#250~力の敵は~
『ガタンッ!』
長髪男は場所を移される。透明なアクリル製の板と地面に固定されている奥行きが短いテーブルで部屋が二分されている面会室だ。
彼のいる方ではない空間の奥に面会時の会話などを記録する際に使われる机が一つ置かれている。
被疑者の勾留中は家族や友人が基本的に被疑者一人につき一日一回だけ、十数分の面会が許されている。
その時は警官が会話等の記録係・立会人として一人付くのだが、面会する相手が弁護士の場合は時間や回数、立会人が必要、という制限がされていない。
『ガチャ……「どうも、弁護士の国近です」……ガタン』
派手な衣装の女性が一人、面会室に入室する。彼女の胸元にはいつの間にか弁護士記章が光っていた。俗に言うと弁護士バッチである。
これまでは彼女が着ている衣装のヒラヒラ部分にバッチを隠していた様で、今は胸元あたりのヒラヒラ部分を寝かせる様にしてしまっているらしい。
「……」「えっと……」
長髪男は無言で頭を下げて彼女に視線を送る。顔の腫れが引いていて特筆する事は無いのだが、まばたきが少なく、目を点にして何かを訴えかけてきている様な感覚を国近は覚えていた。
一見すると、ガンを飛ばしている様に見えるかもしれないが、目じりやひたいに皺はなく、睨んでいる訳ではない様子が伺える。
「……」
国近の登場に、長髪男は口を真一文字に結び、言葉を返さない。
「……ごめんだけど、初対面だよね?」
国近は長髪男の素性や自身との関係性を計りかねていた。
「あのさ、私のトコ”一見さん”とか”縁もゆかり”もない人の依頼は断ってる訳よ……まぁ、”アドバイスと初回の電車賃・代わりの弁護士の紹介”ぐらいはサービスしてもいいけどさ……」
国近はどうやら”やり手の弁護士”と言っても”客を選ぶ”弁護士だった。
今回彼女は電話ではなく、メールを受けて呼ばれていて、相手を確認する前に出向いてきている。彼女はさらに続けて口を開く。
「……流石に逮捕されたら名前と住所ぐらいは言えよ……それ”黙秘”ってレベルじゃねーからさ……」
警察から大体の事情を聞いている国近は長髪男に説教をかます。
男は事件や自身の事について、一言も喋っていないらしい。
勿論だが喋れない訳ではなく、何かと要求はしているし、一緒に逮捕された短髪男は大事な細かい所は口を割らないが、それなりに事件について供述を始めているのだそうだ。
だが、短髪男は錯乱状態な様子がみられ、供述している言葉を借りると
”自分の事を言って良いか分からねぇ、一緒にいた奴は知らねぇ、一体全体何をしてたかもよく分からねぇ!俺らに指示を出したやつも詳しくは知らねぇ!!”
と、”ねぇねぇ”尽くしで、失敗して警察に捕まった今の状態を恐れ、供述している言葉も要領をえず、別次元で話にならないそうだ。
それでも短髪男の証言を信じるならば、彼らはアルバイト・小銭稼ぎの仕事であそこに居たと言う事で、曰く、”人に見つからない様にして、人の立ち入りを見つけたらそれを防ぐ”と言う、これまで人が来る事も無かった簡単な仕事だったそうだ。
「てか、私のメールアドレスはどこで知ったの?誰かに聞いた?」
どうやら彼女の私用の携帯電話に連絡を入れ、無下に出来ない連絡を長髪男は入れていたらしい。
「……あの、……”サークル”のノートに国近さん偽名の書き込みを見つけてて「あん?!今”サークル”って言ったよな?」……あっ、えっええ……」
国近は長髪男の言葉を確認し、男は”しまった”と言うニュアンスの肯定を返す。
「ふぅん、清敬出身なんだ?……それとも現役の学生?……まぁ、なら良いよ、あんたの弁護、私が請け負ってやるよ。」『ガッ、ギュ……』「……っ、はいっ!良いですか?」
国近は難色を示していたが、長髪男が清敬大学と縁のある者と知るや否や、二つ返事で弁護を請け負う旨の発言をする。
長髪男はそれまで大人しかったのだが、何か思う所があるらしく、腰を浮かせると前のめりになって頷いている。
「ならまずはアンタの名前とかをちゃっちゃと言いな。それと、何で”こういう”事になったのか?と、”コレ”に関係してるヤツ全員の名前と分かる限りの連絡先だ。後はアンタの家族の連絡先もだな。」
国近はぶっきらぼうに、今回の騒動に関して正直に供述する事を指示していた。
「……んっ、じ、実は……『コンコン、ガチャ……』「ん?……」……っ!」
長髪男が口を割ろうとした矢先に国近側の面会室の扉がノックされ、矢継ぎ早にドアが外から開けられる。
「……いやっ、何?まだ始まったばかり……ん?」
国近が”いくら何でも早すぎる”と接見終了に抗議の声を上げるも、どうやら”様子が”おかしい。
「いや……」
ドアの向こうからはこの長髪男を担当している捜査官がいて、頬を掻く様は何か報告する事がある様だ。
「……弁護士がもう一人来てるんだが……そっちの弁護士さんの事務所の人では……」
捜査官の後ろには眼鏡をかける、鞄を下げたスーツ姿の男性が立っていた。彼の左胸部分、スーツの切り込み・フラワーホールと呼ばれる個所には弁護士記章が光っている。
「どうも、沼岡と申します。」
捜査官の後ろに立つ、眼鏡にスーツ姿の弁護士男性はそう自己紹介して名刺を国近に差し出す。
「あ、はいはい……悪いけどこっちは今、名刺が無くてね……私は国近っていう、ほとんど”流し”の弁護士なんだけど……」
国近は雲行きの怪しさを感じ取り、あえて名刺を渡さない態度だ。
勿論だが国近は自分の名刺を持っていない訳ではない。
「あぁ、いえいえ、かまいません。”事情”は概ねで把握しています。」
沼岡は慣れた様子で国近に名刺を渡し、国近の態度に異を唱えない。
「……っ……清敬学校の顧問弁護士……」
国近は受け取った名刺に書かれている事を口から漏らす。
そこには”清法敬郷学校・顧問弁護士 沼岡樹癒”と書かれていた。
清敬学校が雇っている、学生や学校を弁護する者だ。
「……」
国近は不穏な空気を感じ取っている。
彼女は幸運な事に、とある変化を見過ごさなかった。
「……っ……」
彼等彼女等のアクリル板の向こう側に居る、被疑者の長髪男だ。
彼は捜査官がドアを開けた時、目に見える形で狼狽えていた。
だが彼は今、平静を取り繕っている。しかし先ほどの狼狽え様を見てからだと、また違った見解を導き出す国近だ。
「……」
「……どうやらダブルブッキングならぬ、ダァブルゥコントラァクッの様ですね、二重契約です。遅く来た身で申し訳ないが、そちらが手を引いて頂けると助かります。私はそちらの方の弁護をする、顧問契約をしていますので」
沼岡は国近が名刺を見て固まっている所へ、眼鏡のブリッジを押さえてから嫌味にネイティブな発音で畳みかけてきていた。
「……」
「あぁ……無駄足と手間暇、誠意として”コレ”を「……なっ……」あ、いえ、同業者のよしみとして、個人的な餞別です。これでここの近くでおいしいご飯でも食べていってください。」
国近が静かに考えている所へ沼岡は鞄から白い封筒を取り出し、国近にそれを手渡す。
厚みが少なからずあるそれは、触感として20枚程の紙が入っている。
普通に考えるとそれは、万札が入っているのだろう。
「……っ、ちょっ、ポンと渡すには非常識なモノが入っている気がするんですけど……」
国近はたまらずに言葉を返すが、沼岡はサラリと言葉を返す。
「いえいえ、われわれの誠意です、大したモノではありません。」
「……」
国近は黙って己の中の天秤を見極める。
・この被疑者、名前はまだ分からないが、長髪男を”助ける為”に渦中に飛び込むか、
・相手が顧問弁護士といえども、既に口約束レベルでだが自分が弁護をすると言っている。自分の信念に誓って”自分の信じる正義”を貫くか、
はたまた、・仕事とは元来、食う寝る所に住む所、を満たす為の手段で、それを脅かす可能性のある案件は見て見ぬ振りをするベキか……
「ぅ……」
「……すぅ……」
彼女は髪を伸ばした男・被疑者が身じろぐ方へ視線を向けてから、口を開く。
答えは最初から決まっている。なぜなら彼女は”やり手の弁護士”なのだから。
「……いやー臨時収入臨時収入、こういうのはパーッと使うに限るーん……」
国近は清虹署を出て、すぐ近くの飲食店に足を向けている。そろそろ昼飯時だ。
”景気づけで久しぶりに寿司でもー”と先ほど貰った封筒の中身の確認を始める。
「……って100円札ーーーーーー!!騙されたーーーー!!」
封筒の中には白いお髭の肖像画が描かれたお札、昔のお金の100円札だった。
厚みで予想した枚数はバッチリで20枚、計2000円だ。
プレミアが付いていそうな古いお金でも、後期に出回った100円札は額面どおりの価値しかない。これがもっと昔の100円札ならば一枚で100倍以上の価値が付けられていたりするが、白いお髭の肖像画が描かれた紙幣はその多くが額面通りの価値で、一応は今の時代でも支払いに使える事になっている。
つまりは往復の電車賃で600円ほど、ランチに1400円程と、ポンと渡すには妥当な金額だろう。
彼女は引くときは引くし、貰える物は貰う、白と黒とグレーを見極めるも、さほど稼げないし、そこまで稼ごうとはしない、”やりくりする下手な弁護士”だった。




