守るための剣
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それでは、どうぞお楽しみください。
短剣を持った男まで、およそ三十歩。
遠い。
男のすぐ前には四人の子供がいる。赤い髪の少女、黒髪の小さな少年、右耳の欠けた金髪の少年、それから知らない少女。ノアから聞いた特徴が正しければ、最初の三人がエマ、ニル、サイだ。
男が短剣を振り上げる。
俺は走った。
「レオン!」
ゼノの声。
止まれという意味かもしれない。
でも、今止まれば間に合わない。
石切り場の中央では、開かれた檻から五体の魔物が飛び出していた。グレイファング二体とグラウンドハウンド三体。その向こうでは敵の大人たちも武器を抜き始めている。
全部を見る。
俺の右からガレスが走る。さらに後方から冒険者が三人。左では別班が東側へ回り込む。リナたちはまだ斜面の上。灰色の髪の男は動いていない。
子供まで二十歩。
短剣が下がる。
間に合わない。
俺は剣を振らなかった。
左手で地面の小石を拾い、そのまま投げる。
当たる必要はない。
男の右側。
岩に石がぶつかった。
乾いた音。
男の目が一瞬だけ動く。
短剣が止まる。
その一瞬で五歩詰める。
男が俺に気づいた。
「ガキが!」
子供ではなく、俺へ向き直る。
よかった。
十五歩。
十歩。
男が赤い髪の少女の腕を掴んだ。
短剣を首へ。
「止まれ!」
止まる。
距離は七歩ほど。
俺の剣では届かない。
男の短剣は、もう少女に触れそうな位置にある。
「剣を捨てろ!」
呼吸を整える。
男を見る。
三十歳くらい。茶色い短髪。左頬に傷。革鎧。右手に短剣。左手で少女を掴んでいる。
足は少し開いている。
重心は後ろ。
俺を警戒している。
でも、後ろから来るガレスにも気づいている。
視線が動く。
俺。
ガレス。
俺。
逃げたい。
北側へ。
そのために人質が必要。
「聞こえねえのか!」
男が短剣を少女の首へ押しつける。
赤い髪の少女が息を呑む。
ノアから聞いた特徴が正しければ、この子がエマだ。
俺は剣を下げた。
「レオン!」
後ろからガレスの声が飛ぶ。
男の視線が一瞬だけ俺から外れた。
ガレスを見る。
そして、もう一度俺を見る。
今ので俺の名前を知った。
でも、それはどうでもいい。
剣先を地面へ向ける。
捨てる。
そう見せる。
男の肩から少し力が抜けた。
俺が従うと思った。
ガレスを見る。
来るな、とでも言うように男が短剣を動かす。
ガレスが止まった。
男の意識が二つに分かれる。
俺とガレス。
《戦域把握》。
位置を残す。
ガレスは右後方。
敵は正面。
子供四人。
さらに左からグラウンドハウンドが一体、こちらへ近づいている。
時間がない。
俺は剣をさらに下げる。
男の目が剣先を追う。
一瞬だけ。
《誘導歩》。
右足を半歩外へ。
男から見れば、俺が右へ退くように見える。
男の身体が反対側へ向く。
北へ逃げるため。
少女を引く。
その瞬間、短剣が首から離れた。
俺は前へ出た。
「っ!」
男が気づく。
短剣を振る。
速い。
でも、ガレスより遅い。
右肩が先に動いた。
斜め下。
俺は左へ入る。
刃が右腕の袖を裂いた。
痛みはない。
剣を振る。
手首。
刃を返す余裕はなかった。
峰ではなく刃が入る。
男が叫んだ。
短剣が落ちる。
左手で少女を引き寄せようとする。
俺は肩からぶつかった。
体重差がある。
俺の方が弾かれる。
でも、それでいい。
少女の腕から手が外れた。
「走って!」
四人が動く。
男が俺を蹴った。
腹。
息が抜ける。
後ろへ転がる。
男は落ちた短剣へ手を伸ばす。
その前に長い槍が地面へ突き刺さった。
男の指先から数センチ。
「そこまでだ」
ガレス。
男が固まる。
「手ぇ上げろ」
終わった。
そう思った瞬間、ガレスの顔が変わった。
「レオン、後ろ!」
振り返らない。
左へ跳ぶ。
さっき近づいていたグラウンドハウンド。
最後に見た位置と速度から、来る方向は分かる。
牙が背中のすぐ横を通った。
着地。
振り向く。
グラウンドハウンドが俺へ向き直る。
剣を構える。
でも、その横から炎が飛んだ。
火球が地面へ当たり、魔物が横へ跳ぶ。
「レオン!」
リナ。
斜面を下りてきている。
ディルもいる。
四人の子供へ走っている。
「そっちお願い!」
「分かってる!」
俺はグラウンドハウンドを見る。
一体。
以前なら、油断できない相手だった。
今も油断はしない。
でも怖くない。
魔物が走る。
正面。
噛みつき。
右へ半歩。
避ける。
剣を返す。
首。
浅い。
魔物が回る。
俺も回る。
追わない。
左側に岩。
右側は広い。
俺は岩側へ少し寄る。
グラウンドハウンドが広い右へ回る。
《誘導歩》。
そこへ先に入る。
魔物が飛ぶ。
俺は身体を沈め、下から斬り上げた。
胸から首。
血が飛ぶ。
グラウンドハウンドが地面へ落ちる。
動かない。
二撃。
それだけだった。
以前より明確に楽になっている。
でも確認している暇はない。
石切り場全体を見る。
右側ではガレスたちが敵三人と交戦。左では冒険者四人がグレイファング一体とグラウンドハウンド二体を抑えている。もう一体のグレイファングは――見えない。
最後に見た位置。
中央。
西へ走った。
その先には。
「ディル!」
叫ぶ。
ディルが子供二人を連れている。
後ろ。
見えていない。
でも、位置が残っている。
「右へ!」
ディルが迷わず右へ跳んだ。
直後、岩陰からグレイファングが飛び出した。
さっきまでディルがいた場所を牙が通る。
「うわっ!」
グレイファングが着地する。
子供がいる。
近い。
俺では間に合わない。
「ラウル!」
剣が横から入った。
ラウル。
グレイファングが首を引き、刃を避ける。そのままラウルへ向く。
「ディル、行け!」
「分かってる!」
ディルが子供を連れて走る。
ラウルは一人でグレイファングを受ける。
俺も向かう。
二人なら倒せる。
でも途中で止まった。
違う。
俺が行く必要はない。
ラウルはLv15。
一人で勝てるとは限らないが、少しなら止められる。
今見るべき場所は別だ。
灰色の髪の男。
探す。
岩の上にいない。
「ゼノ!」
返事はない。
見つけた。
北側。
二人がいる。
ゼノと灰色の男。
まだ剣は交えていない。
向かい合っている。
距離は十歩ほど。
周囲の戦闘だけが動いているのに、そこだけ止まって見えた。
灰色の男は右手を一本目の曲剣に添えている。
ゼノは長剣を抜いていない。
「お前が指揮役か」
灰色の男の声が聞こえた。
低い。
落ち着いている。
ゼノが答える。
「違うと言ったら?」
「どうでもいい」
男の目が一瞬、俺へ向いた。
遠いのに分かった。
見られた。
「面白い子供を連れている」
ゼノが半歩動く。
俺と男の間に入るように。
「見るな。減る」
「何がだ?」
「機嫌」
男が少し笑った。
その瞬間、右手が動いた。
速い。
曲剣が抜かれる。
俺には途中がほとんど見えなかった。
金属音。
ゼノも剣を抜いていた。
二本の刃がぶつかっている。
いつ抜いた?
分からない。
男が一歩入る。
ゼノが受ける。
曲剣が滑る。
首へ。
ゼノが身体を傾ける。
避けると同時に長剣を返す。
男が下がる。
一往復。
それだけ。
なのに、ガレスとの戦いより速い。
男の笑みが少し深くなった。
「なるほど」
二本目の曲剣へ左手が伸びる。
ノアの言葉を思い出す。
オーガを倒したとき。
一本しか抜かなかった。
二本目。
ゼノが構えを変えた。
初めて見る。
いつもの力の抜けた立ち方じゃない。
剣先が少し上がる。
「レオン」
俺を見ずに言う。
「子供を連れて下がれ」
「でも」
「行け」
短い。
命令。
俺は動いた。
見たい。
二人がどう戦うのか。
灰色の男がどれくらい強いのか。
ゼノの本気も。
でも、それは今の役目じゃない。
俺は振り返る。
子供。
四人。
リナとディルが三人を連れている。残り一人は救助班の女性が抱えている。
ラウルはまだグレイファングと戦っている。
「ラウル、下がる!」
「こいつどうすんだ!」
「倒さなくていい!」
俺が近づく。
グレイファングの位置。
ラウル。
俺。
後ろに子供。
戦う場所じゃない。
「左に寄って!」
ラウルが左へ。
俺は右へ。
グレイファングから見れば、中央が空く。
逃げ道。
魔物が一瞬迷う。
俺たちではなく、その先を見る。
「攻めないで」
「分かった」
二人とも剣を構えたまま待つ。
グレイファングが低く唸る。
一秒。
二秒。
走った。
俺たちの間ではなく、さらに右。
東の林へ。
追わない。
「行く!」
子供たちと合流する。
リナが赤髪の少女の手を握っている。
「エマ?」
少女が驚いて俺を見る。
「ノアから聞いた」
「ノア、生きてるの?」
「町にいる」
泣きそうな顔になった。
でも今は止まれない。
「帰ったら会える」
今度は言えた。
約束じゃない。
ノアは町にいる。
俺たちが戻れば会える。
「走れる?」
「うん」
「ニルは?」
黒髪の少年が手を上げる。
「僕」
「走れる?」
「うん」
「サイ」
金髪の少年が頷く。
右耳が少し欠けている。
「走れる」
「そっちの子は?」
知らない少女。
薄い金色の髪。七歳くらい。
震えている。
「ルゥ」
エマが答えた。
「昨日来たばっかり」
「分かった」
四人。
全員いる。
「戻るよ」
俺たちは南側へ向かう。
後ろではまだ戦闘音がする。
金属。
叫び声。
魔物の唸り。
でも少しずつ遠ざかる。
俺は何度も振り返りたくなった。
《戦域把握》で最後に見た配置を頭に残しながら、前を見る。
救助班との合流地点まで、あと少し。
そのとき。
金属音が一つ。
今までで一番大きかった。
振り返った。
遠く。
ゼノと灰色の男。
二人とも立っている。
でもゼノの黒い外套が裂けていた。
左肩。
血。
俺の足が止まりかける。
「レオン!」
リナ。
前を見る。
子供。
今はこっち。
走る。
◇
合流地点まで戻ったあと、俺たちは子供たちを治療班に預けた。
大きな怪我はない。
エマの首に短剣でできた浅い傷がある。ニルは右足首を痛めている。サイには古い打撲がいくつもあった。ルゥはほとんど喋らなかった。
「ノアは本当にいる?」
エマが何度目か分からない質問をした。
「いる」
「元気?」
「パン食べてた」
「いっぱい?」
「かなり」
エマが少しだけ笑った。
それで十分だった。
俺は石切り場の方を見る。
まだ戻ってこない。
ガレスたちも。
ゼノも。
「行くなよ」
ラウルが言った。
「分かってる」
「顔が行きたそうなんだよ」
「行かない」
今戻れば邪魔になる。
分かっている。
だから待つ。
十分。
十五分。
二十分。
長い。
二十五分ほどして、最初の冒険者たちが戻ってきた。
二人が負傷している。
一人は脇腹。
もう一人は左脚。
どちらも歩けている。
「ガレスは?」
ラウルが聞く。
「来る。敵を四人捕まえた」
「ゼノは?」
冒険者が俺を見る。
「まだだ」
胸の奥が重くなる。
さらに五分。
ガレスが戻ってきた。
槍に血がついている。
「子供は?」
最初に聞いた。
「全員いる」
「よし」
「ゼノは?」
ガレスが後ろを見る。
「来る」
その言い方で、死んではいないと分かった。
でも。
「第三環は?」
「逃げた」
ガレスの顔が険しい。
「あいつ、最初から俺たちを倒す気がなかった。時間を稼いで、北へ抜けやがった」
「ゼノは追った?」
「途中までな」
「途中?」
「追うのをやめた」
なぜ。
聞く前に見えた。
黒い外套。
長い黒髪。
ゼノが歩いてくる。
一人。
普通に歩いている。
でも左肩から血が流れている。
俺は走りそうになって、やめた。
歩いて近づく。
「怪我」
「浅い」
近くで見る。
外套だけじゃない。
服も切れている。
でも傷は深くなさそうだった。
「勝った?」
聞く。
ゼノは少し考えた。
「いいや」
初めて聞いた気がした。
ゼノが誰かと戦って、勝っていない。
「負けた?」
「それも違う」
「逃げられた?」
「ああ」
ゼノはあっさり認めた。
「追えば捕まえられた?」
「分からん」
「じゃあ何で追わなかったの?」
ゼノの灰色の目が俺を見る。
「お前と同じだ」
「俺?」
「今日の目的は何だった」
考える。
「子供を助けること」
「それと捕虜の確保だ。両方終わった。なら、未知の相手を追って被害を増やす理由がない」
俺は黙った。
強い。
ゼノは俺よりずっと強い。
それでも追わない。
勝てるかもしれなくても。
「それに」
ゼノが裂けた肩を見る。
「次は楽に勝てる相手でもなさそうだ」
ガレスが眉をひそめる。
「お前がそれ言うのかよ」
「事実だ」
俺は北を見る。
灰色の男。
第三環。
名前はまだ知らない。
でも、強さは見た。
俺がガレスから一本取って喜んだ次の日に、そのガレスより遥かに強いゼノと互角に近い速度で剣を交えた。
遠い。
本当に。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
壁を一つ越えたら、その先にもっと高い壁があった。
それだけだ。
◇
町へ戻ったのは夕方だった。
ノアとエマたちが再会した。
俺は少し離れた場所から見ていた。
エマが最初にノアへ飛びついた。
ノアは驚いて、そのあと泣いた。
声を出さずに。
ニルも。
サイも。
ルゥだけは少し離れていたが、リナが隣に座っている。
助けられた。
四人とも。
死者も出なかった。
敵四人を捕らえた。
石切り場には荷車、檻、記録らしき紙も残っている。
全部うまくいったわけじゃない。
第三環には逃げられた。
味方も怪我をした。
それでも。
今回は守れた。
夜。
俺は自分の部屋で剣を抜いた。
振らない。
刃を見るだけ。
今日初めて、人間へ向けて真剣を振った。
手首を斬った。
血が出た。
殺してはいない。
でも、一歩ずれていればもっと深く入ったかもしれない。
怖くないわけじゃない。
魔物を斬るのとは違った。
それでも、あのとき剣を振らなければエマが傷ついていたかもしれない。
俺は剣を鞘へ戻す。
強くなる理由。
前は単純だった。
負けたくない。
守りたい。
今もそれは変わらない。
ただ、守るための剣は、いつか人間にも向けなければならない。
それを今日知った。
視界の端に文字が浮かんだ。
《戦闘経験の蓄積を確認》
《格上存在との交戦環境下における任務達成を確認》
《複数対象の救助・護衛に成功》
《経験値を獲得しました》
続けて表示が変わる。
《個体レベルが上昇しました》
《Lv14 → Lv15》
俺はしばらく文字を見ていた。
ラウルと同じ。
初めて会ったころ、何度戦っても勝てなかった相手。
今も強い。
これからも強くなる。
でも、レベルだけなら並んだ。
《身体能力が上昇しました》
《筋力 23 → 24》
《耐久 25 → 26》
《敏捷 27 → 29》
《魔力 8 → 9》
《精神 23 → 24》
表示が消える。
剣術Lv5。
戦域把握Lv2。
誘導歩。
そしてLv15。
ここ数日で、いくつも変わった。
俺は強くなっている。
今度ははっきり分かる。
でも、今日見た二本の剣を思い出す。
まだ届かない。
ゼノにも。
第三環にも。
それでいい。
届かない場所があるなら、次に進む場所が分かる。
俺は灯りを消した。
明日は千回。
それ以上は振らない。
たぶん。
ゼノに見つからなければ、少しくらい増やしても――。
「駄目だぞ」
扉の向こうから声がした。
俺は止まる。
「……まだ何も言ってない」
「顔を見なくても分かる」
足音が遠ざかっていく。
少し考えてから、ベッドへ入った。
明日は千回。
千回でいい。
壁を越える方法は、回数を増やすことだけじゃない。
それも、もう知っている。
お読みいただきありがとうございました!
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それでは、次回の更新でお会いしましょう!




