小さな泥棒
ヨハンネはミネルヴァのダイレクトキックが溝打ちに入り、もがき苦んでいた。そんな彼を彼女はお構い無しに肩に担いでキンブレイト邸の外に連れ出す。ヨハンネは抵抗しなかった。抵抗しても意味がないと思っているからである。というより、激痛で動けなかったといった方が正しいかもしれない……。キンブレイト邸には不運にも大きな庭園がある。なんで、こんなに広いのだ、と後悔するほどだ。ようやく降ろした彼女は剣をヨハンネに渡した。
「ご主人様、これでどこからでもかかってきて下さい」
そう言うと、余裕の表情でミネルヴァはヨハンネから数歩離れて距離を取った。彼女が振り返る。その際に彼女の髪がなびき、そのなんともいえない華麗さに見惚れるヨハンネ。頬を染める。
(――――――綺麗だぁ……)
それはともかく、手にしている剣に視線を落とした。
「これ、結構、斬れ味良さそうなんだけど……大丈夫かな……?」
「大丈夫です。貧弱なご主人様にはかすり傷一つ負いませんので」
隠す事無くはっきりとミネルヴァはそう述べた。ヨハンネの心に鋭い何かが突き刺さる感じがした。
「あぐっ、あの……さりげなく、僕の事を馬鹿にしてないかい……?」
「いいえ。事実を言っただけです」
真顔で言われた。その言葉にヨハンネは肩をすくめ落ち込む。正直者が悪いわけではない。ストレートに物を言うミネルヴァはただ、気を使う優しさが欠けているだけだ。仕方ない。彼女は奴隷で教養がないのだから。
「はぁ……どうしたものか……」
ヨハンネは再び肩を落とす――――――
ミネルヴァは剣闘士だった頃を思い出していた。屈強な対戦相手をなぎ倒し如何なる戦場をもくぐり抜け、訓練された正規兵でも震え上がるキメラまでも、一人で倒した。死線を越えた。目の前に死や屈服、絶望、戦慄を与えた相手は現れなかった。彼女は剣闘士の中で、まさに魔王的な存在で人間の域を越えたと言うべきだろう。
「あははは……とりあえず、勢いで僕をバラさないでよね?」
冗談交じりで彼が言う。しかし、それに笑いは起きなかった。
「―――大丈夫です、私は攻撃はしませんから」
「そ、そう……」
(――――――――尚更、不安だよ……)
彼女を傷つけたらどうしようか。不慣れな僕が剣を持って大丈夫なのだろうか?とヨハンネはそんな不安でいっぱいになっていた。だが、もうこの状況は逃げられないと覚悟を決め、本で読んだ文を思い出しつつうるお覚えの剣技で彼女に立ち向かう。
「な、なら、いくよ」
それにミネルヴァが頷いた。
「やぁあああああ―――――――――――――ッ!!」
ふらつきながらも剣を持ち上げて、ミネルヴァの方へ立ち向かう。走り込んだ勢いを利用し、剣を振り下ろす。それを彼女は顔色一つ変えずに右へと避けた。するっと剣が空回り。すかさず、ヨハンネは切り上げた。だが、これもあっさり避けるのである。風を斬る音しかしない。まるで、ヨハンネの行動を先読みしているようだ。
(――――――――――なんであたらないの?)
「このっ!!」
横一文字に切り払いをしたが、彼女は身体を後ろに反らせて避ける。剣がミネルヴァの顎の近くを通過した。そのあと、彼女は体勢を整える為、後ろに反り返りながら地面に手を着き、腕の力で飛び上がった。弧を描くように、身軽に足の先から着地する。
「まだまだです」
「なんで、そんな大道芸みたいな感じに軽々と出来るんだよ、もぉ――――!」
頬を膨らませる。
「さぁ次はどうしますか? 右からですか、それとも左ですか?」
なぜか、ミネルヴァに遊ばれている気がした。彼女も楽しそうにしているように見えた。当然、無表情だが。それでも殺気というものが感じなかった。実際に戦場で戦ったことがないからよくわからないが。
「――――なら、もう一度、振り下ろしからだよっ!!!」
ヨハンネは言った通りに剣を振り下ろす。しかし、それを腕につけている腕甲で防御し、受け流した。ヨハンネは床を滑るように土踏まずが浮いた。その瞬間を彼女は見逃さなかった。利き足で、思いっきり足払をした。頭を強打したらまずいと思ってか、頭を優しく支え込みながら、彼の身体が後ろへ回転させる。彼は痛みは無かった。
「あれ?」
ミネルヴァが逆さまに見える。いや、ヨハンネが逆さまになってるのだ。
「アハハハ……ミネルヴァは体術も凄いね……まるで流れるような足裁きだった」
ミネルヴァは無表情のまま、ヨハンネの顔を上から覗き込む。
「……痛かったですか?」
「いや、大丈夫だよ。少し恥ずかしいけど」
ミネルヴァが小首を傾げる。
「なぜですか?」
「それは、こんな格好で、しかも女の子に覗き込まれているからだよ」
その瞬間、ぷっと笑った。彼女が自分の表情を面に表したのだ。自分が思わず、笑ってしまった事に気がついたミネルヴァは直ぐにいつもの無表情に戻した。だが、あのとき、確かに笑った。
ヨハンネは身体を起こし立ち上がる。
服についた土をぱたぱたと払っていると、ミネルヴァが近寄り、彼の頭についた土をなでるように取り払う。
「あ、ありがとう……」
ミネルヴァが吐息を一つ、主の有様に呆れたのだろう。
「ご主人様は本当に弱いです」
「悪かったね。弱くて」
すると、ミネルヴァがヨハンネの両手を手に取ると言った。
「前にも言いましたが貴方様は何もしなくて良いです。ご主人様に立ちはだかる者は全て私が打ち払います」
「その言葉を僕は信じるよ――――」
ヨハンネが言葉に付け加えをした。
「――――と言いたいところだけど、そろそろ自分の身は自分で守らないとね」
「はい。私も同じ思いです。だからいま、貴方様を鍛えようとしているのですよ」
ミネルヴァも同意した。おもむろに視線をミネルヴァの胸元に運んでしまった。彼女の鎧の革ひもが緩んで、胸元が見えそうになっている。ヨハンネは思わず、顔を背け、彼女に告げた。
「ちょっ、紐が、紐が緩んでる!」
それにミネルヴァがえ? と声を出すと焦る事もなく、繋ぎの紐を結び直した。




