届かなかった人
ご覧いただきありがとうございます!
よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!
それでは、どうぞお楽しみください。
翌朝、俺はいつもの半分、五百回だけ剣を振った。
昨日ゼノに言われた通り、それ以上はやらない。一回ごとの姿勢と足の位置を確かめながら振り終えると、まだ身体には余裕があった。
以前なら、その余裕がもったいないと思っていた。
今は違う。
今日は歩く。
なら、そのために残しておく。
「終わった」
宿の入口で待っていたゼノに声をかける。
「五百か」
「うん」
「増やしてないな?」
「増やしてない」
ゼノが少しだけ疑うように俺を見る。
「本当に?」
「本当に」
「成長したな」
「剣?」
「頭が」
褒められた気がしない。
◇
北門を出たのは、朝日が城壁を越えたころだった。
アルネリアから北へ伸びる街道は広く、午前中は商人や旅人の姿も多い。ただ、二時間ほど歩くと畑が減り、代わりに草原と低い丘が目立つようになった。
目的地の古い砦跡までは、歩いて半日ほどらしい。
「三日町を離れるって言ってたよね」
「ああ」
「半日なら今日着く」
「着くな」
「明日帰れる?」
「用事が一日で終わればな」
つまり、終わるかどうか分からないらしい。
ゼノは相変わらず詳しいことを話さない。
「会う人、冒険者?」
「昔はな」
「今は?」
「違う」
「兵士?」
「違う」
「傭兵?」
「違う」
「何してる人?」
「今は何もしてない」
余計に分からなくなった。
「強いんだよね?」
「昔はな」
昨日と答えが違う。
俺がゼノを見ると、ゼノは前を向いたまま歩いていた。
「今は弱い?」
「お前よりは強い」
「じゃあ強い」
「基準を自分にするな」
難しい。
それ以上聞いても答えてくれそうになかったので、諦めて歩くことにした。
◇
昼前、街道を外れた。
そこからは人の姿がほとんどなくなり、緩やかな丘を越える細い道を進む。遠くには山が見えるが、以前いた町の西にあった山ほど険しくはない。
途中で簡単な昼食を取り、さらに二時間ほど歩いた。
やがて、丘の向こうに石壁が見えてくる。
「砦?」
「跡だ」
近づくにつれて、その意味が分かった。
外壁の半分は崩れ、見張り塔らしい建物も途中からなくなっている。蔦が石を覆い、門があった場所には扉すら残っていなかった。
それでも完全に捨てられているわけではない。
煙が上がっている。
洗濯物も干してある。
壁の一部には新しい木材で補修した跡があった。
「住んでる」
「だから来た」
「一人?」
「今はな」
門跡を抜ける。
中庭だった場所には小さな畑が作られていた。野菜が何種類か植えられ、その横には薪が積まれている。
剣士が住んでいるようには見えない。
「遅かったな」
声がした。
建物の陰から、一人の男が出てきた。
最初に目についたのは髪だった。灰色が混じった短い茶髪で、年齢は四十代後半くらいに見える。ゼノより少し低いが肩幅は広く、日に焼けた顔には細かな皺が刻まれていた。
服装は普通だった。
薄茶色のシャツ。
黒いズボン。
使い古した革靴。
鎧も着ていない。
剣も持っていない。
でも。
歩き方がおかしい。
右脚を少し引きずっている。
「久しぶりだな、ゼノ」
「ああ」
男が俺を見る。
薄い茶色の目。
頭から足まで、一度だけ見られた。
「そいつか?」
「そうだ」
何の話だろう。
「レオン・アルヴェイン」
自分から名乗る。
男が少し笑った。
「聞いてる。俺はダリオ・ベルグだ」
手を出される。
握る。
手が大きい。
硬い。
剣を握っていた手。
「九歳だったか」
「うん」
「小さいな」
「九歳だから」
「そういう意味じゃねえよ」
身長のことらしい。
仕方ない。
ダリオは俺の腰にある剣を見る。
「それ、こいつのか?」
「もらった」
「まだ持ってたのかよ」
「いらんからな」
「嘘つけ」
ゼノが黙った。
珍しい。
「知ってる剣?」
俺が聞く。
「ああ。こいつが若い頃に使ってたやつだ」
初めて聞いた。
剣を見る。
ただの古い剣。
魔法もない。
装飾もない。
でも、急に少し違って見える。
「ゼノ、何歳のとき?」
「忘れた」
「俺は覚えてるぞ」
ダリオが笑う。
「こいつが十五くらいの――」
「余計なこと言うなら帰るぞ」
「相変わらずだな」
面白そうなのに。
あとで聞こう。
◇
砦の中には、まだ使える部屋がいくつか残っていた。
ダリオが暮らしているのはその一角だけらしい。寝室と台所、それから倉庫。中庭には井戸もあり、一人なら生活には困らなそうだった。
荷物を置いたあと、三人で遅めの昼食を取る。
野菜の入ったスープと固いパン。
味は普通。
母さんのパンより柔らかい。
少しだけ思い出した。
「それで」
ダリオがパンをちぎりながらゼノを見る。
「わざわざこいつを見せに来た理由は?」
「別に」
「嘘つけ。お前が子供連れて半日歩いてくるわけねえだろ」
ゼノはスープを飲む。
答えない。
ダリオが俺を見る。
「何か聞いてるか?」
「強い人に会うって」
「誰が?」
「ダリオ」
笑われた。
かなり。
「ゼノ」
「何だ」
「何笑ってるの?」
「俺じゃない」
確かに。
ダリオはしばらく笑ったあと、右脚を軽く叩いた。
「昔の話だ」
「今も俺より強いって」
「それはそうだろ」
即答された。
少し悔しい。
でも相手は大人。
「どれくらい強かった?」
聞くと、ダリオの表情が少し変わった。
笑っている。
でも、さっきまでとは違う。
「Aランクになるつもりだった」
「なれなかった?」
「ああ」
「何ランク?」
「Bだ」
十分強い。
俺はE。
シオンがC。
その上。
「何で辞めたの?」
「レオン」
ゼノが止める。
聞かない方がいいことだったらしい。
でもダリオは気にした様子もなく、右脚を伸ばした。
「これだよ」
ズボンの上からでも分かる。
右脚だけ少し細い。
「怪我?」
「ああ」
「治らない?」
「治らん」
魔法がある世界でも。
治らない怪我はある。
「魔法でも?」
「治癒魔法は何でも元通りにする奇跡じゃねえ。切れた直後ならどうにかなったかもしれんが、俺の場合は遅かった」
それ以上は聞かなかった。
ダリオも話さない。
少しだけ空気が変わった。
◇
食事のあと、ダリオは畑へ出た。
俺もついていく。
ゼノは砦の外壁を見てくると言って、どこかへ行った。
「手伝う?」
「客に畑仕事させるほど困ってねえよ」
「暇」
「なら水でも汲んでろ」
井戸から水を汲む。
意外と重い。
《運搬 Lv4》があるから持てるが、九歳の身体には大きな桶だった。
二往復して戻ると、ダリオが野菜の周りの土を整えている。
「何でここに住んでるの?」
「静かだから」
「町は?」
「うるさい」
ゼノと似てる。
「ゼノと昔、一緒に冒険者してた?」
「何度かな。あいつと組んで生き残った仕事もある」
「ゼノ強かった?」
「昔から腹立つくらいな」
「ダリオより?」
土を触っていた手が止まった。
少しだけ。
「強かったよ」
普通に答えた。
「最初から?」
「最初から」
その言葉が引っかかった。
「才能あった?」
「ゼノに?」
「うん」
ダリオは少し考える。
「少なくとも俺よりはな」
俺は黙る。
エリオットを思い出した。
同じ七歳から剣を始めた。
俺は《剣術 Lv5》。
エリオットは《剣術 Lv6》。
少ない練習でも、俺より早く上がる。
「ダリオは?」
「何が」
「才能」
ダリオが俺を見る。
「なかったよ」
すぐに答えた。
「剣?」
「ああ」
「どれくらい?」
「さあな。人並みじゃねえか?」
曖昧。
でも。
気になる。
「じゃあ努力した?」
「した」
「いっぱい?」
「したよ」
「どれくらい?」
「お前、質問多いな」
「知りたい」
ダリオは土のついた手を払い、近くの石に腰を下ろした。
俺も向かいに座る。
「朝から晩まで剣振ってた時期もある。寝る前まで素振りして、手の皮が剥けても振った。強い奴がいるって聞けば会いに行ったし、負ければ何度でも挑んだ」
似てる。
俺と。
「強くなった?」
「なった」
「どこまで?」
「Bランク」
十分。
でも。
ダリオはAランクになりたかったと言った。
「Aには?」
「届かなかった」
右脚を見る。
「怪我したから?」
「それもある」
ダリオが空を見る。
雲がゆっくり動いていた。
「でも、怪我する前から分かってたよ」
「何が?」
「上には上がいるってことだ」
その言葉なら何度も聞いた。
俺も知っている。
でもダリオの言い方は違った。
「俺より遅く剣を始めて、二年で追い抜いた奴がいた。俺が一週間かけて覚えたことを、一度見ただけでできる奴もいた。俺より若くて、俺より強い奴なんていくらでもいた」
エリオット。
シオン。
ミレイユ。
ルシアス。
アルネリアへ来てから見た人たちが浮かぶ。
「悔しかった?」
「死ぬほどな」
「やめたかった?」
「何度も」
意外だった。
俺は剣を振るのをやめたいと思ったことはあまりない。
辛いことはある。
負ければ悔しい。
でも。
次の日には振る。
「それでも続けた?」
「続けた」
「何で?」
ダリオは少し考えてから笑った。
「追いつけると思ってたからだ」
その答えは。
俺と同じだった。
◇
夕方。
ゼノが戻ってきた。
外壁の向こうを確認していただけらしい。
「問題は?」
ダリオが聞く。
「今のところない」
「なら明日だな」
何の話か分からない。
聞こうとしたが、その前にダリオが立ち上がった。
「レオン」
「何?」
「剣抜け」
突然だった。
「戦う?」
「少しだけな」
右脚を見る。
「大丈夫?」
ダリオの眉が動く。
「舐めてんのか」
「違う」
「なら抜け」
本物の剣は使わない。
倉庫から木剣を二本持ってきた。
中庭。
俺とダリオが向かい合う。
ダリオは右脚を少し引いている。
やっぱり。
動きにくそう。
「一本?」
「お前が俺に触ったら勝ちでいい」
昨日と同じ。
「それ、やった」
「誰と?」
「シオン」
ダリオの目が少し細くなる。
「ヴァレルの坊主か」
知ってるらしい。
「触った」
「何回目で?」
「十三回」
「十二回死んだか」
ゼノと同じことを言う。
「最後も相打ち」
「じゃあ十三回死んでるな」
もっと悪くなった。
「やる?」
木剣を構える。
「来い」
◇
最初から全力で踏み込んだ。
右脚が悪い。
なら、動ける範囲は狭いはず。
正面から斬ると見せ、途中で左へ回る。ダリオの右側――動きにくい方へ抜ければ触れる。
そう考えた。
木剣を振る。
ダリオは動かなかった。
俺の剣を自分の木剣で受ける。
軽い音。
次の瞬間。
視界が回った。
「え?」
背中。
地面。
倒れている。
何された。
分からない。
「立て」
ダリオが見下ろしている。
立つ。
もう一度。
今度は剣を見る。
踏み込む。
振る。
受けられる。
その瞬間、ダリオの左足が俺の前足の外へ入った。剣を押されたわけじゃない。肩と腰の向きを少し変えられただけなのに、前へ出していた力の行き先が消える。
身体が流れる。
そこへ肩を押された。
また地面。
今度は分かった。
投げられたんじゃない。
自分で転んだ。
「もう一回」
「来い」
三回目。
同じ入り方はしない。
《誘導歩》。
左を空ける。
ダリオにそちらを選ばせる。
動かない。
シオンと同じ。
なら。
誘導を拒否することを使う。
右。
踏み込む。
ダリオの右脚側。
今度は剣を振らない。
近づく。
触ればいい。
あと一歩。
ダリオが木剣を横へ出した。
俺は下を潜る。
左手を伸ばす。
届く。
その瞬間、ダリオが右脚を半歩だけ引いた。
悪い脚。
それでも動く。
俺の指が服の前を通り過ぎた。
ダリオの左手が俺の肩に触れる。
押された。
たったそれだけ。
でも前へ出ていた勢いが横へ変わり、俺は三歩よろけて膝をついた。
「……強い」
「今さらか」
立ち上がる。
呼吸は乱れていない。
まだ三回。
「もう一回」
「終わりだ」
「まだできる」
「俺が疲れた」
嘘。
息一つ乱れてない。
「右脚、悪いのに」
言ってから。
少しまずかったと思った。
でもダリオは怒らなかった。
自分の右脚を見る。
「だからだよ」
「何が?」
「動けねえから、動かなくなった」
意味が分からない。
ダリオは木剣を肩に担ぐ。
「昔の俺はもっと走った。踏み込んだ。避けた。相手より速く動こうとした」
右脚を軽く叩く。
「それができなくなった」
「じゃあ今のは?」
「動かなくていい方法を覚えた」
シオンとは違う。
シオンは距離を支配していた。
ダリオは。
俺の力を使っていた。
俺が前へ出る。
俺が振る。
俺が避ける。
その力を少しだけ違う方向へ変えている。
だから。
ほとんど動いていない。
「それ、怪我してから覚えた?」
「ああ」
「強くなった?」
ダリオが黙った。
少し長く。
「昔より上手くはなった」
「じゃあ強く――」
「でも、弱くなった」
言葉が止まる。
ダリオは笑っていた。
悲しそうではない。
普通に。
「できることが減ったからな。速く走れねえ。長く戦えねえ。昔なら追えた相手を追えない。だから、残ったもので戦えるようにしただけだ」
俺は何も言えなかった。
強くなれば。
できることは増えると思っていた。
でも。
減ることもある。
その中で。
また戦い方を作る人もいる。
◇
夕食のあと、俺は砦の外壁に座っていた。
夕日はほとんど沈み、遠くの草原が赤く染まっている。
少しして、ダリオが隣に来た。
「考えてんのか」
「うん」
「珍しいな」
「今日会ったばっかりなのに何で分かるの?」
「ゼノから聞いてる」
何を。
怖い。
しばらく二人で黙っていた。
「ダリオ」
「何だ」
「Aランク、諦めた?」
「ああ」
「悔しい?」
答えはすぐには返ってこなかった。
風が吹く。
草の匂い。
少し冷たい。
「昔はな」
ダリオが言う。
「今は?」
「分からん」
「分からない?」
「諦めたって言葉は便利なんだよ」
意味が分からない。
ダリオは自分の右脚を伸ばした。
「できないことを受け入れたのか、本当はまだやりたいのに逃げただけなのか、自分でも分からなくなる」
俺は黙って聞く。
「俺は努力した。少なくとも、自分ではそう思ってる。才能のある奴に負けて、また振った。追いつけなくて、また振った。それでも最後まで届かなかった」
声は静かだった。
怒っていない。
泣いてもいない。
だから余計に残る。
「努力しても、届かないことはある」
「……うん」
知ってる。
そのつもりだった。
でも。
実際に届かなかった人から聞くと違う。
「怖いか?」
聞かれる。
少し考える。
エリオット。
シオン。
ゼノ。
俺より上にいる人たち。
これから何年振っても。
追いつけないかもしれない。
《超越》がある。
でも。
それでも絶対とは限らない。
相手も成長する。
俺が怪我をするかもしれない。
死ぬかもしれない。
「少し」
正直に答える。
ダリオが笑った。
「そうか」
「でも」
言葉を探す。
前にも考えたこと。
たぶん。
俺の中ではもう答えがある。
「やめたら、もっと届かない」
ダリオが俺を見る。
「やっても届かないかもしれない。でも、やらなかったら絶対届かない」
自分で言って。
少しだけ怖くなった。
これは。
前世ではできなかったことだ。
できない理由を探して。
向いていない。
才能がない。
今からじゃ遅い。
そうやって。
やらない方を選んだ。
この世界では。
もう。
それをしたくない。
「だからやる」
ダリオはしばらく何も言わなかった。
やがて、前を向く。
「……若いな」
「九歳」
「そういう意味じゃねえ」
今日二回目。
でも今度は、少し声が違った。
「俺も昔、同じこと言ってたよ」
その言葉に、胸の奥が少し重くなる。
ダリオも。
そうだった。
それでも。
届かなかった。
なら俺も。
同じになるかもしれない。
「それでもやる?」
ダリオが聞く。
「やる」
今度は迷わなかった。
ダリオは小さく息を吐いた。
「なら、好きにしろ」
それだけ言って立ち上がる。
右脚を引きずりながら、砦の中へ戻っていく。
その背中を見る。
強い人。
でも。
届かなかった人。
初めて会った。
◇
夜。
寝る前に剣を持とうとして、やめた。
今日は五百回で終わり。
ゼノに言われたからだけじゃない。
明日も動く。
そのために寝る。
布団へ入ると、昼間のダリオとの手合わせを思い出した。
右脚が悪い。
できることが減った。
だから、残ったもので戦える形を作った。
才能がなくても。
努力しても。
届かないことがある。
それでも。
積み上げたものまで消えるわけじゃない。
目を閉じる。
明日。
ダリオに何を教わるのかは分からない。
そもそも、教えてくれるとも聞いていない。
でも一つだけ。
アルネリアで天才を見るより前には知らなかったことを、今日は知った。
才能がなくても努力すれば、必ず追いつける。
そんな保証はない。
努力しても負ける。
届かないこともある。
それでも努力しなければ。
次も絶対に届かない。
だったら。
俺は明日もやる。
お読みいただきありがとうございました!
「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、画面の下(または目次ページなど)にある**【ブックマーク登録】と、【★★★★★評価】**で応援していただけると本当に嬉しいです!
感想や「ここが良かった」といったご意見もお待ちしております。
それでは、次回の更新でお会いしましょう!




