表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/38

VS血鬼 其の陸

「か、香久山!?」


「!」


 香久山教諭だった。振り切られた刃から夜名津我一を護ろうとして飛び出し、その身に受けたのだ。


 ジャー、と鮮血が飛び散る。ボロボロと口から血が溢れる。真っ赤な、真っ赤な血。


 幾人ものの血が蔓延して作られていたはずの血界が破られて、初めて出た新鮮な血が古郡吉成と夜名津我一の目の前で染め上げる。


 脳が追い付かず、茫然とする二人、いや、外野の雨崎千寿や榎設楽ですら状況を読めず止まったように息が詰まる。


 一人、香久山教諭だけが夜名津我一へと向けて吹き出る血を堪えて、肩を捕まえていつもの笑顔で訊ねてくる。


「だ、……大丈夫か、夜名津?」

「……先生」


 いつも躱してきたボディタッチをされている自覚はなく、ただ目の前の人物に意識を奪われる。何を口にするべきか、次にどう行動するべきか、一体全体何が最優先事項なのか、普段は冷静に判断することができる彼はそれができない。


 ただ、怯えた目で彼を見上げる。


 その姿は夜名津我一が永遠に脳裏に焼き付いて消えない、最悪の思い出(黒歴史)と光景がダブる。


「……なんでだよ」


 その震え出た動揺した呟きは夜名津我一のものではなかった。


 それが出たのは口にした本人である古郡吉成自身でも驚くべきものだった。


 焦点が合わないように震える瞳は真っ赤な血を染め上げている恩師に向けられる。


 込み上げてくる言葉を、込み上げてくる想いを、込み上げてくる感情を、自身の中で必死に堰き止めるのだが、だけど止まらない、口から出てくる言葉を抑える術を古郡吉成は知らない。


「なんでだよ、香久山!! なんで、どうして……! なんでそんなヤツを!!」


 無理矢理、震えを誤魔化した声で吠える。耳にした香久山教諭は夜名津我一の肩から手を放してゆっくりと振り返ってその問いに答える。


「大事な、生徒だから……だ!」


 大事な生徒を護るために前へと立つ。


 そして今に倒れそうな息絶え絶えとした調子で強い瞳を以って応える。


 質問された生徒に対してちゃんと真摯に向き合って受け応える。


 教師として当たり前の答えを以って答える。


 大切な生徒だから護る、と。


「大事な……せえーとだぁ!? はあ?」


 信じられないもの見るような目、動揺で震え上がった声、古郡吉成の頭の中で何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度も!!


 ―――反芻する。


『大事な生徒』


 その言葉を噛みしめる。いや、嚙み砕いた。


「ハッ、そうだよな。お前にとって今の生徒が大事で、卒業した俺はただの赤の他人なんだな」

「ふる、ごおり……?」

「気やすく呼ぶんじゃあねえ!!」


 情緒不安定な彼の名を呼ぶけれど、彼は真っ向から拒絶する。顔を上げた彼の顔は完全に迷いや動揺は吹っ切れて笑い飛ばすようにして言い放つ。


「だいぶふざけたこと言われたが、優しい俺は三年間の付き合いだからって理由で操る程度にしてやったっていうのによぉ、それがクソ相手を『大事な生徒』とか言って、学校に貢献してやった卒業生には帰れ、か。笑えるわ」


 言葉通り笑っているが、だけどそれ見た香久山教諭だけには古郡吉成が信じていたものから裏切られた時のような、泣いている子供の顔に思えた。その変化は感じ取れたのは三年間の付き合いからか。


「だよ、何か言いたいことあんのかよ」


 同情する視線を投げ掛けられたことが癪に障り噛みつくようにして睨みつける。


 香久山教諭はそっと目を伏せた。視線から逃れたのではない。思い出していたのだ。


 古郡吉成との三年間の付き合いを、共に過ごした日々を、彼がどんな人間だったのか。


 そしてどんな気持ちでこの前会いに来たのかを。


「古郡、……すまなかった。あの時はお前のためを思っての発言だったんだが、お前にとっては……傷つく言葉だったんだな」

「今更謝ったって遅せえんだよ!」


 謝罪の言葉を口にするけれど、古郡吉成からは拒絶される。


 今更どんな言葉を紡いだって彼にはもう届かない。


 それでも教師として、卒業しても変わらない大事な生徒のために彼は言わらずにはいられない。覚悟を決めて古郡吉成の心に届くことを信じて言葉を紡ごうとして口を開こうとするが、実際に口が出たのは大量の吐血。


 ここまでだった。むしろ、よくここまで動けたのだと褒め称えるべきなのかもしれない。操られために必要な出血と血界を維持するために必要な採血。そして夜名津我一を庇って受けた鮮血。


 血を失い続けて通常なら動くどころか、まともに言葉を放つことですら難しい状態でありながらもそれに耐えて生徒と向き合っていたのだ。


 地面に倒れてなお、パクパクと小さく口が動かして言葉を放とうとしたのは教師の矜持だろう。



 ―――でもお前がやったことは許されることではない、また同じことを言わせてもらう、大人になれ、古郡!



 その言葉を言い放つことができなかったのは香久山教諭にとって、また聞くことができなかった古郡吉成にとって、救いだったのか否か誰にも分からない。


 倒れた彼を死んだような目でしばし見詰めて、ハッと鼻で哂う。


「ハッ、無駄なことに時間をおお!?」


 裏拳が飛んできた。


 顎が外れそうな、脳を揺らすような、強力な一撃が口元に飛んできてその場に転がる。


 口の中に血の味と顎がズレたことに生じる激しくも歪な痛み、何よりもいきなり攻撃されたことによる混乱が彼の頭をパニックされる。


 だが、攻撃は終わってなかった。すぐに襲ってきたのは腹部への、まるで膨れ上がった風船を圧し潰した時のような強烈な蹴りの一撃が襲ってくる。空手でもそうは喰らわないだろう一撃に、ぐはっ、と肺の中の空気全てを吐き出すかのような反動。横たわっていた態勢は楽な形を取ろうと腰を上げて地面へと顔を向ける。


 その無防備な頭を踏みつぶされた。


 外れかかっていた顎はカチンと重なり直ったが再び舌を噛んで血の味がさらに広がった。


 最後にもう一撃横腹へと攻撃を受けて二転三転と地面に転がる。


 距離を離されたことで一度は奇襲から逃れることができた古郡吉成は受けた傷を庇いつつ何とか顔を上げてそれを認識する。


 古郡吉成へと一方的に攻めた本人、夜名津我一は冷めた瞳を向けられていた。


 それは死んだような目ではなく、人を殺す目をしていた。



 狂人のように冷たく、

 獣のように恐ろしく、

 殺人鬼のように黒く、

 鬼のように強く、

 そして何よりも、どこにでもいる普通の人間のように残酷な、



 人を殺す目をしていた。



(この目は……!)


 古郡吉成は思い出す。


 一度だけ自身へと向けられたことのある瞳。


 夜名津我一を恐怖の対象として最悪の印象つけられた、忘れられないその瞳を。


 その感情を逃げようとして、―――忘れていた。

 その感情を思い出して、―――憎んだ。

 その感情を認められず、―――攻撃した。

 その感情を偽りだと言い聞かせて、―――踏みつけた。

 その感情を消すべく、―――痛めつけた。

 その感情を忘れるべく、―――殺そうとした。


 そうすることで安堵を得ようとしていた。


 あと少し、あともう少し、ほんの少しで、完全に存在が消して、自分の中で『別に大したことなかった』と言い切れたはずなのに、割り切って『何もなかった』と過去のどうでもいい思い出の一つで終われたのに。


 なのに!!


 ここにきて、その恐怖に襲われた。


 夜名津我一は視線を一度切り、雨崎千寿へと視線を変えて香久山教諭へと指をさす。


「……雨崎君、頼む」


 冷えきった小さな呟き。


 本来なら聞こえなくてもおかしくない声と距離の関係性。だけどその声は遠く離れている雨崎千寿の耳にもしっかりと入っていき、背筋を震えさせる程の代物。さらに遠くに離れていた榎設楽も同じような悪寒が走った。


『先生の傷を治せ』


 たったそれだけ。たったそれだけの意味を込めた言葉なのに、何故か二人には恐怖の一言にしか聞こえなかった。


「……お、おお」


 フリーズ仕掛けている思考でありながらも動揺を隠せずに返答する。すぐさま雨崎千寿は香久山教諭へと急いだ。


(……やっぱ、コイツをキレさせるのが一番怖い)


 移動しながら心の中で夜名津我一の存在がどういうものだったか再認識する。アレは異常な何かだと。


 雨之太刀で香久山教諭の傷を癒す姿を見届けたから、再び二人の方を見る。


「まじゃ―――!!?」


 ―――まだ邪魔するのか。


 彼はそう言いたかったのだろうが、それを言い切る前に夜名津我一の拳が決まった。


 一発では終わらない、そのまま何発も何発も叩き込まれる。


 本来ならすぐにやり返すために起き上がって臨戦態勢を取る処だが、最初に受けた不意打ちのダメージと今の一撃が想像以上に効いていた。


 飛んでくる拳が肉体に響く。まるで炎に焼けるような痛みが走る。一つ一つの拳が重く、強く、鋭くて、そして何よりも酷く冷たく感じた。


 聞かない。聞く必要がない。聞いても時間の無駄。お前の話は意味がない。お前に付き合うのはもううんざりだ。静かにしろ。キレるな。黙れ。シンプルにうざい。ムカつく。知らない。お前の事は何も知らない。どうでもいい。口を開くな。威嚇するな。睨むな。歯向かうな。邪魔だ。消えろ。失せろ。これ以上お前の勝手な理由で暴力を振うな。暴れるな。殴るな。蹴るな。侮辱するな。踏みつぶすな。荒らすな。そして、何よりも誰かを傷つけるな。人を殺すな。



 ―――僕の目の前で誰かを殺そうとするな!



 撃ち込まれる拳には伝わるそれは、完全な軽蔑を込められたものに感じられる。


 親や教師が悪いことしたから罰だと叱ってくるような拳骨ではなく、教室にいる全員から『迷惑だ』と訴えかけてくる冷ややかな視線のような痛みを感じられる拳。


 ……………あ、あ、、、、あ、、、、、、、、、あああああ―――



「―――あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~!!!!」



 そのビジョンから振り払うかのように殴り返して、攻撃を止めさせようとする。そう、止めさせるようとする。もはや嫌悪や怒りよりも先に恐怖の感情によってこの場から遠ざけたい、逃げ出したいという気持ちが強かった。


 鬼や怪異といった異形の存在と対面しているのと変わらない。身体が恐怖で支配される。


 反射的に放たれる剛拳。迷いの中でも空手で鍛え上げてきたその拳の威力のキレは見事なもの。瓦だろうと簡単に割ってしまうだろう一撃。


 いきなりの反撃に夜名津我一も顔面にまともに入る。


 バキ、という嫌な音が響く。


 止まない怒涛の嵐のように拳を放っていた、夜名津我一の手が一時的に止まる。仰け反りこそしなかったが、顔面に受けたまま一歩も動く気配がない。


(モロ入った! 完全に鼻を折ったぞ!)


 決まった時は恐る恐るといった不安感だったが、夜名津我一の反応を無さと、自身の拳に伝わってきた確かな手応えで立ったまま気を失ったのだと少なくとも鼻を潰したことは確かだ。


 湧き上がってきたはずの恐れが薄れ、自身が優勢だということに彼の心を救い、同時にまた黒く染める。表情は晴れて、口角は不気味なまでに吊り上がる。


 もう一発を放って完全に沈めようと、腰を引いて二発目を放とうとする。


 咄嗟に出た拳ではなく、空手で培わられた型として完成された正拳突き。鬼化による血液操作と夜名津我一への恐怖心で無意識化に行っている呪力の操作によって大幅に強化された肉体から放たれる瓦割りの威力で収まることはない。


 一瞬だった。ほんの一瞬。


 二発目を放つまでずっと『目を見たくない』という理由で顔から離すことなく隠していた拳が彼の顔から引き離されて彼の顔が露わになるほんの一瞬。


 その、人を殺す目が真っ直ぐと古郡吉成と目が合ったのは。


 真っ直ぐと飛んでくる拳を認識すると夜名津我一はその動きに即座に反応して反転して逃げるように体を後ろへと回して、伸びてきた拳は首と肩を霞めて、その腕を捉える。


 ガッ、と軸足がまるで馬の後ろ脚から蹴り上げられて、刹那の自然と流れるような前転した時の浮遊感に襲われる。


 傍から見た、その技は一本背負い。


(柔―――!!!?)


 柔道。剛の技を好む古郡吉成とは逆の技、柔の技の投げを以って返された。そのことに驚くのもままならない内に濡れた地面に叩きつけられて、そして、容赦なく踏み潰される。


 片足ではなく、両足を使った全体重を乗せたものが顔面から喉元、胸筋辺りの完全に圧迫死を狙ったとしかいえない、殺しにかかったもの。


「ブッバ、ああああ~~~~!!!」


 痛烈なコンボが決まって吹き出して絶叫する古郡吉成に、うるさい、と言わんばかりに蹴り飛ばして地面へと転がる。


 一度、折れていたはずの鼻は元から何事もなかったように元の形であり、そこから垂れていた鼻血を親指で拭い去ってから再び静かに接近する。


「く、来るな、……来んじゃねえ!!」


 怯え切った怒声を吐いてぬかるんだ土から泥を拾い上げては投げ、遠ざけようとするが、夜名津我一は止まらない。


 無鉄砲に投げられた狙いの定まっていない泥は当たらず、当たっても構わらず進んでくる。わざわざ躱すこともしない。例え石ころが混ざっても、目に入っても構わずゆっくりと突き進みに、射程距離になると拳を放つ。


 ……あまりにも一方的な戦いだった。


 何よりも恐ろしいと言えるのは一方的な暴力という形ではなく、終始無言でいる事か。


 無機質に。……まるで命令されたことを著しく働く機械の作業の如く、言葉を発さずに暴力を振うのはあまりにも不気味過ぎて背筋が凍り付く。


 数十分前、古郡吉成が操っていたゾンビらによって作業的に蹂躙されていた夜名津我一だが因果応報というべきか、現状逆の立ち位置になっていた。



―――『泣いてんのか、あん? 情けねえな』

―――『…………』

―――(泣いてるのレベルじゃねえわ、だったらお前は抵抗を一切できない状態で何十人の者から散々踏み潰された挙げ句、腹部に膝蹴り食らった状態で泣かずにいられるのか? いっぺん味わってこい)



 そんなやり取り(?)も皮肉なことにしっかりと味わう羽目になってしまった。


 ついでにいうならば夜名津我一はそれを記憶してやり返しているわけではない。そのことについては忘れている。屈辱を受けたこと自体覚えているが、そんな心情でいたことは一々覚えていない。


 故に無防備な腹部へと蹴りを放ったのも偶然だろう。


 夜名津我一の攻撃は終わらない。


 別に夜名津我一が喧嘩で負け知らずの不良生徒というわけではない(一部では問題児扱いされてはいるが)。特別運動神経がいいわけでもなく、また古郡吉成のように空手といった格闘技を習っているわけではない。


 ではなぜ、本来なら身体能力では勝っているはずの古郡吉成がどうしてこうまで劣勢を強いられているのか? その絡繰りについて理解できたのはこの場で唯一、榎設楽だけだった。


(……巫力による力道!? 彼は霊能力者……いや違う。アレは瀕死による霊力の開放)


 夜名津我一の現状勝っている理由は死にかけたことで一時的に霊力による補正が付いていたからだ。

『力道』。霊力を回して身体能力を向上させる技術。


 そして夜名津我一が力道から回されている霊力の一つ『巫力』は邪を払い、また傷を癒すことができる力。

 身体能力を強化され、また自己治癒による強回復によって瞬時に傷を癒す。ヒビが入った腕も、折れた鼻もこれによって治されていたのだ。


 霊能力者の中でも巫力を使いこなせるのは一握り。つまり彼は霊能力者の中でも相当な原石である。


(てっきり性格から見て呪力型の方かと思ったけど、彼は巫力型だというの)


 古郡吉成とはまた違う恐怖心が彼女の心に不安を煽らせる。


 それはある意味才能に対する嫉妬心であり、同時に訪れるであろう将来に対しての恐怖心。


 中学時代の修行時、祖母から教わった言葉の意味がここにきて痛感する。


(『堕ちた巫力型は負の感情を極まった呪力型よりもよほど恐ろしいことを犯す』か。ええ、彼のような人間にある言葉ね)


 もはや、榎設楽がこの事件を起こした張本人の古郡吉成の脅威度はなく、夜名津我一の危険性についてどう対処するべきか思考を回していた。


 怒りのあまり狂った暴力にどうするべきか。せめて古郡吉成のように呪力型だったならば、自身の巫力で対処できるのに。


 と、そこまで考えてある疑問が過った。


(まだ堕ちていない?)


 強い怒りや恨み、復讐心といった深い負の感情は霊力と巫力を呪力へと変化させる。香久山教諭を深い傷を負わせたことで古郡吉成に対して負の感情があるのに、呪力に影響はなく、巫力として使われている。


 それは何故か?


 夜名津我一は古郡吉成に対して怒りを向けていなかったから。


 今の夜名津我一の心情は一言でいえば『八つ当たり』だった。


 決して香久山教諭を傷つけた古郡吉成に対して『許さない』という正当な正義の怒りではなく、『自分のせいで誰かが傷つけてしまった』『死なせるようなことをしてしまった』という、罪悪感の苦しみ、自分自身が決めたルールを破ってしまったことに対する『八つ当たり』を向けている。


 八つ当たりであり、同時に『戒め』か。


 正直、自身が死ぬことを殺されること自体は何とも思っていなかった。むしろ嬉々として受け入れる姿勢でいた。


 だけど、そうはならず反対に夜名津我一が恐れていた、香久山教諭を、無関係な他人を巻き込んで怪我を負わせるという結果が起きた。


 過去に自身が起こした許されない失敗。


 絶対に消えない傷にして、絶対に決してはいけない記憶。


 夜名津我一が『夜名津我一』である一人の個の存在として決定付けられた、致命的な黒歴史トラウマ


 それを繰り返したことによる『戒め』として彼は今、こうして拳を振っているのだ。


 嗚呼、嗚呼、嗚呼、


 ああああああああああああああああああああ。


 本当に彼は。



 ―――彼は本当に、自分のことしか考えていない。



 誰かを、偲ぶことも、慮ることもできない、自分勝手なろくでなしだった。



 やがて。


 古郡吉成は地面へと崩れ落ちた。


 地面へと倒れて動こうとしない。だけどまだ息はあった。


 そして、夜名津我一はとどめさそうとして……、


「―――待て、夜名津! やり過ぎだ!」


 喉元へと向けられた靴底。文字通り息の根を止めるための行為、踏みつける動作を仕向けた時、背後から羽交い絞めをされ、数歩後ろへと下げられる。振り向かなくても声で雨崎千寿だと理解する。


「…………」

「やめろ!」


 構わず最後の一撃を踏み抜こうと前進しようとする。力道による強化もあって物凄い力で前進される。全体重を後ろへと反らして全力で止めようとするけれど、離したはずの距離もすぐに詰め寄られて先ほどと同じ場所へと立ち、足を向けられる。


 力を振り絞って必死でそれを止める。


「やめろっつってんだろうが!!」

「………………」


 訴えかけるが、無言のまま身体を前へと首を踏み潰そうとすることをやめようとしない。


 雨崎千寿にとって夜名津我一の力強さよりも、この何も答えない沈黙が何よりも恐ろしい。


 普段から周囲と話すような人間ではないが、仲の良い人間だと饒舌になって聞いてもいないことをあれやこれやと話す、ぼっちのオタク特有の話し手である、夜名津我一。


 学校で唯一と言っていい、雨崎千寿にだけは、先の図書館でやり取りのような、緊急時ですらいつもくだらない話で語りかけてくるのに、今はそれは一切なく、漆黒の意思の圧を放ち、無言でただ目の前にいる敵を抹殺しようと行動力が恐ろしくてならない。


 だが、恐怖に怯えていられない。


 止める。絶対に止める!


 今回の事件を起こしたとはいえ、元は仲の良い先輩を殺させはしないし、友人を決定的なまでに道を踏み外せはしない!


 最後の力を振り絞るかのようにして全力で叫ぶ。


「それをやったら、香久山先生がお前を護った意味がなくなるぞ!」

「……………………………………………………分かったよ。ごめん、ありがとう。助かった」


 しばしの間何かを考えるような顔を落として、踏み潰そうとして向けていた足を止める。


 そして、絞り出したように力を抜いて、了解と謝罪、そして感謝の言葉を小さく告げる。


 ようやく夜名津我一は止まった。



× × ×



 ま、こんなもんか。全く、腕っぷしがあると思ったら口だけの使えねえ、ばでぃだな。

 キキキ、ま、後は任せろ。

 俺様がちゃんとお前をバカにしたヤツら全員血祭りにしてやるから。

 な~に、気にすんな、契約通り肉体をくれたお礼ってヤツだ。

 安心して死んで地獄へと堕ちろ、相棒。キキキ。

 ま、その地獄も……キキキ!!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ