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第一章 珍客 

第一節


 廃れた街道の途中に、その酒場は建っていた。

 元は食堂を兼ねた宿屋は、近くにある町の影響もあって、非常に賑わいを見せていた。

 町の住人を始めとして、陽気な商人たちで溢れていたのも、今や昔の話である。

 残念ながら、ここに昔日の面影はない。スネに傷のある連中ばかりが集まって、店はいつの間にか、酒場を兼ねた娼館となり果てていた。

 もっとも、店としては、羽振りが良くなって万々歳ではある。

 ただし、ここの店主、生来潔癖のきらいがあって、店の現状を愁いでいたりする。

 今、そんな店主がカウンターに陣取りながら、読んでいた俗本から目を上げた。

 店主の視界に映るのは、酔った勢いで馬鹿騒ぎする、胡乱な常連客である。


「……いい加減、河岸を変えるかな」


 店主が溜息をついた時、駅馬車の停まる音が響いた。

 それから程なくして、店の扉がギイッと開かれる。

 中に入って来たのは、全身をローブで覆った大柄な人物であった。

 店内にいた全員が、その人物に視線を向ける。


「またか」


 店主がぼやいて、再び俗本に目を落とした。

 店がこうしてうらぶれたのも、町で起きている事件のせいである。

 もっと言えば、それを究明してやろうと息巻く冒険者が原因であった。

 そもそも冒険者とは言っても、中には手配中の犯罪者すら紛れ込んでいる始末で、実態はゴロツキの集まりである。

 そんな事実にも関わらず、町の代表者が募っているので、性質たちが悪い事この上ない。

 役立たずのゴロツキが来るおかげで、善良な人間はどんどん去っていく。しかし、誰も事実を糾弾できるわけでもない。


 ローブの客が、店内にゆっくりと歩みを進める。

 普段ならば、新顔に洗礼を浴びせようといきり立つ冒険者たちであるが、今回ばかりは静かであった。


(はて?)


 静寂な客に、店主が疑問に覚えた時である。

 ローブの人物が、店主の前まで来た。


「少しいいかい?」

「何だ……ゲッ!」


 店主は仰天した。

 

 果たして、ローブの人物は、変わった意匠の赤い甲冑を着ていた。

 顔はもちろん、全身をくまなく装甲が覆っており、背中には覆いを被せた長い荷物を背負っていた。

 ベテランの冒険者でもまず見ない重装備である。。

 返答に詰まった店主が、カウンターに置かれた珍客の手に目をやった。

 籠手ガントレットに描かれた特徴的な紋章に、店主は度肝を抜かれてしまう。

 羽の着いた杖に二匹の蛇が絡みついたその紋章は、広く一般的に畏怖の対象である。


「フフフ、フラメルの紋章! れ、錬金術師!」


 裏返った店主の声に、珍客がヘルメットのバイザーを上げた。目元が露出しただけであるが、その表情は少し困惑しているように見えた。


「ああ、うん……。騒がせてゴメンな。少し聞きたいことがあるんだけど、今いいかい?」

「あ、はい」


 人懐っこい男の声に、店主も緊張を解いた。


「失礼しました、錬金術師様。どういった御用向きでございましょうですか?」


 長いこと使っていないせいで、店主は敬語を忘れていた。


「最近ここらを脅かしている、事件についてだけどさ――」


 店主を咎めるわけでもなく、珍客が本題に入っていく。


「――という事がありまして」


 店主が知っている限りのあらましを、珍客こと錬金術師に話し終えた。


「ありがとう。これは少ないけどお礼ね」


 錬金術師はそう言って、店主に硬貨を何枚か握らせた。

 踵を返し、店主に背を向ける錬金術師である。

 その背中には、店主が目にした紋章がでかでかと描かれていた。冒険者たちが騒がなかった理由である。

 しばらく茫然としていた店主であったが、手元の硬貨を慌ててポケットにしまいこんだ。

 

――金貨である。

 対価にしては、明らかに過分であった。そんな大金を、ここにいる連中に見られる訳にはいかない。

 件の客が遠ざかったのを見計らって、客が再びざわつき始める。


「錬金術師様が来たとあっちゃあ、ここらで潮時かな」

「まったくだ」

「俺はあんまり詳しくないけど、あいつらそんなに凄いのか?」

「おめえ、錬金術師といや、そりゃあもう天下無敵の存在だぜ?」


 客の雑談に、店主も俗本を読むふりをしながら耳を傾けていた。ちなみに、動揺していたせいで、持っている本は逆さまである。


「なんてったって、あいつら摩訶不思議な術を使うからな。何千もの軍勢をたった一人で屠っちまうんだぜ」

「おいおい、それはいくら何でも言いすぎだろ?」

「ばーか! 俺は戦場で、実際にこの目で見たんだよ。遠くにいるはずのあいつらが何かやらかしやがったと思ったら、味方が一瞬で細切れになったんだぜ。後に残っていたのはただの肉片よ。思わずションベンちびったね。あれを見てから、俺はもう一生あいつらには関わるまいと決めたね」

「でもよぉ、それなら近づけたら、何とかなるんじゃね?」

「もちろん俺達もそう思ってたさ。でもよ、あいつらは素手でも強いんだぜ。信じられるか? お高そうな鎧を、これみよがしに着込んだ騎士様のどてっ腹に、パンチで大穴を空けたんだぜ? まあ、味方がやられたとはいえ、流石にあの時はいい気味だと思ったけどな。あんなもんとやり合えって言われたら、俺は今度こそションベンどころかクソを漏らす自信があるぜ」


 今一つ自慢になっていない武勇伝を聞きながら、店主はいよいよ店仕舞いを本格的に考えていた。



第二節


 酒場のすぐ近くに、駅馬車の停留所が在った。

 一口に停留所とは言っても、その管理ときたら杜撰極まりない。うらぶれた土地柄に相応しく、標識は落書き塗れで時刻表も滲んでよく見えない。

 地面はペンペン草が伸び放題となっており、朽ち果てたベンチにも同じ物が生えている始末である。そのベンチにしても、ムカデまでが這っていて、とても人が座れた代物ではなかった。

 とどめとばかりに、藪蚊や蚋ブヨまでがブンブンと飛び回っている。常人であれば、一分たりともじっとしてはいられない有様である。

 そんな辺鄙で鬱陶しい場所にも関わらず、今、若い女が一人ぽつんと佇んでいた。

 微動だにせず、誰かを待ち続ける女の歳は十代後半と見えた。

 しかしながら、特筆すべきはその容姿である。

 美々しい顔立ちに加えて、背丈も男の平均に迫る程であった。

 うなじが見えるよう短く切り揃えられた髪は眩しい銀色で、瞳は燃えるような赤である。

 偏執的なまでに美しいプロポーションは、人目を引いて憚らない。

 強いて難を言うなら、その表情はどこか硬かった。暑い季節にも関わらず、汗の一つも浮かべていない顔からは、人間味が感じられない程である。

 そんな彼女が纏っているのは、シンプルな藍色のロングドレスと白いエプロンである。頭にはフリルのついたヘッドドレスを着け、手には白い長手袋を嵌めている。

 履いている革のブーツだけが、彼女を旅人と推察する唯一の根拠であるが、端的に言えばメイドである。

 この目立って仕方がないメイドは、さっきから度々ガラの悪い通行人から、ちょっかいをかけられていた。

 結論から言えば、わざわざメイドが言葉を返すまでもない。

「ようよう、姉ちゃん――」と言いかけた通行人たちは、メイドのエプロンにある刺繍を見るや否や「失礼しました!」とだけ言い残し、ことごとく踵を返していくのである。

 通行人たちを、メイドは首を傾げながら見送り続けていた。纏っているエプロンの赤い刺繍は、羽のついた杖に二匹の蛇が絡みついていた特徴的な意匠であって――つまるところ、錬金術師と同じ紋章である。

 もっとも、メイドが人目を引く理由は、その特異な容姿だけではない。隣に無造作に束ね置かれている、膨大な荷物のせいでもある。


 そんなメイドの下にやって来たのは、さっきの錬金術師である。


「待たせたな、アリス」

「お帰りなさいませ、旦那様」


 錬金術師が語りかけると、メイドが恭しく答えた。


「せっかくのお言葉ですが、通算してたったの十分と三十三秒ちょうどです。これは、待たせたうちには入りません」


 メイドことアリスが、時計も見ずに言った。

 全くもって慇懃無礼かつ、的外れな物言いである。

 しかし、錬金術師は別段気を悪くせず「そうかね」とだけ応じた。


「それで、情報ネタの方は如何でしたか?」


 アリスが尋ねる。


「うーん、目的地に間違いはないみたいだなー。でも、特に目新しい話があったわけでもなかった。ただなあ……」


 言い淀む錬金術師を見て、アリスが「ただ?」と追随するように聞いた。


「まーた言われたんだよな……」


 錬金術師がうんざりとした口調で答えた。


 アリスは「ああ」と合点がいったかのような相槌を打つ。


「〝錬金術師〟ですか?」


 アリスが続けた。

 錬金術師が「うん」と首肯する。


「仕方ありません。文明レベルの低い外界の人間にとっては、科学もオカルトも似たような物なのでしょう」

「そうだな」

 

 アリスの慰めに答えつつ、錬金術師が周りを見渡した。


「それにしても、何とも未開な所だよな。少し聞いた話だと、昔はもう少し栄えていたらしいけど……。ざっと見たところ、この辺りの文明も、中世レベルがいいところかな。そんな中でも、例の町は自治権がやたらと強いらしい。それに、一応は民主制を採っているみたいだ。これは少し面白いかもな」

「そうですね」


 錬金術師の感想に、アリスが同意する。


「はあ……」

 錬金術師のため息は深い。


「まあ、〝魔術師〟と呼ばれないだけマシだと思っておくよ。確かに、科学――とりわけ化学ばけがく史をひも解いてみると〝錬金術師〟の方がまだ適切だからな」

 自身を納得させるかのように、錬金術師が続けた。

「そもそも科学とはだな――」

「……」


 延々と続く錬金術師の講釈を、アリスは黙って聞いていた。


 そうして、何やかんやで小一時間が過ぎた時である。


「おや?」


 何かの存在に気付いて、アリスが視線を上げた。


「大体な、これはフラメルの紋章じゃねーよ! ヘルメスの杖、あるいはマーキュリーと言ってだな、古くから学術や医療の象徴として――」


 アリスを意に介さない錬金術師である。


「それでも、分かったことがありますね」


 アリスが強引に話を打ち切った。


「な、何だ?」


 錬金術師が我に返った。


「ここら一体の治安が、すこぶる悪いということですっ!」


 言うが早いか、アリスは背後を振り返って地面を踏みつける。


「ぎゃあ!」


 悲鳴が木霊する。

 靴の下敷きになったのは、茂みから伸びる何者かの小さい手である。

 二人の死角に回り込み、荷物に手をつけようとしていた盗人である。 


「出てきなさい!」 


 手の持ち主に向かって、アリスが言い放つ。




 第三節


「痛いっ! 放せ、このっ!」


 アリスに組み伏せられながら、盗人は叫んでいた。


「ええっ……。マジかよ」


 思った以上に高い声の持ち主に、錬金術師は驚いていた。

 それもそのはすで、盗人の正体は年端もいかぬ少女であった。ぱっと見たところ、年のころは十を過ぎたばかりに見える。

 半袖短パンから覗く身体は細身ではるが、脆弱な印象は見受けられない。むしろ健康的に引きしまっている。

 ベリーショートに整えられた栗色の髪は、整った顔とよく似合っており、今後の成長を大いに期待させるものであった。


「いたた、これ折れた! 絶対腕折れたって!」


 少女が踏まれた腕を主張する。


「ちゃんと加減しました。折れてなんかいません」


 アリスが少女の主張を否定した。


「いーや、折れたね。マジで痛いし」


 頑なに被害者ぶる少女である。


「そうですか、それはご愁傷さま。貧弱な身体を恨みなさい」


 良心に訴えようとする少女であったが、アリスには通用しない。

 容赦のなさに気付いて、少女はさらに足掻いた。


「なあ、頼む! 見逃しておくれよ。この通り!」

「いいえ、許しません」


 少女が懇願するも、やはりアリスは冷たく一蹴するのみである。

 アリスが主人に向かって目配せをする。

 錬金術師が心得たとばかりに、荷物から縄を一本取り出した。


「ごめんよ、貧乏が高じてつい……。でもほら、こんな子どもの出来心なんだしさ。ここは一つ穏便に、ということで……」


 主従のやり取りを見て、いよいよ捕まると思った少女は、必死に言い訳を重ねた。


「貴女の手癖には、玄人特有の物が感じられましたが?」


 少女の言い訳を、アリスは一刀両断にする。


「いやいや、本当にこれが初めてなんだって! もうこんなこと二度としない。約束するよ!」


 少女が再度、アリスを説得にかかった。


「頼むよ、家には腹を空かせた弟達が沢山待ってるんだ……。ほら、若い内は矯正しやすいって言うしさ」


 少女が身の上を語って同情を誘う。


「でしたら尚の事、今すぐにでも、然るべき再教育を受けなさい」


 アリスは聞く耳を持たない。


「アリス、俺たちはこんなお子様に構っている暇はな。先を急ごう――」

「お子様じゃない! 私はもう十五歳だ!」


 錬金術師が言いかけるも、それを遮った少女である。


「えっ?」

「何ですって!」


 顔色を変えた主従を見て、少女は「しまった!」と後悔した。


「痛い痛い! ああっ、そんな所に縄を通すな! ぎゃあ!」


 アリスにふん縛られながら、少女は大声で文句を垂れていた。必死に逃れようともがく少女であったが、アリスはこれを的確に緊縛していく。その様子を、錬金術師は呆れながら眺めていた。

 往来のど真ん中で、少女が後手にマニアックな形へと縛られていく。ここらにたむろする連中を大いに刺激する光景なのであるが、主従の正体に気付くと、みんな見て見ぬふりを決め込んで通り過ぎて行った。


「せめて、もう少し優しくして!」


 アリスに哀願しながらも、少女は不思議に思っていた。騒ぎを避ける通行人の態度も勿論であったが、先程からアリスと呼ばれているこのメイドについてである。

 少女は足に自信があった。それこそ同年代はもとい、大人を含めたとしても並ぶ者はいないと自負していたくらいである。

 そのような少女であるから、アリスに誰何された瞬間も、当然逃走を計っていた。 

 それでも、アリスには簡単に追撃を許してしまった。

 動きにくそうな服装をしているこのメイドは、一瞬で少女の眼前に回り込むと、とんでもない力で少女を組み伏せたのであった。

 正に人間離れした身体能力である。


「ぐえぇ……」


 最後にギュッときつく戒められた少女は、苦悶の声を上げながら顔を上げた。その時初めて少女の視界に、エプロンにある紋章がくっきりと映った。


「え? 錬金術師?」


 青ざめながら、少女が小さく呟いた。その声色には、先程の虚勢は見られない。

 今更ながら、二人の正体を知った少女である。わざわざ死角から、背後に回り込んだことが災いしていた。


「今気付いたのか?」


 錬金術師が呆れ返る。

 少女はそんな問いに答えることもなく、全身の力を抜いて「ゆ、許して下さい」と、さらに小さな声を漏らす。


「許せません」


 アリスが毅然と拒絶する。


「貴女は罪を重ね過ぎました。一つは、未遂とはいえ、我々に盗みを働いたこと。もう一つは、嘘をついたこと。さらにもう一つ……何よりも私が許せないのは、その嘘で以って、旦那様の憐憫に付け込もうとしたことです!」


 そう言い放つと、アリスは少女の腰に吊ってある大振りなナイフを抜きとった。

 ナイフが少女の眼前に突き付けられる。


「ヒイッ!」


 殺されると思って、少女は目を瞑る。

 そんな少女の頭を鷲掴みにして、「しっかりと、その眼まなこに焼きつけなさい!」と言い放つアリスである。


「は、はい……」


 言われた通り、少女は恐る恐る目を開いた。

 少女の視界に刃が映る。

 目が開いたことをして、ナイフの刃を素手でボキリとへし折るアリス。

 あまりの怪力ぶりに、一瞬呆けていた少女であった。何が起こったかを理解した顔には、もう色がなかった。


 少女の様子を見届けたアリスは「しかし――」と、言葉を続けた。


「私が追いすがった時、咄嗟にこれを抜かなかったことだけは評価します。確かに、貴女にはまだ更生の余地があるのでしょう。命が惜しかったら、我々の言う事をお聞きなさい」


 アリスの命令に、少女は首肯で答えるのみであった。


(どっちが犯罪者か分からねーよ)


 二人のやり取りを見て、錬金術師は心の中で零していた。

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