私と僕
「ねぇ颯汰!」ある日蒼が話しかけた。「なに?」「颯汰ってさ自分のこと『僕』っていうじゃん、私は『俺』の方がかっこいいと思うよ。」「そうかなぁ」「一回言ってみてよ。」それから颯汰の一人称は徐々に『俺』に変わっていった。その後もいつものように2人は昼休みに友達とサッカーをしたり蒼の家で遊んだりした。そんな生活が続いて3回目の春、春休みが始まった。
「そういえば、近くの公園は桜がきれいらしいよ。」「いいなぁ今度俺達で見に行こうよ。」「ふふっ、それも板についてきたね。」蒼は微笑みを浮かべた。
次の日、蒼は彼女の母と歩いていた。その日の空は快晴だった。
「つぎのよく晴れた日に颯汰と桜を見に行くんだ!」「いいじゃない、お弁当作らなきゃね。」2人が微笑ましい会話をしながら横断歩道に近づいた。
赤信号が変わるのを待ってる途中彼女は蒼に話しかけた。
「そういえば、前から蒼に言っておきたかったことがあるんだ。」「何?お母さん。」
「蒼は強くて優しい、だからね困ってる人を助けたり守ったりする力があると思うんだ。」「うん!私みんなを守れる人になる!」そして2人は青信号になった横断歩道を渡り始めた。
そして2人が横断歩道の中央辺りに差し掛かったその時鈍い衝撃音がして蒼の視界から母は消えた。「...え?」
目の前にあったのは自信の何倍もの高さの壁のような車体。
それに衝突され、10メートルほど吹き飛んだ母だった物に蒼は呼びかけた。
「...お母さん?」「お母さん!!」何度声をかけても微動だにしない。「あ...ぁぁ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」 1人の少女の慟哭がよく晴れた青白い空に響いた。
次の日から蒼は部屋に篭った、母の葬儀には虚な目のまま参列した。目の前で起こった出来事なのに受け入れられなかった。
...なんであの時私だけ生き残ったんだろう。もっとゆっくり歩いていれば、もっと速くに気づいていれば。
「なんで...どうして.....」膝を抱き部屋の角にうずくまっていた蒼の頭の中で母の言葉が反響する。
「蒼は強くて優しい、だからね困ってる人を助けたり守ったりする力があると思うんだ。」
「...そうだ。私がみんなを守らないといけないんだ、だから...強くならなきゃ...」そう自分に言い聞かせた蒼はハサミを手に取り、後ろ髪を纏めて切り落とした。
「私は今から僕だ…!」
その日から蒼の努力の日々が始まった。外に遊びに行っていた昼休みも彼女はすべて勉強に費やした
そんな彼女に愛想を尽かしたのか友達たちは少しづつ離れていった。そんなある日の放課後、クラスメイト達が帰っていく「今日は何して遊ぶ?」「そういえばあいつはどうする?」「えー最近愛想悪いしほっとこうぜ。」扉の外で交わされる会話を尻目に蒼は宿題と教科書を広げた。数時間後、何日も夜更かしをしたのが祟ったのか蒼は眠りに落ちていた。
自分にはどうしようもないこと。己の無力感を痛感させられる夢を頻繁にみる。今日もまた例外ではなかった。轟音と骨の砕ける音で目が覚めた。気が付くと夕日は真っ赤に西の空を染め上げていた。外では学童保育の生徒たちが家路についているようだ。
早く帰らないとおじいちゃん、心配するだろうな。
あの事故以来蒼の父はまともに顔すら合わせないようになった。その代わりに何かから逃げるように彼の責務、警察官として今日も街の平和を守り続けているのだろう。父の代わりに彼女の面倒を見ているのは祖父と兄だった。
中身がぎっしり詰まったランドセルを背負い、児童玄関に向かった。そこで蒼を待ち受けていたのは、彼女が思いもよらない人物だった。
「蒼?やっぱ蒼だ!」
稲生颯汰。彼がそこにいた。
「いま帰るところ?俺は教室に水筒忘れちゃって、なんか会うの久しぶりだなー。」
蒼の頬を冷や汗が伝う。今の自分を見て彼はなんて思うだろうか。
「そういえば、蒼髪切った?前のもいいけどなんか短い方が似合ってるよ!」
底抜けに明るい彼から彼女は思わず目を逸らした。
「蒼…なんか顔色悪い…それにクマもあるし。」「それにさっきから俺のこと見てくれない。」
「なにかあった?」かれはそう言い踏み出した、蒼の顔から血の気が引いていく。そして次の瞬間颯汰は正面から彼女を抱きしめた。「大丈夫。何かあるならいつでも俺に言って。俺達友達だろ?それに、蒼には笑っていてほしい。もっと他の人を頼ってもいいんだよ。今は言えないことでも、言えるようになるまで俺は待つから、だから大丈夫。」
その瞬間蒼の体から力が抜け地面に座り込んだ。
「寝てる…」何があったかは知らないけどとてもつらい事があったのだろう。颯汰は彼女を保健室まで連れて行くとそのまま家に帰った。
次の日、昨日のことはあまりよく覚えていない。最後に見たのは颯汰の顔だった。
今日は速く帰ろう。そう思い児童玄関に向かうとそこには颯汰が待っていた。
「一緒に帰ろう。」
「うん。」そうして2人は家路についた。