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VS天鬼 其の弐

 チッ、とありとあらゆる悪意を含んだような強い舌打ち。


 舌打ちをした主はその舌打ちに釣り合うような、苛立ちのあまり不貞腐れた険しい表情、今しがた腹立たしい最悪なことがあってそれによって腸煮えくり返っている、との表現に相応しいものだった。


 大学生くらいの十九か、二十代の若い男性。金髪に染め上げた派手な髪は後ろの方だけ刈り上げている、派手な衣服からでも一目で分かる程にガタイがよく、格闘技か何かやっているのか鍛え上げられた肉体。百人中百人が一目で町のガラの悪い不良ということが分かる外見をしていた。


 ガラの悪い青年、古郡吉成(ふるごおりよしなり)は今年の春、スポーツ推薦で地方の大学に通っていた。が、現在は地元へと帰ってきた。


 単純にいってドロップアウト。彼は自身の実力が大学では通用しなかったのだ。


 だが、プライドの高い彼にはそれが納得できない。


 体育科系は実力社会であり、縦割り社会、そして何よりも礼儀社会であった。


 健全な魂に健全な肉体が宿る。


 心、技、体。


 心で為すべき目標を定め、技で技術を磨き上げ、体で己の存在を体現する。


 彼には実力はあったが、人を敬う心が足りなかったのだ。中学から始めた空手は高校時代では弱小でありながら彼が主将として引っ張り、大会で成績を残しては大学でスカウトされる活躍を見せた。


 彼は知らなかったのだ。推薦(スカウト)とはあくまでもキープでしかない。


 推薦を貰い即戦力として足されることはなく、真の意味で活躍できる場は己で勝ち取らなければならないことを彼はそのことを理解してなかったのだ。


 一年の内は雑用を押し付けられるのは当然の事ながら、推薦という特別扱いされている自身には関係ないことだと考えた彼は雑用を全て無視していた。


 それを快く思わなかった顧問と先輩らに指導を受ける。が、彼は反省の色どころか、なぜ説教を受けているのか本気で理解できなかった。自分には必要ないことだと主張する。


 何を言っても聞かず改めない生意気な一年として周囲から避難の目で浴びせられた。


 提案で主将と一本勝負で勝つことが雑用の件は不問とする、加えて次の試合の団体のレギュラーに出す、との案が出て、それに二つ返事で承諾した。自身の実力さえ証明できれば、誰も文句はないだろうし、試合に出られるからだ。


 結果、敗北した。


 情けなくうずくまって、汚らしい反吐を吐き出して、涙目になっていた。


 まるで初めて空手を始めた素人が、経験者に一方的に蹂躙……弄ばれたような気分だった。空手を初めたばかりの頃を思い出した。


 本来ならこれは、入学と同時に新入生全員が受けるはずだったもの。直接打による格闘技系特有の歓迎の洗礼だった。だが、昨今の厳しすぎる指導の問題になり、控え、廃止されたものだったが、古郡吉成のような礼儀がなっていない相手のみ適用するようにした。


 敗北を刻まれて、長っ鼻を圧し折られた古郡吉成を見て、皆心を入れ替え、そうでなくともこれまでの態度を改めて大人しくなるだろうと考えていた。


 確かに最初の一週間は負けたショックで大人しくなっていたが、無様に負けて恥をかいたことの周知に知れ渡ったことに対してプライドの高い彼は耐えられなかったのだ。


 敗北自体は初めてというわけではない。それこそ中学高校で敗北を味わってきた。それをバネにして技術を磨いてきた。


 だが、それとは別だ。部員全員の前であそこまで無様な姿を晒したことが初めてであり、それに伴ない今までの鬱憤を晴らすように先輩はもちろん同輩からも下に見られ、陰口を叩かれ、バカにされるもの。それもサークル内で収まらず、大学に広まった。


 結局入学から二ヵ月でやめ、地元へと戻ってきた。


 戻ってきた古郡吉成は一先ず大学で屈辱を払拭しようと、高校の後輩達を指導してやろうという親切心という名のストレス解消にやってきた。


 だが、再開した顧問である香久山教諭はそれを拒絶した。


『いやいい。わざわざ来てもらって悪いが、今はテスト期間だしな。体を動かしたいなら場所として期間中は貸せるが、指導についてはいい。ウチは今よくやっている方だ』


 まさかの拒絶の言葉に古郡吉成の頭は激しく顰めた。断られた理由が意味不明だった。


 業腹だがテストの期間中ならばまだ分かる。これは時期が悪かった。


 けれどそもそも必要ないとは一体どういうことだ。この高校は古郡吉成がいた時代はまともな指導者はおらず、古郡吉成が引っ張ってきた部活。いわば古郡吉成が作り上げ、育て上げてきた、名を叩き上げてきた、古郡吉成がいてこその場所だ。


 創設者である自分が必要ないとは如何なことか、敵意を向けた眼で問いかける。


 それに対して、香久山教諭は強く真摯な瞳で受け止めて、優しくも厳しい声色で語ってくる。


『もう、ここはお前の場所ではないんだ。古郡。お前なら新しい場所でやっていけるはずだ。過去の栄光に拘らずに大人になれ』


 それは教師としてのアドバイスだった。大人としての助言だった。


 いつまでも過去の栄光には浸らずに、新しい未来を勝ち取ってほしい。


 だが、精神が未熟な古郡吉成にとってその意味が伝わずに、ただ自身が厄介者だと、大学と同じで害ある存在だと言われた気がしてならなかったのだ。


 そして現代、彼は不貞腐れて、酒に入れ浸り、溺れ最終的には夜の街を彷徨っていた。


 酒を回して気分がよくしようとしたが、ただのヤケ酒でしかならない。飲めば飲むほど恨み言を吐き出して、怒りは増長し、荒げては酒の量は増加する。典型的な悪循環になる飲みっぷり。そんなことは気にせずに、あるいはそんな理性的な考えなど最初っからなく飲みまくる。


 そうやってふらついた足取りで街を徘徊して路地裏に倒れて中身をぶちまけた。


 一度盛大に吐き出した吐瀉物。鼻に来る異臭とさらに込み上げてくる不快感にもう一度吐き出しそうになるが、脳内に浮かぶ嫌な景色を思い出して、グッと堪える!


「―――っ、おろろろろrrrrr!!!」


 ……耐え切れなかった。


 吐き出したものを見ながら、頭の中では道場で惨めに無様に地面に這いつくばり蹲って、吐瀉物を吐き出して涙目の自分の姿とダブる。


「~~~~!! くぅぅぅううううそぉおおおおおお、おろろrrrr~~~!!!!」


 脳内の景色を搔き消そうと叫ぶものの同時に三度目吐瀉物が漏れ出してきた。


 そんな風に嘔吐を繰り返していると正面の方から何かが近づいてきていた。


「あ~~~、ふざくんなよ、マジで。なんでレベル上がんないんだよ。もう、疲れたよ~」


 毒気が抜けるような可愛らしくも世界を呪ったような声。声が聞こえた方へ視線を向けるとそこには一人の少女が立っていた。


 猫耳系のフードを深くかぶった少女。黒色の袖のないパーカーにショートパンツに太ももまで布く長いソックス。背丈からして中学生ほどか。


「しかも、っくせえしよ、最後のヤツがこんな飲んだくれかよ、あ~、サイアクじゃんかよ~」


 フードで顔を見えないが、発せられた言葉からして少女からゴミを見るような目を古郡吉成に向けられていることが伝わってきた。


 ただでさえプライドが高く自身をバカにしてくる者を許せない性格であり、しかも今は怒りのボルテージが限界突破。彼は怒りで頭に血が登り、酔いが醒めては見知らぬ少女の姿を捉えて、真っ赤な目をした古郡吉成は唸る。


「ああん? なんだてめえ、クソガキが、見てんじゃあねえぞ」


 空恐ろしい声、まるで腹を空かせたあまりに今にも嚙みつかんとする狂犬の唸り声に等しい代物だった。


 大抵の人間なら怯えて震えあがってしまう。子供ならば泣き出してもおかしくないほどの迫力を秘めていた。


 対して、少女の反応は。



「なんだよ~、そんな怖えー声出すなよ、ビビるだろう。それに、まだ視てはいねえだろう~」



 頑張って言い返した声は可愛らしくも震え上がった涙声。見れば足も震えて動きたくても動けないことは一目でわかる。


 大抵の人間と同じように年相応に怯えていた。


 古郡吉成はその反応を見て「クソガキが。消えろ」と舌打ちしながら内心で吐くが、同時少女の怯えて震えた様子、未熟ながらもメスを感じさせるもの。特に声、声がいい。


 ―――犯すか。


 酒でも気分が上がらない、酒で駄目ならば女だ。


 古郡吉成の好みは大人っぽい女性、豊満な胸部を持つ人間だが、目の前にいる少女は全くの真逆。だが、可愛らしい怯えた涙声が古郡吉成の嗜虐心を注ぎ、これまで自身が惨め立場だったことともあって、目の前にいる弱者をいたぶりたいという感情が芽生えたのだ。


 酒も回っていることあってから普段なら理性で抑えられる部分でも酔って気が大きく、悪逆非道で残忍な思考になっている。


 起き上がり、ふらふらした足取りになりながらも彼女へと近づこうとする。が、酔いのせいで真っ直ぐ歩けずに右へ左へと揺れて、コロコロと円を描くような足が踊りその場に倒れる。が、すぐに立ち上がって叫ぶ。


「そこを動くなよ、クソガキ、今気持ちいいのをぶち込んでやるぜ」


 焦りが混じったものだとわかる。今の転倒で少女が恐怖の膠着が解けて、逃げ出してもおかしくなかったからだ。


 だが、少女の恐怖したままで「ひぃ」と怯えた声を零して、背が後ろへと逸れるものの逃げることはなかった。腰が抜けているのだろう。


 そのことに〆たと思った古郡吉成は再び立ち上がり、邪悪な笑みを浮かべて舌ずりをする。


 まずはストレス解消に一発ぶん殴る。痛みで蹲っている所を動けなくしてから犯す。


 ―――いい声で啼けよクソガキ。


 迫りくる脅威に対して少女は恐怖で動けない。


 だけど、彼女は元よりこの場から逃げ去ろうと最初から思っていない。


 何故ならば。



「《時鬼受肉》、《歴視回覧》」



 そう可愛いらしい声でワードを唱えると、彼女の周囲不確かな力の流れのようなもの吹き荒れるのを古郡吉成は認識した。フードから垣間出る曲を描く一本角が生え、隠れていた彼女の瞳が現れる。まるで和風時計を思わせる漢数字の並びのような時計の瞳。その針が逆回転するようにして回る。


 その瞳に睨まれた瞬間、古郡吉成の脳内には過去の記憶が蘇ってくる。


 出来上がったばかりの黒歴史たる大学時代から輝かしき高校の青春時代。


 大学では散々な恥が多く、腹立たしい代物で見るに堪えなかったが、後に続く高校時代の記憶は古郡吉成にとって最高のもの。


 勉強はともかく、空手で活躍して、学校では少し悪ぶっていた教師からはうるさかったがクラスの人気者で、カーストはトップのグループ。毎日、毎日が楽しくて仕方がなかった。面白おかしくて全て自分の思い通りになったと言っても過言ではない。


 そう、高校では自分は間違えなく、王と言っても間違えないもの。


 だが、それに逆らってきた人物の二人の記憶が浮かび上がってくる。


 一人は言わずと知れた先ほどの香久山教諭。


 そしてもう一人が昼間直前まで香久山教諭や雨崎千寿の傍にいた緑っぽい黒い髪の死んだ目をした少年。


 ―――思い出した。


 校門の前で香久山教諭が自分に気づく前、直前まで話していた一人の男子生徒の存在。


 遠目では分からなかった。


 分かったのは旧友である雨崎千寿だけ。彼と顔を合わせるのは良しとせずに顔を隠した。


 が、その死んだ目をした少年を一目視た時に自身に湧いてきたのはどうしようもない殺意だった。その時は何故か分からなかったが、今記憶の回想にてようやく思い出せた。


 一度、ふざけたことを抜かしてボコったことがある相手。……体育祭だったか、応援団の練習で声が出ている出ていない以前にやる気のある態度に見えなかった、明らかなヒエラルキーが下の陰キャな後輩。


 一向に改善のしない様子に腹が立ち、思わず殴った。


 よろよろと起き上がりながらも、瞳をこちらへと向けてきてはゆっくりと接近して口にしてくる。



『―――――――――』



 耳元で囁かされた腹立たしい一言を思い出す。


「どいつもこいつも、マジでつまんねえ人生だな。あ~、マジでうっつぅ~、さっさとこんな儀式クリアして、最初からやり直してえぇ~」


 相変わらずの可愛らしい声での口の悪さで悪態を吐いてその少女は消えてしまった。


 残された古郡吉成はその少女の最後の言葉を耳にしていたが聞こえてはいなかった。いや、それどころか今目の前に少女がいたこと自体、記憶ではあやふやなもの。夢うつつの状態で見た夢の出会いであり、覚めたらもう完全に記憶に抜け落ちてしまうほどの、幻想の存在。


 やがて彼女の存在を完全に忘れた状態で意識が覚醒した古郡吉成に湧いてきたのは怒りだった。


「クッソどもがあ! どいつもこいつも俺バカにしやがって、ぜってええ許せねえ!!」


 大学の人間達も、香久山も、あの陰キャもどいつもこいつも見下し、嘲笑い、バカにしやがって! 全員復讐して、俺よりか惨めな思いをさせてやる!!


 明らかなまでの八つ当たりでしかなかった。だが、冷静さを失くし、暴走した古郡吉成にとっては些末のことでしかなかった。夢で見た映像が鮮明なまでに映し出されたことによってか、彼の怒りは膨れ上がり、思考は暴走する。


(まずは手ごろなのがあの香久山、俺の優しさを無下にした。その後にあの陰キャだ、あんなやつが俺よりもいい生活を送っていること自体許せない。そして、大学の奴らだ、俺を侮辱したことを許せない。闇討ちでも何でもしてやる!)


 そう、頭の中で自分の手によって惨めになる姿を想像しながら嗤い、怒り狂う古郡吉成。


 と言ってもこの怒りはこの時までのこと。よくある、嫌いなヤツをボコボコにした姿を妄想する誰もがやっているそれである。翌朝になれば酒が抜けて冷静になり、受けた屈辱の怒りこそ残るものの、実際に報復の実行など誰もしない。古郡吉成もその一線自体はちゃんと引いている。


 ゆえに、これはただの一晩の飲んだくれの怒号の愚痴でしかなかった。


 そう、復讐できるほどの力さえなければ。


 ふと、頭痛に似た鋭い痛みが走り、肉体が揺さぶれて、視界が二重にブレる。まるで世界と自分が切り離されたような違和感に襲われる。


 また酔いが回って吐き気が襲ってきたのかと嫌な気分に陥るが、それとは何か違った。例えるならエレベーターの振動と停止だ。自分というよりも世界の異変に思えた。


 不自然な感覚に疑問に思っていると。


 そして、古郡吉成の前に一体の鬼が出現した。



 × × ×



 テスト勉強も一段落を付け、日付が変わりそうな時刻に廻る。


 そろそろ就寝に付こうかと思い、その前に喉を潤そうと思って部屋の外に出る。エアコンがガンガンに効いた冷えた部屋とは打って変わり、廊下は昼間の残暑を残したままの熱気。


 蒸し暑さにたまらず、外に出ることをやめようかと思ったが我慢して部屋から出て、居間へとキッチンへと移動する。


「あ、最悪。お茶しかねえ」


 ファンタを飲みたかったのに、冷蔵庫の中には麦茶しかなかった。


 少し迷う。お茶で我慢するか、外に出て近くの自動販売機にファンタを買いに行くか。


 迷ったものの喉が炭酸のグレープを欲していたのですぐさま部屋に戻り、財布を取って家を出る。


 外は家の中とは違い、昼間の残暑はなく、ひんやりとした空気が周囲を支配していた。


 空を見上げると星空の夜。輝かしいまでの満天の星空、天の川は流れてはこれ以上ないくらいの夏空が広がっていた。


「あれがデネブアルタイルベガ〜♪ 夏の大三角形~♪」


 好きなアニソンを口ずさみながら夜の道を進んでいく。自動販売機まてばそこまで距離はない。


 夜中なので周囲に道には誰もおらず、口ずさむ程度の音量ならば近所迷惑にも、誰かに聞かれる心配もない。昼間なら噂されることは間違いない。


 歩いて数分もしないうちに近所の公園近くの自動販売機にたどり着く。


「げっ、蛾がいるじゃんか。うへ~」


 自動販売機には発する蛍光ライトに惹かれてか、蛾が数匹群がっていた。手で追い払いながら目当てのものを購入してはすぐさま自動販売機から離れる。


 ベンチに腰掛けて一口、喉を潤すことにした。


 近くの公園には七夕の飾りが飾られている。子供の頃はここでよく友達と遊んでいた。今でこそ今日のようにジュース買いに行くだけ通りくらいにしか使っていないがここで遊ぶことはなくなった。


 それこそ、昔はここで毎年七夕祭りが開かれて、短冊を飾っていたがいつの間にか七夕祭りも廃止された。


「そういえば昔おじいちゃんと、あとりりとも一緒に遊んだな」


 ふと昔のことを思い出す。


 夕方、木戸と名乗る高齢の男性からおじいちゃんのことを話したからか、子供の頃の思い出が蘇ってきた。


 五、六年ほど前か。最後に来たのは小学校の頃にじいちゃんと来た。高学年ってこともあってじいちゃんと一緒に来るのは恥ずかしかったけど、昼間はともかく夜の出歩きってこともあって一緒だった。


 まぁ、行き帰りが一緒で基本はこの公園内を自由に遊び回っていいというもの。近所の友達と一緒にいた。


「そうそう、あの頃はりりもこの近所にいたんだよな」


 りりは昔この地区に住んでいて、家の都合で一時期引っ越しした。でもアイツが中学入学と同時に戻ってきて今は別のところに住んでいる。


「榎先輩も織姫役とかの簡単な劇とかの演舞の一種もやったりとか」


 七夕の織姫と彦星の物語を祭りの行事として演っていた。その時、りりと一緒に見てて……。


「あ、やべえー、恥ずかしいこと思い出した」


 いわゆるフラグってやつだ。「大きくなったら結婚して」とかの漫画とかゲームだったら幼馴染みヒロインになるやつ。


 だけど現実はそうはならない。案外現実での子供の頃の約束なんてそういうもんだし。それにあれはその手の告白じゃない。恥ずかしい言葉ではあったけれども。


 思恥ずい焦燥に駆られながらも、しばしの間昔のことを思い出しながら星見を楽しんでいたら、


 ―――突如、ぐわんと視界が揺れる感覚に襲われる。


 二重にブレるような、今いる世界と切り離されて、確かにこの場にいるはずなのに、何故か別の場所に存在しているような不思議な体感を覚えてしまう。


「……ん? なんだ?」


 ふと周囲の空気が切り替わるのを察する。


 夜の冷えていた空気だったが、それが一段と冷えて身震いする感覚が走る。だけどそれはただ体が冷えたものではない。


 全身の毛が怖気立つような奇妙な感覚は……生物的危険察知能力か。俺の中の本能が告げていた。


 ……なんだ? 一体なんだ、何かが来る?


 ベンチから立ち上がり警戒して周囲を疑う。


 夜空に浮かんでいた星空を隠すようにして、黒ずんだ雲が星の輝きを飲み込むように空へと広がっていく。


 カサカサと揺れる動く七夕の笹はまるで幽鬼がそこに潜んでいるかのような不気味さを感じさせる。電灯の明かりがチカチカと点滅を繰り返しては、果てに雲が完全に閉めるのと同時に明かりは消える。


「ッ!? なんだ、明かりが消えるって本当になんか出んのかよ? ええ?」


 軽口を叩こうとするも出てきた言葉は上ずった声で怯えを隠しきれていない。ひんやりと嫌な汗が背筋をなぞる。


 明らかにおかしな現象に対して、恐怖する俺は一刻も早くこの場から逃れなければ、との思いに駆られるが、


 やがて。


 ドドド!!! ビシャーン!!!


 公園に雷が落ちる。


 感電はなかった。ただ凄まじき衝撃に襲われて体制を崩す。目がチカチカとして、耳が一時期的にイカれてしまう。


「〜〜〜ッ!! なん、だ、……かみ、なり?」


 混乱する頭を叩いては無理矢理正常へと戻そうとする。目は瞬きを繰り返してなんとか治ることに成功した。耳はキーンとする感覚はなかなか消えない。


 顔を上げて目の前の光景を確認する。


「なっ、なんだこれ!?」


 雷が落ちたと思われる場所の地面には魔法陣のようなものが浮かび上がる。


 黒ずんだ闇を漂わせていた雲は晴れ、新月だったはずの月くっきりとその形を出現する。


 血を連想させるような真っ赤な月が世界を照らす。


 赤月の光を浴びて力を得たかのように地面に敷かれた魔法陣は輝きとも呼べる粒子の放出が始める。


 その粒子はゆっくりとだが、少しずつ加速していくようにしてその形を形成していく。


 目の前に起こる不可確かな現象に対して俺の頭には『召喚』と言葉が浮かんできた。


 そして、その言葉の意味を証明するかのようにその存在は顕現する。


 それは一言で言うならば『鬼』だった。


 空を思わせる、青と雲色のメッシュの天然パーマの髪。額に二本の角を生やし、顔立ちは相当整っている。


 細くともガッツリとした筋肉質の肉体。その身に二つの巨大な輪っかをクロスさせて纏い、手首足首にも輪を身に着けている。指先には鋭利尖らせた長い爪。


 スッとした細く、貫くような眼をこちらへと向けられて俺と目が合う。


 その瞳は鬼と言うにはあまりにも澄んだ、空色の瞳をしていた。


 奴は俺の方へと手を翳す。


 瞬間―――


「―――っ!?」


 電撃が走った。地面に走る稲妻。上下の激しい曲線を描く黄色の閃光が俺へと向かってくる。


 あまりにも突然の、不意打ちの攻撃に避ける術もなく、また稲妻に人間の回避が間に合うわけもなく、まともに受けてしまう。


 全身に暴れまわる激痛。皮膚という皮膚が引き裂かれるような感覚と血肉の流れや動き、神経を潰す感覚、骨が軋む感覚、全身が焼け焦げたような痛み。これまで体験したことない痛みを味わう。


 漫画とかで「痺れる」なんていうが実際喰らったら痺れるレベルではない。ただただ、痛い!


「あ、あ、あ………あぁあ」


 叫ぶことすら出ない。漏れてくるのはうめき声。麻痺した肉体で声をすらもまともに上げることすらできない。地面に倒れ伏せる。


 起き上がることも指一つ動かすことができない。意識も薄れて―――


 バッシャーン!!!


 打ち付けるような激しい水の塊が空から落ちてきた。冷たくて重い雨。……雨? 


 なんで雨と思ったのか自分でもわからない。明らかな水の塊。バケツの中身をぶち撒けられた滝の水といってもいいと思える水量だったのに、何故か俺にはそれが激しくも水滴の大きい雨のように思えた。


「ハッ!?」


 電撃の痺れは消え、膠着した身体は動けるようになる。


 まるで雨に打たれたことによって痺れが流されたように回復した感覚で、……少し不気味。


 体は動く。だが、痺れが取れただけでダメージは残っている。今の水のせいでベシャベシャになって溺れたような状態。体は重く、動くこともしんどい。


 今すぐ走って逃げ出したいが、まともに動けやしないだろう。すぐに捕まるのがオチだろう。


 まさに絶対絶命の危機。


 真っ直ぐとヤツの存在を見据える。


 ヤツは無機質な物を見るような瞳でこちらを視ている。先程みたくいきなり攻撃を仕掛けてくる気配はない。


 ……一体何が目的だ? 大体なんだ、コイツは? 鬼? 本当に鬼なのか?


 目の前の正体不明の生物について思考を回す。いきなり現れた鬼のような怪物。攻撃してきたが、殺さない。


 ……そうだ、殺しに来ないのだ。


 ふと閃きを覚えた。


 アニメや漫画の知識だが鬼の存在っていうのは基本人間を襲い殺す存在だ。ならば俺を殺しにかかったり、をいたぶってきて苦しがる様を嗤ってきてもおかしくないはず。


 だが、ヤツは雷と水の攻撃の二発放ってきては何も仕掛けてこない。それはどういうことだ? ヤツは俺をまるで観察するように観てくる。


 あの目はなんだ? 何を考えている?


 少しも敵意というものを感じられない。


 向けられている澄んだ空色の瞳。……これに近い瞳があるならば、俺の中で挙げられる例としてはあの夜名津の黒ずんだ死んだ目に似ているような気がする。


 似て異なる。


 夜名津の瞳が他人に対して無関心ならば、こちらは……観察か?


 こちらへとじっくりと何かを見極めようとしているのが伝わってくる。


「……お前は、なんだ? なにが、……目的だ?」

『……………』


 俺の疑問にヤツは答えない。ただ真っ直ぐとこちらへと細く値踏みするようにして、今度は手をこちらへと何かを放つかのように―――、


「ッ!?」


 危険を察知して全力でその場を離れようと体を横へと投げようするが遅かった。


 強烈な暴風が俺へと襲ってくる。


 嵐、いや竜巻ではないのか強烈な風力は人一人を飛ばすには十分なもの。ぶっ飛ばされて公園を仕切る柵へと直撃してぶち破れて、そのまま公園の外へと道路に出る。


 公園の地面とは違い、アスファルトの大地は硬く叩きつけられた体には先程のダメージも相まって相当な衝撃。骨が折れたり、ヒビが入った感覚はないがそれでも相当体に響いた。


「あっ、…グ! ちっきしょー!」


 四つん這いになりながら、痛みに耐えて起き上がろうとする。軋むような筋肉の叫びが悲鳴を上げる。


 仕草だけでの直感は正解だったが、回避なぞ間に合わずにまともに受けてしまった。


 雷、雨、風の三種の攻撃。あの鬼は天気を操れるとでも言うのか。


 頭でそんなことを考えながら、何とか立ち上がり近くの塀の壁へと寄りかかり、そのままこの場を去ろうと足を動かす。


 このままじゃあ殺される……!


 痛みによって強く痛感させられた死の恐怖心が植え付けられて俺の心を凍りづかせる。呑まれてしまいそうな感情を必死で抗い足を動かす。


「! なんだ、よ、……お前は!」


 立ち塞がる鬼。


 筋斗雲とでも呼べばいいのか、ヤツの足元にはどんよりした雨雲のような雲が敷かれてそれに乗って先回りして俺の道を塞ぐ。


 逃げられない。


 憐憫な空色の双眸は一見すると怒りを感じさせるものだが、……でも、やはり俺にはどうしても何かを見定めるように感じる。


 本当に何なんだ、コイツは?


 いきなり攻撃してきてあまりの強さに殺される、と恐怖を覚えたけど、どうしてもヤツの目を見ると俺に何かを語りかけてきているように思えてしまうのは。


 お前のチカラを見せてみろ、


 お前はその程度なのか、


 そんな風に語りかけられているような気分になる。


「ッ! ああクッソ、やってやるよ、やってやらぁ!」


 覚悟を決める。


 拳を握りしめ、フラフラする足に無理矢理踏ん張りを利かせて立ち上がる。


 コイツの目的がなんなのか分からない。だが、俺を試そうとしていることは伝わってくる。逃げようとしても回り込まれて道を塞がれてしまう。


 壁だ。この鬼は俺にとっての壁。避けて通れない、超えなければならない巨大な壁だ。


 歯を食いしばり、大地を強く蹴り出す。


 正面突破! 邪魔な壁はぶち破る!!


「おおおおららああああ!!!!」


 全力の右ストレートを繰り出してヤツの腹部へと直撃する。


 鍛え上げられた肉の弾力。確かな手応えをこの手に感じた。


『…………』


 だが、ヤツは倒れない。めり込むように食らった拳の箇所だけくの字になりつつも無言の圧を俺へと向けてくる。


 ヤツの身体が屈めたことで俺との顔が接近する。


 間近で見る空色の双眸は魔性そのものだった。


 美しさに惹かれ、また少し得体の知れない恐怖を覚えるように俺の身体を、心を、震えさせた。


 そんな怯えに似た俺の心情によって拳のチカラを弱まったのを感じたのか、鬼は反動で弾くように腹筋を使って俺を跳ね返した。


 元々ダメージのあった俺の身体は踏ん張りが効かず、そのまま地面へと倒れてしまった。


 視界が歪む。肉体の限界か。意識が保てない。


 ヤツは傍らに立ち、俺を見下ろしてくる。空色の瞳は何か考えるかのような目をしていた。


 その様子を見て、せっかく全力の一撃を繰り出したのにあんまり効いてねえ、と少しだけショックを受けてしまう。


 ……今の一撃は空手を習っている知り合いから教えて貰った、大抵の奴は蹲るくらいの強烈な威力を放ったつもりだったんだがな。相手が鬼だったからか、人間様の一撃は有効ではなかったみたいだ。


 クッソ、ちくしょー……!


 やっぱりテンションに任せて迎え撃つじゃなくて逃げるべきだったか。体力の限界と今のが全く通じなかったことのショックで心が折れた。


 こう倒れてしまったらもう起き上がれる気力もない。


 駄目だ、もう限界だ。


 もう煮るなり焼くなり、好きにしろよ、と自暴自棄になってそのまま瞼を閉じてこの後の運命に覚悟する。


「!?」


 途端に胸ぐらを掴まれて浮遊感に襲われる。片腕で持ち上げられたのだ。


 そして。


「うっ、うああああああぁぁぁぁ!!!!!」


 再び電撃を流された。


 ビリビリと肌は焼けるような痛み、骨が蝕まれていくような軋み。体の至る所を駆け巡り、髪の毛一本一本まで神経が通っていることを自覚させる代物。


 いっそうのこと気を失えれば楽になれるのに……逆だ!


 初手のようなただ強い電流を流すんじゃなくて、痛みの刺激として伝わりやすい強過ぎず、弱過ぎない威力に調節されている。拷問のようなもの。


 やがて電気を止む。はぁはぁ、と呼吸が激しく乱れる。痛みの緩和のためにも整えようと呼吸を―――


「あっ、がっ!?」


 整えようとして心肺部分に指が突き刺される。


 鬼の持つ鋭利な爪は人の肌を突き破るのは容易で、肉すらも簡単に穴を開け、助骨をすり抜けて、あっさりと肺へ到達する。


『……』

「あっ、うぅ! ああん! あーああぅ、ん!!」


 ぐぢょぐちょと蠢く指先は内蔵を弄くり回される。その動きに伝達して血管や神経、筋肉が蠕動する。


 ぐちょ…、ぐちゅ…、ぐちょ…、ぐちゅ…。


 体の中を弄られる時は実はあんまり痛くはなかった。先程の電撃の痺れがあるせいか、麻酔代わりの役割を果たしている。


 痛い、というよりも異物が体内にある不快感が上回る。まるで体の中を小さな虫が入り込んでは食い千切ってはそこから繁殖していく気味の悪い感触。


 それから逃れたいが逃れることはできない。力に力が入らず、鬼の指を拒絶することができない。


 拷問のような時間がしばらく続く。



 ―――……ドクン! ドクン!!



 心臓が大きく高鳴って全身に血が巡っていく不思議な感覚に襲われる。


 やがて。


 乱暴な調子で無理矢理指を引き抜いて、俺を地面へと落とす。


 どた、と地面に落ちた俺は呼吸するのがやっとの状態。こきゅー、こきゅー、口呼吸なのか、それとも開けられた穴から直接空気が入ってきているのか自分でもわからない。


 再び雨のように水を浴びせられた。


「あー!……!? 痛みが、引いた?」


 浴びせられた水を雑に拭う。と、体の異変に気づいて、反動で起き上がる。


 ずぶ濡れの状態で、ずったりと重い体は水の重さのみで先程までのダメージはない。痺れは消え、胸元を触れて見ると指で貫通された穴は塞がっていた。


 逆に体が軽くなり、驚くほどに調子がいいように感じられる。


「なんだ? 何が―――」


『……調整はしてやった』


 慌てふためく俺の言葉を遮るように、初めてヤツは口を開いた。


 その声は驚くほどに澄んだ、優しい声色。とても鬼の声とは思えない情感が含まれた声だった。


 そちらへと顔を向ける。


 澄んだ空色の瞳は、吸い込むような優しく美しいものを魅せてくる。


「……お前は、一体?」


 問いかけると、空色の瞳の鬼はキリとした調子で言い放ってくる。


『誇りのために全うせよ、我が主よ。唯曇の血としての役目を果たせ』


 そう言い残して、ヤツの姿が光の粒子へと消え、その後に御札のようなものとなって俺の手元にやってくる。


「なんだったんだ、あれは」


 いなくなり、手元に残った御札を見ては呆然とする。


 御札には『天鬼』と書かれていた。


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