師匠
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それでは、どうぞお楽しみください。
《拳打 Lv5》。
何度見ても、数字は変わらなかった。
限界だったLv4を越えた。
嬉しくないわけじゃない。
でも、もっと大きな変化が起こると思っていた。
拳を握る。
開く。
もう一度握る。
「……同じだな」
試しに木へ拳を打ち込んだ。
痛い。
普通に痛い。
「何やってる」
後ろから声がした。
ゼノだ。
「試してた」
「木を殴って何が分かる」
「強くなったかと思って」
ゼノが呆れた顔をする。
「拳打が一つ上がった程度で木を粉々にできるなら、世の中は化け物だらけだ」
それもそうか。
「構えろ」
ゼノが言った。
俺は拳を構えた。
ゼノは木剣すら持っていない。
「来い」
踏み込む。
右拳。
避けられる。
左。
手首を払われる。
蹴り。
脚を取られた。
地面に倒される。
三秒。
「……」
「少しは良くなった」
「少し?」
「少しだ」
立ち上がる。
もう一度。
今度は正面から行かない。
右へ動く。
ゼノの視線が動く。
踏み込む。
拳。
避けられる。
予想していた。
拳を途中で止め、身体を沈める。
足を狙う。
その瞬間、額を指で弾かれた。
「痛っ」
尻餅をつく。
ゼノが俺を見る。
「今のは悪くない」
「当たってない」
「当てることだけが成長じゃない」
そう言って、ゼノは小屋へ戻っていった。
俺は額を押さえながら立ち上がる。
まだ遠い。
でも。
前よりは近い。
それでいい。
◇
その日の午後。
ゼノが珍しいものを持ってきた。
小さな透明の石だった。
「触れろ」
「何これ」
「魔力測定石だ」
言われた通り触れる。
石が淡く光った。
弱い。
かなり弱い。
ゼノは予想していたような顔をした。
「やっぱりか」
「弱い?」
「弱い」
即答だった。
ステータスを見る。
魔力5。
四歳の頃は4だった。
数年で一しか増えていない。
「魔法、使えない?」
「使える」
少し安心する。
「ただし、お前は魔法使いには向いてない」
またか。
「どれくらい?」
「かなり」
そこまで言わなくてもいいと思う。
ゼノが地面に座った。
「魔力には大きく分けて三つの要素がある。量、出力、操作だ」
指を一本立てる。
「量。身体にどれだけ魔力を持てるか」
二本目。
「出力。一度にどれだけ放出できるか」
三本目。
「操作。どれだけ正確に扱えるか」
「俺は?」
「今分かるのは量だけだ。少ない」
「操作は?」
「これから調べる」
ゼノが手を出した。
人差し指の先に、小さな火が灯る。
「やってみろ」
「どうやって?」
「身体の中に何かあるのは分かるか?」
目を閉じる。
分からない。
「……何も」
「だろうな」
ゼノは火を消した。
「まず魔力を感じるところからだ」
「どれくらいかかる?」
「早い奴なら数時間」
「遅いと?」
「数か月」
なるほど。
俺は目を閉じた。
◇
三時間。
何も分からなかった。
次の日。
分からない。
一週間。
分からない。
二週間。
分からない。
ゼノは何も言わなかった。
俺も聞かなかった。
朝の走り込みを終える。
剣を振る。
体術。
食事。
その後、一時間座る。
目を閉じる。
何も感じない。
夜は拳。
そして寝る。
毎日繰り返した。
一か月。
変化なし。
「……本当にある?」
思わず聞いた。
「ステータスに5って書いてあるだろ」
「壊れてない?」
「知らん」
ひどい師匠だ。
……師匠?
そう思ってから、少し引っかかった。
ゼノは俺に戦い方を教えている。
飯も食わせている。
寝る場所もある。
でも、俺は一度も弟子になった覚えがない。
「ゼノ」
「なんだ」
「なんでここまでしてくれるの?」
ゼノの手が止まった。
少し考えてから答える。
「最初は興味だと言っただろ」
「今も?」
「……半分はな」
残り半分は何だ。
ゼノはしばらく黙っていた。
「鉱山のことだ」
俺は顔を上げた。
「最初にお前を捕まえたとき、俺が受けていた依頼は『盗賊に使役されている犯罪奴隷の逃亡防止』だった」
犯罪奴隷。
意味は分かる。
でも。
「俺たちは違う」
「ああ」
ゼノの声が低くなる。
「後で調べた」
ゼノは鉱山主から、正式な依頼として仕事を受けていた。
奴隷の所有自体が、この国ですべて違法というわけではない。
犯罪者や借金によって奴隷となる者もいる。
だからゼノも、最初は疑わなかった。
「だが、あそこにいた奴らの大半は違った」
俺は黙って聞く。
「戦災孤児。攫われた子供。借金とは無関係な人間。書類も偽造されていた」
ミア。
カイル。
顔が浮かんだ。
「……知ったのは?」
「お前を戻した後だ」
拳に力が入る。
ゼノは俺から目を逸らさなかった。
「言い訳はしない。俺が少しでも調べてから仕事を受けていれば、お前をあそこへ戻すことはなかった」
何も言えなかった。
怒っているのか。
分からない。
あの日、ゼノに捕まらなければ逃げられたかもしれない。
でも。
森で死んでいたかもしれない。
分からない。
「鉱山は?」
聞いた。
「ギルドには報告した。領主にも証拠を送った」
「じゃあ、みんなは?」
ゼノが少し黙った。
嫌な予感がした。
「まだだ」
「なんで」
「鉱山主には繋がりがある。下手に動けば証拠を消される。奴隷たちも別の場所へ移される可能性がある」
立ち上がりかけた。
「行く」
「座れ」
「でも」
「今のお前が行って何をする」
言葉が止まる。
「バルガ一人に勝った。それで鉱山全体を相手にできると思ってるのか?」
「……」
「お前が行けば、捕まる。それで終わりだ」
分かっている。
分かっているけど。
「俺がやる」
ゼノが言った。
見る。
「証拠が揃い次第、ギルドが動く。俺も同行する」
「俺も」
「駄目だ」
「なんで」
「弱いからだ」
胸に刺さった。
でも、事実だった。
「悔しいか?」
頷く。
「なら強くなれ」
ゼノが立ち上がる。
「助けたいと思うだけじゃ人は助けられない」
知っている。
嫌というほど。
「力が必要だ。だが力だけでも足りない。判断を間違えれば、強くても人を殺す」
ゼノは自分のことを言っているのかもしれない。
「俺は一度、お前を間違った場所へ戻した」
ゼノが俺を見る。
「同じ失敗はしない」
しばらく沈黙した。
俺は一つだけ聞いた。
「じゃあ、なんで鍛えてくれるの?」
ゼノは頭を掻いた。
「お前が弱いからだ」
「……」
「才能も大したことない」
「……」
「魔力も少ない」
「もういい」
「だが」
ゼノが少し笑った。
「何度倒しても立つ」
黒い外套の男に、初めて会った夜を思い出した。
「才能のある奴は何人も見た。十年に一人と言われる天才も見たことがある」
ゼノは続ける。
「だが、才能がないと分かって、それでも同じことを何万回も続ける馬鹿は初めて見た」
褒められている気がしない。
「それに――」
ゼノが俺のステータスを見る。
《超越》
「今は、その馬鹿にしか使えない力まで生まれた」
少しだけ笑った。
「だから見てみたくなった。お前がどこまで行くのか」
ゼノは右手を差し出した。
「正式に俺の弟子になるか、レオン」
手を見る。
大きな手だった。
父さんの手を少し思い出した。
でも、違う。
父さんじゃない。
この人はゼノだ。
一度、俺を鉱山へ戻した。
そして、その間違いから逃げなかった人だ。
俺はその手を握った。
「……お願いします」
「声が小さい」
「お願いします」
「よし」
ゼノが手を離す。
「じゃあ修行を始めるぞ」
「今までは?」
「準備運動だ」
嫌な予感がした。
「まず山を十周」
「……何キロ?」
「一周八キロくらいだ」
「八十キロ?」
「そうだ」
無理だ。
「できない」
「知ってる」
「?」
ゼノは笑った。
「今日はな」
その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。
俺も笑った。
「……分かった」
走り出す。
当然、一周目すらまともに走り切れなかった。
それでも翌日。
また走った。
その翌日も。
《超越》があるからじゃない。
師匠がいるからでもない。
昨日できなかったことを、今日少しだけできるようにする。
それを繰り返す。
俺が強くなる方法は、最初から一つしかなかった。
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