エソラとミナト
本日中に完結予定です。
よかったらお付き合いください。
ミナトの拠点とは中央図書館のことだった。
正世界と同じく数えきれないほどの書籍が本棚に並べられている。
(ここなら眠らずに本が読めるのか、ちょっと羨ましいな……)
図書館を拠点に選ぶミナトのセンスに、エソラは心の中で感服した。
エソラたちは地下のフリースペースに陣取ると、改めて話をする。
「さて、まずは君たち。こんな時間に外出したら危ないよ」
「いや、先生、そういう次元じゃねぇって」
呑気なことを言うミナトに蝶次が切り返した。
この時透ミナトという男はどうもつかみどころがない。
今のところ敵意は感じないが、油断ならない。
「エソラくん、そんな怖い顔しないでよ。そうだな……まずは僕から話そうか。信用してもらわないとね」
ミナトの気遣いとは裏腹にエソラの警戒心が高まっていく。
すべて見透かされているような心地だった。
とはいえ、エソラは教師としてのミナトを知っている。悪い人物でないのはわかっている。というより、そうでないと信じたかった。
「それじゃあ僕の生い立ちにつながる……組織の、創始者の話から。先に言っておくけど、僕もすべてを知ってるわけじゃないからね」
エソラたちは頷き、ミナトの声に耳を傾ける。
これまで謎に包まれていた組織についての話が聞けると思うと、エソラの胸の内に抑えきれないほどの高揚感が渦巻いた。
そしてミナトが話しはじめる。
「二葉たちが神と仰ぐ人物……名前は神應カノン。三十年前、彼女は反転世界で自警団のような活動をしていた。反転世界と正世界の間には自然と歪みが生まれることがある。その影響で反転世界に迷い込んだ一般人を救っていたんだ。また、凶暴化したトゥーンをいさめて、正世界のトラブルを未然に防ぐ、なんてこともしてた」
「動機が違うとはいえ、我々の行動と似ていますね。むしろ私たちより純粋で高尚です。二葉が出会っていたときに語ったのは、すべてが嘘というわけではなかった……」
すでに驚きを隠せない竜太郎が、独り言のように呟いた。
「そうして八年もの長い月日が流れ、終わりのない活動の日々に彼女は疲弊していた。そんなとき、二葉と出会った。二葉は彼女の意志に賛同し、二人は組織アポロンとして行動を共にするようになる。個人での活動に限界を感じていた彼女にとって、二葉の明快な性格と高い行動力は励みになった。二人は程なくして、無二の親友と呼べる仲になった」
「あの二葉が明快って……嘘だろ?」
蝶次は頭を抱えそうこぼした。
ミナトが話をしはじめて間もないが、全員が息を呑むほど夢中になっている。
「アポロン結成から五年、事態は急変する。カノンが消息を断ったんだ。正世界に残された息子は、彼女が何かに巻き込まれたと推測した。父親や親族など、頼れる人のいない息子は単身で反転世界に乗り込んだ。そこで目にしたのは変わり果てた母の姿だった。迷い込んだ人間をその者の能力によって選別し、有用でなければオブジェ化に追い込む。アポロンは結成当初と正反対とも言える所業を、平然となしていたんだ」
「だんだん、今の組織に近づいてきたね」
余程集中しているのか、クルミの額には汗が滲んでいた。
「その、息子さんは……無事だったんですか?」
エソラの質問は心配からきたものではなかった。その人物なら、ミナトすら関知しないすべてを知っているかもしれない。そういった目論見があった。
「無事さ。当時十歳だった彼は豹変した母親の姿に耐えきれず、その場から逃げ出してしまったからね。まったく、今思えば身を挺してでも止めるべきだった」
ミナトのその言い回しに、エソラが違和感を覚える。
「べきだった……? まさか、息子って」
「そう、僕だよ。時透は僕を養子として迎えてくれた新しい親の姓さ」
ミナトは遠くを見るような目をして微笑んでいる。
「なぜ神應カノンは豹変し、アポロンの行動原理まで塗り替えたのでしょう?」
竜太郎と同じく、エソラもそこが気になった。何かきっかけがあったのだろうか。
この質問に対しミナトはため息をつく。
「それがわからないんだ。あんなに優しかった母がどうして……ただ、目的ならわかる」
組織──アポロンの目的。人を人と思わない彼女たちが目指すもの、それはきっと大それたものに違いない。エソラたちの間に緊張が走る。
ミナトはそれを感じとったのか、一呼吸置いてから言葉を紡ぐ。
「カノンの能力は二つの世界をつなぐもので、一時的に入り口を作り出し、そこから自由に行き来することができた。でもそれは力の一端にすぎない。真骨頂は『結合』だ。つまりアポロンは正世界と反転世界を、完全に一つにしようとしてるんだ」
(世界を、一つに……?)
エソラには理解が追いつかなかった。それを察したのか、ミナトが補足する。
「反転世界は今のところ桜木町・みなとみらいエリアにしか存在しない。あくまでも僕が確認した範囲では、だけどね。結合とはおそらく、二つの世界が混ざることじゃない。この反転桜木町が正世界に浮かび上がるんだ。新たな大陸が生まれるように」
呆気にとられるエソラたちをよそに、ミナトが話を続ける。
「ただ、結合にはかなりのエネルギーが必要みたいだ。その証拠に彼女はオブジェと化してしまった。力の限界を超えたんだろう。アポロンが今なお能力者を選別したり、オブジェを集めてる理由と関係があるのかもしれない」
「オブジェに……! それで私を……」
思わずそう口走ったクルミに、ミナトが投げかける。
「何か心当たりがあるのかい?」
ミナトはエソラたちだけでは辿り着けないであろうほどの大きな情報を提供してくれた。
しかしそれでもエソラの猜疑心は払拭されなかった。
(知りすぎてる……)
「まだ、疑ってるみたいだね」
こちらの思考を悟ったミナトに、エソラはあえてシンプルな質問をぶつける。
「先生は、僕らの味方ですか?」
「それは君たちの話を聞かないと何とも言えないけど、たぶん中立だと思うよ」
ミナトはいつもと変わらない微笑みでそう答えた。
「中立って……」
困惑するエソラにミナトが提案する。
「少し、身の上話でもしようか。その後で君たちが判断してよ」
時透ミナトの過去は、『普通』とは縁遠いものだった。
彼の体内には、生まれつきオブジェがあったのだ。
血の通ったオブジェ、それが彼の心臓だった。
カノンは妊娠中も反転世界に出向いており、そのためミナトは出生前に自らトゥーンと融合してまったという。イレギュラーを引き起こした原因はそれだと、ミナトはそう解釈していた。
ミナトが自身の体質に気づいたのは十二歳のとき、カノンと離れてから二年後のことだった。
ミナトの能力は桜木町・みなとみらいエリアにいる生物の時間を止めるという強力なものだった。ちなみにこれは能力であり、体質ではない。
驚くべきはミナトの心臓が、この能力と連動していることだった。
ある晴れた日、ミナトは街中で急な胸痛に襲われた。倒れ込み助けを呼ぶが誰も来ない。
苦しみの中ミナトが目を開くと、街を行き交うはずの人々がマネキンのように固まっていた。
そしてすぐにミナトは意識を失ってしまう。目を覚ましたときに残っていたのは胸に平らなものを何度も押し付けられた感触だけで、身体はもう何ともなかった。
ミナトが立ち上がり、辺りを見回す。すると街のあちこちで事故が起きていた。
エスカレーターでは人が将棋倒しになり、道路は何台もを巻き込む玉突き事故、救急のサイレンは鳴り止まなかった。それらは生物だけが停止した形跡だと、ミナトはそう直感した。
そのときミナトは悟った。これは自分の心停止によるものだと。
ミナトの心臓はこの街の生物の時間を司っていたのだ。
「この異質な身体のせいで、僕は普通の暮らしができなくなった。昼は正世界、夜は寿命を節約するため反転世界で過ごしてる。この生活には慣れたけど、そのうち正世界には帰れなくなる。僕が死ねば、街のみんなが道連れになるからね。だから、アポロンの目的が身勝手なのは理解してるけど、僕にとってそれは救いになってしまう。ここに住む人が増えれば、たぶん孤独じゃなくなるから。でも、決して賛同するわけじゃない。多くの人を巻き込む彼女たちの行動は、倫理的に間違いだと思ってる。というわけで僕は、中立ってことで」
「そんな……」
ミナトの生い立ちに絶句する三人をよそに、クルミが何か考え込んでいる。
「オブジェの心臓……」
ミナトは一度手を強く叩くと、笑顔で仕切り直す。
「僕の話は終わり。今度は君たちのことを聞かせてほしいな」
「遊園地での会話はどこまで聞いていましたか?」
竜太郎の問いにミナトが首を横に振る。
「ほとんど、というか何も聞いてないのと同じだね。反転世界に来たら生徒がいじめられてるように見えたから、割って入っただけさ」
ミナトの話は嘘偽りなく、さらにこの人物は信用に足ると、エソラたちはそう判断しすべてを話した。
「なるほど、咲良さんが……二葉たちからすれば、カノンを復活させる鍵が見つかったわけだ。元々その能力を求めて選別を行っていたと考えていいだろう」
ミナトの推測通りならアポロンは今後、躍起になってクルミを狙うだろう。
これまではガライがエソラに興味を持っていた程度だったが、本腰を入れた彼らが相手では正直なところ分が悪い。今回のように待ち伏せされれば一巻の終わりだ。
「ところで三橋さんて、僕の赴任と同時に不登校になった生徒だよね。名簿に載ってたはずだ」
ミナトは口で手を覆い、考え込んでいる。
「シノブ……シノブ…………何か違和感が……」
「先生?」
三橋シノブの名前をぶつぶつと呟く姿を、クルミが不思議そうに見つめていた。
「いや、ごめん。それで三橋さんのオブジェの行方は二葉たちが知ってる様子だってことだったよね」
「はい、ランドマークツリーに来いと……ガライはそう言ってました」
対峙しているときは平気だったが、ガライの名前を口にした途端エソラの身体に悪寒が走った。
「三橋さんが組織の手に落ちているということは、ドッペルゲンガーもアポロンの一員で間違いなさそうだ。僕はカノンと二葉以外のメンバーを知らない。二葉と顔を合わせたのも彼女が一人になってすぐの頃、今日はそれ以来だ。あのときは仲間に誘われたっけなぁ。もちろん断ったけどね。それにしてもガライくんの能力は脅威だね。でも、それだけの能力なら扱うのは難しい」
ミナトの話を聞いて、エソラの頭の中に指を立てるガライの姿が浮かんだ。
「たぶん……指をさした所に落雷させられるんじゃないかな。ほら、最初に会ったときも、今日だって」
竜太郎が頷き、エソラに続く。
「そうですね。さらに言えば彼の能力はあくまで『落雷』……自在に放電できるわけではない。彼はエソラに小説化を行使されたとき、その呪縛を解くため自らに雷を落としました。そしてそのダメージはあったように見受けられた。つまり彼が操る雷は、彼にも影響を与える。無敵ではないということです」
「それなら近づいちまえば無闇に使えねぇよな」
蝶次の発言に竜太郎が同意する。
「ええ。それに屋内も彼の弱点かもしれません。そうか、こんなふうに分析すればあるいは……」
「それだけじゃ足りないだろうね」
ミナトの言葉が上向きになった空気を切り捨てた。
「自分の能力の穴は本人が一番よくわかってる。その対策は充分に講じられているだろう。二葉は意外と周到だからね。その仲間であるガライくんも同じと考えていいはずだ。だからというわけじゃないけど、君たちの長所を伸ばした方が勝率は上がるんじゃないかな」
長所とは能力のことだろうか。自分たちなりに工夫を凝らしてきたつもりではあるが、ミナトから見れば不足しているようだ。
「そうだな……話を聞いただけじゃわからない部分もあるだろうし、実践してみよう。一度言ってみたかったんだよなぁ……おほんっ! さぁ、かかっておいで」
ミナトは咳払いをすると、いつもより低い声でそうけしかけた。
エソラたちは顔を見合わせ、頷いた。