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第十章 和解

第一節


 錬金術師が手紙を拾う、少し前のことである

 マチルダは走っていた。

 風のように町中を駆ける理由は、他ならぬ妹――ステラのためである。

 件の手紙は、マチルダが家で寛いでいる時に玄関の隙間から差し込まれた物である。

 文面を見てみれば、『父親の秘密が知りたければ、指定の場所まで来い』という、怪しさに満ちた内容である。

 マチルダは、ステラのコンプレックスをを知っていた。それは長い間、姉妹にあった軋轢の原因である。

 家に他人もとい錬金術師を入れたことで、表面上は沈静化した二人の仲ではある。だがしかし、根本的な解決には至っていない。

 もちろん、マチルダにしても、ちゃんとステラに父を語ろうとした。しかしながら、その度に、ある事実が言葉を喉元で押し止めるのであった。

 マチルダ自身が、父の事をあまり知らないのである。

 もちろん、その人となりや振る舞いは、マチルダの記憶に残っている。叩きこまれた学問や武芸といったものも、しっかりと身についていた。ただ、姉妹の父は、その過去――出自といったものを、終ぞ語らず仕舞いでこの世を去ってしまった。

 父に教えられたことを、マチルダはステラに伝えようとした。そして、今一つ上手く事いかなかった。

 ステラ自身が面倒臭がりであることも確かに理由であるが、マチルダ自身が臆していることもやはり大きからである。

 ステラは、そんな姉の心境を敏感に感じ取ったのである。

 父祖の系譜を知る機会を、マチルダは長い間待ち望んでいた。

 だからこそ、この胡乱な手紙に敢えて乗せられたのである。


「ぜえぜえ」と息を切らしながら、マチルダが目的地にたどり着く。

 そこは、とある商家の倉庫跡であった。町が没落するや否や、持ち主の商人は早々に出て行き、誰にも使われることなく放置されたボロボロの倉庫である。壁は隙間だらけで、最早その役割を果たしていない。ついでに言うと、周囲には雑草が生え放題である。

 マチルダが搬入口の横にある扉の取っ手に手をかけるも、鍵が掛かっている様子はない。

 中はガランとしており、空の木箱が積み上げられているだけである。屋根板に開いている穴からは黄昏の光が差し込んで、中を明るく照らしていた。


「誰かいないか!」


 マチルダが呼びかけるも、返事はない。静まり返った様子を訝った彼女が、中に歩みを進めると突然扉が閉まった。

 驚いて振り返ったマチルダは、無意識に剣の柄へ手を伸ばした。その様子を嘲笑うかのように、周囲に人の気配が現れ始めた。


「お前達は……」


 マチルダが声に出す。出てきた顔のいくつかは、彼女が追っている冒険者崩れのゴロツキであった。


「私を呼んだのは、お前達か?」


 マチルダが尋ねると、何人かが「ヒヒッ!」と下卑た笑い声を上げた。


「馬鹿じゃねーの? ホントに来やがったぜ、こいつ」


 その内の一人が前に歩み出て、いきなり言った。長身のマチルダよりも遙かに背が低い、痩身の小男である。


「ふむ、では私は謀ったと?」

「そんなもん、この状況を見たら分かるだろ、ボケナス!」


 マチルダが聞くと、小男が答えた。周囲もそれに反応して笑い声を上げた。


「団長さんに用があるのは――」


 言いかけた小男であったが、言葉を続けることはなかった。

 マチルダが間合いを詰め、小男の鼻面に拳をお見舞いしたのである。

 「グハッ!」という悲鳴と共に、小男が殴り飛ばされた。


「時間を取らせやがって……」

 

 小男の鼻骨を粉砕して、マチルダが呻くように言った。尊敬する父親をダシにされ、彼女の怒りは限界に達していた。


「大方、碌でもない事でも考えていたのだろうが、貴様らごときで、私をどうにかできるとでも思ったか!」


 その気迫に押され、周囲が一様に押し黙った。この女傑の武勇伝は、町中に知れ渡っている。

 マチルダが一歩足を進めると、皆が動揺して体をビクつかせた。

 その時である。


「うろたえるな!」

 

 倉庫中に声が響いた。ゴロツキ共をかき分けて出てきたのは、女受けしそうな長髪の美男子であった。ただし強烈な凶相の三白眼で、周囲の反応からも、これが頭目と見るのは容易い。


「貴様がこいつらのボスか?」


 マチルダが聞くと、美形は無言のまま頷いた。


「ようやくお目にかかれたな。今までどれだけ追っても辿りつけなかったというのに……。今更のこのこ出てくるとは、自首でもする気になったか?」


 挑発気味に言うマチルダであったが、内心では用心を怠らなかった。少々軟派な顔立ちとは言え、頭目の佇まいには一縷の隙もない。まさしく戦士のそれで、相当に腕が立つであろうことが見て取れた。


(だが、裏を返せば、厄介なのはこいつだけともいえる)


 美形もとい頭目の風体を見て、マチルダが分析する。


「丁度いい。この機会に全員召し取ってくれるわ」


 マチルダが剣を抜きながら言い放つ。

 しかし、臨戦態勢に入った女団長を前にしても、頭目は動揺を見せなかった。単にほくそ笑むだけである。


「いいのかな?」

 

 挑発的に頭目が言った。


「何のことだ?」


 意図するところが分からず、マチルダが聞き返す。


「おい! あれを連れて来い!」


 頭目が仲間に命令した。

 すると、人混みの中から、ボロボロになった小柄な人物が連れて来られた。

 人物の素性に、マチルダは大いに驚いた。


「ステラではないか! どうしてここに?」


 マチルダが言うように、転がっているのはステラであった。


「こいつはな、俺たちの仲間なんだよ」


 ステラに代わって、頭目が答えた。


「お前さんも、こいつが盗人の真似事をしていたのは知っているだろう?」


 畳みかけるように、頭目が続けた。


「なにっ! そ、それは本当か?」


 マチルダが誰ともなしに聞く。倒れたままのステラはそれに応じて、こくりと頷いた。


「どうして!」


 動揺を隠せない震えた声で、マチルダが聞いた。


「楽勝だったぜ?」


 ステラの代わりに答えたのは頭目であった。


「要は今のお前さんと一緒よ。親父の正体をチラつかせたら、ホイホイと喰いついてきたのさ。『親父の正体が割れたら、姉貴の出世に響くぞ』って具合にな」

「なっ……!」


 頭目の謀を聞いて、マチルダは声を詰まらせた。


「後はもう楽勝よ。一度悪事に手を染めると、抜け出す事は容易じゃない。何せ、こちらとしては、脅すネタには事欠かないんだからな。よく踊ってくれたわ。ハハッ!」


 頭目が続けて言うと、周囲もつられて「ギャハハハ」と下品な笑い声を上げた。マチルダはぎりぎりと歯を食いしばりながら、まだ平静を保っていた。


「でもな、いい加減こちらとしても、ただの盗人なんて利用価値がなくなってきたんだ。そこで、お前さんを強請ゆすろうと思ったんだがよ……。それを聞いた途端、こいつ狂ったように拒絶しやがったんだ。それでこの様よ」


 頭目が吐き捨てながら、地面に倒れているステラを蹴る。ステラが「ゲホッ」と苦しそうに咽た。


「き、貴様ぁ!」


 その途端、マチルダの堪忍袋の緒が切れた。


「おっと、動くなよ」


 マチルダの行動を牽制し、頭目がステラの首筋に刃を当てる。


「くっ!」


 人質を取られ、マチルダが踏み止まった。


「妹の命が惜しければ、剣を捨てな。なに、大人しくするなら、こいつだけは放してやる。お前が、あの軟弱市長を脅すため協力するならな」


 頭目の誘いに、一瞬迷ったマチルダであった。しかし、ステラの「姉ちゃん、逃げて……」という呼びかけを聞いて、彼女は剣を地面に放り投げた。カランという乾いた音が建物中に響いた。


「分かった」


 諦めた声で、マチルダが言った。



第二節


「何をする? 放せ!」


 ゴロツキ共に組み伏せられて、マチルダが叫んだ。そのまま乱暴に引き摺られて行き、ステラと共に柱に縛りつけられる。


「これはどういうことだ? 話が違うぞ! 騙したな!」


 マチルダが頭目に食ってかかる。


「誰も騙しちゃいないさ」


 頭目が答えた。


「妹も殺しはしない。でもな、解放するとも言ってない」


 マチルダの睨みを受けつつ、頭目が続けた。


「お前さんには、ここに残ってもらうことで協力してもらう。あの自警団は、お前さんが居なければ腑抜けの集まりだからな」

「何をするつもりだ?」


 頭目の答えに、マチルダが重ねて聞く。


「どうせ、こんなしけた町だ。そろそろ河岸を変えるんだよ。そのついでに、町からガメれるだけガメておくのさ。まあ、憂さ晴らしついでに、何人かぶち殺すつもりだけどな」

「くそっ!」


 物騒な計画を聞いて、マチルダが身を捩る。しかし、縄はビクともしない。


「人の心配をする前に、自分の心配をしたらどうだ?」


 マチルダを見下ろしながら、頭目が言った。


「前祝いとして、お前さんたち二人には、こいつらの相手をしてもらう。意味は分かるな?」

「……なっ!」


 頭目の言葉を聞いて、マチルダの全身が総毛立った。その瞬間、ゴロツキ共の手が姉妹に群がった。

 マチルダの上着が力ずくで引き裂かれ、豊満な胸が顕わとなった。


「や、やめろぉ……」


 ステラも弱々しい声で抵抗する。だが、そんな彼女の衣服も、姉と同様に剥ぎ取られていく。


「せ、せめて妹だけは見逃してくれ!」

「心配するな。殺しはしない。だが、二人とも連れて行く。お前さんたちには、商品としての価値もあるからな」


 マチルダの懇願を、頭目は無情な宣告と共に拒絶した。


「ヒャッハー! この胸のでかい女は、俺から先にやらせてもらうぜ!」

「だったら、俺はこのガキだ!」


 下卑た声を上げながら、ゴロツキ共が事に及ぼうとした時である。


「ああ、ここだったか」

 

 のんびりした声が建物中に響いた。


 

 建物にいた全員が、一斉に扉の方を向いた。そこには、紙袋を片手にした平服姿の錬金術師が立っていた。その口には、町で買ったと思しき黒パンを頬張っている。


「いやあ、たまには外の物を口にするのも悪くねーな。毎日が携行食ばかりだと、流石に飽きがくる」


 周囲の剣呑な気配を余所に、錬金術師がのたまった。


「何だてめえ?」

 

 頭目が沈黙を破った。

 その一方で、マチルダは錬金術師がスーツを着ていないことに気が付いた。それどころか、寸鉄一つ帯びていない。


「逃げろ! 術師殿!」


 マチルダが反射的に呼び掛ける。


「お、おい。まさかこいつ……例の錬金術師か?」

 

 ゴロツキの一人が言って、全員に緊張が走った。


「ビビるんじゃねー!」


 頭目が一喝する。


「確かこいつらは、あの大層な魔法の鎧がなけりゃあ、クソ弱いという話だ。そうだな!」


 頭目は、近くにいた配下に確認した。


「間違いないっす! 屋敷でそう言っていたのを、確かにこの耳で聞きました!」


 配下の青年が答えた。


 錬金術師が、青年の顔をまじまじと見つめる。青年の正体は、ついこの間、町中で主従を罠にかけた張本人である。


(そう言えば、この前も塀の上から屋敷を窺っていたな……)


 いつぞやの湯浴みの時を思い出す錬金術師である。

 頭目と青年の会話を聞いて、ゴロツキ共に余裕が戻った。


「だったら、ビビる必要はねーわな。やいやい、前はよくも仲間をいたぶってくれたな! 親分! 是非俺らにやらして下さい」


 ギョロ目の痩せた男が名乗りを上げた。その横には、胸甲を着たデブが斧を持って立っている。頭目は「よしやれ」と、それを許可した。

 ギョロ目がナイフを抜いて、錬金術師に詰め寄った。


「ようよう兄ちゃん」


 ギョロ目が錬金術師に話しかける。

 錬金術師は「ちょっと落ち着けよ」と言って、黒パンを牛乳で押し込んでいた。


「舐めてんのかコラ」


 ギョロ目が怒声を発した時である。錬金術師が面倒臭そうに、その喉元にヒョイと手を伸ばした。

 無言のまま、ギョロ目が俯けに倒れ臥す。


「テメエ! 何しやがった!」

 状況を理解できないまま、デブが激昂して斧を持ちあげた。

 斧が振り下ろされようとした正にその時、錬金術師が絶妙のタイミングで、デブの胸に横蹴りを見舞った。

 デブが空を飛んだ。

 そのまま、呆れるほど高い放物線を描いたデブは、無造作に木箱へと突っ込んた。

 デブはピクリとも動かない。

 ゴロツキ共の一人が駆け寄って確認すると、胸の骨が派手に潰されて、デブはこと切れていた。

 哀れな被害者を余所に、錬金術師が自分の手の平に目線をやって、渋い顔を作った。その手に握っていた物が、地面に投げ落とされる。

 ビチャッという音と共に、血と肉片が花を描いた。

 喉笛である。

 一瞬で、錬金術師はギョロ目の喉を毟り取っていた。ギョロ目の死体からは、血がどんどん溢れ出していく。


「ななななな……!」


 人間離れした暴力を見て、頭目が大きく動揺した。


「テメエ! 弱いはずじゃあ……」


 やっとのことで、頭目はそれだけを言った。


「お前らの認識は、間違ってはいねーな」


 パンを牛乳で流し込んで、錬金術師が答えた。


「確かに、あのスーツもとい甲冑がないと俺はアリスより弱い。ところで、いつ誰が普通の人間ごときに負けると言ったんだ? 全くもって丁度いい。お前ら、俺の憂さ晴らしのため死んでくれ」


 首をコキコキと鳴らしながら、錬金術師がニヤリと笑った。

 仕事とメイドに振り回され、今の錬金術師は鬱憤の塊である。

 ゴロツキ共が一気に青ざめた。

 血の饗宴が今始まった――。



第三節


 果たして、それは一方的な殺戮であった。浮足立ったゴロツキ共に、もはや頭目の統制は効かない。何よりその頭目が、完全に及び腰である。

 牛乳瓶を放り投げると、錬金術師は一気に、ゴロツキ共へと飛びかかった。姿が消えるほどの、恐ろしいスピードであった。


「よし! まずはお前だ!」


 錬金術師が、手近な一人に当たりをつける。

「へ?」


 状況を理解出来ず、男が間抜け面を作った。そんな男の横っ面に、強烈なフックが放たれる。

 首が真後ろにグルリと回転した。

 力なく倒れ臥す、男が一人。

 臆しながらも、近くにいた二人が、錬金術師に斬りかかった。

 二人の手首を握って、錬金術師は攻撃を受け止める。

 錬金術師が手に力を込める。

 乾いた音が、二つ建物中に響いた。

 手首からは骨がのぞいていた。


「痛え! 俺の腕、腕がっ!」

「ぎゃ~っ! ほ、骨! 骨が出てる!」

 

 錬金術師は、泣き喚く二人の髪の毛を掴んで、強引に地面へ引き摺り倒す。

 後頭部を強打して、二人は物言わぬ躯と化した。

 そんな中、ゴロツキ共の一人が、もたつきながらもクロスボウに矢をつがえた。


「く、喰らいやがれ!」

 矢をつがえた男は、錬金術師に向かって引き金を絞った。

 クロスボウ専用の短くて太い矢は、時速数百キロで、錬金術師の側頭部へと迫った。


「何だこんなもん」


 錬金術師がヒョイと矢を受け止める。

 人工筋肉と超電導神経を移植された改造人間の前には、クロスボウの矢など、止まった棒に過ぎない。


「お返しだ!」


 錬金術師が矢を投げ返す。


「ぐわっ!」


 額に矢を受け、弓手は絶命した。


「ば、化物だ!」


 誰かが叫んで、ゴロツキ共の連携は完全に瓦解した。

 皆が散り散りになって、出口へ殺到した。頭目にしても、それは例外ではない。

 しかし、倉庫の出口は一つだけである。全員が集まったせいで混み合って、出口は役割を果たさなかった。

 錬金術師はその隙を逃さない。最後尾にいた男の首を掴んで、鶏を絞めるかのように頸椎をへし折ってしまった。

 錬金術師は続いて、近くにいた男の脚を掴んで引き倒した。倒された男は、そのままジャイアントスイングでブン回されて飛んで行った。

 飛んだ男は、柱に叩きつけられて頭を潰された。


「に、逃げろっ!」

「こっち来んな!」

 

 逃げられないと悟った連中は、建物の中へ引き返した。

 皆がバラバラとなって、建物中を走り回る。それを例えるならば、鬼ごっこであった。子どもの遊びと違うのは、捕まったら死ぬ、ただそれだけである。

 ある者は腹を蹴られて内臓を潰し、またある者は後頭部から地面に叩きつけられた。

 中には自棄になって反撃を試みる者もいたが、その攻撃はヒョイヒョイと鮮やかにかわされて終わった。

 とんでもない威力の打撃や、投げ技を盛大にくらって、ゴロツキ共が虫ケラのように死んでいく。


「う、動くな!」


 突然の声が、建物中に響きわたった。

 錬金術師が「何だ?」と声の方を向くと、頭目が再び姉妹を人質にとっている。


「ここここ、こいつらを殺すぞ!」


 どもりながら、頭目はマチルダに剣を突きつけた。マチルダの首が少し切れ、真っ赤な血が肌を伝った。

 錬金術師は警告を聞かず、ズンズンと頭目へ向かって行く。


「き、聞こえねえのか! ほほほ、本当に殺すぞ!」


 頭目が金きり声を上げ、マチルダの髪をつかんで顔を乱暴に引き起す。マチルダが「ぐっ!」と唸った。


「ふう……」


 一息入れて、錬金術師が足を止めた。


「へへへ……」


 頭目が表情を緩める。


「やってみろ」


 錬金術師の言葉に、頭目は目を丸くした。


「お前の死が確実になるだけだな」


 それだけ言うと、錬金術師が再び歩みを進めた。

 頭目の顔には、動揺が戻っている。

 その時である。マチルダが縄をほどいて立ち上がり、頭目の顔に手を伸ばした。

 顔をのけぞらせ、頭目が「うっ!」と呻いた。

 袖にナイフを忍ばせていたマチルダであった。

 不意打ちを受け、頭目の鼻先に赤い線が走った。

 マチルダが、落ちていた自分の剣に飛び着いた。

 剣を構えて、マチルダは頭目に向き直った。


「うん、それがいいな」

 

 錬金術師が立ち止まって言った。

 頭目もすぐに立ち直り、マチルダに向かって剣を向けた。

 しかし、それでも絶体絶命の状況である。錬金術師とマチルダの双方を警戒し、頭目は落ち着きを見せない。


「そうだ!」


 錬金術師が閃いて言った。


「お前がマチルダを倒せたら、見逃してやるよ。それでどうだ?」

「ほ、本当だろうな?」


 錬金術師の提案に、頭目が聞き返した。錬金術師が大きく頷いて答えた。


「有難い。こちらとしても、助けられてばかりでは面子が立たない」


 マチルダも武人の矜持を見せた。



 頭目とマチルダは、互いの距離をジリジリと詰めていく。

 そうして、一足一刀の間合いまで近づいた時である。


「死ねっ!」


 頭目の方からの仕掛けである。

 上段からの袈裟斬りがマチルダを襲う。


「何の!」


 動きを読んでいたマチルダは、敢えてそれを剣で受けない。

 頭目の懐に飛び込みながら、マチルダが胴を薙ごうとした。

 カウンターである。


「小賢しい!」


 しかし、頭目の方も負けてはいない。

 頭目は、マチルダに体ごとぶつかってきた。

 マチルダの剣先は威力を殺され、大男の腹の皮一枚を切っただけで終わった。

 体当たりをまともに受け、マチルダが地面に転がる。


(こいつ、やはり他の連中とは違う!)


 受け身を取ったマチルダは、最初の疑惑を確信に変えた。


「ほう」


 二人を余所に、剣戟に見入っている錬金術師である。


「へへへ……」


 勝利を確信した顔で、頭目がマチルダににじり寄る。

 マチルダが剣を脇に構えた。

 どこまでも正直なマチルダに、頭目が口角を上げた。

 大ぶりな軌道の一振りを、頭目は距離を取ってかわした。

 ただし、マチルダの剣先は土塊を巻き上げていた。


「なにっ?」


 頭目が目を閉じた。


「クソッ! 目くらましか!」

 

 頭目が悪態をつく。

 その瞬間が決め手であった。頭目の下顎をマチルダの剣がドンと貫いたのである。

 剣先がそのまま、頭目の後頭部まで突き抜けていた。

 頭目は白目を剥いて、意識を手放した。



第四節


「ハアッ、ハアッ!」


 息を荒げて、マチルダが膝をついた。

 勝負を見届けて、錬金術師は後ろに回していた手を下ろした。

 そんな錬金術師の腰ベルトには、ちゃっかり拳銃が一丁挟まれていた。


「お見事」

 

 錬金術師が労いの言葉をかけて、タオルを手渡す。

 マチルダがタオルで胸元を覆って、周囲をグルリと見渡した。

 倉庫に広がるのは、見渡す限りの死屍累々である。


「礼を言わねばならんな。それにしても貴殿、やっぱりと言うか、素手でも無茶苦茶強いではないか」


 汗を拭きながらマチルダが言った。


「……それくらいじゃないと、アリスに殴られたあの日に天に召されていたぜ」

 

 錬金術師が言うと、マチルダは微妙な表情を作った。

 そんなマチルダを置いて、錬金術師は死体を「ひい、ふう、みい」と数え始める。


「ところで、一つ聞きたいのだが」


 タイミングを見計らって、マチルダから切り出した。


「何だ?」


 錬金術師が聞く。


「さっきの勝負、もし私が負けたら、本当にあれを見逃したのか?」

「まさか」


 マチルダの疑問を、錬金術師が否定する。


「私が死んでも殺したと?」


 マチルダが重ねて聞いた。


「それもねーよ。お前が危なくなったら、一瞬で割って入るつもりだった。そういう都合のいい手段を、俺たちは持ってるんだ」


 錬金術師が答えた。


「……そうか」


 マチルダが納得して、転がってるステラに向かった。


「あ、姉ちゃん」


 ステラがボコボコになった顔を上げた。マチルダは剣でステラの縄を切った。


「この、大馬鹿者が!」


 自由になったステラに向かって、マチルダが叱責する。

 ステラが折檻を覚悟して目を瞑った。

 しかし、マチルダはステラを優しく抱き締める。


「すまない、ステラ。お前の苦悩をもっと分かっていたら、こんな事にならなかった。本当によく耐えたと思う。全てはこの姉の責だ。許してくれ」


 マチルダの謝罪を聞いて、ステラの頬を涙が伝った。

 ステラはそのままワンワンと泣き出す。

 こうして、姉妹の間に本当の和解が成立した。


 その時である。扉が勢いよく開いて大勢の人間が入って来た。

 市民の通報を受けた自警団員である。


「動くな! ……え?」


 先頭にいた副長が大声を出すも、眼前の死体の山に声を失った。


「あれ、団長とステラ? それに錬金術師様まで……。この有様は一体?」


 副長が続けて聞いた。


「ああ、これはだな……」

 そこまで言って、マチルダは言葉に詰まってしまう。事情が事情とはいえ、真実をそのまま話せば、妹の罪を告白することになる。

――周囲に重苦しい空気が満ちていく。


「いや~、マチルダ君、お見事だったな!」


 沈黙を破ったのは、錬金術師であった。


「ステラ嬢を使って賊の内偵をしていたとは、この俺もおみそれいったぞ!」


 錬金術師が続けた。


「ステラにしても、賊の仲間に入る振りをして周囲をここまで欺き通すとは、中々出来ることではない。身内を使った横紙破りとは言え、こうして事件の解決に結びついたのだ。勲一等に値する功績と言えるんじゃねーか? うん?」


 有無を言わさぬ口調で捲し立てながら、錬金術師は副長に詰め寄った。


「団長の手柄は自警団全員の手柄だろ。これで君らも、晴れて正規の役人となろう。市長には、俺から進言しておくよ。これからも、彼女たちの良き隣人となってくれ」


 錬金術師は副長の手をガッと掴んで言った。

 そのどさくさにまぎれて、錬金術師は副長に金貨を手渡す。

 茫然としていた副長も、すぐに袖の下に気がついた。


「はっ! よしみんな、さっさと死体を片づけるぞ!」


 答えた副長が、他の団員に命令した。

 団員達も、特に異議を唱えることもなく従った。


「どうやら取りこぼしがあったみたいだけどなー」


 死体を数え終えて、錬金術師は後顧を憂いていた。



 マチルダの死闘が、終わる前後である。


「ハァハァハァ……!」


 青年が一人、息を切らせつつ路地裏を駆けていた。この青年、錬金術師とアリスを罠にかけた上、弱点まで暴露した張本人である。

 倉庫の出口が混みあう寸前に、青年だけが抜け出す事に成功していた。

 度々後ろを振り返りながら、青年は懸命に駆けていた。


「ここまで来れば……」


 青年が安堵して速度を緩めた。

 そのタイミングを見計らって、脇道から人影が躍り出る。


「どうも」

 

 アリスである。


「うわぁ!」

 

 青年が叫ぶ。このメイドの蛮勇は、当然青年も知っていた。


「ゆゆゆ、許してくれ!」


 腰を抜かしながら、青年がアリスに請う。

 しかし、アリスは無表情を崩さない。


「見逃してくれ! 家には腹を空かせた弟達が待っているんだ!」


 どこかで聞いたような青年の懇願に、アリスの眉根がピクリと動いた。


「頼むよ。これからは、天に誓って真面目に生きていく!」


 青年が続ける。


「あの団長の妹も簡単に許したんだろ? 聞いてるぜ。お、俺にも温情をくれるよな?」


 ニタニタと笑う青年に、アリスが表情を和らげた。


「そうですね……。見たところ、貴方もまだお若いようですし」

「ああ、今年で十八だ。へへへ……」


 アリスの穏やかな表情に、青年が安堵する。


「お断りします」

「へ?」


 アリスの断言に、青年は間抜け面を作った。


「貴方は勘違いされております。まず一つ、根本的に状況が違います。そもそもステラ嬢は、旦那様に刃を向けてはおりません」


 アリスは言うと、青年の頭を両手でガシッと挟みこむ。


「そしてもう一つ。私とて、簡単に許したわけではありません。町中をさんざん引きまわして、存分に辱めを受けていただきました。加えて、姉であるマチルダ嬢からの折檻。そこまでしてようやく、ステラ嬢の罪は償われたと判断したのです」

「ひっ!」


 講釈を垂れるアリスの拘束は強く、青年は逃げられない。

 ミシミシと音を立て、アリスの指が青年の頭に食い込んでいく。


「さてさて、貴方の所業はどうすれば贖えるのでしょう?」

「あ、ああああ……」


 アリスの問いに、青年は死を覚悟した。


「貴方の宗教にある概念かは知りませんが、来世の始まるまで、ごゆっくりとお休み下さい」 


 言い終えると、アリスは両手にグイッと力を込めた。


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