第九章 策戦
第八章 策戦
第一節
次の日の朝である。
錬金術師は自室で研究に没頭していた。
現在、この部屋にアリスはいない。化け物もといロボットの動向を見守るため、出かけているのである。そのため、今の錬金術師は大層な甲冑を纏っておらず、平服姿であった。
ビーカーに入れられた水が、ランプで熱せられて、ゴポゴポと沸騰している。
しばらくして、火が止められた。錬金術師がその中に、採取した土を入れて攪拌する。
ひとしきり、かき混ぜられたそれは、今度は濾紙を敷いた漏斗に流された。比較的透明になった水が、さらに別のビーカーに移されていく。
最後のビーカーに水銀柱を突っ込んで、その目盛りが減るのを見ながら、錬金術師は中を観察する。
「よしよし」
少し時間が経って、錬金術師が声を漏らした。
「これだけ粗雑な方法でも、在ればしっかりと析出するわな」
ビーカーの中に出来た結晶を見て、錬金術師は呟いた。
そうして、再びビーカーの中に出来た物が濾過された。出来あがった結晶が、傍らに置かれていた小皿に盛られていく。
錬金術師が結晶を砕いて、粉末状になったそれを一匙分掬った。それをプレパラートに移し、顕微鏡にセットする。
「確認終了……っと」
顕微鏡をのぞきこんだ錬金術師が呟いた。
錬金術師が一連の作業を終えた頃、部屋の扉が鳴った。
「私だ」
声の主は、マチルダである。
「どうぞ」
錬金術師が答えた。と同時に、マチルダが部屋に入ってくる。
「おお!」
マチルダが机の上を見て、感嘆の声を上げた。
「これぞまさしく錬金術師だな」
「そうかい」
マチルダの感想を聞いて、錬金術師は微妙な表情を作った。
「ところで、何の用だ?」
錬金術師が聞く。
「おっと、そうだった」
マチルダが用件を思い出す。
「昨日は騒がせて申し訳ない」
「そんなことは、気にしてねーよ」
マチルダが詫びたので、錬金術がそれを受け入れた。
「本来なら、昨日の内に済ませておくべきだったのだが……実はだな、父の工房が、この屋敷には残っているのだ。御覧になるかな?」
マチルダの言葉に、錬金術師の目が光った。
「それは興味深いな。是非とも拝見したい」
錬金術師が言うと、マチルダが「そうだろう」と嬉しそうな顔を作った。
そうして、屋敷の離れに案内された錬金術師である。
「ここが……」
開かれた扉の中を見て、錬金術師が思わず声を漏らす。その眼前に広がっているのは、数々の機材が揃っている研究室であった。
「ガラス器具に天秤ばかり。どれも地元の職人謹製のようだな……。うん? あそこにあるのは遠心分離機じゃねーか。 あそこの箱は、ドラフトチャンバーかな?」
目をせわしなく動かしながら、錬金術師が部屋の中を見分していく。
「お気に召したかな?」
そんな錬金術師の様子を見やって、マチルダが声をかけた。
「……ああ、思った以上に凄かった。あんたもここで?」
錬金術師が答えながら、マチルダの技能を量った。
「いや、私はそっちの方はあまり……。父は滅多にここへは立ち入らせてくれなかった。もっとも、ゆくゆくは教えてくれるつもりだとは言っていたけどな。残念ながら、その前に死んでしまったから……」
答えるマチルダの顔に、錬金術師はステラと同じ物を見た。
「そうだ。もし貴殿さえよければ、ここの部屋を使ってくれないか?」
「いいのか? 親父さんとの思い出の場所だろ?」
マチルダの提案を、錬金術師が遠慮がちに聞き返した。
「構わん。そもそもだな――」
言いながら、マチルダは棚に在った本を手に取った。
「これらのほとんどが、私たちには分からない異国の言葉で書かれている。このままでは、どうせ宝の持ち腐れだ。ひょっとして、博識な貴殿なら読めるのではないか?」
本を手渡しながら、マチルダが言った。
「どれ」
錬金術師は表紙を開いて、ザッと中身に目を通した。
「ああ、この言語なら知ってる」
「やはりな。だとしたら、私からもう言う事はない。好きに使ってくれ」
錬金術師の答えにマチルダの顔が綻んだ。
「おっと。邪魔をしては悪いな」
マチルダが手を振って、部屋を後にする。
後に残された錬金術師は、もう一度ぐるりと部屋を見回した。
「『最後まで本は売るな』か……。散々アイツに煩く言ってきたが、俺が教えた事を愚直に守ってたのか。装備を逸失してもなお、これだけの蔵書を手元に残しているとはな……」
憂う錬金術師の視線は、本棚に注がれている。
その隣には、薬品棚らしきものがあった。
「うん?」
何気なく薬品棚にも目をやった錬金術師は、そこに置かれているガラスの瓶に注目する。ツカツカと薬品棚に歩み寄った彼は、瓶を手に取って、それをしげしげと観察した。
「そりゃあね、よくよく考えればあるはずだよなー……」
ガックリと肩を落としながら、錬金術師が呟く。
瓶に貼られているラベルには、錬金術師が先程作っていた物と、同じ物が記されていたのであった。
第二節
部屋に戻って、同じ作業を延々と繰り返す錬金術師である。
(何も、他に見つかったからといって、量があるにこしたことはない。そういう意味で、私は無駄な事をしているわけではない。最初から何も問題はなかったのだ)
頭の中で、錬金術師は徒労を正当化していた。
直後、コンコンと扉が鳴った。
「旦那様、ただいま戻りました」
声の主はアリスである。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
錬金術者が断りを入れて、甲冑を着始める。
錬金術師がヘルメットを被ったその時、部屋の扉が開かれた。
「お待たせしました」
ブーツを泥塗れにしながら、アリスが入ってくる。
「御苦労さん」
錬金術師が労いの言葉をかけた。
「報告を」
ヘルメットの接続を確認して、錬金術師がアリスを促した。
「まずはこれを」
アリスが金属製の太い筒を取りだす。
「大口径のマッチロック式マスケット――所謂火縄銃だな。銃身には、酷く緑青が浮いている……。おそらく青銅か真鍮で出来てるんだ。アイツの物だろうな」
「これと似た物が、山のあちこちで散見されました」
錬金術師の見分に、アリスが付け加える。
「あれの足跡を辿ってみたところ、地中からはい出た形跡を見つけました。人為的な崖崩れですね。しかし、ここは元来地盤が緩い所でもあります。長い月日が経って、さらに崩れてしまったのでしょう。少なくとも、あれが這い出る程度には……」
「流石に丸腰では挑まなかったんだな。要するに、誘き寄せて生き埋めを狙うという寸法か。苦肉の策だったろうに……」
アリスの報告を聞いて、錬金術師が目頭を押さえる。
「旦那様の方は、如何でしたか?」
黙りこくった錬金術師を見て、アリスが聞いた。
それに答えるかのように、錬金術師は作り出した粉末を匙で少し掬った。そのままランプの火にくべると、粉末はバチバチっと音を立てて爆ぜた。
「見事な硝酸カリウムです」
アリスが感想を述べる。
「それだけど、実はだな――」
錬金術師は、午前中の経緯と自身の心の内をアリスに話した。
「それは、旦那様が正しいかと」
アリスが続ける。
「有るかどうか分からない物に賭けるより、確実性を選ぶ方が評価できます」
「そうか」
アリスの意見を聞いて、安堵した錬金術師である。
「それと、アイツの部屋を漁ったらこんな物が見つかったよ」
錬金術師は気持ちを切り替えて、アリスに紙束を渡した。
受け取ったアリスは、文字通り人間離れして速度で、ペラペラと捲って目を通す。
「なるほど。やはり、彼女たちの父親は、あれの存在に気づいていたのですね」
書かれている内容を読み終えて、アリスは紙束を錬金術師に返した。
「そうだな」
錬金術師が相槌を打って続ける。
「もう随分と昔、この町に来た当初から発見していたらしい。アイツにとって計算外だったのは、ちゃんとした準備が整うまでに、あれを解放した人間がいたことだな」
山で見かけた躯を思い出しながら、錬金術師が答えた。
「計画通りにいけば、確実に破壊できますからね」
アリスが錬金術師に同意する。
「こんな場所では、まともな爆薬は作れない。でも、幸いにも硝石が手に入る」
錬金術師が一呼吸おいて続ける。
「とは言っても、頑丈な降下ポッドに守られている手前、単純な発破では確実な破壊を狙えない。黒色火薬なら尚のこと。下手したら、起動を促しかねないしな」
「それで、これですか……」
錬金術師の意見を聞いて、アリスが紙束から一枚の図面を引き抜いた。そこには、長い筒状の鋳物が描かれていた。
「そうだ。この場合確実な方法は、大きな運動エネルギーをぶつけることだな。カノン砲による射撃だよ。幸いにも、目標はじっとしているわけだから簡単だ。原始的に思えるかもだけど、その威力は馬鹿に出来ない。野砲程度なら不安が残るが、艦砲や要塞砲並の大きさなら、言う事はないな。至近距離でまともに食らったら、二十世紀型の戦車ですら行動不能になるだろうよ。あんなちょっと装甲を纏った程度のロボットなど、降下ポッドごと粉々に出来る。そもそも一発だけ撃てたらいいんだから、大砲も単純な物でいいわけだしな……」
錬金術師が饒舌に語っていく。
「しかし、肝心の砲がありません。そもそも完成にまで至っていないうえ、鍛冶屋はもうここにはおりません。旦那様がお作りになっている暇も、ないと思われますが?」
アリスがもっともな指摘をすると、錬金術師は「いやいや」と首を振った。
「何もかもアイツに倣う必要なんかねーよ。とっくに、ロボットは目覚めて動き回っているんだ。アイツが知っていながら、使えなかった技術を俺たちは持ち得ているんだぜ。つまり〝電気〟だよ。並列回路を組んで、電気発破をかませばいい。地雷原を作って、ロボットを誘き寄せてしまえ」
口角を上げながら、錬金術師が答えた。
「なるほど、流石は旦那様です」
アリスが納得して称賛する。
「して、電源はどちらから?」
続けてアリスが聞いた。
「お前の接続端子から流してやればいいじゃん。何せ、お前の中には強力なジェネレーターがあるんだ。簡単だろう?」
錬金術師がそのまま続ける。
「ただの黒色火薬だからな。こいつは火花さえ跳べば引火する。雷管など必要ない。まあ、ショートを防ぐため、コイルくらいは巻いておくけどな。導線ごと焼き切るつもりで、大電流を流してやれ」
「……無理です」
アリスが拒絶すると、二人の間に気まずい沈黙が流れた。
「は?」
しばらくして、錬金術師が間の抜けた声を上げた。
第三節
「いやいやいや」
錬金術師が慌てた口調で言う。
「冗談だろ?」
「いいえ」
錬金術師の確認を、アリスはやはり否定した。
「確かに、私の接続端子から電流を流す事自体は可能です。ですが、この機能は本来通信のために設けられたもの。ここから取り出せる電圧は、変圧器でかなり制限されております。家電を動かす事すら叶いません。そもそも、私自身発電機やバッテリーとして設計された訳ではありませんので、どうしてもと申されるのでしたら、この身体を分解していただくしかないかと」
アリスが淡々と理由を述べた。
「……それは出来ない。お前は戦力の要だ」
錬金術師がアリスの出した提案を否定する。それを聞いて、アリスは一瞬寂しそうな表情を作ったのだが、錬金術師はそれに気付かなかった。
「ああ、しまった。またしても俺のミスじゃねーか。持ってきている乾電池程度で、そんな大電力ひねり出せねーぞ。このスーツに付いている端子にも、お前のそれと同じことが言えるしな……。そうだ! いっそのこと、スーツからパワーセルかコンデンサを取り出して……。いやいや、それこそ駄目だ。そもそも俺自身、パワードスーツは専門じゃない。壊してしまうなんて論外として、機能が低下する事も避けたいんだ。これもやはり貴重な戦力なんだし……」
錬金術師が苦悩する横で、アリスは黙ってそれを聞いていた。
「仕方ね―な」
錬金術師が、諦めたように零した。
「どうなされるおつもりで?」
アリスが聞く。
「取りあえず、銃弾をバラそう。それで急ごしらえの電気雷管を作ることにする。弾丸も貴重だが、この際仕方がない。幸いにも、簡単な工作機械は持ってきているからな。それで俺のスーツか、お前自身のどちらかの端子に繋いで発破するのが取りあえずの方策だ。数Aくらいなら、流せるだろう?」
「抵抗値次第ですね……。それでも、結局のところ、戦略的な幅が狭まっているように思えます」
錬金術師の計画にある穴を、アリスが指摘した。
「確かに、これじゃあ確実性に乏しいかもしれない。やっぱり、独立した大きな電源と発破装置は欲しいところだよな。しかし、今の俺たちには、お前やスーツの電源以外に、ちゃんとしたバッテリーの持ち合わせがねーな……。あっ!」
アリスの指摘を受けた錬金術師が、突然何かを思いついたかのような声を上げた。
「何か妙案でも?」
「確かここらの埋葬は、土葬のはずだろ」
アリスが聞くと、錬金術師が死者の弔い方について述べた。
「それが何か?」
意図する所が分からず、アリスが聞き直す。
「アイツは確か、体内にインプラントを埋め込んでいたよな。それを使わせてもらおう」
「ああ!」
錬金術師が言って、アリスはようやく納得した。
「しかし旦那様。こればかりは、住人からはもちろんのこと、あの姉妹からも許可を得られるとは思えません。彼らの目には、所詮墓荒らしとしか映らないでしょう」
アリスが指摘すると、再び二人の間に沈黙が流れた。
「……仕方ねーよ」
錬金術師が切り出した。
「下に置かない扱いを受けていても、所詮俺たちは嫌われ者だ。あの二人が、それに加わるだけの話だな」
錬金術師が答える。その顔に憂いがあったことを、アリスは見逃さなかった。
「旦那様のお望みのままに」
アリスが錬金術師に向かって頭を垂れた時である。家人が慌てて出て行く音が、屋敷中に響いた。
「何だ?」
「足音から察するに、マチルダ様ですね」
錬金術師が聞くと、アリスが答えた。
「マチルダの休みって、確かまだ数日はあるはずだろ?」
「はい」
錬金術師の確認に、アリスが同意する。
「それにしても、何やら慌てているご様子でした」
アリスが続けた。
「まあ、休み中とはいえ、彼女の場合は仕事が仕事だしな。何か、急を要することでもあったのかな?」
錬金術師は楽観的に続けた。
「さて、俺たちも仕事に取りかかろうぜ。アリスも再び対象の監視に戻ってくれ。私はこのまま作業を続けておく」
「承知しました」
錬金術師の命令を、アリスが厳かに受け入れる。
「では、行って参ります」
「ああ」
アリスが出かけて、錬金術師がその背中を見送った。
「……そうだよ」
一人になって、錬金術師がボソリと零す。
「全てはこのスーツなんだよ。何で今まで気付かなかったんだ? 何も、四六時中着ている必要なんかねーじゃん!」
ロボットを見つけてからは、一人になる時間が出来た錬金術師である。
錬金術師は甲冑を再び脱ぎ始めた。
「こんな物着ているから、みんな警戒するんだよなー」
そしてこの錬金術師、外へ出かけるつもりである。いい加減息抜きを求めても、誰にも責められることはない。ついでに言えば、本当に調査が目的でもある
「だからこれはサボりじゃない。うん」
錬金術師は、誰かに弁明するように言った。
浮足立った錬金術師が、そのまま玄関に向かった。
「あれ? 何だこれ?」
床に落ちていた紙きれに、錬金術師が手を伸ばす。
果たして、それはマチルダ宛ての手紙であった。




