山の薬屋さん
忙しなく行き交う人々の中に紛れ、桂木はただ生きているだけの毎日を送っていた。「笑顔が売りの営業マン」として製薬会社に勤めている彼だが、多くのクライアントが、彼の笑顔に同情して契約している事を彼は重々承知している。ビル街の風は凄まじく熱い、引かない汗を拭うのは桂木の現状に似ていた。
消えてしまいたいと思うようになってから桂木の営業成績は更に上がった。その矛盾が尚のこと桂木を追い詰める。
「君、死にそうだよ」
契約先の病院で栄養剤をサービスしてくれるようになる。あれ、僕の手はこんな形だったろうか。ついに今朝、彼は自分の形さえわからなくなっていることに気づいた。
呆然と立ち尽くす桂木の横っ腹に子供の頭がぶつかる。一瞬形を取り戻した桂木は彼を追い抜いた子供を視線で追った。なんで、子供が?妙に確固たる足取りで、少女は歩み去る。彼女のスカートのあたりから、一枚の紙切れがこぼれ落ちた。誰かに踏まれないように咄嗟に拾い上げる桂木はお人好しなのだ。
「ねえ、落としましたよ」
その男の声がじぶんに話しかけている事にしばらくりつ子は気づかなかった。恥ずかしいことだが初めての大都会に高揚していたのだ。
「あの、このメモ」
大きな手に肩を叩かれ、りつ子はヒュッと息を飲んだ。
「何だ」
「だから、あの、メモを」
「お前、見えるのか」
「え、」
「怖かったか?」
ニタリと笑う少女の雰囲気は冗談のように見えなかったが、桂木は持ち前の笑顔でやり過ごす事に成功した。
「ここに行きたいんだが、似た建物ばかりでよく分からん。時間があるなら案内してくれないか」
古風かつ偉そうな物言いにおされてしまう自分が悲しい。
「君は総代のお孫さんかな?」
「りつ子と申します。この度は代替わりのご挨拶と、担当者変更の件で参りました」
自社の会長室まで案内する事になってしまった桂木は冷や汗が止まらない。
「次の担当者は彼が適任かと」
俯いていた桂木が顔を上げると、りつ子はまたニタリと笑っていた。
「街で会ったとき、お前は人間でないモノになりかけていた。変な顔で笑うし。道案内の礼に、人間に戻してやろうと思ってな」
「はあ」
「霊験あらたかな我が山で英気を養うといい」
果たして妖怪に薬が効くのか。それでも、リュックサックいっぱいの薬を持ち山を登る桂木の笑顔は少し生き生きしていた。
ビル群が舞台のハッピーエンド。アイテムはメモ。