は、あられもない格好の少女を見つけると、錬金術師の方へツカツカと歩みを進めた。
(ああ、やっぱり……)
言い訳できない状況に、錬金術師がいよいよ非難を覚悟する。
だがしかし、美女の行動は、錬金術師の予想を大きく外れたものであった。
美女が直接向かったのは、地べたに座り込んでいる少女本人である。
「この、大馬鹿者が!」
叱責と共に、美女が少女の襟首を掴んで持ちあげた。
少女の頬に、強烈なビンタが炸裂した。
第三節
少女が「ぶへらっ!」と言いながら吹き飛んだ。そのまま碌に受け身も取れず、部屋の隅にあった棚へ頭から突っ込んでいく。
盛大にぶち壊された棚は、中の物を撒き散らした。来客用と思しきカップや皿が、少女に振りかかる。
しかし、そんなことには一切構わず、美女は少女に追い討ちをかけた。
「また性懲りもなくこんなことをして! しかも、今度の相手はあの錬金術師様だと! 貴様、この不始末をどうつけるつもりだ?」
美女は猛り狂いながら、容赦なく少女にストンピングを繰り返す。
「姉ちゃん、ゴメン! 堪忍して! ゲフッ!」
手を後ろに回された少女は、身体を庇う事も出来ない。アリスに捕まった時よりも必死に叫びながら、靴底の洗礼を浴びていた。
あまりの迫力に、鉄面皮なアリスを除く全員が呆気に取られていた。
少女の反応が次第に小さくなっていく。
市長と副長が、慌てて止めに入った。
「君、暴力はいかんよ!」
「団長! それ以上やると、本当に死んでしまいます!」
騒動を眺めながら、錬金術師は得心した。少女の身元然り、美女の正体然りである。
そのついでに、錬金術師は町中で耳にした市民の会話と、少女の尋常ではなかった怯え方についても理解した。「ぶっ殺される」と表現は、突然の珍客にだけ向けられていたのではなかったのである。
「おおう」
アリスが表情を変えず、感嘆の声を上げた。
「これぞ古に伝わりし、モンスターペアレントですね」
「いや、アリス。二人の血縁的にもそうだけど、この状況だと、そういった使い方は著しく間違っていると思うぞ」
錬金術師が嘆息しながら、アリスの認識を正した。
「では、こういった場合は何と?」
アリスが聞く。
「DV――ドメスティック・バイオレンスだな」
錬金術師がげんなりと答えた。
「さてと……」
ひとしきり暴れ終えて、錬金術師の方へ向き直った美女である。
市長と副長は少女の介抱に当たっている。
「申し訳ありません、錬金術師様」
言うや否や、美女は地面にひれ伏した。
「おおっ! これぞまさしく、古に聞くジャパニーズ土下座ですね」
アリスの感動を、錬金術師が「しっ!」と窘める。
「何卒、何卒妹のしたことをお許し下さい!」
許しを請いながら、美女は何度も繰り返し、それこそコメツキバッタのように床へ頭を打ち付ける。
美女の額には、どんどん血が滲んでいった。
(ああ、まさしく姉妹だな)
必死な美女の様子を見た、錬金術師の感想である。
錬金術師は苦悶の表情を浮かべて、こめかみに手をやった。
必要以上に恐れられる境遇に、頭痛を覚えただけの錬金術師である。
しかし、その仕草を美女は履き違えた。
「……そうですか、分かりました。確かに、妹の不始末はこの私の不始末。どうぞ、この命で以って!」
思い詰めた一言を残し、美女は剣を鞘から抜いた。
刃が首筋にスッと当てられる。
「わーっ! 団長、早まらないで下さい!」
「命は大切にしたまえ!」
市長と副長が、今度は美女に駆け寄った。
「ハラキリではないのですね」
アリスがぼそっと感想を漏らす。
「……そうだな」
呆れた錬金術師には、もはやそれを窘める気力もなかった。
「ええい、放せ! せめて責任を取らせろ!」
男二人を振り回しながら、美女が喚き散らす。女にしておくには惜しい、大した膂力である。
「ときに旦那様」
惨状を尻目に、アリスが錬金術師に語りかける。
「何だ?」
錬金術師が顔を上げた。
「〝責任を取る〟とは、自害して果てることですか?」
ここに来るまで、アリスを制御しきれなかった錬金術師である。
疑問を投げかけられ、錬金術師の心臓はドクンと大きく脈打つのであった。