自己紹介
自分はガチる。
真に受けすぎるし、
どんなことにもくよくよと悩み続けて体調を悪くするほど、そのことに執着する。
町山智浩さんが映画の要素としてイノセントの解説をしていたと思う。
純粋であるということは
日本では良い意味で使われることが多いが
悪い言い方をすれば、子供っぽい、頭が悪いということだ。
自分はそんなところがあると思う。
受身体質だ。
だいたい他人に何かしらやってもらおうとする。
何かを決めるのも自分から発することはまずない。
あーでもないこーでもないとなって
結局、自分の言ったことは採用されないだろうと思うと何もいえなくなってしまう。
あるツイキャスを聞いていて
よくある言説として
女に関わるとろくな事がない
金がかかるとか喧嘩になるとか話しかけると通報されるとか。
だから女なんかに関わらないという結論を出してはじめから関係を持とうともしない
これが現実的な方法だと本気で思っている連中がいるがまったくのお門違いで。
女性へのアプローチが下手だから、女の扱いが分かってないから変なことが起きるだけで
普通は女性と関係を持っても問題なんて起きない。これが現実ですよと。
まったくそうだと思った。
がしかし自分は
始める前からもう悪い予想を立てて、
こんなひどい目に合うのだから止めようと思ってしまうようなやつだ。
かといってどうやっていいかも分からない。
やってみようと思って思い切ってやると変なことになってしまう。
よくよく考えないからいけないのか。
いちいち気にしすぎることがいけないのか。
どちらにせよ、それが自分等存在なのかもしれない。
こんななさけない存在を受け容れるしかないのか。
行動を起こすとどうしても違和感を覚える。
なんか卑屈になっているなと思ってしまう。
違和感の無いように振舞おうとしてもそれが返って違和感を生み出したり。
今、福田恒在の人間・この劇的なるもの
を読んでいる。
その中である人物は
世間からどんな風に思われようとも気にしない。
批判とか非難とか嫌われることを恐れないと。
もしかしたら嫌われることや非難されることを恐れているのか。
思い切れないところはある。
北に行きたい人が道に迷い、立ち止まって方向を探す。
しかし
本当は北でも南でもなく今まさにたっている場所が目的地だったとしたら
方角が無くなり迷いが無くなる。
という話を聞いた。
こうやってくよくよ悩み、小さなことで心臓ドキドキで
気が小さくって、頼りなくって、いろんなことに不満があって
イライラして、他人の言動がいちいち気になって
それこそがまさに自分自身だった。
そうならざる得ないのが自分だったということかもしれないと思った。