第二章 町
第二章 町
第一節
「あ、はい。こっちで間違いないです。はい」
アリスに引っ立てられながら、少女が二人を先導する。
アリスが尋問したところによると、少女の帰るところは、二人の目的地と同じであった。
そう言う訳で、憐れな少女は案内役をさせられる羽目になったのである。
「ほら、きりきりと歩く!」
縄尻を持つアリスは、空いた方の肩で大荷物を抱えている。
「えっとだな、アリス」
荷物を押しつけている事実に、罪悪感を覚えていた錬金術師であった。
「に、荷物くらいは俺が持つよ」
「旦那様のお手を煩わせるわけにはいきません」
錬金術師の申し出を、アリスがピシャリと拒絶した。錬金術師が、「あ、はい」と引き下がる。
一方で、せっつかれる少女である。両手が塞がっているためバランスが取れず、どうしてももたついてしまう。
「とほほ、よりによって錬金術師だったなんて……」
ぼやきながらも、命を拾った安心感から、少女は少し余裕を見せていた。
そんな少女は度々、上半身を捩って脱出を試みた。しかし、堅く戒められた拘束は二の腕から手首までを完全に固定しており、緩む気配を全く見せない。
…━━…━━…━━…
歴史上の記録である。
遙かな未来、世界は滅びを迎えようとしていた。
既存の概念では想定できなかった、国家対思想という新たな戦争が、ゆっくりと文明滅ぼしたのである。
そうやって気が付けば、人間は完全に理性を失っており、遂には手に武器を持つことすら頓着しなくなっていた。
実験段階で暴走する高エネルギー炉や、飛び交う反応弾によって、地上は炎に包まれてしまったのであった。
それでも、しぶとく生き残った人間もいるにはいたが、数百年をかけて人口は減り続け、文明レベルは中世のそれへと、一気に逆戻りを見せていた。
今では確固とした支配体制が崩れ去り、領邦国家や都市国家群が、各々好き勝手に地方を治めている有様であった。
すなわち、封建時代の再来である。
かつての高度な機械技術は、文献上の存在に零落した。今となっては、その残滓が一部の者によって、細々と伝えられるに過ぎない。それを扱う者の呼称は様々であったが、何が発端になったかはともかくとして、一般的には〝錬金術師〟で通っている。
突如地上に現れた彼らの正体は、災厄を逃れて、宇宙へと活路を見出した者たちである。そして同時に、地上人にとっては救いの神であった。
文明再興を自ら進んで買って出た彼らではあるが、やはり所詮は人間の所業である。強力な利権に集団になったのは、あっという間であった。そのせいで、錬金術師は人々に蔑まれる存在でもある。
もっとも、誰も声を大にして彼らを糾弾したりしない。それどころか、王侯貴族に招かれては貴賓として扱われるし、平民風情から軽い口を叩かれるなどは、もっての他の高貴な存在である。
その理由は至極単純であった。
錬金術師は強い。
政治的に経済的に、そして社会的な意味では勿論のことだが、何より個々人で強力な戦力を持っている。
古の叡智が、人間同士の争いに使われない理由はない。剣や槍などいくら揃えようと、彼らが未だ独占する大量破壊兵器の前では、まったく無力である。
過去に何度か彼に戦いを仕掛けた者がいたが、盾や甲冑など紙きれのように撃ち抜く弾丸に蹂躙されて終わってしまった。加えて、錬金術師たちの纏う甲冑の防御力も、これまた強力である。これを貫けた武器は、一度も確認されていない。一度彼らと戦火を交えれば、必ずワンサイドゲームで決着がついてしまう。
そもそも、錬金術師は須らく強化人間である。不老不死とも伝えられる彼らには、災厄中の生き字引ですらあるとの噂すら付きまとっていた。
しかしながら、特筆すべきは彼らの身体能力である。甲冑ごと無手で人体ごと拉げたかと思えば、呆れるほど高い放物線を描いて、人を投げ飛ばしたりする。
正に一騎当千――余人に彼らを止める術はない。
剣呑さにかけては右に出る者がいない、それが錬金術師である。
ただ、卓越した戦士であることは、裏を返せば恐怖の象徴でもある。巷での彼らの評判は、すこぶるよろしくなかったりする。
それでも、そんな噂はどこ吹く風と、彼らは外部の権力に従わない。
物騒な彼らではあるが、決して一定以上の欲は見せない。人類の支配を目論んで大帝国を打ち立てるわけでもなく、どこからともなく現れては、どこへともなく去っていく。喧嘩を売らず、そうっとして置けば特に害はない。
そんな錬金術師の本質は、途方もない大金持ちである。金をばら撒いてくれる彼らは、どこへ行っても表面上は歓待されるのが常であった。
もちろん、彼らに連絡をとるための出先機関はあちこちに設けられているので、仕事を依頼することも可能である。
身も蓋もない言い方をすれば、錬金術師は冒険者の上位互換であった。畏れ敬われながら、それであって倦厭される――そういった奇妙な社会的ニッチに彼らが収まったのは、むしろ当然と言えよう。
冒険者の真似事をしていれば必然、錬金術師同士においても、しばしば連絡が取れなくなったりもする。
これは、そんな錬金術師の一人が、行方不明となった仲間を探す旅路を描いた物語である。
…━━…━━…━━…
再び、さっきの三人である。
「着いたよ」
三人がある町の入り口へ到着すると、少女が口を開いた。
途中すれ違う者がいなかったことは、少女にとって幸いである。このような醜態を、近所に知られる訳にはいかない。
役目を終えたと思った少女が歩みを止めて、縄が解かれるのを待つ。しかし、そんな少女の背中を、アリスがドンと押した。
「何を止まっているのです?」
「え?」
アリスの意図が分からず、少女が振り返った。
「私たちには、ここの勝手は分かりません。ちゃんと目的地まで案内することが、解放の条件だったはずです」
「ええっ!」
冷酷な要求を聞いて、少女の顔に絶望が戻った。
第二節
「無理! それだけはホント無理!」
少女が再び、往生際の悪さを見せた。
町と反対方向に駆けだすものの、アリスに引き寄せられて盛大に尻もちをついてしまう少女。
それを見た錬金術師が「うわ、痛そう」と漏らした。
入口の詰め所からは役人が、怪訝そうに三人を眺めている。
「本当に勘弁して下さい! この通りです!」
逃げられないと悟った少女は、痛みを忘れてアリスに懇願を始めた。
「はいはい、そうですか」
相変わらず、聞く耳を持とうとはしないアリスである。
アリスは耳をほじって、指先を「ふっ!」と吹き飛ばした。
「れ、錬金術師様!」
少女は対象を錬金術師に切り替えた。
道中の会話で、冷酷な従者と柔和な主人の構図を理解していた少女である。少女が期待するのも無理はない。
「お願いします。この通り!」
後ろ手のまま、コメツキバッタのように土下座を繰り返す少女である。その姿は、さながら壊れた玩具であった。
少女が何度も地面に頭を打ち付け、額に血を馴染ませていく。
「……そろそろ勘弁してやってもいいじゃねーの?」
いよいよ見かねた錬金術師であった。
「旦那様がそう申されるのでしたら……」
アリスが渋々主人に同意しかけた、その時である。
「よかった。これで姉ちゃんに知られずに済む」
気の緩んだ少女から、ツイと出た言葉である。
「ん? 姉ちゃんがいるのか?」
錬金術師が少女に尋ねた。
「はい、家は姉ちゃんと二人暮らしで――ああっ!」
少女が言いかけた時には、二人の表情は変わっていた。二人の変容に、少女は口を滑らせたことを後悔した。
「ほう……」
アリスがドスの効いた声を出す。
「まだ、嘘をついていやがりましたかこん畜生……」
荷物を地面に下ろすと、アリスは指をポキポキ鳴らしながら少女に迫る。
「あ、あっ……」
迫力満点のメイドを前に、少女は最早声も出せない。
近づきつつある死神を涙目で見上げながら、少女の膀胱はついに決壊してしまった。
「もうおしまいだ。死ぬ、絶対死んでしまう……」
そう繰り返しながら、股座を盛大に濡らした少女がシクシクと泣きながら、二人の案内を続けていた。
流石に怪力メイドの体罰は洒落にならないと見て、錬金術師が「ストップ!」と止めに入っていた。そのおかげで、少女は五体を損なわずに済んのであるが、憐れな格好だけは相変わらずである。
そんな奇妙な一行を、入口の役人は簡単に通した。住人である少女の方はともかくとして、残りの二人は歩く治外法権である。
「これって、典型的な城塞都市だよな」
少女とアリスのかけあいを余所に、錬金術師が町を見分する。
…━━…━━…━━…
周囲を高い塀に囲まれた町は、扉の着いた門が設けられていた。
こういった仕組みであれば、いざ戦になれば、通行を制限することが出来る。
それを裏付けるように、塀は少し崩れており、過去にあった争いを臭わせていた。
さながら小規模な都市国家とも言える形態は、かつての繁栄を垣間見ることができる。
しかしである。基幹産業が潰えた見え、今となっては廃れた感は否めない。
それでも、都市の体裁をある程度整えている事実に、錬金術師は少し感心したのである。
もっとも、そんなことを考えている一方で、錬金術師は居心地の悪さも感じていた。
客観的に見て、一行の格好は滅茶苦茶である。
擦り傷と泥で塗れながら泣いている少女は、暴行されたと思われても仕方がない。さらには後手に縛られた上、股座を漏らしている。まさに奴隷商人もかくやといった有様である。
アリスが大荷物を抱えていることも、これまた目立つこと甚だしい。
自分たちの格好に疑問を覚えながら、錬金術師が改めて周りを見渡した。
町中は酒場ほど廃れていない。剣呑な雰囲気の人間もいるが、多くは善良そうである。しかし、そんな彼らも年寄りが多く、揃いも揃って皆貧乏くさい。
そして、先程からそんな住人達が、一行を遠巻きに眺めているのである。
ただし、脛に傷のある酒場の連中と違って、善良な市民は堂々としていた。その証拠に、彼らは一行をヒソヒソと値踏みしている。
…━━…━━…━━…
「おいおい、ひょっとして、あれが市長さんの言っていた錬金術師様かい?」
「へー……。わしゃあ、初めて見たよ」
「有難や。これでようやく、町の異変も解決するな」
歓迎とも取れる声がある一方で、当然その逆もまた然り。
「捕まってるあの子、どうなるのかね?」
「きっとあれだ。どっかに売払うのか、そうでなけりゃ煮て喰っちまうのさ。あいつら、人間じゃないって噂だし」
「しっ! 聞こえたらどうする! お前もぶっ殺されるぞ!」
そんな物騒な評判を耳にした錬金術師は、いや聞こえてるぞ、と思いながら肩を落とす。しかし、中には興味深い会話もあった。
「おいおい、あの子っていつもの……」
「ああ、いつもお騒がせなあの子だ」
「団長さんとこの子だっけ?」
「だな……。あの子、手癖悪かったもんな。きっとあれだ。錬金術師様の物に手を付けたにちがいねえ。とうとう年貢の納め時ってやつさね」
完璧とも言うべき推理と、少女の身元が判明しそうな会話である。
しかし、そば耳を立てて聞き入っている錬金術師は、あっさり期待を裏切られてしまう。
「じゃあ、やっぱり……」
「ああ、もう間違いなくぶっ殺されるな。ナンマンダブ、ナンマンダブっと」
錬金術師がズルっと足を滑らせた。
第三節
「ああ、殺される。きっと殺される」
周囲の会話を知ってか知らでか、少女はそればかりを繰り返していた。
「旦那様、怯えていますよ」
アリスが他人事のように、錬金術師に話を振る。
「俺じゃない。お前のせいだ、お前の」
錬金術師がアリスを窘める。
「市中引き回しなど、盗人の刑罰としては軽いものです」
「うう……」
アリスの返答を聞いて、錬金術師は言葉に詰まった。
アリスの言い分はもっともで、世が世なら少女は立派な成人である。そのような時代であれば、少女は手足を斬って落とされたかもしれない。ただ、この地域の慣習については、錬金術師は詳しくなかった。何とも評価しにくいことではある。
「全く、お優しい旦那様に感謝する事です。この方が一言申されたら、私は貴女の首をねじ切っていました」
アリスの澄んだ声は、往来に響き渡った。
通行人が何人か、ビクッと身体を強張らせる。
主人を敬愛しすぎるアリスに、全く他意はなかった。しかし、これでは完全に責任転嫁である。
「いやいや、俺は何も言っていない! 言っていないぞ!」
錬金術師が慌てて場を取り繕うも、時すでに遅しであった。遅通行人がチラチラと、非難の視線を一行に向けていた。
(いや、これも責任者の務めかね……)
労使関係の在り方に想いを馳せて、錬金術師が口を噤んだ。さもありなん、錬金術師だけがアリスを諌めることが出来たのである。
(それにしても)
錬金術師が思考を切り替えた。異常な少女の怯え方についてである。普通は羞恥心が先に立ちそうな格好であるが、少女にとっては那由他の彼方であった。
「〝姉ちゃん〟か……」
「ひっ!」
錬金術師が呟くと、少女が大きく反応した。
一行が歩みを進めると、前方から二頭立ての馬車が走って来た。
果たして、馬車は三人の前で止まった。
扉が開いて、兵士らしい男が四人降りてきた。
物々しさに警戒し、錬金術師がサッと身構える。アリスに至っては、馬車を確認した時点で荷物を地面に置いていた。
礼節の適った兵士であったが、少女を見て全員の表情がうろたえる。
「うん?」
兵士たちの強張った表情に、錬金術師が首を傾げる。
「どうしました?」
アリスが聞いた。
「何かこの子のことをひどく気にかけてるなと……」
「それはそうでしょう。ふん縛られた盗人なのですから、目立つことこの上ない」
「いや、そういう意味じゃなくてだな……って言うか、分かってるなら慎めよな」
主従の夫婦漫才を見計らったかのように、兵士の中から一人が歩み出た。
「依頼を受けて下さった錬金術師様一行とお見受けしますが、如何に?」
至極丁寧ではあるものの、幾分早い切り出し方である。
「ああ、俺たちがそうだけど」
錬金術師が答える。
「申し遅れました。自分たちはここの自警団であります。市長の命により、お迎えに参上しました。ささ、どうぞお乗り下さい」
兵士もとい自警団員が一行を促した。
扉を開ける兵士もとい自警団員の額には、脂汗が沢山浮かんでいる。腫れ物扱いされることに慣れている錬金術師ではあるが、この態度が単に、身分の差から来るものではないことを感じていた。
「……じゃあ、お言葉に甘えようか」
考えていても仕方がないので、錬金術師は馬車へ乗り込んだ。
それに続こうとしたアリスであったが、荷物の目方に気付いて立ち止まった。
「これらはどうしましょう?」
アリスは少女と荷物を持ち上げて、団員に見せつける。
見た目は華奢なメイドの芸当に、団員達は目を剥いた。
だが、最初に口を聞いた団員だけはすぐに態度を改めた。
肝の据わった様子から、彼が兵士たちのリーダーであることが窺える。
「君も早く乗って!」
リーダーが、アリスから少女を受け取って押し込める。
「荷物は後で我々が必ずお運びしますので、従者殿もお早く」
促されたアリスは、手近にいる別の団員を指さして「そこの体格のいい貴方」と呼びつけた。
呼ばれた団員が、「ええ? じじじ、自分でありますか?」と、どもりながらアリスに近づいた。
「よろしくお願いします。重いので、お気をつけて」
気安く荷物を受け取った団員を、誰が咎めることが出来るだろうか。所詮女の細腕と侮ったとしても、それが一般的な感覚である。
しかし、そんな憐れな彼は「ぐわーっ!」という悲鳴と共に、凶悪な質量に押し潰れされてしまった。
「大丈夫か? おい、しっかりしろ!」
「何だこれは? ビクともしねえぞ!」
仲間を助けようとする部下を横目で見ながら、リーダーはアリスの着席を見届けた。
リーダーが馬車の扉を丁寧に閉じて、御者席へと回りこむ。
「早く出してくれ。大至急だ」
御者の隣へ座ると、リーダーが命令した。




