プロローグ
ゴールデンウィーク中に完結予定です。
よかったらお付き合いください。
物語の主人公には、きっとなれない。
それでも大切な人の隣で、
脇役でいいから────
放課後のチャイムが鳴ってからも、エソラはペンを止めなかった。
一人、また一人と教室を後にする中、小柄な身体を丸めて黙々と文章を綴る。
そんなエソラのすぐ横で話をする二人の男子生徒がいた。社交的でないエソラにとって貴重な、親友と呼べる存在、幼馴染の蝶次と竜太郎だ。
先日行われた二年生に進級する際のクラス替えで彼らと同じクラスになれたのは、エソラにとって幸運な出来事だった。
運動神経抜群、金髪トサカがトレードマークのカリスマ不良・渋谷蝶次は、その風貌から面識のない人から恐れられることが多い。しかしその実は人情深く人懐っこい一面を持ち合わせている。
全統模試トップで端正な顔立ち、唯一の欠点であろう視力をブランド物のメガネでカバーしている天才・離竜太郎は、完璧すぎる故に気取って見えてしまうのか、同性に疎まれがちだ。しかし繊細に見えて意外と図太い彼は、そのことをまったく気に留めていないようだった。
そんな彼らを待たせることに多少気兼ねしつつ、キリのいいところまでと、エソラは小説を書き続けた。
「ねぇ、二人とも」
女子生徒の声に、エソラの手が一瞬止まった。
しかし「二人」に自分が含まれていないと悟り、再びペンを走らせる。
「今度の日曜日、遊びに行かない?」
「エソラはどうよ?」
空気を読めないのか読まないのか、この状況でエソラに声をかけるとは蝶次の無邪気さにはかなわない。女子生徒の態度をみればエソラに用がないのは明らかだ。
「カレ、忙しいんじゃないかな? ほら、今も何か書いてるし」
女子生徒からの視線と圧力を背中で感じたエソラは、振り向きもせずこう答える。
「うん、僕は遠慮しておくよ」
人気者の二人と並べばせいぜい『その他』がいいところ。エソラは以前から自分の立場をそう評価していた。
(身の程はわきまえてる。これでいいんだ)
「それでは決まりですね。また、次の機会に」
竜太郎の言葉にエソラは思わず振り返った。
女子生徒は竜太郎の艶やかな笑顔に頬を赤らめ、「また、ね」と言い残し去っていった。
「さて。エソラ、続き。書けたんだろ?」
そう言い手を差し出した蝶次に、エソラは大学ノートにしたためた小説を渡した。
「あ、ずるいですよ」
竜太郎と蝶次は奪い合うように開いたノートの端と端を持ちながら、その内容に夢中になっている。二人の姿を見たエソラも、このときばかりは彼らと対等でいられる気がした。
『えー校内放送、校内放送です。本日、台風が近づいているので、残っている生徒は速やかに下校するように』
放送を受けたエソラたちは早々に帰り支度を済ませ、校門をくぐる。
嵐の前の静けさだろうか。外はまだ穏やかでとても台風が来るとは思えなかった。
「風が強くなってきましたね」
竜太郎がさらりとなびく髪をおさえながら呟いた。
エソラたちは蝶次に連れられ、桜木町にあるこじんまりとした遊園地を訪れた。なにやら伝えたいことがあるそうだ。
『大事な話は観覧車の中で』それが三人の決まりごとだった。何もこんな日にとも思ったが、蝶次の覚悟を尊重するべきだとまとまった。
幸い観覧車は運行中で、乗客もいないためすぐに乗ることができた。
ゴンドラが小さく揺れる中、一人、向かいの席についた蝶次が切り出した。
「実は俺……パティシエになりてぇんだ。エソラは小説家で竜太郎は医者。二人に比べたら地味……だよな」
いつになく自信なさげな蝶次を励まそうとエソラが声をかける。
「きっと向いてるよ。お菓子作り上手だもん」
蝶次の好物は甘い物、特にクレープで、よくエソラと竜太郎に手作りしてくれる。
「意外と繊細ですしね」
竜太郎のことを知らない人が聞けば皮肉を感じる台詞だが、これは彼なりの激励だ。
「お前ら……!」
蝶次が大きく両腕を広げ、エソラと竜太郎を抱きしめた。
その拍子に地面が傾き、竜太郎が慌てている。
「やめて! 揺れています!」
蝶次は二人から離れると拳を差し出し、こう宣言する。
「俺らの夢、叶えてやろうぜ」
次の瞬間、閃光が走る。雷鳴の中、ゴンドラが大きく揺れた。
「うわあああぁぁ!」
エソラは恐怖から目を閉じた。同時に心臓が跳ね上がるような、奇妙な感覚に襲われた。
「いててて……」
床に転げていた蝶次が起き上がり腰をさすっている。
「降車地点……降りましょう」
窓の外を確認し、竜太郎が言った。こんな時でも冷静な彼に倣い、エソラは深呼吸をした。
観覧車から降りたエソラたちを待ち受けていたのは不可思議な光景だった。
真っ黒な空に辺りは陰っているはずなのに、決して暗くない。むしろ鮮明で、遊園地の景色も親友の顔も、しっかりと目視できた。
振り返り見上げると、観覧車が反時計回りに回転している。普段とは逆回りだ。
「台風は去ったようですが……故障でしょうか」
竜太郎の言うように風は止んでいて、雷はおろか雨も降っていない。
しかし遊園地には客の一人どころか従業員すら見当たらなかった。
「なんだありゃあ……」
蝶次の視線の先を追う。
するとそこには得体の知れない生き物がいた。妖怪のような、不気味な見た目だ。
(化け物だ……)
無数の目玉が張りついた透明な箱と、マーブル模様で羽の生えた球体、そして分厚い唇のついたインク瓶の三体が宙に浮いている。どれも人間とそう変わらない大きさだ。
彼らは意思を持ち、こちらを凝視しているように感じる。
立て続けに起こる不可解な現象に、エソラたちの足は固まっていた。
前触れもなく、化け物たちが三人に襲いかかる。反射的に目を閉じたエソラの瞼の裏に強い光が走った。
触れられた感覚も痛みもない。おそるおそる目を開くと、すでに化け物の姿はなかった。
「幻ですか……?」
さすがの竜太郎も現実離れした状況に唖然としている。
理解が追いつかず立ち尽くすエソラの肩を蝶次が叩く。
「考えても仕方ねぇ。ワーポで腹ごしらえしようぜ」
道中にもちらほらと化け物はいたが襲ってくることはなく、エソラたちはショッピングモール『ワールドポート』に無事辿り着いた。
蝶次の行きつけのクレープ屋があるフードコートは盛況していた。化け物たちで、だ。
「やっぱりここにもいる……」
「なんかのイベントかもな!」
困惑を声にしたエソラだったが、楽観的な蝶次にはうまく伝わらなかったようだ。
「どうみても人間ではないでしょう……」
呆れ気味の竜太郎をよそに、蝶次がクレープ屋の店員ぶった化け物に注文する。特大のラーメンどんぶりのような外見だ。
「ストロベリーカスタードティラミス三つ!」
「マシマシマシ……」
どんぶりの化け物が釣り上がった目でこちらをにらみつけた。裂けるほどの口でぶつぶつと何かを唱えるその姿に、エソラは恐怖を覚えた。
「ねぇ変だよ。やめようよ」
「いーや、諦めねぇ。ストロベリーカスタード──」
「カラメ!」
強行した蝶次の注文を遮り、化け物が襲いかかる。エソラたちはどんぶりの中から伸びてきた麺のようなものに縛り上げられた。
締め付ける力は徐々に強くなっていく。
「ぐ……」
息が止まる。そう思ったとき、化け物に黒いナイフが突き刺さった。
「トゥーンを刺激しちゃダメよ」
化け物の身体が泥のように溶けていく。エソラたちに絡んだ麺も同様だった。
振り向くとそこには黒のライダースーツを身に纏う女性が立っていた。
どうやら彼女に救われたようだ。
「トゥーン……?」
「化け物のことよ。君たちは何者かな?」
その女性は切長の目を細め、腰まである長い髪を揺らし、ナイフを構えた。こちらを警戒しているようだ。それに、訳知りにも見える。
「ただの、高校生ですが」
正直に話すが吉と踏んだのか、竜太郎が答えた。
たしかにこちらは駆け引きできる材料を持ち合わせていない。
「……迷い込んだみたいね」
女性はナイフを魔法のように消すと、こう続ける。
「ここは反転桜木町。元の……正世界が表ならこっちは裏────異世界よ」