VS闘鬼と色鬼 其の壱
翌日、俺はいつものようにペダルを踏み込んで学校へと向かった。
昨日の事は混乱したままだが、それでも日常ってヤツは続く。最悪俺の中で「あれは夢だったんじゃないのか?」の一言で終わらせたかったんだが、そうもいかない。
「これ、何なんだ?」
交差点の信号が赤になったことで一時停止しながら、ポケットから取り出した一枚の札を見る、昨夜、あの化け物を封じ込めた札だ。『天鬼』と書かれている。
札は白色をメインに虹色を思わせる色彩のあるもの。紙でありながらラミネート加工っぽくされていてちょっとそっとでは切れず破れず、濡れずふやけずといった具合に頑丈な仕上がりになっている。
これが存在する以上は昨日の事は夢だと切って捨てるには難しい。それに昨日受けたダメージも残っているし。傷は癒えても疲労感は拭えない。
正直、こんなもの早く捨ててしまいたい。
いつこの札の封印が解けて、昨日の化け物がまた現れて攻撃してくるのか不安で持ち歩くのは怖いが、どこかに適当に捨ててしまうのもそれはそれで怖い。
捨てたことで祟りに遭うのも嫌だし、俺以外の赤の他人に迷惑をかける、それこそ死ぬような目に遭わせてしまったらと考えると捨てるに捨てられない。
どうするべきか、とうーんうーん考えて一つのアイディアを思い浮かんだ。
お祓いだ。
昔、確か榎先輩の家が神社ということもあって、お祓いをしてくれるみたいな仕事の依頼ができたはず。それで一度骨董品か何かをお祓いして貰ったみたいな話を聞いたことがある。
もしそれが本当なら、この御札についてお祓いあるいは神社の仕事的な何かで丁寧に処分してくれるかもしれない。
ただ、問題なのこれを手に入れた経緯やらなんやらの説明をどうするべきか。まさか馬鹿正直に昨日遭ったことを話すわけにもいかないし、……いやお祓い仕事ならそんなこともないのか? ちゃんと聞いてくれる可能性の方が高いのか?
「榎先輩がまともに話きいてくれるかな?」
「榎先輩がどうしたんですって?」
「うわっ!? ……ってお前か、ビビらせんなよ」
りりだった。背後から接近しては驚かせてきたことに文句を言うと、「あ、ごめんなさい?」と疑問符を浮かべながら謝罪の言葉が返ってくる。
交差点の色が変わり、逡巡してから結局は自転車から降りてりりに合わせるように自転車を押すことにした。「お、さっすが紳士ですね」とからかった一言をへいへいと適当に返す。
別に自転車で先に行ってもよかったが、なんか逃げるみたくて気が引けて、別に急いでいるわけでも仲が悪い知らない中でもなかったため。
「ところで榎先輩がどうしたんですって?」
「あー、いや。なんでも」
背後から近づいてきたから当然俺の独り言も聞こえていたようで、その問いかけを誤魔化す。りりはふーん、と疑うような視線をこちらへと向けてはハッ! と何かを気付いたように言ってくる。
「もしかしてチヒロセンパイ、榎先輩狙いなんですか?」
「いや、違うわ」
お決まりの勘違いを口にしてくるのを即座に否定する。だが、りりはまたまた、恥ずかしがらないでくださいよ、といい笑顔を向けてくる。
「そんな隠さなくていいですよ! そっか、そういえば昔から榎先輩の事好きでしたもんね。ほら、覚えています? 昔、七夕で榎先輩の織姫様見て、綺麗って目を輝かせていたのを」
「それはお前だ」
からかってくるりりに突っ込んで訂正を促す。ちょうど昨日同じことを思い出していた。昔一緒に行った七夕祭り。
「そうでしたっけ? いやあー、でもあの時のチヒロセンパイはだいぶお熱でしたよ~。これは昔馴染みとして、かわいい後輩として、織姫と彦星を繋ぐ、恋のキューピットならず渡り鳥として仲介しましょう!」
「やらんでいい」
「いえいえ、これもひとのため、ひとのため」
「人の為って、お前……そういえばその言葉ってあの時からの言葉だよな?」
りりが「ひとのためひとのため」と口癖になったのは鶴の話に感銘を受けたからだ。織姫と彦星、天の川を渡るために背中を乗せて二人の中を取り持った、仲介した存在。劇の一幕で誰かのために尽くしたことが当時のりりには衝撃の出来事だったらしい。
その時に「ひとのため、ひとのため」と言葉を唱えるようになったことを覚えている。
最もそのあとすぐに転校していったんだけど、口癖なんだなって思ったのは中学で再開した時なんだが。
「そうですよ。この言乍りりはあの時からの人生でできていますから!『人の為に生きる、あなたのための言乍りり』ってね!」
そう決め台詞のように銃の形をした、指差しを俺へと向けてはウインクしてくる。……決めポーズかな?
決め台詞と決めポーズまであるとは何ともまあノリの良い娘なんだ、と呆れる。胸(発育はそこそこに、相応の実りのある)を張ってトンと叩いて、自信満々に言ってくる。
「だから二人の仲は私には任せてくださいよ。この仲介人のりりがバッチリ取り持ってあげますとも! なんなら結婚式での友人代表の挨拶までやっちゃいますよ!」
「だからそういうのじゃねえから。別にいいって。結婚式って一体どこまでプロデュースしてくれるつもりなんだよ、お前は」
キューピットりりは仲を取り持つどころか、結婚式の挨拶まで視野に入れているらしい。図々しいというか、図太いというか、勿論冗談のつもりなんだろうけど、でもこいつバカだから本気でやりかねん。
ため息を吐きつつ、とある思い出が出てきてそのまま口にする。
「だいたい昔もそう言って七夕祭りの時にあんなことが……あんなこと?」
自分で言っておきながら、何か引っ掛かりのようなものを覚える。頭の中に浮かんできた思い出のフィルターが変なノイズが走る。砂嵐のような映像。
そういえば昨夜も何か、こんな感覚が…あったような……。
「事故ですよ、事故」
スーと耳には言ってくる、ハッキリとした声が耳の中に入ってくる。視線を向けるとりりは悲しそうな苦しいそうな顔になりながら俺の表情を除いてくる。
どうしてそんな顔をしているのか、分からなかったがそれを聞くよりも先に口が疑問の言葉を唱えていた。
「事故?」
「そうですよ。忘れたんですか? 私、あの日事故に遭って入院したの」
「……あ、ああ。そうだ。そうだった」
記憶の蓋が明け離れる。ノイズじみた映像が整列させ、記憶の互換が正常となって認知でき、思い出した。
そうだ、思い出した。あの日……事故が遭ったんだ。その時りりは巻き込まれて大怪我をしてしまったんだ。こいつが引っ越したのって親の仕事云々じゃなくて事故で怪我をしてしまったからその治療を受けるため。
なんで今まで忘れていたんだろう、と疑問に思うも、確かあの時は目の前で起こった衝撃の出来事と同時に目に入ったりりがだいぶ酷い状態。
子供の俺には受け止めきれなくて、それで無意識の内に忘れようとしていたのか。
「わりぃ、忘れていた! いや、忘れようとしていた。いや違う! 言葉を間違えた!! あんなことがあったのに、本当に悪い!」
思い出したことで、大きく混乱してなんて言っていいのか分からず言わなくてもいい言葉ばかり出てきてさらに焦る。ただ、謝罪をしなければとの思いが振り切って、頭を深く下げて謝る。
切羽詰まった情けない年上の姿を見て、りりはやれやれと言わんばかりの調子で返してくる。
「いいんですよ、しかたない。あれは事故だったんだし。私がどじちゃったんであんな大怪我。自分でも病院で鏡見たときビビりましたもん」
女の子なのに、あんなぺしゃんこ状態。整形しちゃったから男子にとってマイナスポイントだから整形OKな彼氏を探さなきゃあ、と明るく冗談を振る舞ってくる。
こんな風に言ってくれているが本当にそう思っているはずがない。あんな死んでいてもおかしくない事故を、しかも女の子があんな酷い状態の目に遭っておきながら平気でいられるなんてことない。
子供の頃、七夕祭りでりりは大怪我をした。風が強く吹いてそれで祭りの舞台上が崩れて、りりはその下敷きになった。近くに俺は何もできず、潰れたりりを見てひどく動揺し、ただ怯えて泣いていた。
子供の頃だから目の前のショックの出来事に耐えきれなかったとはいえ、今の今まで忘れていたのは違う。
例え、忘れていたことで、今のりりとの関係が、こんな風になんの気兼ねもない、先輩後輩の関係を築くことができたからといって、あの惨劇を忘れていた、で片付けていいはずがない。
けれど、蒸し返してもりりにとっては思い出したくない辛い記憶を思い出すだけだ。だから俺の言葉を今重ねた所でりりには何も嬉しいことはない。
どうすればいいのか、と負い目を感じ困惑している俺を見かねて「もうしょうがないですね」と肩を竦めて呆れては明るい声色で言ってくる。
「どうしても罪悪感が拭えないって言うんなら、それなら私が困っていた時に助けてくださいよ。今度はピーピー泣いて怖がらないで。そう、昔約束してくれましたよね?」
だからこの話はこれでお終いですよ、そう冗談めしに笑顔で言ってくるりりに対して、俺は強いヤツだと思った。
あんな出来事をあってこんな風に言ってくれるこいつは、いつも元気に「ひとのため、ひとのため」と言葉を繰り返して誰かのために生きている目の前の少女のことを、俺は素直に凄いヤツだと尊敬ができた。
ああ、と頷く。
「ああ、勉強で困ったこととか、少しだけなら金を貸すくらいのことならやってやるよ」
「それじゃあ、テスト終わったらサーティワンのアイスクリームでも奢ってください。五段挑戦してみたかったんで」
「六段でも七段でも奢ってやるよ」
やったー! 現金にも大手を振って大喜びのりり。
そんな感じの話を終えて、話は戻り、榎先輩についてからかってくる。どこが好きなんですか? 今までアピールできたことはあったんですか? ぶっちゃけ今の好感度どのくらいですか? と根掘り葉掘りと少しうざいくらいに。
女子は皆恋バナが好き、というヤツか。
「チヒロセンパイにはちゃんと彼女さんとか持ってもらいたんですよね。センパイって良い人なんですけど、結局『良い人』止まり終わっちゃうパターンってタイプですし」
「うるせえ。はよ、自分のクラス行け」
ハイハイ、ではでは。と楽しそうな調子を隠そうとせずに俺達は別れる。
ぜってぇ勘違いして面白半分でからかってきやがるな、あいつ。
榎先輩の接触の際に変な空気にならなきゃあいいけど、とそんな不安を覚えながら俺は自分のクラスへと足を運ぶ。
教室には入ると―――鬼がいた。
「は!?」
思わず声が溢れる。
鬼。そう鬼だ。見違えようもない鬼。
その小鬼と呼べる異質な存在が教室の前の席一つを陣取っていた。
白くて小さな肉体。だらしないたるみと皺を感じさせる肉体にボロい布切れを身に纏い、枝のように細い腕で、本来その席の主にであろうその人間にがっちりホールドしていた。
ギロと、こちらへと視線を向けてきては目をぱちくりとさせている。
俺の反応を見て、認識されていると自覚したのか、細い腕をペキペキとホールドしていた相手を叩く。
『おい、がのいち。あれ、あいつ、オレが見えているゾ』
「ん? ああ、当たり引いた?」
ホールドされていた、机に屈して寝ていたヤツは欠伸を噛み殺すようにふぁー、背伸びしてからはこちらへと視線を向ける。
友人である、夜名津我一がこちらへと視線を向けてくる。
「あー、ハイハイ。まぁ、ラッキーかな? 雨崎君、ちょっときて」
夜名津はいつもと変わらずどうでも良さそうなトーンで俺をこちらへと招いてきた。
鬼の存在感に驚きのあまり呆然とし、ほぼ意識が飛んでいたに等しい俺は友人のいつもと変わらぬ具合に対してギリギリで我に返ることができ、恐る恐るといった足取りで接近を試みる。
「えーと、……夜名津」
「おはようございます」
「ん、……あ、ああ。おはよう、じゃなくてだな! な、なんだソイツ!?」
裏返った声で俺は鬼について追求する。驚きの反動で少し声量があったせいか教室にいた数人のクラスメートが俺達の方へと視線を送ってくる。
クラスメートは、なんだなんだ、といった感じに遠巻きに反応するが、それ以上は特に騒ぐことなく元通りの状態になる。
……え? もしかして見えてないのか? これを。
夜名津に物理的な意味でも取り憑いている、この鬼の存在はクラスメート達には認識できていない様子。特に騒いだり慌てた様子もない。第一、本当にできていたなら俺が教室に入る前から騒ぎになっているはず。
人間、驚きが行き過ぎると逆に冷静になるというが、自分がそんな冷静な分析をしてしまう。
夜名津は席を立ち、俺にしか聞こえない声量で呟く。
「とりあえず上行こうか? 色々と話そう」
「お、おう」
一先ず、言われた通りここでは話しづらくて移動の提案に乗る。荷物だけ自分の席に置いて、夜名津の後を追う。
「とりあえず、これ、他の人は見えてないっぽいから。漫画的幽霊の存在の理解でOKだ」
「ああ、だろうな」
先にそれだけは言っておくべきと考えたのか、階段を昇っている最中に人気のないことを確認してから、そんなことを言ってくる。
頷いて応答する。
『がのいち。あいつ、コロすのカ? だましうちカ?』
「やめなさい。友達を殺したくないし、ついでに言えば誰も殺したくないよ。嫌いなヤツも、ムカつくヤツも、どうでもいいヤツも」
『コロせ、コロせ、コロせ! コロさないと、オレ、王になれなイ』
「黙れ、お前を殺すぞ」
『……誰もコロさないんじゃなかったのカ?』
「人殺しをしたくないだけ。動物も殺したくない。襲ってくる化け物は……まあ、殺していいんじゃない?」
『いひひ、それって差別ってやつだ。人間なら言い訳せずにちゃんと平等にミナゴロししろよ』
「そうだね。みんなでいっぺんに死ねたら人間は幸せだよね」
「……」
先頭で物騒な話が展開されている。突っ込みたいが異質な存在のせいで緊張が走り、いつもの調子で突っ込むことができない。
……襲われる、ことはたぶんないと思うが、しかし油断はできないだろう。鬼に関してもだが、それ以上に注意すべきは夜名津だ。
友達を疑うのはあまり良しとしないが、それでも俺が出会った中でも最も注意すべき人物である。特に何か大きなことを起こした訳でもないが、コイツには『何かやらかす』と呼べる核心的な何か持っている人種だ。
本人にその自覚があるのかないのか、少なくとも他者とは少し変わっているという自覚自体はちゃんとあるようで、同時にそれを改善できない人種だ。
コイツなら平気で俺を裏切って、騙し討ちでいきなり殺しにかかってきてもおかしくない。
緊張と警戒心で汗を流しながらも俺はヤツの後ろを付いていく。
すると階段を上り詰めていく四階に辿り着いた時、彼女と遭遇する。
黒いショートの髪に、整っているがどこか幼さを残すような表情とどことなく色気を感じさせる口元の黒子のある女子生徒、榎先輩だった。
昨日見た友人と隣に何やら楽しそうに談笑している彼女と階段と廊下の境で遭遇する。
いや、遭遇するというには距離があり過ぎる。見かけたのはほぼ偶然といっていい。俺達は五階へ向かっていて、彼女達は廊下の進路方向なのか、それとも階段を使うつもりなのかは分からないがたまたま階段近くの廊下を歩いている所を見かけただけ、下手すると気付かずに通り過ぎていてもおかしくない。
一瞬、榎先輩に話しかけるべきかどうか迷った。今朝考えていた、御札のお祓いを頼もうとしていことを。
今すぐにその事を話すというよりも「後で時間を作って貰えませんか?」の約束の取り付けの一言だけでも、と。
だが、今は夜名津のこともあるし、榎先輩も先輩で友人と一緒だ。話しかけるのは何かと気まずい。
一先ずここはスルーすべきか、と思って特に何のアクションも仕掛けず、ここは黙って素通りするべき、と判断し俺は何も見なかったように、夜名津の背中を追い五階への階段へと。
「…………」
榎先輩の視線が強張ったものに見えた。こちらへと注目するような強い視線。怪しいもの異質なものを視るようなものに見えた。
階段へと振り向く一瞬だったから気のせいか、だと思っていると、正面にいる夜名津の背中に取り憑いた小鬼が高らかな声が鳴らす。
『お? 女だ!コロせ、コロせ!! 女は全員ミナゴロしダ!!』
「……」
『無視すんナ! おい、がのいち、あいつ、オレのこと見えているゾ。オレを見て、反応しタ!!』
「え?」
鬼の台詞に反応して言葉を漏らしたのは俺の方だった。
榎先輩が反応した!? ってことはやはり彼女のさっきの表情は!
急いで振り返ろうとした瞬間。
「黙って。雨崎君ついて来て」
夜名津から制止の声がかけられて、振り返ろうとしていた上半身は止まる。見れば夜名津こちらへと振り向かず足を止めないで階段を登り続けている。
その背中には―――
『怒られてやんの、いひひひ』
―――背中に張り付いていた小鬼が俺の事を小馬鹿にしてくる。
そうではなくて、小鬼を除いた夜名津の背中から発せられる雰囲気は「こっちにも考えがある」と語ってくるようなものを感じられる。
俺は一先ずヤツを信じて五階へと目指す。
……あれ? もしかして、今の「黙って」って俺ではなく鬼の方に言ったのか? だって『黙ってついてきて』でいいのに、『黙って』『雨崎君ついて着て』と二つに分けられた感じがあった。
どうでもいいことを思いながらも俺達は五階に上がり、少し進んだ後に夜名津の憩いの場である図書館に辿り着くがそこではなく、目的地はその隣のテラスデッキ。
この学校は三角屋根作りなのでアニメ漫画よろしくの屋上はなく、代わりにこのテラスデッキがある。
ウッドデッキの地面に数ヵ所に配置されたベンチが置かれているだけの簡素なものだが、日に照らされた時に反射で明るさを放つウッドデッキの輝きは大変眩しくて暖かい雰囲気を醸し出してくれる場所。
春先とからなら昼寝にいい場所だが、今は夏の時期ということもあってここに寄ってくるものはあまりいない。それに今は朝早くということもあり、利用している生徒も見受けられない。
すぐ隣の図書館の方ではテスト勉強のためにか、人が数名見受けられたがこちらへのカーテンは遮っている。夜名津の話だと「日の出の関係でね。本が焼けるから午前中はこっちの方はカーテン敷いているんだよ」との話。
一先ず、俺達が密談するにはもってこいの場所であるには違いない。
「ここならいいんだろ、いい加減に説明してくれ」
「まあ、待ってくれ。とりあえずもう一人も来るかもしれないし、少し待とうか」
「もう一人って……まさか?」
夜名津の言葉に俺は先程の人物を想像する。そして、それは正解だと、すぐに分かる。
数分もしないうちに彼女、榎先輩はやってきた。
榎先輩は普段の穏やかそうな顔はしておらずに真剣な表情、まるで何かに怒っているかのような表情で俺達を見る。
「……おはようございます」
「……おはよう」
夜名津が第一声を放つと、警戒し考える間を空けながらも挨拶だけは返してくる。
正直、呑気に挨拶している場合か?と思ったが、互いに様子見のような弛緩した空気であることを察する。俺も二人にならいつつ、挨拶の言葉を吐いた。
「榎先輩、おはようございます」
「……ええ、おはよう、雨崎君」
榎先輩は中学の頃とは全く違う、初めて見る顔と態度での挨拶を俺へと向けてきた。その声は冷たくとも寂しそうな、痛々しい攻撃的な声に聞こえた。
だが、その声も束の間、すぐに整然とした声となって俺達を見定める真剣な眼差しを向けてくる。
「いくつか、聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「はい」
夜名津は素直に頷いて俺もそれに習った。正直、俺から話せることは一切ないのだが、そんなことをいちいち言える空気ではなかった。
「……まず、あなたは名乗って頂戴。いえ、礼儀として私から名乗りましょうか」
榎先輩は夜名津に名乗るように言ってくるが、その前に礼節を弁えて自身から名乗りあげてくれる。
「私は、榎設楽。……この土地を管理している防人の一族榎家の人間です」
「……防人?」
何やら漫画やアニメで聞いたことのあるワードが出てきて、口から繰り返す。
防人? それってなんか、土地とかを守護する人間だよな。……榎先輩が?
出てきた単語に頭の整理が追い付かない。いや、ちゃんと理解自体はできているんだけど、受け入れる感情の方が追い付いてないと言えばいいのか。
昨日の件といい、夜名津の鬼といい、榎先輩の防人といい、一体全体なんなんだ、一体何の漫画の話だって感じだ。
だけどそんなボケ(ボケのつもりはないが)に対する突っ込みは、今は的外れなことだと内心で押し止めては困惑する俺。それとは他所に隣の無表情は答える。
「夜名津我一です」
「…………」
夜名津が名乗りを出すとしばしの間が空く。耳に入ってくるのはギィーギィーとやかましい蝉の鳴き声。
「…………!?」
え、それだけ? と調子抜けしたような肩透かしを食らったかのように眉を潜める榎先輩。一瞬不安そうに俺へと視線を投げ掛けてくる。
いや、俺に向けられても正直困ります。
なんだろう……今の間ってもしかして、名乗りの後に何か続くと思ったのか。榎先輩が言っていた『防人』といった感じの所属みたいなものを。けれど夜名津は特に続くことなく名乗るだけで終わってしまった。
微妙に気まずい間が開かれるが、仕切り直すように榎先輩が再度質問を返してくる。
「……まず一つ。あなた達の目的は? 何をしようとしているの?」
確信に迫った一言。まどろっこしいことなく直球勝負の一声。正直『あなた達』の部分は訂正して欲しいのだけど。
そんな俺の細かい部分はさておき、それについて俺も気になっていたところだ。
隣のヤツは答える。
「特にないです」
「ない? 嘘を言いなさい! この町を荒らしておいて知らぬ存ぜぬなんて許さないわよ!」
夜名津が普段変わらない、本当に普段と変わらない調子で『目的はない』と言うのだが、その事に逆鱗に触れたかのように声を荒げる榎先輩。
この人がこんな感情を剥き出して怒るのは珍しい。
中学までのイメージでは優しく、静かに怒るタイプだった。こんな風に声を大にしてくるとは俺の中でのイメージとはだいぶ異なる。
知らない榎先輩の顔に困惑するが、夜名津の方はどうでも良さそうな調子で、それこそいつものマイペースな調子で鬼へと確認するように訊ねる。
「町を荒らす? 荒らしたの、君?」
『いや、まだやってねえナ、他のヤツじゃネ? いひひ』
「ふざけないでちょうだい!」
夜名津と小鬼の態度に憤怒する先輩。今にも飛びかかってきそうな勢い。対して夜名津は、そう言われてもな、と言わんばかりの態度でいる。
火に油注ぐ行為だと思って慌てて前へと出て俺が止める。
「待ってください、榎先輩! 本当に俺ら詳しく知らないんです! 町を荒らす? どういうことなんですか?」
「……その様子だと雨崎君あなたは知らないようね。……ええ、なら今すぐそこを離れて頂戴、彼に話があるわ」
榎先輩は今の発言で俺のことを敵ではないと判断したのか、夜名津から離れるように言う。それについて迷ったがけれど俺はこの場を引かない。
「待ってくれ、たぶん違う。何かの誤解だと思うんだ」
「……」
俺の言葉を信用してくれているのか、葛藤するような表情の榎先輩。一触即発の空気は少しだけ薄まる。
「確かに夜名津は変人でヤバくて変なヤツだ。この鬼とか、先輩が何に対して憤っているのか詳しく知らないけど、まずは話だけはちゃんとしましょう」
『ハッ、めんどうくせえヨ。ソイツ、コロせヨ。女だロ? いいじゃんいいじゃんコロしてしまってヨ。いひひ』
「君は黙ってなさい」
俺が説得している後ろでは鬼が不穏に唆しているのを夜名津が嗜めている。こんな状況で仲良くしていられるこいつらは本当に神経が図太いやら。
榎先輩は後ろの二組を気にしつつも、俺の方を視線向けてくる。俺の瞳じっと見つめてはその心裏を読み取ろうとするもの。嘘偽りもない俺もその瞳を真摯に返す。
「…………」
しばし、俺達二人の間に重い沈黙が流れる。
「…………わかったわ、ちゃんと話を聞くわ」
やがて、榎先輩は俺の気持ちが伝わったのか折れたように話を聞いてくれる事になってくれた。
安堵の息を漏らす。
「流石、僕だったら拗れていた」
後ろではそんな風に誉めて称えくれる。表情こそどうでも良さそうな無表情だが、それでも言葉自体は本当にそう思っていることが伝わってくる。
一先ず、何が何やらよく分からない状態で衝突自体は避けられることに成功した。漫画とかだとここで喧嘩して誤解とすれ違いで進む展開になっていたところだ。とりあえず最悪な事態は避けることに成功したことで安堵する。
「で、詳しく話を聞きましょうか。雨崎君……は詳しく知らないのね?」
「……はい」
「なら、あなた。……夜名津君。あなたは何かしら知っているのよね? 説明して頂戴。その鬼の事とか」
再び夜名津へと呼び掛ける。話を聞いてくれるようだが、警戒心は解けていない声色と態度の榎先輩。
『がのいち、やっぱこの女コロそうぜ』
「やめなさい。せっかく雨崎君が間を取り持ってくれたのに。おじゃんにするようなことを言うの。すいません、先輩、これの言うことは気にしないでください」
「……一つだけ確認させて、その鬼はあなたの支配下にいるのね?」
「……自由にしていますけど、口だけの意気がるヤツって感じなので、別に本当に襲うようなことはないと思います(多分)」
そんな風に説明してくる。答えとしてはやや正確ではない、と思った。榎先輩の「鬼をコントロールできているのか?」に対して「鬼自体は今のところ危険性はない」と答えている。
狙ってわざとそんな言い回しにしたのか、それとも質問の意図を読み間違えたのか、分からない。この変人はその両方あり得る可能性が高い稀有な存在なのだ。
考えているようで考えていない。考えてないよう考えている。ただの話題と思ったら意外に考えさせられる着眼点と落とし処へと持っていく。真面目な話かと思ったらわりとどうでもいい話題だったりする。
そんな独特な会話術をするのが、夜名津我一という男だ。
「答えになっていないわね」
ただし榎先輩には見破られた。返答を誤魔化し切れずに看破されて指摘してくる。
「その鬼、戻すことができるなら戻しておきなさい。もしも、言う通り誰かを襲うような危険があるなら見過ごすわけに行かないわ」
「……一応、こっちにも狙いがあるんですよ」
「狙い?」
夜名津は肩を竦めては何やら考えがあると言う。やはり、こいつもこいつで何かしら理由があってその鬼をそのままにしているのか。
榎先輩は夜名津の言葉に眉をしかめて言葉を繰り返し、俺も夜名津へと注目する。
「はい。まず話としては……」
夜名津が話を切り出そうとした瞬間、予鈴がなった。もう時間がホームルーム前だと報せてくる。
「じゃあ、お昼休みにでも話しましょうか。またここで。授業開けるのもあれなんで」
「……わかったわ。ではまたお昼会いましょう。……もし、変なことを企んでいるようならその時は容赦しないわよ。雨崎君も、私の信頼を裏切らないで頂戴」
そう最後に鋭い視線で睨んできて榎先輩はこの場を立ちさろうとする。テラスデッキを出て、廊下に入ってはこちらへともう一度顔だけ向けてくる。
「もし、昼までにその鬼が何か問題でも起こしてみなさい。その時は、私はあなたを敵として認定して、全力で排除するわ」
そう夜名津へと睨みを利かせて完全にこの場を立ち去っていった。
しばしの間呆然とする俺達。彼女が去ると小鬼が口を開く。
『あの女キラいダ。がのいち、あいつ本当にコロそうゼ』
「やめなさい、君が死んでもいいけど、君のせいで僕が敵認定されて怒られるのはやだよ」
「……いや、怒られるのレベルではないんだが」
突っ込むポイントが違うだろう、と呆れた声を漏らしながらも、気持ちを切り替えて一先ず俺の方からも一つだけ訊いておくことにする。
「本当に大丈夫なのか? ソイツ。授業中に暴れたりとか」
「さあ? 知らない。愚痴愚痴言うけど、今のところ僕以外に襲ったところないし」
「お前は襲われているじゃあねえか!」
いやお前が襲われた時点でそれは十分に危険生物認定でいいわ。危機感というものが壊れているのかコイツは。
鬼の存在よりもコイツのメンタルの方が少し怖く感じていると、夜名津どうでも良さそうな調子で答える。
「というか、君、これが見えているんなら、君も契約したんだろ? 鬼を」
「……これの事を言っているのか?」
俺は腰のポケットから御札を取り出して夜名津に見せる。夜名津はああ、と頷いた。
「昨日の夜、なんか、雷様? みたいな鬼に襲われて、で気が付いたらこれがあった。なんなんだこれ」
『いひひ。がのいち、やっぱり今のうちにコロそうゼ』
「とりあえず、話は約束通り昼休みってことで、二度手間になるの面倒くさいし、教室戻ろうか」
鬼の言葉を無視して、夜名津はやはり話自体を後回しにさせる。突っ込みたくなるものの、俺の事を無視して教室に戻ろうとする。
言葉通り話すのが面倒なんだろうが、でも気になっていることはある。それだけはハッキリさせようとその後を追って言う。
「の前に、これだけは聞かせろ。その鬼は本当にこのままで大丈夫なんだな?」
「たぶん絶対に大丈夫なんじゃない? 知らんけど」
「頼むから重要な部分でその適当な調子での返答をやめろ」
どうしてこう、コイツはこんな異常事態にこんなにも平然かつ能天気でいられるんだろうか。
だが、付き合いからして、コイツがこういう感じの事を言うのは実際大丈夫である可能性高い。安心はできないが。安心して任せた途端になんかやらかすヤツだし。
信じるや信用する、というよりかはとりあえず様子を疑うが丁度いいくらいだろう。本当になんかあったら俺が止めるなり、先輩に報告すればいいと思う。
不安はあるものの一先ず夜名津と鬼について様子見ってことでいいだろう。
そんな風に考えていると、夜名津も夜名津で気になることがあったのか「それより」と訊いてくる。
「それより、あの人と知り合いなの? なんか顔見知りって感じだったけど」
「ああ。……って昨日話しただろ? 榎先輩だって。中学の頃の先輩」
「……誰? なんの話?」
「忘れんなよ」
昨日の事なのに、すっかりと忘れ果てて疑問符を浮かべている記憶力ゼロに呆れる。
ん~、と夜名津は唸りながら後ろの首へと手を回しては軽く揉みながら思い出しているのか考える態勢を取る。
「ん? あー、ハイハイ。思い出した思い出した。昨日帰る時に話しかけた人だね」
「おしい、ソイツはりりっていう後輩だ。その後に見かけた人だよ。なんで昨日の今日で忘れるんだよお前は。もう少し人に興味を持て」
「いや、別に僕話してないし。というか……ほぼ見てないから。覚えろっていわれても覚える箇所がないっていうか」
相変わらず他人に関して無頓着な人間だ。
『いひひ。女なんてどれこれも一緒だヨ、オカして、コロすもんだゼ。だからコロそうゼ、なぁ、がのいち』
「ゴブリンか、こいつは」
まあ、小鬼だし。ゴブリンみたいなものか。
『ごぶりん? なんだそれ。ハゲ頭のことか?』
「五分刈りじゃないよ」
「ゴブリン知らねえのか、こいつ」
意外なことに鬼の癖にゴブリンを知らなかった。……と思ったがあっちは西洋風で、こっちは東洋、和風テイストならば知らないのも無理はないのか?
夜名津が「あれだよ、南蛮の小鬼の事だよ」と言って雑に説明する。南蛮の表現が夜名津なりの鬼に対しての気遣いなのが少し笑える。なんでそういうところの気遣いはちゃんとしようとするんだよ。もっと気遣う場面はあるだろうが!
内心で突っ込んでいると、小鬼は夜名津の説明に不服なのか、あん? ムカついた調子の反応を示しては声高だかと告げてくる。
『誰が小鬼だヨ。オレは〝我鬼〟だゾ、〝我鬼〟。『我は鬼』って書く。名前から正真正銘の鬼の中の鬼。獄卒もどきの餓鬼とか一緒にするじゃねえゾ』
そう名乗る鬼。
夜名津我一とそのパートナー我鬼。どちらも己を示す文字を名前に込められた者同士だった。
「……餓鬼って獄卒だっけ?」
「どっちかというと悪さするタイプのイメージだな」