#295~力は近い~
「……」「……っ……」
樹癒と平岩は互いに視線をぶつけるだけでどちらも動こうとしない。
どちらも なんて声を掛ければ良いか・どう釈明すれば良いのか 分からず、咄嗟に口を開けないのだ。
「むむぅ……」
飯吹はそんな二人の出方を窺い、彼女も動かなかった。
「……いつまで”乳繰り”あっているつもりなんだ?……雄二が”ラヴィダヴィ”だったとは驚きだが……まぁ、ココは屋内で、曲がりなりにも個人の空間だ。俺個人としては、言うほど問題には思わないが……」
そこで樹癒は嫌味にネイティブな英語で相手に声を掛ける口火を切った。
合衆国では冗談交じりの事を言う際、それを言い表す言葉の後に、特に意味のない似た様な言葉を続ける習慣がある。
樹癒が今言った”ラヴィダヴィ”とは愛する人の意味の”Lovey”と、特に意味の無い似た様な発音の”dovey”を続けている。日本式に表すとさしずめ、”ラブラブぅ~”と囃し立てている様な言葉だ。
「……ぃゃ……」「……ん?……」
ココで平岩と飯吹の態勢を整理しよう。
飯吹は両手を平岩の頭を挟む様にして壁につけ、胸で平岩を壁に押し付けているのだが、平岩は身長が高い屈強な男性だ。
対して飯吹は女性の中では身長が高い方の部類だが、平岩の方が圧倒的に身長が高く、飯吹が平岩の顔の横に手を付けるなんて事は到底出来るコトではない。
しかしそれでも飯吹は今の壁ドン状態を作れている。それはなぜかと言うと、平岩は腰をかなり落とし、飯吹は踵を浮かせて背伸びしているからだ。
つまり、この状態を傍から見ると、平岩は進んでこの状態を作り出している様に見えるだろう。
本当の所は、この部屋のインターフォン受け口が平岩にとってかなり低い位置に置かれ、それを見るのに彼が中腰で顔を上げてモニターを見つめていた所を、横から飯吹に抑え付けられていたのだが……
「……ぁのっ「……ぁん!」ぁ、スミマセン……」
平岩はソコまで考えを巡らし、そう弁解しようと身じろぎするのだが、彼を押さえつけている飯吹の”ドコか”を思わず擦ってしまう。
飯吹は平岩が動く事を想定していなかったらしく、”ドコか”を擦られて、甘ったるい声を思わず漏らしてしまっていた。
「……はぁ……、”賢人さん”がココを出るのに……その後を継ぐであろう”雄二”はコレか……」
樹癒は平岩達の細かいやり取りを見る事が出来ず、二人がイチャイチャしている様に・又は、その様を見せつけている様にしか目に映らない。
くんずほぐれつな男女の、特に平岩を見つめて、今後を憂えている様にして頭を抱えている。
「……ぁ、す「ドンッ ゲッミィ ゥロォング、まぁ、聞け、俺は別に雄二を責めるつもりはない。俺はどちらかと言うと……雄二が”ノーマル”だったと分かって、むしろ安心している。」え?……」「……ぅ?……」
そんな態度の樹癒へ平岩が口を向けたところ、樹癒はまたも嫌味にネイティブな英語で平岩を黙らせた。英語で”誤解するな”と言っているのだ。
「……ねぇ、ちょっと、黙って聞いてたけどさ……年上の平岩さんに舐めた口ききすぎじゃない?親しき仲にも礼儀アリだよ!」「……ぁ、はぁ……」「ふん……」
そこで言葉を挟むのは、この場では年長である平岩を自身の胸で壁に押し付けていた飯吹だ。
彼女は身体も向けて樹癒の言葉遣い等を諫める様な・注意する様な事を言う。
飯吹から解放された平岩は人知れず息を吐いていた。
「……大事な事を1つ言っておくが……ここに住む者は”異性を招き入れる事”が禁じられている。つまり、”雄二”は責められる事を今している訳だ。そんな”ヤツ”に払う礼儀を俺は持ち合わせていない。」
樹癒としても”これは言っておかなければならない。”と言う感じで飯吹に言葉を返す。
「いやでも……”平岩さん”は貴方の事を”イッキューさん”って呼んでるのに、「ぁ……」貴方は”雄二”って呼び捨てで……横から見てると”さん付け”と”呼び捨て”をするのが普通とは逆で、見てて感じが悪いよ?」
そこで旗色が悪くなってきている飯吹は相手に対して”感じが悪い”と抽象的にダメ出しをした。
「ふん……これもどちらかと言うと、”雄二”が悪い。俺たちの”おばさん”は、家のルールとして、俺達は互いに”呼び捨て”で呼ばなければならない。とした。……それを破って”雄二”は俺に”さん”をつける。……わかりましたか?どちらが悪いのかを……俺も本意ではないんですよ。”普通と違う”……と言う事は言われなくても分かっています。」
樹癒はココで、”おばさん”の存在・”家でのルール”を盾に弁明する。
「うっ!?……”おばさん”ルール?!……」
そんな弁明を聞いた飯吹は言葉を詰まらせ、平岩の方へ顔を向けた。
”虹の子”らにとって、”おばさん”と”おじさん”は絶対だ。
彼ら彼女らの面倒を見てくれる、見てくれていた者達の俗称である。
「……ぁ、はい。」
平岩も”その言葉に嘘は無い”と肯定する返事をした。
「……ぁ、ごめん……平岩さんの方がおかしかったのネ……こりゃー確かに平岩さんの方が悪いワ……」
飯吹は樹癒の理論に自分の敗北を認め、樹癒に”言っている事に間違いはない”と謝罪の言葉を口にする。
人の交流や力関係に口出しするのは、それが例え不自然であっても、他人が口を出すモノではないのかもしれない。
「……でも、ココ……”女の人は立ち入り禁止”なの……だったら……」
飯吹は平岩の様子がおかしかった事を理解する。どうやらこの建物の賃貸契約の条件は”男性限定”らしい。
飯吹は”……だったらそう言ってくれても良かったのに”と言う言葉を視線に込めて平岩に向ける。
「それも違う。ここの明言化されているルールは”異性を招き入れる事を禁止”と言うだけだ。”立ち入り”自体は別に認められている。「ぁ、そうなの?……」まぁ、それも”賢人さん”が決めた独自のルールだから……それも”賢人さん”が出ていくからには時期に終わるだろうが……」
樹癒は飯吹の言葉を拾って細かく訂正を入れる。
どうやらそのルールも賢人が決めたらしい。
彼を”市長”としてだけ知る者なら”らしくないルール”と言えるかもしれないが、”妻一筋”の賢人を知る者なら”想像に難くないルール”と言えた。
「……まぁ、ともかくだが……その”賢人さん”が雄二を呼んでいる。「えっ?賢人さんが?」ああ、場所は”となり”だ……」
樹癒は話が脱線していたのを戻した。
彼は一階にあるコンビニの中・イートインスペースにいた所で平岩を見かけ、コンビニの出入り口を塞いでいた上の階・分譲住宅の階に住む中年男性を躱し、エレベーターで追ってきた目的を果たす。
「あぁ!賢人さんがコッチに!……ぁ、じゃあ、飯吹さん、スグにスマホをお譲りします。契約は多分……ドコデモ出来るので……申し訳ないんですけど……後はお一人で……」
そこで平岩は賢人がこの”7カラ11カイ”に訪れている事を知り、飯吹への対処を簡単に終わらせようと喋り出す。
「「……」」
その切り替えの早さと、”賢人が近くにいる事を知り、内心喜んでいそうな雰囲気”を感じ取る樹癒と飯吹は、彼を”黙って”見つめていた。
「……はぁ……うん……」「……コイツは……」
飯吹は帰されそうな事態を受け止め、樹癒は身の毛もよだつ様な声音を人知れずに飲み込む。
「……ふっ、……」「……んっ?」
だが、樹癒は隣に視線を向けて妙案を思いついたらしく、微笑を漏らす。
飯吹はその微笑を耳ざとく拾っていた。
「……雄二、悪いが”賢人さん”から”雄二を呼ぶ”様に言われたのは一時間前だ。「……えっ?一時間も前?……」下の階で雄二が帰って来るのを待っていたら遅くなってしまった。「……な、なんで?電話でもしてくれれば……」スマン、雄二の動きを読み誤った。スグに帰って来るだろうと思っていた……悪いが、一刻も早く隣に向かってくれ。これ以上待たせるのは俺もさすがに心苦しい。」
樹癒は飯吹に渡す物を取りに行こうと、奥の部屋に身体と精神を向けている所で言葉を追加する。”賢人さんは待ちぼうけを食らっている、出来るだけ急いでくれよ”と。
「……っ、」
そうなると平岩は見ていて”面白い”と思えるほど行動と表情がそれを見る者に筒抜けだ。
飯吹に視線を向けて言い出しにくいのか喋るのを躊躇っている。
「あの……申し訳ありませんが……、……聞いての通り、今は忙しいので……その……日を改めて貰えれば……最後までお付き合いするので……今日の所は……」
「はぁ……ん?……」
今の平岩の優先順位は”賢人>飯吹”で、こうなる事は火を見るより明らかなのだが………
どうやら樹癒はその一歩先を見ているらしい。
「あぁ、賢人さんの事情は別に”雄二1人だけでなければ駄目”って訳じゃない。”飯吹さんなら”連れて行っても良いんじゃないか?そのあと彼女の用事を済ませればいい。……大事な人なんだろう?”賢人さん”にとっても。」
樹癒は”飯吹なら連れて行ってもイイ”と囁いた。
「……えっ?いや……ぇ?……」
平岩は樹癒の言葉を否定しかけるが今一度考えなおす。
確かに、賢人が自分の命よりも大事と言う”娘・春香”を救ってくれた者・若しくはそれに協力した者なら、むしろ会ってお礼を言いたい者の筈だ。
そして、賢人は別に、妻以外の女性をないがしろにする無作法者ではない。
どちらかと言うと、本心ではホレっぽい質で、それを制御する為にも女性を遠ざけている節がある。
「……じゃあ、”今回は特別に”と言う事で……賢人さんの所にご案内します。その後”携帯電話をお譲りする”と言う事で良いですか?「うんうん」……じゃ、じゃあ……スグ隣なので……行きましょう。」
こうして平岩は靴を履き、樹癒の隣を通って隣の401号室・賢人が借りていた部屋へと向かう。
・平岩の借りている402号室の施錠 ・すぐそこにいる樹癒・飯吹が未だに靴下姿で部屋にあがっている
のを放置しながらだ。
盗られて困る様な物が部屋にないのか、それとも二人を信用しているのか、平岩の感覚がずれているのか、はたまたそれら全てなのか……
「ねぇ?”キユさん”、貴方の声ってどこかで聞いた事がある気がするんだけど……私達はどこかであったことある?」
飯吹は玄関の土足部分で自身を見ている樹癒に声を掛ける。
「さぁ?……まぁ、私は清虹署に出入りする”弁護士”をやっていますから、会った事はあるかもしれません。……直接話した事はありませんが……」
樹癒は特に隠そうともせずに飯吹へ言葉を返した。
「ふぅん……そっか、弁護士さんかー……ならそうなのかも。」
二人は視線を合わせようとせず平岩の部屋を後にするのだった。
飯吹は特に自己紹介を樹癒にしていないが、飯吹は清虹署の仮眠室等でほぼ生活していた者だ。
面と向かって会ってはいなくとも、すれ違ったり、声を聞いていてもそこまでおかしい話しではない。
……のかもしれない。




