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力の使い方  作者: やす
三年の夏
219/474

#218~力は枯れている~

『カチッ、カチッ』『ピーッ、ガーッ……』『カチカチッ、カタカタカタ……

「ふぅ……」「……」

薄暗い一室で目の前にあるそれぞれのモニターを凝視する二人がいた。

カチカチッ、カタカタカタッ、カタッ、カタッ……

「あぁ……」「……」

一人は女性で、もう一人は男性だ。

「……」「……」

口から声を漏らす女性は、顔を画面から床に向ける。


『…………した?……なぎの?……』……カチッ、カタカタカタ……

男性は床に視線を固定して動かなくなった女性・風間凪乃に小さい声を掛け、壁と一体になっているコンピューターに備え付けられたキーボードの上で手は動かし続けていた。

「……っ……」

カタカタッ』

「……なに?」

その男性・風間景は凪乃がポツリと零した声を聞き取れず、声に若干の煩わしさを纏わせて手を止めると、ある程度聞き取れる声量で何と言ったのか聞きかえす。


「……どうしてこの部屋はこうも暗いんですかっ!!そのくせこのモニターは眩しいしっ、この機械は動かすと遅くなるしっ、カメラの映像を見るのにパスワードって出る割に隣のモニターにパスワード載ってるしっ、熱いしっ!……」

凪乃は不満を爆発させる。椅子から立ち上がり、拳を震わせている。

『ゎヵった、ゎヵった……』『カチッ、カタカタカタ……

隣のもう一つある椅子で凪乃の不満を聞き流す景だが、凪乃の不満は景も同じ様に思っているらしく、聞き分けの無い子供を無視するだけに留める。だが、彼の手はまた動き始めていた。


普段の景ならば凪乃の不満を怒り、”いいから黙ってヤレ!”と怒鳴る所だがそうするだけの気力が景に残っておらず、こんな対応なのかもしれない。

凪乃の上げた言葉は誰もが抱く不満だ。


率直に言って、この部屋の作業環境は劣悪である。

・まずこの空間には窓が無い。そのために天井に備え付けられたライトで空間を照らしているのだが、その光は非常に乏しい。

・次にこの空間にあるモニターは電源オンオフを個別に出来ず、壁に埋め込められていて他の壁・または人の居ない方へ向ける事や、モニターの明るさ調節等も出来やしない。

・またこの空間にある機械は稼働音が鳴り始めると、何かかしらの処理を行っているらしく、マウスやキーボードでカーソルを動かしたり文字を打つのだがコンピューターの反応が極端に遅くなる。

・さらにここの大小様々なモニターには清虹市の地図があり、各所にある防犯カメラを選んで映像を見るのだが、場所によってはパスワード要求があり、そのパスワードは別のモニターにある地図に羅列されていて、人間がパスワードを確認しながらキーボードで手動入力しなければならず、パスワードは簡単に解るのだが、そのパスワードは無駄に長く、モニターの眩しさが相まって頭がおかしくなりそうな苦行であった。

・そして極めつけとして、この空間は実の所背が低く、なおかつ窓もない。この空間半分程度を占める機械が絶えず稼働すると熱がこもって温度が上がる。今は雨が降りだした初夏の頃だ。この空間だけは温度が真夏並で、なおかつ雨で湿度も高い。湿度はある一定の値から少しでも過剰に上がるだけで不快指数が高まる。

「「……」」カチッ、カタッ、タッタッ、カタカタ、カタカタ……

意匠の凝ったビルの二階・風見鶏の空間では景のマウスのクリック音、キーボードの打鍵音だけが耳朶に響く。

「……っ、、土旗地域からもう一度見直します……」『ぉぅ……』

凪乃は椅子に座り直し、これまでチェックしていた所をもう一度最初からチャックしようとしているらしい。

凪乃に関しては成果が上がっていない事が一番のストレス源だった。


……カチッ!』『ピロン!』

景はキーボードのボタンを押す。パスワードの入力をミスをしていて、”パスワードエラー”の文字が景の目の前にあるモニター画面に映し出された。

『なぎのっ!ぉれはもぅげんヵぃだ……はぁ……』『ギィ……』

景は椅子を引き、目元を手で覆ってしまう。

「はい……」

凪乃も疲労困憊の顔で景の言葉を聞いて、手を止めてしまう。

疲れから作業効率が落ちてしまい、これまでの作業で犯人の仮面ジャージ集団が映った部分を見落としているかもしれない。


こんな時の対応としては

・疲れていてもチェックを続行し、運良く犯人達の足取りを見つけるまで頑張る

・一度休憩を取り、少しは体力が回復してから洗いざらい探し直すか

だ。


「……でも時間が……」

しかし、忘れてならないのは、この"風見鶏"が使えるタイムリミットがある事だ。

水上の言葉では”明日の正午まで”と言っていた。

”正午”とは午前12時であり、午後0時でもある。昼の十二時だ。

水上が言うからには本当に明日の正午までしか使えないのだろう。

『……みなちゃん……ぅ゛ぅ゛ん……くそっ……なぎの……したにいる”みなちゃん”ヵら”ゲンエキ”をもらってきてくれ……』

「……っ、……”ゲンエキ”?」

景はかすれた声で下の階まで通る声を出せず、まだ動ける凪乃にお使いを頼んだ。

凪乃は何の事か解っていない。

「……ぃぇば……解る……っ……」

景は凪乃より疲労の度合いが強い。声を出すのもやっとの状態だった。

恐らくは急な呼び出しで、地方の金山家別荘から荷物を積んでトラックを徹夜で飛ばし、その後、不眠不休で調理したり歩き回っていたりした上、トドメとしては歳で多少は衰えて目が悪くなっている所に長時間モニターを見ながらの作業と、慣れないパソコン操作で明らかなオーバーワークだった。


「……はい……っ……」

凪乃は解らないなりに、春香への想いだけで動く、

凪乃は体が不調と言う訳でもないのだが、いつもでは犯さない様なミスを連発している。

「……くっ……」

凪乃はやっとの思いで椅子から立ち上がり、近くにある階段から降りようと下を見た。

「……っ……」

階下までも薄暗く、窓もない。階段の段数と高さの比率が悪く、少し急な物となっている。

「……くっ……はぁはぁ……っ……」

この階段には手すりが無く、足元がおぼつかない今の凪乃には降りるのも一苦労だった。

「……急がないと……」

それでも体に鞭を打ち、足早に足を動かす凪乃。

「……わっ!『ガタガタ……』……っ……」

凪乃は足を滑らせてバランスを崩す。

「……っ……」

崩すと言っても転倒までは至らず、足を固定して転倒しない様に足裏を滑らせて階段を滑り落ちていた。

「……はぁはぁ……」

胸を押さえて荒くなった動機を沈め、階段から転げ落ちそうになった自身を確認しよう足を止めている。

「……ぅく……」

だが、もし怪我をしていたら気持ちの面でやられると思い、足元を見ずにそのまま足を動かし始めた。


人は大きなストレス等を感じると交感神経が刺激され、次にホルモンが分泌される。

交感神経とは血管の血液量や血糖値等の性質をコントロールしており、緊張したり、興奮する事で体温が上昇する要因の一つとなっている。

ホルモンは脳や内臓などから分泌され、血液を介して全身に送られる。

この場合はホルモンの一種であるノルアドレナリンが作用し、今の凪乃の様子で言う所では血管縮小により血圧が上昇し、心臓が強く脈打つ強心作用等が起こっていた。


「……くっ……」

凪乃は階段の壁に手を付けて一歩一歩不安定ながらも地に足を着けて階段を降りていく。

「……」

凪乃は最後の一段を降りて段ボールが積み重なった横を通り、建物の奥の方へ足を向ける。


「……ったく、なんだいそのしけた面は。音がしたから終わったのかと思って見に来てみたら!」

「……すみません……」

そこへ風見鶏の一階にある”惣菜お食事所”の方から一人の婦人が現れる。件の”美奈ちゃん”だ。

「……アンタ大丈夫なのかい?まぁ、あんたの好きにしていいとは言ったけど……私はそろそろ家に帰るから後は勝手にしてくんな。……最後に戸締りだけして行ってくれれば良いよ。」

”美奈ちゃん”は凪乃達に関わろうとせず、言葉尻は暖かく、凪乃を気遣っている所はあるが、最後はドライな言葉を一方的に告げる。

外はもうすでに暗く、惣菜お食事処は夕飯頃過ぎまでの営業らしい。すでに帰り支度を済ませた様子の”美奈ちゃん”は凪乃の様子にあきれていた。

「……っく、景お義父さんから……はぁ……”ゲンエキ”?……と言う物を貰ってくるように言われました。……はぁ……すみませんがそれを最期に頂けませんか?」

凪乃は景からのお使いを頼む。

「……ったく、どうしようもないオッサンだね……自分の娘にそんな事を頼むとは……まぁ、それだけのオオゴトなんだろうけど、褒められたモンじゃあないね。」

”美奈ちゃん”は景の態度に悪態を吐いた。

しかし、一定の理解はしている様子で動き出す。

「ったく、世話のやける……」

景が動かしていない段ボールの一つへ近づき、おもむろに中をまさぐった。

「……はい……」

凪乃は”美奈ちゃん”の大仰な言い回しを理解出来ていない。

「ホレ、これが”ゲンエキ”だ。一応聞いておくけどこれの”扱い”と”危なさ”をアンタは解ってるんだろうね?」

”美奈ちゃん”は茶色いビンを段ボールから取り出し、凪乃に向けてそれを上げて見せる。

「……いえ、私はただ……”貰ってくるように”言われただけで……」

「……なら”アンタ”にはこれを持たせられんね。「えっ……」上へは私が持って行ってやるよ。……悪い事は言わないからアンタはそっちの椅子でおとなしく寝てな。」「いえっ!……」

”美奈ちゃん”の言葉に凪乃は一瞬だけ息を吐いてしまうが、”美奈ちゃん”の言葉と現物から察するに”ゲンエキ”なる物は危険な液体らしい。

「……上へは私が持っていきます。……っ……休んでなんかいられません!」


思わず大きな声を出した凪乃だが、ここ”風見鶏”と言う特殊な設備があった事を知らされていなかった引け目の鬱憤も込められているのだろう。

いつもの凪乃らしくない言葉と声量だった。

「……ったく、なら好きにしな。……それでもこれはアンタには持たせられないよ。……私がオッサンへ持っていくからね。そこは絶対にゆずれないよ。」

”美奈ちゃん”は凪乃を気にかけるも、そこまでは強制せずに”ゲンエキ”入りのビンだけは手放さなかった。

「……で、でも「ふん、」あっ……」

”美奈ちゃん”は凪乃の言葉を待たずして階段へ向かう。


「……っく……」

凪乃はズンズン進む”美奈ちゃん”を止めることが出来ず、本来ならばすぐに止める事が出来そうな体格差なのだが、身体が思うように動かせないらしい。

「……っ……」

凪乃は階段を四つん這いで登っていく。

「……」

対して”美奈ちゃん”はいい歳をした婦人で一見すると筋肉もぜい肉もなさそうな体型だが、しっかりとした足踏みで階段を上っていった。


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