第2話
本日のバイト先は、深夜まで営業している居酒屋だ。有名な居酒屋のチェーン店ではなく、近所のおっちゃんご用達という感じの店。隠れ家風なところがなんとなくお気に入りだ。
平日の夜9時といえば、仕事帰りのおっちゃん兄ちゃんたちで埋め尽くされる。
酔っぱらいのおっちゃんときたらけっこうしつこい。行く先々で彼女はいるのかとか、将来の夢はとか、部下にバーコードとあだ名を付けられていたとか、訳のわからない有り様になる。
そんな中、僕の視界に有り得ないものが入り込んできた。
毛糸の帽子に黒縁メガネ、あんたは歯医者かと聞きたくなるくらい大きなマスク。
入って来たのは、僕の背後でよく見かける青年だった。
「あ、お一人様ですか」
口から出たのは、口に慣れすぎた接客マニュアル。
応えは首を小さく上下に動かすのみ。
「カウンターでもよろしいですか?」
接客マニュアルに小さな首肯。カウンターまでご案内決定だ。
それにしても珍しい。いつもなら店の外で待っていて、出て来た僕と目が合うだけで逃げるのに、今日は堂々と店内まで乗り込んできた。いったいどういう心境の変化なのか。
カウンターのイスに腰を下ろすと、帽子メガネマスクのままぼそっと「生」と告げる。
「生ひとつですね。お料理がお決まりでしたらお呼びください。……あ」
革の手袋を取ると、その指には、送り出した我が子とも言えるシルバーの指輪がはめられていた。気に入ってくれてるんだなぁ、と嬉しく思った直後、違和感に首を傾げる。
確か彼のイメージに合わせて作ったはずだ。それなのに、なぜか今指輪をしている彼とイメージが合わない。ストーカーの彼に合わせるて銀と黒で飾ったんだけど、今の彼は銀に金と赤を入れた方が似合うだろう。なんだろう、このイメージのズレは。
「あ。別人か」
思わず結論を口に出してしまった。ということは、ストーカーの彼は僕の指輪を気に入らなくて、このひとにあげてしまったのか。我が子同然な作品なだけにショックだ。
まぁしかたないか。有無を言わさず渡したアクセサリーだもんね。いらなきゃ誰かにあげるしかないよな。
僕の呟きに、ストーカーによく似た彼が驚愕の表情で僕を見上げた。
「……なぜわかった?」
ということは、別人説はやはり正解らしい。
「だってイメージ全然違うじゃないですか」
初対面じゃパッと見わからなかったけど、一度見たら間違えはしないと思う。
そう答えた途端、黒縁メガネの下で形のいい目が爛々と輝いた。その顔はほとんど隠されているのに、信じられないほどの美貌だった。
「なるほど。紫苑が惚れるだけはある」
「しおん」
話の流れからいくと、それがストーカー青年の名前なんだろう。
「俺は兄ちゃんだ。生年月日は一緒だけどな。俺は板東蘇芳。弟がいつもお世話になってるっつうか、迷惑かけてるな」
板東蘇芳、ということはこのひとの方が芸能人だったか。美貌も納得だ。ふぅん、ストーカーは双子だったんだ。
「迷惑なんてかけられてないですよ。毎日ご飯作ってもらってる僕の方が、むしろお世話になってますから」
答えた瞬間、面白そうな顔をする。
「へぇ。俺の名前聞いても無反応、ね。まぁこれを聞けばさすがに反応するだろ」
なにやら楽しそう。まばたきをひとつ、話を待つ。
「部屋一面に君の隠し撮り写真」
驚きに目を見開く。それは知らなかった。
僕の反応にうんうんと頷きながら彼は話す。
「いや、我が弟ながら気持ちの悪い奴だよ。マジ引いたね。まぁアレを見て、俺は君を知ったんだけど。本当に悪かったね。俺からもやめるように言ったから安心して」
「あ、じゃあ今度からは正面から写真を撮りに来るんですね。ちょっと照れますね。僕、写真撮られるの慣れてないんですよ」
「え。……は!?」
すんごい驚かれた。え。そういう話だよね。
「部屋一面に君の写真だぜ? しかも隠し撮り。話したくなかったが、風呂なんかの室内の写真まであるんだぜ? それを見ながらハアハアシコシコやってんだぞ」
ハアハアシコシコ。
脳裏に半纏を着た紫苑さんが、こたつに入ってシコシコのうどんをハアハア言いながら食べている様子が浮かんだ。そうか。僕と一緒に食べている気分なのか。けど風呂の写真かぁ。窓全開で入ってるからなぁ。全然気づかなかったよ。
「別に構わないですけど。でも僕だけ撮られてるのって不公平ですね。紫苑さんなんて、顔もまともに見せてくれないのに。あ。蘇芳さん、紫苑さんの写真あったら僕にくれませんか。そうしたらちょっとは平等っぽいですし」
次第に顔を台に突っ伏し、小刻みに全身を揺らす。どうしたんだろう。
「ぶ」
ぶ?
「だーははははッ」
カウンターをバンバン叩きながら大爆笑だ。
その笑い声に、店の大将に大声で呼ばれた。
「オイッ たー坊、料理出しせぇや、料理出し!!」
油うっとんやないぞ、というわけだ。
それにしてもたー坊って。大将からしたら僕なんか「坊」なんだろうけどさ。大将のおかげで、もはや店の常連の誰もが僕を本名の樹と呼んではくれない。
「それじゃすいません、席外します。メニュー決まりましたらお呼びください」
立ち去ろうとする腕を掴まれる。掴んだのは、笑いすぎて涙目になった蘇芳さんだった。
「あの」
「気に入った。今日はなん時に上がるんだ、樹」
店の中でたー坊じゃない名前を呼ばれるのはなんだか新鮮だった。なんで僕の名前を知ってるか、なんてストーカーさんの身内に聞くのは愚問というものだろう。
「あと一時間半ですけど」
なんでそんなこと聞くんだろう、なんて思いもしない。隠すことでもないし、と終業時間を教えた。
「そうか。なら、それまで待ってるから、一緒に帰ろうぜ。紫苑に会わせてやるよ」
蘇芳さんの言葉に首を傾げる。
「紫苑さんなら、僕がバイト終わる頃に外の電信柱の後ろにいますよ」
だから、特別に会わせてもらわなくても毎日会えている。
「ぎゃははは! 電信柱の陰! マジかよ! 紫苑、超キモいな!」
なぜか大爆笑。
その笑い声に、僕はいよいよカウンターの中にいる大将の目が見られなくなる。すみません、蘇芳さん。本当にそろそろ行かないと怖いんですけど。
「いや、今日は紫苑は来ない。俺が散々脅した上に、マネージャーを見張りに置いてきたからな。外には出られないはずだ」
「紫苑さんを見張る? どうして?」
「うん。板東蘇芳の弟がストーカーなんてスキャンダルはマズいから、ストーカー行為を禁止したんだ」
なるほど。蘇芳さんは芸能人だもんな。身内がストーカーって嫌か。ん? じゃあやめさせるって、写真を撮ることじゃなくて、ストーカー全部のこと?
それは困るな。
とにかく話は後だ。
「すみません。仕事しないといけないんで。また後でお話聞かせてください」
「あぁ、悪かったな。仕事中に。じゃあまたな」
分厚いメガネ、デカすぎるマスクの下で、蘇芳さんはにっこり笑った。
うん。看板で見た芸能人のオーラ放ちまくりの綺麗な笑顔より、僕はこっちの方が好きだな。彼のイメージに合わせて何か作りたくなった。指輪、いや、腕輪もよさそうだ。なんにせよ、創作意欲をかき立ててくれる人だ。
そんなことを考えながらカウンター内に戻った僕を待ち受けていたのは。当然ながら額に筋を浮かべて微笑む大将だった。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。