#231~力のにくしみ~
「……始め。」
「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお、ろーく、……」
男性の合図で春香は数字をカウントし始める。
「「っ、っ、っ、……」」
そのカウントのリズムで男性は腕立て伏せをしていて、その隣でも仮面ジャージ姿の知識が同じように体を上下させている。
「……さんじゅ、さんじゅいち、さんじゅに」「っく、待てっ……」
男性は春香にカウントを止める様に言った。『……はぁっ、はぁっ……』と口から息を漏らして鼓動を落ち着かせようとしている。
「……この身体はっ、筋肉が全然ないなっ、まぁっ、贅肉も無いがっ……」
人は身体を動かす事でエネルギーを消費するのだが、逆に食料を摂取する事でエネルギーを補給し、体を休める事で体力が回復する。
エネルギーの摂取とトレーニング等の運動を十分にして休養する事で筋肉が付くとされ、エネルギーを摂取しても身体を動かしてエネルギーを消費しなければ余ったエネルギーは贅肉として残る様に出来ている。
つまり、どう足掻いてもエネルギーを摂取しなければ筋肉や贅肉等が身体に付く事は基本的にない。
たまに”いくら食べても太らない”と言う人がいるが、それはエネルギーの消費が補給と同程度か、エネルギーの消費の方が多いと言う事になる。
これは同じ食事をしていても、人によっては食事をしてもエネルギーの摂取がうまく出来ておらず、そのまま便として捨てられて贅肉と筋肉のどちらも身体に付いていない可能性がある。
さらに、食事を取るタイミングではそのエネルギーを寝かしてしまう事もあり、その人の生活習慣等を含む遺伝によって左右されるとも言える。
男性はいま、知識と同じ様な造りの身体を持っているらしく、エネルギーの摂取・つまりは物を食べる事で肉に変える事がうまく出来ていないらしい。
「……はぁっ、今日はもう良いだろうっ……メシとっ……休養の時間だっ。」
男性はこの空間にいる他の二人へ、今日のトレーニングは終了すると告げた。
春香達三人はこんなやり取りをもう何度も繰り返している様子だ。
「……ふぅ、ふぅ、ふぅ、くっ……」
知識はジャージのポケットから携帯端末を取り出し、画面をタッチする事で操作を始める。
春香達の三人は今、他の空間と繋がる中央のテーブルがある空間に居るのだが、その空間ではとある変化が起こっていた。
『ブッ……』
テーブルが音を立てずに下がり始めたのだ。テーブルが置かれているスペースがエレベーターの様にして下へスライドして移動している。
『……ヒューン、カチッ』
床の下に降りて行ったテーブルだが、次の瞬間にはまたテーブルとそれを乗せる地面が同じ所に戻ってくる。
下に行ったテーブルが上がってきた訳ではなく、天井からそれらが静かに降りてきて、先ほどと同じように置かれたのだ。
つまり”テーブルが戻って来た”と言うよりは”新しいテーブルが天井から降りてきた”と言える。
先ほど下に行ったテーブルと今上から降りてきたテーブルには違いが見られない。
「……」
唯一の違いはテーブルの上に大きな物が置かれている事だ。
床下に行ったテーブルにはタブレット端末だけが置かれていたのだが、上から降りて来たテーブルにはタブレット端末の他にお盆が置かれていて、かなり手の込んだトリックと言える。
春香がこの空間に連れてこられてから恐らくは同じようにして食事や着替え・お風呂セット等が運ばれていたのだろう。
”見えない妖精が物を持ってきているのだろうか?”等と本気で思い始めていた春香だったが、知識がこの空間に来て早々に、何処からか物が運ばれて、いつの間にか物が置かれるトリックの種明かしをされている。
「……これは……」
テーブルの上のお盆に何があるのか、いち早く目にして認識する男性は言葉を漏らした。
お盆の上には大きな皿が一つ載せられている。
皿の上には握り拳サイズの丸い物が積み重なって置かれていて、白い物、オレンジ色の物、黄色い物の三種類だ。また、その皿の上には透明な容器がかぶさる様にして置かれている。
「……ふっ、貴様のっ、分も用意されているっ。」
知識の息は乱れたまま、春香に言葉を飛ばした。
「……ねえっ!?いつ私はお家に帰れるの?!いい加減にしてよっ!?話しが違うじゃない!!……」
春香は知識と男性の間を知識へ怒りを向けながら、テーブルへいち早く歩き始める。
「……貴方は”この人が目覚めたら帰してやる”って言ってたでしょ?!」『ガッ』
慣れた様子で皿を覆う透明容器を持ち上げる春香は知識へ自身の眉尻もあげていた。
『モワッ!』と湯気が春香の頬を撫で、この空間に居る者達の鼻孔を平等にくすぐる。
「中華まんか……変に凝った物よりかはまだ良いが……問題は中身だな……」
男性は春香の言葉に関わらず、皿に積まれている物の正体を言っていた。
皿にあるのはアツアツの中華まんだ。中の餡が違うのかは分からないが、色は三つで三個ずつの計9個が置かれている。
中華まんとは中国の包子を元に日本で作られた食べ物だ。
包子は肉や中華餡を小麦粉とドライペースト、ベーキングパウダー等で作った皮で包む食べ物なのだが、昨今の日本では、”中華まん”は肉や中華餡以外の物でもそれらの皮で詰めた物の総称として使われている。
また、その起源は三国志で有名な諸葛亮孔明が発案したとされているそうだ。
「……っ、いやっ、王者はっ、まだっ、完全にっ、目覚めてはいないっ、もう少しっ、付き合って貰うっ。」
知識は男性を一目見てから春香へ言葉を投げかけていた。息は尚も乱れている。
「はぁ?……」
春香は現在、数字をカウントして筋トレを眺めているだけで、男性へ特段に何かをしている訳ではない。
ストップウォッチで代用できる役割だ。
春香はそんな事は言わずに目で訴えかけるだけにとどめている。
春香はそんな事よりも近くにある物を処理するのに忙しいらしい。
「はふ、はふ『ベタベタ、ポンポン』ふうん?あ、コレ肉まん?あれ?豚肉だから豚まん?……」
白い中華まんを一つ、お手玉しそうな勢いで掴み、それを割るが、見れば中には茶色い具が詰め込まれていた。
肉まんは関西地方では”豚まん”とよく呼ばれている。
”肉まん”も”豚まん”も両方とも豚肉を主に使用する。だが関西地方で”肉”と言えば”牛肉”を指す場合が多く、関西で”肉まん”と表記すると”牛肉の肉まん”とイメージする可能性があるため、”豚まん”と表記する様になったそうだ。
関西地方以外で”肉”と言えばお肉全般を指し、”肉”と言うワードだけで特定の種類を連想する事は基本的に無い。
勿論料理によって”肉”は特定の種類で連想するのだが。
「……はふふぁ!……」
春香は中華まんの中身を見ると、吸い込まれるようにしてそれを口に運ぶ。
「あちちっ!……」
しかし、思った以上に熱いらしく、片手を口にあて、片手でお手玉するようにして熱さを我慢しながら、床に落とさない様に中華まんを持って耐えている。
中華まんを落とさないのは見上げた根性だが、その姿は意地汚いのか、滑稽なのかの判断を下すのは難しい。
「ん~!」
中華まんの中身が春香の着ている服へ中身を撒き散らす様にしていくつか落ちていた。
「はふ、はむ……」
春香が小さく暴れていると、中華まんは冷めたらしく、春香の口の中に消えていく。
だが、春香の着ている服には肉のシミがいくつか付いてしまっている。
「……むぅ……」
春香のにくしみは消えない。
ごめんなさいごめんなさい。パクリではないんです。




