見つけた道
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それでは、どうぞお楽しみください。
翌朝、ギルドへ行くと、いつもより人が多かった。依頼を受けに来た冒険者だけじゃない。受付の奥では職員が何人も資料を運び、壁際の大きな机には町の周辺地図が広げられている。昨日まで印のなかった場所に、赤や黒の小さな石がいくつも置かれていた。
「増えてる」
俺が地図を見ながら言うと、隣にいたリナも頷いた。
「昨日の三件だけじゃなかったみたい」
ディルが身を乗り出した。
「何個あんの?」
「触るな」
後ろからゼノの声がして、伸びかけていたディルの手が止まる。
「触ってねえよ」
「今から触るところだった」
「触ってないなら同じだろ」
「違う」
ゼノは俺たちの横を通り、そのまま地図の前に立った。長い黒髪はいつものように首の後ろで緩く結ばれている。黒い外套の下には剣が一本だけ。いつもと変わらない格好なのに、今日は朝から出る準備をしているように見えた。
「昨日から過去二月分の報告を洗った。魔物そのものの目撃は多すぎるから除外して、荷車、檻、縄、捕獲具、人の痕跡に絞った」
ゼノが地図を指す。昨日聞いた西街道の放置された荷車、北西の小村近くで見つかった檻。それ以外にも三つ、新しい印が増えていた。西の森に近い猟師小屋で太い鎖が見つかった場所。南西の農道で、荷物のない荷車を夜中に見たという証言。そして町からかなり離れた北西の林で、獣用とは思えない大きな罠が捨てられていた場所。
「五件?」
「確度の低いものを含めれば七件だ」
「全部、西」
俺が言うと、ゼノが頷く。
正確には西だけではない。北西から南西まで、町を囲むように広がっている。ただし、どの地点も森の奥へ進めば最終的に西側へ繋がる位置だった。昨日までは一つずつ離れた出来事に見えていたものが、地図に並べると形を持ち始めている。
「これ、道になってない?」
リナが言った。
俺も同じことを考えていた。
点と点の間隔にはばらつきがある。それでも、森の外縁を回り込むように並んでいる場所がある。真っ直ぐ町へ向かう道ではない。町や大きな村を避けながら、森の中を移動しているようにも見える。
「可能性はある」
ゼノが答える。
「じゃあ追うの?」
ディルが聞くと、ゼノはすぐには答えなかった。
代わりに、部屋の奥からガレスが出てきた。短い銀灰色の髪に、紺色の軽装鎧。今日は長槍だけでなく、腰に短い剣も差している。
「追う。ただし、人間を相手にする可能性がある」
ディルの表情から少しだけ軽さが消えた。
魔物と人間は違う。ゴブリンなら見つけた時点で敵だと判断できることが多い。でも人間は、武器を持っていてもそれだけでは敵とは限らない。逆に、武器を見せていなくても危険なことはある。
「俺たちも?」
俺が聞く。
ガレスではなく、ゼノが答えた。
「今日は行く」
ディルが小さく拳を握った。
「ただし条件がある。俺たちの前には出るな。追跡もしない。戦闘になったら指示に従え」
「なんで今日はいいの?」
昨日は残れと言われた。
「昨日の場所を見たのがお前たちだからだ。周辺の地形も一度通っている。それと――」
ゼノが俺を見る。
「お前の目を使う」
《観察》と《戦域把握》。
少し嬉しい。戦えるから連れていかれるんじゃない。役に立つものがあるから連れていかれる。
「でも勘違いするな。見つける役だ。倒す役じゃない」
「分かった」
「本当に分かってる顔じゃねえな」
ガレスが笑う。
分かっている。
たぶん。
◇
町を出たのは六人だった。ゼノ、ガレス、昨日も応援に来ていた二人の成人冒険者、それから俺とリナとディル。ラウルはいない。あとで聞いた話では、今日は別の依頼を受けているらしい。
昨日の二つ目の村までは街道を使い、そこから森へ入った。最初に向かったのは、ロイドたちがグレイファングに襲われた場所だった。荷車はすでにギルドが調査したあとだが、周辺の痕跡は残っている。
「昨日見たときと違うところは?」
ゼノが聞く。
俺はすぐに答えず、周囲を見る。
倒れた荷車。焦げた地面。縄の擦れた木。俺たちが歩いた跡。昨日、ガレスたちが行方不明者を探すために森へ入った跡も増えている。地面が踏まれたせいで、最初より分かりにくくなっている。
「荷車の跡」
「どれだ」
俺は西側を指した。
荷車が来た跡は昨日も聞いていた。でも今は、それがどこから森へ入ったのかを見る。道らしい道はない。木の間隔も狭く、普通の荷車なら通りにくい場所だった。それなのに車輪跡はほとんど蛇行していない。
「ここ、何回も通ってる?」
ガレスが目を細める。
「理由は?」
「枝がない」
荷車の高さにあるはずの枝が、途中から不自然に少ない。折れた跡も新しくない。最初に一度だけ無理やり通ったのではなく、あらかじめ通れるように枝を落としていたように見える。
ゼノが周囲を確認し、そのまま西へ少し進む。
「続いてる」
ガレスも低く言った。
道ではない。でも、人が使っている場所だった。
落ち葉で隠され、太い枝や倒木は避けられている。遠くから見れば森の一部にしか見えないが、荷車一台が通れる幅だけ、木々の間に細い空間が続いている。
「隠してる?」
リナが声を落とす。
「たぶん」
俺が答えると、ゼノがこちらを見る。
「推測だ」
「……可能性が高い」
「それでいい」
俺たちはその道を西へ進んだ。
昨日までより空気が重い。実際に何かがいるわけじゃない。ただ、自分たち以外の人間が何度もここを通っていたと分かっただけで、森の見え方が変わる。
《戦域把握》を意識する。
前方にゼノ。少し右にガレス。後ろを二人の冒険者が固め、その間に俺たち三人がいる。左右は木が多く、十メートル先でも姿が隠れる場所がいくつもある。戦うなら最悪だ。敵が何人いるのか分からないまま、近距離まで寄られる。
だから、戦わない。
見つける。
それだけに集中する。
三十分ほど進んだところで、ゼノが拳を上げた。
全員が止まる。
俺にはまだ何も見えない。
ゼノが地面を指した。
靴跡がある。
一つではない。少なくとも三人分。俺たちが使っている道と交差し、北へ向かっている。
「新しい」
ガレスがしゃがみ込む。
「どれくらい?」
ディルが小声で聞く。
「今日だな。朝か、少なくとも雨より後だ」
昨日の夜に少し雨が降った。跡は崩れていない。
誰かが今日ここを通った。
ゼノが北へ続く痕跡を見る。
「行く」
今までの隠れた道を外れ、俺たちはさらに森の奥へ入った。
◇
北へ進んでしばらくすると、匂いがした。
獣臭。
でも、一匹じゃない。
「臭い」
ディルも気づいた。
ガレスが指を口元に当てる。
全員が声を止める。
少し先から、金属が擦れる音が聞こえた。
一度。
少し間が空いて、もう一度。
俺たちは木々の陰を使って進む。やがて前方が少し開け、低い岩場の奥に人工的な空間が見えた。
小さな野営地だった。
昨日の場所より広い。
布を張った簡単な天幕が二つ。荷車が一台。そして檻。
三つ。
一つは空。
もう一つには、灰色の毛を持つ狼型の魔物が入っている。初めて見る。でもたぶん、あれがグレイファングだ。肩の高さは大型犬よりかなり高く、痩せているのに脚は太い。口を開くたび、長い牙が見える。
三つ目の檻には、別の魔物がいた。
黒褐色の毛。長い前脚。猫に似ているけど、顔はもっと細い。
名前は知らない。
そして、人間が二人。
一人は茶色い外套を着た男。三十代くらいで、短い黒髪。細身だが腰に剣を差している。もう一人はフードを深く被った小柄な人物で、顔は見えない。
二人ともこちらには気づいていない。
ガレスが俺たちに手で下がるよう合図する。
そのときだった。
風向きが変わった。
檻の中のグレイファングが突然、鼻を上げる。
こっちを向いた。
まずい。
「下がれ」
ゼノが小さく言ったのと、グレイファングが吠えたのはほぼ同時だった。
男たちが振り返る。
「誰だ!」
茶色い外套の男が剣を抜いた。
フードの人物は一瞬だけこちらを見たあと、逃げるように荷車の反対側へ回る。
ガレスが木々の間から出た。
「動くな。ギルドの調査だ」
相手の男は止まらない。
むしろ、笑った。
嫌な笑い方だった。
「遅えよ」
男が腰から何かを引き抜く。
鍵。
俺は気づいた。
「檻!」
叫ぶ。
男が鍵を回した。
グレイファングの檻の扉が開く。
同時に、フードの人物も三つ目の檻へ手を伸ばしていた。
「やめろ!」
ガレスが走る。
でも間に合わない。
二つ目の扉も開いた。
黒褐色の魔物が飛び出す。
二人は戦うつもりじゃない。
魔物を放して逃げるつもりだ。
◇
グレイファングが最初に動いた。
目の前の男ではなく、最も近い俺たちへ向かってくる。
速い。
リナが杖を構える。
「火――」
「待って!」
そのまま撃てば森に燃え移る。
グレイファングは一直線に来ない。右へ大きく回り込み、木の陰から俺たちの側面へ入ろうとしている。
リナを狙っている。
《戦域把握》。
木の位置。俺。リナ。ディル。グレイファング。
ガレスが教えてくれたことを思い出す。
強い相手は、簡単には動かない。
なら、選ばせる。
俺はリナの左へ移動した。
右を空ける。
グレイファングがそちらへ回る。
狙い通り。
「ディル、右の木!」
「は?」
「そこ!」
ディルは迷ったが走る。
俺も同時に前へ出る。
グレイファングから見れば、正面には俺。左には太い木。右側にはディルが入る。
逃げられる方向を一つにする。
後ろ。
グレイファングが地面を蹴った。
俺ではなく、予想通り空いた斜め後ろへ身体を流す。
「リナ!」
もう火は使わない。
リナも分かった。
「《水生成》!」
大量ではない。
拳二つ分ほどの水がグレイファングの着地点へ落ちる。
前脚が滑る。
身体が崩れる。
「今!」
ディルが横から飛び込み、短剣で前脚を浅く切る。
グレイファングが振り向く。
俺は正面から入る。
噛みつき。
頭が沈む。
その予備動作を見て、左へ半歩。
牙が服の横を通る。
剣を振る。
首ではなく、右肩。
浅い。
でも動きが止まる。
そこへ、後ろから槍が突き抜けた。
ガレス。
グレイファングは一度大きく痙攣し、そのまま倒れた。
「追うな!」
ガレスが叫ぶ。
俺は顔を上げる。
逃げた二人。
茶色い外套の男とフードの人物は、もう森の奥へ走っている。
追える距離。
少なくとも俺にはそう見えた。
でも、もう一体いる。
黒褐色の魔物。
ゼノと二人の冒険者が相手をしている。
さらに、檻の奥から声がした。
「助けて!」
人。
荷車の裏側に、縄で縛られた男が一人いる。
逃げた相手を追えば、そっちは遅れる。
ガレスの言葉が頭に残る。
何を選ばせるか。
あいつらも同じことをした。
追うか。
助けるか。
「助ける」
俺は走る方向を変えた。
ディルとリナもついてくる。
縛られていた男は四十代くらいで、口元に殴られた跡があった。縄は太いが、ディルの短剣なら切れる。
「ディル」
「分かってる!」
縄を切る間に、俺は周囲を見る。
もう一体の魔物が甲高い声を上げた。
ゼノの剣が一度だけ光る。
次の瞬間には倒れていた。
終わった。
でも逃げた二人の姿はない。
◇
「追跡は?」
成人冒険者の一人が聞いた。
ゼノは森の奥を見る。
「しない」
俺は少し驚いた。
ゼノなら追えると思う。
たぶん、一人なら。
「理由は?」
俺が聞く。
「目的が違う」
ゼノはそれだけ言い、縛られていた男へ近づく。
生き残った人間。
檻。
荷車。
荷物。
証拠。
こっちを捨てて二人を追えば、何かを失うかもしれない。
それに、相手が二人だけとも限らない。
男は水を飲んでから、ゆっくり話し始めた。
名前はベルト。近くの村から隣町へ獣皮を運ぶ商人だった。三日前、街道で男たちに襲われ、そのままここまで連れてこられたらしい。
「何人いた?」
ガレスが聞く。
「最初は五人だ」
二人じゃない。
「残りは?」
「昨日、荷車で西へ行った。魔物を二頭連れて」
「種類は?」
「分からん。檻に布をかけてた」
俺たちは黙る。
少なくとも、ここは一時的な場所だった。
魔物を捕まえる場所ではない。
運ぶ途中で集める場所。
「他に聞いたことは?」
ゼノが問う。
ベルトは少し考え、首を振りかけてから止まった。
「町がどうとか……言ってた」
「どの町だ」
「分からん。名前は聞いてない。ただ、『次はもう少し近くへ』って」
近く。
何に。
この町か。
別の村か。
まだ分からない。
ガレスが荷車を調べている途中で、小さな木箱を見つけた。中には餌、鉄具、薬瓶、替えの縄。そして布が数枚入っていた。
黒い布もある。
昨日と同じ。
輪のような印。
今度は俺も見た。
黒地に、白っぽい線で描かれた輪。
ただの丸じゃない。
輪の一部が少し切れていて、その内側に短い線が三本入っている。
何の印かは分からない。
でも、昨日の荷車と同じものがここにもあった。
偶然ではない。
「同じ?」
俺が聞く。
ガレスが頷く。
「昨日のと同じだ」
ゼノは布をしばらく見ていたが、表情を変えなかった。
「持ち帰る」
それだけだった。
◇
町へ戻る頃には日が傾いていた。
ギルドではすぐに報告が始まった。昨日まで「似た事件」だったものが、今日初めて一つに繋がった。
隠された道。
一時的な野営地。
複数の檻。
生きた魔物。
同じ印の黒い布。
そして、少なくとも五人以上の人間。
「組織的だな」
職員の一人が言った。
ゼノも否定しない。
「少なくとも一人二人の魔物商じゃない」
「目的は?」
ガレスが椅子にもたれながら聞く。
答えは出ない。
金なら、わざわざ魔物を檻から放す理由が分からない。町を襲わせるつもりなら、もっと直接運べばいい。森の中へ放しているだけなら、何のためなのか分からない。
俺は地図を見る。
今日見つけた野営地に新しい印が置かれる。
昨日までの点より、西側。
さらにその先へ、ベルトが「三人が荷車で向かった」と言った。
道はまだ続いている。
「次は?」
俺が聞く。
ゼノが答える。
「西へ行く」
「俺も?」
「未定だ」
ディルが不満そうにする。
「またそれかよ」
「危険度が上がった」
「今日も行っただろ」
「今日行ったから分かった」
何も言い返せない。
今日は魔物を放たれた。
人質もいた。
もしあと十人隠れていたら。
もし放されたのがグレイファング一体ではなく、五体だったら。
俺たちは生きて帰れたか。
分からない。
「レオン」
ガレスが呼ぶ。
「今日のあれ、悪くなかったぞ」
「どれ?」
「グレイファング」
俺は顔を上げる。
「右を空けて、そこへ行かせた」
「うん」
「昨日教えたばっかだろ」
「使えた」
ガレスが笑った。
「腹立つな、お前」
褒められているのか分からない。
「でも、一つ間違えた」
笑いが消える。
「何?」
「自分が止められる前提で動いた」
俺は思い返す。
グレイファングが想定より速かったら。
俺を無視してリナへ飛んでいたら。
噛みつきを避けられなかったら。
「選ばせるのと、決めつけるのは違う」
ガレスが言う。
「相手が別の選択をしたときの手も残せ」
俺は頷く。
勝った。
でも完璧じゃない。
いつも通りだ。
ただ、今日はそれだけじゃなかった。
逃げた二人を追わなかった。
目の前の人を助けた。
もし俺一人だったら、追っていたかもしれない。
強くなれば全部できると思っていた。
でも実際には、強くても選ばなければならない。
敵を倒すか。
追うか。
助けるか。
守るか。
戦場には、敵の動きだけじゃなく、選ばなければならないものがある。
《戦域把握》がわずかに熱を持つような感覚がした。
表示は出ない。
レベルも上がらない。
でも、何かが少しだけ繋がった気がした。
その夜、宿へ戻る前にもう一度だけ地図を見た。
西へ続く印。
その先はまだ空白だった。
けれど、何もないわけじゃない。
まだ、見えていないだけだ。
そして今日、俺たちはそこへ続く道を一つ見つけた。
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