群れの向こう
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それでは、どうぞお楽しみください。
村へ着いたころには、太陽が森の向こうへ半分ほど沈んでいた。
俺たちは走りながら村の中央まで入り、ベルクがすぐに住民を集めるよう村長へ伝えた。先に警戒の知らせが届いていたこともあり、村人たちは事情を理解していたものの、実際に「少なくとも八頭のグレイファングがこちらへ向かっている」と聞くと、広場の空気が一気に重くなった。
「戦える人は?」
村長が聞く。
「いるなら柵の内側で待機してくれ。ただし、外には出るな」
ベルクはそう答え、続けて俺を見る。
「レオン、東側の家を回れ。歩くのが遅い奴から先に広場へ集めろ。そこから街道へ出す」
「分かった」
「ナディアは西側。俺たちは柵を見る」
全員がそれぞれの方向へ散った。
俺は東側の家を順番に回った。
「魔物が近づいてる。必要なものだけ持って広場へ行って」
戸を叩くたびに同じ説明を繰り返す。突然の避難で混乱する人もいたが、荷物を全部持ち出そうとする人には最低限でいいと伝え、幼い子供や足の悪い老人がいる家では一緒に広場まで歩いた。
途中、一人の老人が家の奥へ戻ろうとした。
「まだ荷物がある」
「今はいい」
「でも金が――」
「戻ったら取れる。今は人が先」
自分でも、少し前なら違う言い方をしていたかもしれないと思う。
守るものが複数あるなら、順番を決める。
金や荷物より、まず人。
老人は不満そうだったが、最後には頷いた。
村の東端まで確認して戻る途中、森の方から遠い遠吠えが聞こえた。
一つではない。
俺は足を止めた。
《戦域把握 Lv3》を意識する。
音がしたのは北西側。正確な距離までは分からないが、村からそれほど離れていない。
すぐに広場へ戻る。
「ベルク!」
「聞こえた」
柵の外を見ていたベルクもすでに槍を構えている。
「住民は?」
「東側は全員広場にいる」
「よし。ナディア!」
少し遅れて、ナディアも西側から戻ってきた。
「西も終わった!」
これで村人は一か所に集まった。
問題は、ここからだった。
◇
避難先は南の街道沿いにある宿場だった。
距離はそれほど遠くないが、子供や老人を連れて移動すれば時間がかかる。全員を一度に走らせることもできない。
ベルクは村長と短く話したあと、俺たちへ指示を出した。
「住民を二つに分ける。最初の組は老人と子供を優先して南へ出す。護衛二人をつける」
「残りは?」
「第二陣だ。その間、俺たちは村に残る」
俺は森を見る。
「グレイファングが先に来たら?」
「柵で止める」
村の周囲には簡単な木柵がある。
大型魔物を完全に防げるほど強くはないが、グレイファングなら飛び越える場所を選ばせることはできる。
そこを利用する。
「レオン」
ベルクが俺を見る。
「最初の組についていけ」
予想していなかった。
「俺が?」
「子供と老人が多い。何か起きたとき、周囲を見る奴が一人多い方がいい」
森に残ると思っていた。
少しだけ迷う。
それでも、自分の仕事は決められている。
「分かった」
俺は第一陣の最後尾についた。
村人たちが南門から出ていく。
子供の手を引く母親、杖をつく老人、荷物を背負った男たちが、できるだけ急いで街道を進む。走れる人間は遅い人に合わせて速度を落としていた。
俺は後ろを見ながら歩く。
遠吠えはさっきより近い。
何度か森の中で枝が折れる音も聞こえた。
そのたびに立ち止まりたくなるが、今は前へ進む方が大事だった。
「レオン!」
前から呼ばれる。
小さな男の子が転んでいた。
膝を擦りむいている。
俺はすぐに近づいた。
「歩ける?」
「うん……」
立ち上がろうとするが、痛そうだ。
「乗って」
しゃがむ。
「いいの?」
「いい」
男の子を背負う。
左腕にはできるだけ力を入れず、右腕と背中で支える。重くはないが、走れば傷に響くかもしれないので、前の集団から離れない程度の速さで進む。
そのとき、後方から声が飛んだ。
「来たぞ!」
振り返る。
村の北側。
柵の向こうに灰色の身体が見えた。
一頭、二頭ではない。
複数のグレイファングが森から現れている。
「前へ!」
護衛の冒険者が叫ぶ。
住民たちの足が速くなる。
俺は背中の子供を支え直した。
戻らない。
今はまだ。
第一陣を逃がす。
それが先だ。
◇
宿場までの中間地点で、村から一度大きな吠え声が聞こえた。
戦闘が始まっている。
俺の足がわずかに止まりかけた。
ベルクたちが戦っている。
助けに戻りたい。
でも背中には子供がいる。
周りには村人がいる。
俺がここを離れれば、この人たちの護衛が一人減る。
「行かないの?」
背中の子供が聞いた。
「何が?」
「村」
俺が何度も振り返っていたから気づいたらしい。
「今は行かない」
「大丈夫?」
「多分」
本当は分からない。
でも、ベルクたちは俺より強い。
そして俺には今、別の仕事がある。
しばらく進むと宿場の建物が見えた。
先に連絡が届いていたらしく、入口には数人の冒険者と宿場の人間が待っている。
「村からの避難者だ!」
護衛が叫ぶ。
人が走ってきた。
俺は背負っていた子供を母親へ渡し、老人たちが建物へ入るのを確認する。
「ここからは任せてくれ」
宿場にいた冒険者が言った。
俺はすぐに聞く。
「村へ戻っていい?」
「第二陣がまだいるんだろ?」
「うん」
「なら戻れ。こっちは守る」
今度は行っていい。
俺は走り出した。
◇
村へ戻る途中で、ナディアとすれ違った。
第二陣を連れている。
「レオン!」
「村は?」
「まだ持ってる! でも群れ全部が来た!」
「何頭?」
「確認できたのは八!」
最初の報告と同じだ。
「村人はこれで全員?」
「全員! あとはベルクたちだけ!」
それを聞いて、俺は速度を上げた。
左腕が少し引っ張られる。
痛みはない。
でも無理はしない。
村が見えてくる。
北側の柵が一部壊れていた。
その前で三人の冒険者が戦っている。
ベルクと、追跡班から合流した二人だった。
地面には一体のグレイファングが倒れている。
残りは七。
全部が同じ場所にいるわけではない。
柵の外に三体。
壊れた部分から中へ入ろうとしているのが二体。
さらに左右を回っている個体がいる。
俺は走りながら全体を見る。
《戦域把握 Lv3》。
見えている位置を頭の中へ置く。
右側の森から枝が鳴る。
一体。
左側からも足音がある。
少なくとも一体。
全部で七。
数は合う。
でも動けば位置は変わる。
信じるのは今だけだ。
「ベルク!」
声を出す。
ベルクが一瞬だけこちらを見る。
「戻ったか!」
「村人は全員避難した!」
「なら十分だ!」
それなら、今度は戦える。
俺は剣を抜いた。
◇
正面から二体のグレイファングがベルクへ迫る。
一体目が低く走り、もう一体が少し遅れて横へ広がる。ベルクは正面の個体へ槍を向けたが、二体目まで同時には止められない。
俺は二体目の進路へ入った。
狼がこちらを見る。
距離はまだある。
正面から斬り合う必要はない。
剣先と身体の向きを使い、柵の壊れた部分をわずかに開けて見せる。
《誘導歩》。
狼がそちらへ動く。
狙い通り。
ただし、その先には俺ではなく倒れた木材がある。
狼は飛び越えるために一度速度を落とし、前脚を踏み切った。
その瞬間だけ、動く方向が一つになる。
俺は半歩だけ横へ入り、首ではなく前脚の付け根へ剣を走らせた。
浅い。
だが着地が崩れる。
狼が地面へ転がった。
追わない。
正面ではベルクが一体目の突進を槍で受け流し、そのまま肩を深く突いている。
「右!」
俺が叫ぶ。
ベルクの右後方、柵沿いを回っていた一体が近づいている。
ベルクは振り返らない。
代わりに隣の冒険者が動く。
斧が横から入り、狼の進路を止めた。
俺はその間に、さっき足を傷つけた個体から離れる。
周囲を見る。
左側の音が消えている。
位置が分からない。
なら、いないことにはしない。
「左、見えない一体!」
声を出す。
「分かった!」
もう一人の冒険者が柵側へ寄る。
次の瞬間、左の茂みからグレイファングが飛び出した。
予想していた場所とは少し違う。
それでも警戒していた冒険者は間に合った。
盾で突進を受け、狼の身体が横へ流れる。
そこへベルクの槍が伸びた。
俺はその流れを見ながら、自分の正面だけではなく全体を確認する。
敵を倒す。
味方を見る。
次の位置を探す。
今まで全部を一人でやろうとしていた。
でも今は違う。
俺が右を見れば、誰かが左を見る。
俺が敵を動かせば、誰かがそこを攻撃する。
ベルクが一体を止めれば、俺はその間に別の進路を塞げる。
一人で八頭を相手にする必要なんてない。
◇
戦いは村の北側へ集中していった。
グレイファングは何度か散開しようとしたが、柵が邪魔になり、自由に回り込める場所は限られている。俺たちは壊れた部分を完全には塞がず、あえて一頭ずつ通れる程度の隙間を残した。
そこへ誘う。
ベルクが正面へ立ち、俺が少し横へずれる。
一頭のグレイファングが隙間へ入った瞬間、左右から槍と斧が動いた。正面へ戻ろうとしても後ろには別の狼がいるため、狭い場所で身体を入れ替えることができず、そのまま槍が胸へ入る。
俺は倒れた個体を見ない。
次を見る。
柵の外側に三体。
右へ回ろうとしているのが一体。
さっき脚を傷つけた個体は動きが遅い。
「右の一体、回る!」
俺が伝えると、斧使いが位置を変える。
その間に正面の二体が動いた。
一頭がベルクへ飛びかかり、もう一頭が倒れた仲間を飛び越えて内側へ入ろうとする。
俺は後者へ向かった。
狼は俺を見た瞬間に口を開く。
牙が見える。
真正面から受けない。
右へ一歩ずれ、狼の頭がこちらを追ったところでさらに半歩下がる。追わせた先には、地面に転がった柵の支柱があった。
前脚が引っかかる。
身体が沈む。
俺は首の横へ剣を入れた。
深く入る。
狼が倒れる。
その瞬間、背後で音がした。
振り返らない。
さっきまで右側にいた一体だ。
でも今の位置は分からない。
聞こえた音だけを頭の中へ置く。
右後方。
近い。
俺は前へ転がるように移動した。
直後、さっきまでいた場所を灰色の身体が通り抜ける。
完全に見えていたわけじゃない。
音から来る方向を絞っただけだ。
狼が着地して振り返る。
俺も立ち上がる。
追いかけない。
一対一に見える。
でも違う。
「レオン、下がれ!」
ベルクの声。
俺はすぐに二歩下がった。
狼が追ってくる。
その横から槍が入った。
穂先が胴を貫く。
ベルクが引き抜くと、グレイファングは数歩進んで倒れた。
「前に出すぎだ!」
「ごめん!」
怒られた。
でもすぐに次を見る。
戦闘は終わっていない。
◇
残ったグレイファングは三体だった。
最初の八頭のうち、すでに五頭が倒れている。
三体は一度距離を取り、柵の外からこちらを窺っていた。
ベルクは追わない。
俺たちも追わない。
しばらく睨み合いが続く。
やがて一頭が森へ下がった。
続いてもう一頭も動く。
最後の一頭だけが残り、低い唸り声を上げたあと、仲間を追うように木々の間へ消えていった。
「追うな!」
ベルクが全員へ声を飛ばす。
誰も追わなかった。
俺も剣を下げる。
森から聞こえる足音は次第に遠ざかっていく。
それでも、完全に聞こえなくなるまで位置を決めつけない。
やがて音が消えた。
静かになった。
村の北側には壊れた柵と、五体のグレイファングが残っている。
俺は息を吐いた。
左腕を確認する。
少し重い。
でも血は出ていない。
傷も開いていない。
「大丈夫か?」
ベルクが聞く。
「大丈夫」
「痛みは?」
「ない」
「ならいい」
俺は倒れた狼を見る。
自分で仕留めたのは一体。
もう一体には傷をつけた。
でも、それだけではない。
俺が位置を知らせた狼を仲間が止めた。
誘導した場所へベルクの槍が入った。
見えない一体を警戒したことで、味方が準備できた。
それらを数える方法はない。
でも今日は、それでいいと思えた。
そのとき、視界の端に文字が浮かんだ。
《規定経験値への到達を確認》
《個体レベルが上昇しました》
《Lv15 → Lv16》
続いて身体の奥に、いつもの熱が広がる。
疲れていた脚が少し軽くなる。
呼吸も戻りやすい。
久しぶりのレベルアップだった。
でも、俺が最初に見たのは数字ではなかった。
周りを見る。
ベルクが槍を確認している。
斧使いは壊れた柵の外を警戒し、もう一人の冒険者は倒したグレイファングが本当に動かないか確かめている。
全員いる。
村人ももうここにはいない。
守るべき人たちは宿場へ向かった。
それを確認してから、俺はもう一度表示を見る。
Lv16。
強くなった。
でも今日、八頭の群れを退けられた理由は、それだけじゃない。
俺一人だったら無理だった。
《戦域把握》があっても、《誘導歩》があっても、剣を振れても、八頭を同時に相手にはできない。
ベルクの槍があり、他の冒険者が左右を守り、村人が指示に従って避難したから戦えた。
敵が多いなら、一人で全部を見る必要はない。
一人で全部倒す必要もない。
それでも、自分が見えるものは増やせる。
味方が動きやすい場所を作ることもできる。
俺は剣を鞘へ戻した。
「ベルク」
「何だ?」
「俺、一体しか倒してない」
ベルクの眉が動く。
「それで?」
「でも、今日はちゃんと戦ったと思う」
数秒の沈黙のあと、ベルクが笑った。
「やっと分かったか」
「多分」
「遅えな」
否定できない。
◇
日が沈みきる前に、追加の冒険者たちが村へ到着した。
俺たちは状況を説明し、壊れた柵の応急修理と周辺警戒を引き継ぐ。逃げた三体については夜に追わず、明日の朝から追跡することになった。
宿場へ移動すると、避難した村人たちは全員無事だった。
最初に背負った男の子が俺を見つけて走ってくる。
「狼倒した?」
「みんなで倒した」
「何匹?」
「五匹。三匹は逃げた」
「レオンは?」
少し考える。
「一匹」
男の子は目を丸くした。
「すごい!」
以前なら、一匹しか倒していないと思っていたかもしれない。
今は違う。
一匹を倒した。
仲間が倒すのも手伝った。
それより先に、この子たちをここまで逃がした。
全部が今日やったことだ。
「うん」
今回は素直に頷いた。
宿場の入口ではベルクがそれを見て笑っていた。
◇
アルネリアへ戻ったのは、すっかり暗くなってからだった。
ギルドへ入ると、フィナとゼノが待っている。
最初に報告する。
村人全員の避難が完了したこと。
確認されたグレイファングは八頭。
五頭を討伐し、三頭が北西方向へ逃走したこと。
こちらに負傷者はいないこと。
最後まで聞いて、フィナは安堵したように息を吐いた。
「お疲れさまでした」
ゼノは俺の左腕を見る。
「傷は?」
「開いてない」
「剣は?」
「振った」
「何回」
「数えてない」
ゼノが少し驚いた顔をした。
「珍しいな」
「戦ってたから」
「そういう意味じゃない」
分からない。
そのあと、ベルクが俺の報告を補足した。
「こいつ、結構使えたぞ」
俺はベルクを見る。
「周りを見るのが上手い。俺たちが見落とした位置を何度か拾ったし、狼の進路を変な方向へずらすのもやってた」
ゼノの視線が俺へ移る。
「《誘導歩》か」
「うん」
「一人で仕留めようとは?」
少しだけ考える。
「したときもあった」
ベルクが笑う。
「一回前に出すぎて怒鳴った」
「やっぱりか」
「でも下がれって言ったら下がったぞ」
ゼノが黙った。
それから、小さく頷く。
「なら昨日よりはましだ」
かなり小さい褒め方だった。
でも十分だった。
「レベルも上がった」
「いくつだ」
「Lv16」
「そうか」
それだけだった。
以前なら、もっと何か言ってほしいと思ったかもしれない。
でも今日は数字以外にも持ち帰ったものがある。
宿へ帰る途中、俺は今日の戦いを思い返していた。
ベルクの槍。
斧使いの位置。
柵の隙間。
逃げる村人。
森から聞こえた足音。
自分が動かしたグレイファング。
一つ一つは別のものだったが、戦っている最中は少しずつ繋がって見え始めていた。
俺が強いから戦場を動かせたわけではない。
むしろ、自分一人では足りないから、他の人間の位置まで見る必要があった。
剣だけなら、俺より上手い奴はいくらでもいる。
速さだけでも、力だけでも同じだ。
でも、もし全部を繋げられたら。
剣も、足も、目も、耳も、仲間も、地形も、自分がこれまで覚えてきたものを一つの戦いの中で使えるようになったら。
それは、まだ俺が知らない戦い方になるかもしれない。
答えはまだ見えない。
ただ、その入口だけは、今日少し見えた気がした。
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それでは、次回の更新でお会いしましょう!




