エソラと砂時計
「僕の能力については、覚悟の問題ですよね?」
「そこまでわかってるなら、何も言わないでおこう。どうするかは君次第だ」
そう言ったミナトの目をまっすぐ見て、エソラは頷いた。
「それじゃ最後は咲良さん。君の能力はそのままでいいんじゃないかな。オブジェになった罪のない人を救えるし、この中の誰かが能力の酷使によりオブジェ化しても回復できる。とても重要な役割だ。それに正世界なら日常的にも役立ちそうだよね、自転車のパンクを直したり」
「そのことなんですけど……その……」
クルミは何かを言い淀んでいる。ミナトの説明に不満があったのだろうか。
「先生の心臓はオブジェなんですよね? 私、治せませんか?」
クルミの提案に一同が驚愕する。
クルミの『遡行』は物にしか効果を発揮しない。
たしかにミナトの心臓はオブジェだが、能力を保持しており、さらに今もなお動いているとなるとそれは生命だと、エソラはそう思い込んでいた。他の皆もそうだろう。
「試してみる価値はあるか……」
ミナトがいつになく真剣な表情をしている。
「でも、本当にいいの? 心臓が治ったら、僕は一般人になる。君たちは僕が味方になるチャンスを失って、いいの?」
エソラたちは顔を見合わせ、ミナトに向かって全員で頷いた。
「先生は中立なんだろ? おとなしく学校から見守っててくれよ」
「あなたは現在爆弾のようなものです。速やかに咲良さんに処理してもらいましょう」
蝶次と竜太郎の台詞にミナトが涙ぐんで呟く。
「僕、先生になってよかったぁ」
教師としてのミナトはもちろん、今日助けてくれた彼も、エソラたちにとってはすでにかけがえのない存在だ。そんな彼を、救えるなら救いたい。エソラたちの気持ちは一つだった。
クルミがミナトの胸に手を当てる。
「いい? いくよ────」
クルミの手が光を放った瞬間、エソラたちは異様な空間に投げ出された。
「なに、これ……」
数えきれないほどの情景のトンネルを、エソラたちはジェットコースターのような速さでくぐっていく。
「みんな、捕まって!」
竜太郎の号令に従い、はぐれないよう全員で手をつなぐ。
そして竜太郎が皆を一つの対象として隔離した。
「戻れねぇのか?」
「やっているのですが……なんというか、圏外のような感覚です」
竜太郎は反転世界からの隔離を試みたがそれは叶わず、エソラたちは情景のトンネルの先へと流されていった。
「ここは……まさか!」
トンネルの果てにあったのは桜木町だった。
賑やかなはずの街中で、人はマネキンのように固まり、至る所で事故が起きている。
そしてエソラたちの目の前で倒れている少年には、時透ミナトの面影があった。
「過去だ……あの日に戻ってきてしまった。そこに倒れているのは少年期の僕だ。まさか僕の心臓と咲良さんの能力が作用し合って……? なんてことだ……!」
ミナトによれば彼の心臓が持つ能力と、クルミの『遡行』が共鳴し、十五年前の桜木町に戻ってきてしまったというのだ。
「俺らはなんで動けるんだ?」
蝶次の疑問はもっともだった。エソラたち以外の人間の時間は、どう見ても止まっている。
「私が隔離しているから……でしょうか」
過去に飛ばされる際、はぐれないようにと生成した隔離空間が功を奏したのではと、竜太郎はそう推理した。
「幸運だったね。僕たちも巻き込まれるところだった。さて、僕はどうやって助かったのか……」
どうやらミナトはこのまま様子を見る意向のようだ。
たしかにどんな映画や小説でも過去に干渉するべきではないというのが通例だ。
本来そこにいるべきでない人物が関わることで、未来が変わってしまう恐れがある。
しかし心停止した人間にそれほどの猶予はない。一分、一秒がとても長く感じる。
竜太郎が唇を噛みしめ、一歩踏み出す。
「もう我慢なりません。私が助けます」
竜太郎は新たに、自身のみを包む隔離空間を作り出した。そして幼いミナトに歩み寄る。
「離くん、だめだ。未来が──」
「そんなことはわかっています! しかし、医師を志すものとして苦しむ人を見過ごすことはできません!」
竜太郎はミナトの制止を振り切ると、少年ミナトの心臓マッサージをはじめた。
竜太郎が作り出せるのは箱型の空間だけだ。身体のラインに完璧に沿うような、滑らかな曲線を描くものは作れない。
その隔離空間は、一昔前のロボットのように角ばった人型だった。そのため竜太郎は手元の平らな面を使い、少年ミナトの胸を圧迫した。やはり手の平と勝手が違うのか、やりにくそうにしている。
「動いて……戻ってきてください……!」
その姿を見たミナトは胸に手を当て呟いた。
「そうか……あのときの感触は、君だったんだ」
少年ミナトが咳をすると、竜太郎は安堵の表情を見せた。
そして彼が目を覚ます前にとエソラたちの元へ舞い戻る。
「呼吸も安定しています。ひとまず安心でしょう」
笑顔を見せる竜太郎を、ミナトが抱きしめる。
「ありがとう。君は命の……この街の人々の恩人だ」
「ちょっと……何を……!」
竜太郎が顔を赤らめている。彼が照れるなどかなり珍しい。
その姿をエソラたちが笑顔で見つめる中、街の景色は霞んでいった。。
そして再び情景のトンネルをくぐり、流れ着いた先は反転世界の中央図書館だった。
「戻ってきた……みたいだね」
ミナトの言葉に、全員が一斉にため息をついた。
「まさか時間を遡るなんて……そうだ、先生の心臓はどうなったの?」
クルミがミナトに尋ねた。ミナトは握っていた手を上に向けて開き、答える。
「おかげでオブジェ化は解除された。ありがとう。これで僕はもう一般人……だね。そしてここに、こんなものがある」
ミナトの手のひらの上に、小さな砂時計が乗せられている。
そしてその砂時計からは奇妙な雰囲気が漂っていた。
「感覚でわかる。これは僕の能力の残滓だ。これに念じれば、かなり狭い範囲……そうだな、半径数メートル程度の範囲にいる生物の時間を止められる。と言っても、一分がいいとこかな。ささやかなお礼……になるかわからないけど、受け取ってくれるかい?」
ミナトが砂時計を差し出した。するとクルミがエソラの背中を叩き、受け取るよう促した。
エソラは砂時計を手にすると、まじまじとそれを見つめている。
「やっぱり、エソラくんがリーダーなんだね」
「いえ、そんなことは!」
否定するエソラの肩に、蝶次が腕を回す。
「いいじゃねぇか。実際エソラが引っ張ってんだしよ」
「この際今度からそう呼びましょうか? どうです? リーダー」
「あ、それいいね! いいよね? リーダー!」
蝶次と竜太郎の悪ふざけにクルミまで加勢するとなるともう手がつけられない。
エソラは諦め半分で、この悪ふざけに乗ってみることにした。
「それではリーダーの権限で、リーダーと呼ぶことを禁止します」
エソラは四方から聞こえる野次に耳を塞ぐ動作で応じた。
するとそのやりとりを見ていたミナトが笑い出した。
「フフフ、君たちは本当に仲がいいね。もう僕に……胸を張って貸せるほどの力はない。けど今は中立じゃない。応援するよ。四人の力を合わせて、アポロンを止めてくれ」
ミナトの激励に、エソラたちは大きく頷いた。