帰宅しました。
「…ただいま」
家のドアを開けるやいなや足下にじゃれついてくる翡翠に表情を崩し、そのまましゃがみこんで撫でまくった。
「熱烈な歓迎ありがとう。
──そうそう、色々買ってきたんだよ」
翡翠を引き連れて、突き当たりの部屋──リビングに入った。
そこにおいてある二人掛けのソファーに腰掛けて、スーパーの袋から買ってきたものを取り出すことにする。
「これはキャットフードね。後でお皿に入れとくよ。
…これはキャットハウス。うーんと、いわば寝床かな。あったかそうでしょう?
──で、これはネズミのおもちゃ。ゼンマイ式なんだって。…猫はネズミを追いかけるものだというイメージがあるんだよね。私の中で」
猫相手に説明をしても分かるはずないけど、翡翠が私の膝の上で大人しく聞いてくれてるのを良いことに、暇つぶしもかねて話しかける。
「あとね、これは──」
お買い得と書いてあった爪とぎを袋から出そうと手に取る。
──と、同時に着信音。
「……うっわ、電話だよ…」
迷惑メールの方がまだマシだ、と一人ごちる。ストレスの度合いは、迷惑メールの方が幾分…いや、だいぶ少ないから。
「(うー…)」
着信者が表示されている画面をちらりと見ると、そこには『兄』の文字が。
──兄とは、致命的に仲が悪いわけではないけれど、仲が良いわけでもない。…というか、私が一方的に避けているだけだ。
……余計に出たくない。というか、この着信音ですらうざったく感じてしまう。
「(電話番号って変えられないんだっけ…)」
携帯を変えないと、番号は変えられないと聞いたことがある。…この携帯はけっこう気に入ってるから変えたくないんだよなぁ。
「(我ながら、すごい現実逃避してんなぁ…)」
鳴り続ける携帯電話。
繋がらない(繋げる気がない)というのに、着信のコールはやむ気配がない。
「(…もう諦めろよ。いい加減、出ないってこと悟れよ!)」
そして、ふと閃く。
「──あ、電源落とせばいいじゃん! …何で気付かなかったんだろ」
ナイスアイデアは即実行、という信条に則って、電話が下りているボタンを押し、
「よし」
『…何がだ』
「……」
え、何で通じて…
「…って、ぎゃーっ!?」
間違えた! 押すボタン間違えた! 逆だったぁー!!
「……」
何で間違えたんだよ!? いや、焦っていたのは認めるよ? けど、よりによって電話に『出る』ボタンを押さなくても…っ!!
「……(切ってもいいかなこれ。間違い電話ってことで処理しても構わないかな!?)」
『…伽乃?』
返事がないことに苛立っているのか、名前を呼ぶ声が低い。
「はい!」
今電話を切ったら確実に死ぬ。そう悟った伽乃は、反射的に返答を返した。
──何故、電話越しでこんなにも怯えなければならないのか、甚だ疑問だが。
『……具合でも悪いのか?』
「いえいえ、そんなことありませんよー?」
断じて、“具合が悪い”のではありません。…“気分が優れない”だけです。
『そうか。…そういえば、学校はどうだ?』
「(…“そういえば”?)普通です」
なんで、好き好んでこいつと世間話をしないといけないんですかー! 用件だけ伝えてさっさと電話切ればいいじゃないですか!
…はっ! もしかして、ストレス性胃潰瘍にでもなってしまえという意思表示ですか? この電話はそういう魂胆なんですか!?
「……(だとしたら相当悪趣味だ)」
『──聞いているのか、伽乃?』
「え?」
兄は何か話しかけていたようだが、プチ混乱中の私には生憎聞こえていなかった。
その事を詫びつつ、再度言って欲しいと頼む。
『明日必ず、本家──…いや、実家に戻ってくるように』
一拍置いて告げられた言葉。
その言葉は、私が一番聞きたくなかった言葉だった。